事後特有のしっとりとした空気は重いが、不快ではない。身を離しベッドに仰向けに横たわり呼吸を整えると、カイルは両腕を頭の上へと伸ばした後で肺の奥から息を吐いた。
「あー……気持ち良かったー……」
「それは良かった」
カイルの頭を撫でながらのゲオルグの言葉に、カイルは斜め上を仰ぎ見た。
「ゲオルグ殿は? 良くなかったんですか?」
「いや、気持ち良かったぞ?」
「じゃあそーゆー顔をして下さいよー」
「……どういう顔だ?」
「気持ち良かったなーって顔です」
「だから、どういう顔だ」
笑いながらカイルの頭を撫でれば、言葉ほどには不満そうではない。上体を起こしているゲオルグの腰のあたりに抱き着き、子供のように笑む。とっくに大人なのに、甘やかしたくなるのはそのせいかもしれないとゲオルグは内心で思った。
ゲオルグの内心など知るはずもなく、カイルは上機嫌で抱き着いたままだ。
「手、気持ち良いなー」
「手?」
「硬いんですけど、触り方かな? すごい気持ち良いですよー」
ゲオルグ殿も撫でてもらえたらいいのにねと言うと、彼は思わずというように笑みを漏らした。笑顔の柔らかさにもどきりとさせられ、カイルはずるいなあと思うことがしばしばだ。
今まで何人悩殺してきたんですかとも聞けず、カイルは自分を撫でてくれた手を取った。武人らしい硬い掌に、唇を押し付ける。
「何をしてるんだ」
「ちゅーですよ、ちゅー」
「……するところが違わないか?」
「……どこかしてほしいところがあるんですか?」
悪戯っ子のように見上げてくる。もう片方の手を伸ばすと、肉の薄い頬を撫でてやった。猫のように目を細めると、やはり猫のように頬を押し付けてくる。
よほど撫でられるのが好きなのか、カイルの機嫌は上がったままだ。伸び上がって肩のあたり音を立ててに口付けてくるが、そこも違うとゲオルグは思った。カイルがあまりに楽しそうにしているので、言えなかったけれど。
「撫でてくれる奴なら誰にでも懐いてるんじゃないだろうな」
フェリドを慕っていたのもそれが要因のひとつだろうか、などと馬鹿なことを考える。
ゲオルグの、言葉より真面目な問いにカイルはまたシーツに沈みながら「まさか!」と笑った。
「女性ならアリですけどねー。男は遠慮します」
「…………俺が女に見えるわけじゃないな?」
「ゲオルグ殿が女性だったら逆でしょー」
おかしそうに笑い、ゲオルグの手を撫でる。
「ゲオルグ殿だから、ですよ?」
言うと、気取った素振りでゲオルグの手の甲に口付けた。また頭を撫でられる。頭皮を優しく刺激し、髪を梳く指は見た目以上に繊細な動きをする。
そうか、と微笑むゲオルグはやはり優しい。金色の瞳は戦闘中や行為の最中なら猛禽類や肉食の獣めいて獰猛で、喰らい尽くされる錯覚すら覚える。そうでない時には口の端が笑んでいることが多いが、彼のこうした穏やかな表情は珍しく、長く見ていたいと思えば自然と見つめていた。
片目の状態でこれなのだから、もし両目に見つめられたら――逃げ出してしまうかもしれない。
「ゲオルグ殿が敵にならなくてよかった」
「うん?」
呟きを耳聡く聞き付け首を傾げると、カイルは困ったような顔をした。口に出すつもりはなかったらしい。
「ええとー、太陽宮から逃げる時、もしオレとゲオルグ殿が逆で、ゲオルグ殿がゴドウィンに捕まっちゃったとしたら、命と引き換えに手を貸せとか言われちゃったりするかもしれないじゃないですか。で、そうなってたら戦場でゲオルグ殿と戦うなんてことがあったのかなーって思って」
早口でまくし立てるように言う。ゲオルグの機嫌を損ねるかと思ったが、彼は肩を揺らして笑い出した。
「……おまえ同様、太陽宮を抜け出してくる選択肢は無しか」
「まあゲオルグ殿ならゴドウィンの手勢なんて相手にならないのはわかりますけど、例えば、ゴドウィン側にいて、ゴドウィンの不利になるように、しかもそれがバレないように立ち回ることもできるかなーって」
「……なるほど」
ゴドウィンを相手にどこまで騙せるかはわからないが、策としては面白いと思う。思うが。
「何故またそんなことを?」
「んー、何となくです」
ゲオルグの掌に自分の掌を合わせ、小さく拍手している。そうしてしばらくそうしていた次には、指を絡めて手を繋いだ。ぎゅっと握ってくるので握り返してやると、何が楽しくなったのか、力を篭めたり抜いたりしている。表情は明るく、無邪気にも見える。
子供のようだと思いながら頭を撫でてやると、手を繋いだまま体ごと擦り寄って来た。抱きしめようにも片手が封じられたまま頭を撫でていては無理がある。
撫でるのを止めて良いのかと悩んでいると、カイルが片手で抱き着いてくる。
「もー、ずっとこうしていられたら幸せですねー」
しっとりした肌はいつの間にか汗が引いて、少し冷えている。掌、いや掌だけでなく、ゲオルグに触れている部分はどこも気持ち良い。
体のいたるところを触れる指や掌だけじゃないんだなあと思いながら、日に焼けていない肌を撫でた。
敵味方に分かれていれば、こんなふうに肌を触れ合わせることはなかった。いや、思慕し続けることもあったかどうか。そんなことを考えると、やはりゲオルグがここにいてよかったと思う。ゲオルグが個人の技量だけでなく、兵を率いて戦うのも上手いから敵に回したくないという理由だけではない。
この掌に触れるのが自分で良かったと、嬉しいと思う。
悪戯したくなる気持ちを抑えてゲオルグを見上げれば、やはり穏やかに微笑していた。男前が増してるなーと思うのは、欲目だけではないはず。
「そうだな……」
肩や背、首の周りに張り付く長い金髪を梳くように撫でた。
じっとゲオルグを見上げる双眸は晴れた空のような青で、その目に映るのが自分で良かったとゲオルグは思う。カイルの先程の架空の過程話は面白かったが、己に課した任務で本拠地にいる時間が短いとはいえ、この瞳を見ないままゴドウィン陣営にいるのは苦痛でしかない(もとより親友の息子の不利益になることなど、ゲオルグがするはずがないが)。
明るい青。
その中に収まるのは自分だけであればいいのに、とやくたいもないことを時々思う。
口に出さないのは、さすがに恥ずかしいからだ。言えばカイルは喜んでくれるかもしれないが、それはそれとして羞恥心が勝る。
ゲオルグの腰のあたりに抱きついていたカイルが伸び上がる。今度は頬と――唇に軽く口付けを受けた。
ようやく正解を寄越してくれた愛しい人の唇に、お返しとばかりに音を立てて口付けた。