思考と行動、感情

 好きな人ができた時にとる行動というものは人によって違う、とゲオルグはチーズケーキを前に考える。
 例えば、フェリドがとった行動はわかりやすかった。
 相手、当時はまだ姫だったアルシュタートとは出会ってすぐに恋仲となりはしたが、闘神祭を控えた彼女が出会った地に留まる期間は短く、数日で別れなければならなかった。普通の男ならひと夏の思い出同様、美しい思い出にしてしまったかもしれない。だがフェリドは彼女と結婚できる機会を知るや、並み居る強敵や妨害を跳ね退け、自力でその機会をもぎ取った。それまでの彼が持っていたものたちを躊躇いなく捨て去り、生涯の伴侶を得たのである。
 闘神祭で優勝できたのは彼の実力もあったが、即断即決しなければ機会を逃し、ずっと後悔していたかもしれない。フェリドは後悔を好まなかったし、行動力もあった。例え出会った地で互いに恋が芽生えなくても、フェリドが惚れたなら結果は変わらなかっただろう。
 惚れた女が例え女王でなかったとして、またその他に考えられる様々な困難や障害が待ち受けていたとしても、フェリドなら難無くそれらの障害を越えたに違いない。彼の行動力と意志の強さを、ゲオルグはよく知っていた。
 彼とまったく同じようにできるとは、ゲオルグも思っていない。フェリドと似たところはあっても違う人間だからだ。――それを言い訳にしようとも思わないが。
 ゲオルグはこうして思案に明け暮れているのには向かないと、自分でわかっている。だが、向かないことでも考えてしまうのだ。その程度にはその問題が思考の大半を占めている。
 ゲオルグの頭を悩ませているのは、他ならぬカイルのことだ。
 いっそカイルが女だったなら、こんな悩みの何割かはなかったに違いない。あるいは自分が女だったなら。
 どうにもならない「もしも」ほど考えても無駄だと、その思考はそれ以上掘り下げない。
 幸い、彼には嫌われてはいない。出会ったごく初期に警戒された以外は、どちらかといえば慕われているか。
 慕われている、ということだけで満足して良いものだろうか。
 ゲオルグは普段、どちらかといえば自分に性的な衝動が薄いことを自覚してはいたが、だからといって性欲がまったくないわけでもないこともわかっている。思う相手なら触れ合いたいと思うのは、ごく自然な衝動だろう。
 さくり、とチーズケーキにフォークを刺す。口へ運び、ゆっくり咀嚼し嚥下した。
 戦場はどちらかと言えば男社会なので、性欲処理として男同士で致すこともある。とはいえゲオルグは性欲処理の相手が欲しいわけではなく、無理矢理襲うつもりは毛頭ない。カイルにも今すぐに自分と同じような感情を抱けと強要するのは無理な話で、時間は必要だろう。
 時間。反駁してチーズケーキを頬張る。薄い甘味がブランデーのしみた生地に合い、噛み締めるほどチーズの風味と溶け合い、思わず溜息が漏れそうになる。
 悠長にしていられる時間はない。ゲオルグは立場的にも己で定めた軍内での役割的にも本拠地にいないことが多い。また、この戦争が終われば速やかにファレナを去るつもりだ。つまり、カイルと接する時間が短い。
 この戦争は長くかからない。
 戦場での経験が長いための勘もあるが、歳若くも類い稀な資質を持つ軍主と軍師、軍を支える仲間たちの結束、末端の兵士たちの士気、民衆の支持、どれをとってもゴドウィンを遥かに上回る。本拠地の立地も申し分ない。
 後は天の時だけだが、地の利、人の和、勢いがある以上、それすら手にするのはたやすいと思える。慢心しなければ、充分に勝てる。そう言い切れるほど、皆が成長した。
 そのわずかな時間でカイルの全部を掻っ攫ってしまうことは可能だろうか。
「真面目な顔で、何考えてるんですか?」
 チーズケーキに落としていた視線を遮るように、後ろからやってきたカイルがゲオルグの目の前で掌をひらひらとさせる。気配には気付いていたため驚くことはなかったが、胸は高鳴った。
 まさか、おまえのことを考えていたとも言えず、ゲオルグはフォークでチーズケーキをゆっくり一口大に切る。半分以上食べたケーキを食べ切ってしまうのが惜しいというように。実際は言い訳の言葉を探していたのだが。
「……次はレアチーズにしようかと考えていただけだ」
「まさか、四六時中チーズケーキのことを考えてるわけじゃないですよねー?」
「当たり前だ」
 正面の席に座ったカイルが、興味深そうにゲオルグを眺める。あまり見つめないで欲しいと思う反面、悪い気はしない。
「おまえも何か、ないのか」
「何がですか?」
「好きな食べ物だ」
「ゲオルグ殿みたいに、執着するほど好きっていうのはないですね。あれば嬉しいっていうか……」
「例えば?」
「うーん…………」
 何かあるかなあ、と呟きながら視線を宙にさ迷わせている。おかしく思わない程度にその顔を見つめ、言葉を待った。
「美味しいなら何でも」
「…………そうか」
 女性に対して同様、一定以上のこだわりを持たない彼らしい返答は予測できたものだったが、予測できたからといって落胆しないわけではない。もっとも、ゲオルグにとっての甘味ほど、愛情を注げる食べ物があること自体が珍しいのかもしれない。
 では、と気持ちを切り替えてゲオルグは言葉を続けた。
「次に俺が帰って来た時には、今度ヤシュナ村に新しく出来た店に行かないか」
「いいですよー。どんなケーキがあるんですか?」
「いや、ケーキではない。酒の種類が豊富な店が出来たらしい」
「わー、是非! 珍しいですねー、お酒なんて」
 子供のように目を輝かせる彼を可愛いと思う程度には、ゲオルグの目は欲目というフィルタがかかっていた。
 好ましいと、自然に頬が緩む。
「いつも付き合ってもらってたからな……たまには。それに、」
 喋りながらも下品にならないように食べていたチーズケーキの最後の一口を嚥下してしまうと、ゲオルグはにこりと笑んだ。
「たまには俺も、おまえが美味いものを美味そうに食べているところが見たい」
「なんですか、それー」
 真面目におかしいこと言わないでくださいよと笑われてしまう。ゲオルグ自身は、おかしなことを言ったつもりはないので心外だった。
「おまえは今だって俺が食べてるところを見ただろう。それに、誰でも好ましい相手の表情は、色々見たいものだろう」
「そうですけどね。オレを見ても楽しくないでしょーに」
「そう思ってたら誘わん。それに、いつも俺に付き合って甘味屋に付き合うおまえはどうなる」
「そうきますか」
 苦笑するカイルにじっと見つめられる。鼓動は早鐘を打つが、平静を装った。
「好ましいと思ってもらえてて、よかったですよ。ゲオルグ殿は嫌いな人とは仕事は出来てもプライベートまでは一緒にいないと思ってましたけどー」
 ちょっとほっとしました。
 そう笑うカイルは、油断しているように見えた。無防備に、弱点を晒しているのではないかと。
 つられたわけではないが、ほんの少しばかり、ゲオルグも油断してしまっていた。
「好ましいというより、好きだからだろうな」
「……は?」
「おまえのことが」
 言ってから後悔しなかったといえば嘘になる。カイルは根っからの女好きで、王子と行動を共にする時も、仲間が男しかいなかったら容赦なくむさ苦しいと感想を寄越す男だ。カイルのような優男ならばともかく、ゲオルグは自分がむさ苦しい部類に入ると自覚がある。嫌がらせとしか思われないに違いない。
 仲を発展させるどころか、後退させてしまったか。
 己の言葉の迂闊さを心中で罵ると、空の皿とフォークを持って席を立つ。冗談にしてうやむやにしてしまうには、ゲオルグは真摯だった。ちらりとカイルに視線をやると、顔を赤くしゲオルグを凝視している。何か言おうとして、できずにいる様子だった。
「……嫌でなければ考えておいてくれ」
 それだけ言うと、そそくさとその場を立ち去る。
 人がまばらな時間でよかった。そうでなければカイルの様子がおかしいことで、何か詮索されたかもしれない。
 それにしても――
 あの反応は脈ありと見て良いものかどうか。次に会った時にしっかり見定めることにしよう。今日でなければ、また数日あるいは数週間後になるだろうが。
 気は短くはない。次回のリアクションを考えるだけで当分飽きないなと考えながら、自室へと引き上げた。
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