生まれ出ずる

 最初は楽しいだけの宴も時間が経つとぐだぐだになってしまう。
 散々騒いだ後の惨状を眺めると、溜息を吐いたゲオルグと目が合った。どこか途方に暮れている。
「どうすればいいんだ、これは」
「あー……皆復活は早いほうですからねー、ほっといて大丈夫ですよー」
 復活後、また飲み出すこともあるくらいだ。教えるとゲオルグは微妙な顔で笑った。きっと偉大な女王騎士長閣下については覚えがあるのだろう。
「おまえは素面か」
「何とかってとこですよー。ゲオルグ殿、今のうちにどっかに避難しませんかー? また絡まれるのは、さすがにちょっと……」
 ゲオルグも同じ思いだったらしく、無言で頷くと酒瓶を数本掴み、宴会場を出る。あれだけ飲んでよく酒を持って行こうと思えるものだと感心したが、銘柄を見て納得した。フェリドがわざわざ取り寄せたカナカンの極上酒だったからだ。この宴会のために取り寄せたと言っていたから、宴の主役が飲む分には問題はないだろう。カイルがその相伴に与っても、問題はないはずだ。
 夜も更け、今更どこかに出るのも面倒だと意見が一致し、ゲオルグの部屋へ行くことになった。宴会場の外の夜気は澄んで肌を冷やし、心地良い。歩く足が多少覚束ないのは素面だと思っていても酒が回っているからだろうか。ゲオルグのほうはしっかりした足取りで、危なげない。
 部屋を開けると、既に明かりが燈されていた。侍女が燈してくれたのだろう。
「お邪魔しまーす」
 考えてみれば同じ女王騎士の部屋に入るのは初めてではないだろうか。特に親しい、というよりよく話すのはミアキスだが、彼女の部屋は王族以外の男子禁制区域にあるし、アレニアが招いてくれるはずもなく、ガレオンやザハークのプライベートには興味がないし、多分二人きりで飲んだこともない。
 物珍しさを隠さず、部屋を見回した。
 同じ間取りで調度品も特に変わりがないはずだが、やはり自室とは違う。気持ちの問題なのか、カイルの部屋より片付いているからか。
 ――片付いてるっていうより、物がなさすぎるんだろうなー。
 カイルも女王騎士の見習いとして太陽宮に来た時は、驚くほど荷物がなかったものだ。それを思い返せば渡りの傭兵だという噂のゲオルグの部屋も取り立てて少なすぎるとは言い切れず、いずれはカイル同様、物が増えていくに違いなかった。
 小さなテーブルを挟んで向かい合い、酒を手酌でグラスに注いで飲む。つまみがないため、ゆっくりとしたペースで瓶に口付けた。
 短い前髪が目のあたりに影を落とし、憂いを帯びているような見せ、精悍な顔立ちをいっそう引き立てていた。口許にはカイルとは種類の違う笑みがいつも通りに浮かんでいる。
 そういえば、表情の変化をあまり見たことがない。フェリドと話している時も、他の女王騎士の目がある時には改まった様子で接していた。澄ましていると取っ付きにくい雰囲気で苦手なのだが、言わないでおく。
 ゲオルグでも怒ったり泣いたりするのだろうか。それともザハーク同様、感情の起伏が薄いのか。いやそんなことはないはずだ。
 立ち上がるとゲオルグの傍らに近付き、腰を折って顔を覗き込む。
「……なんだ?」
「何でもないですよー」
 胡散臭いものを見るような視線を寄越すゲオルグに、気取られないように笑顔を返す。
 その時カイルを動かしていたのは、ただの好奇心だった。悪戯心と言い換えてもいい。普段なら好奇心のままに行動することなどありえないが、やはり酔っていたのだろう、理性だけでは抑えられなかった。
 精悍な顔を覗き込んだまま、さらに顔を近付ける。ゲオルグが女王騎士の一員となってまだ日は浅いが、カイルが彼を見かける時はたいてい口の端には笑みを浮かべている。不敵に笑って見える時もあれば、穏やかに微笑んでいるように見える時もある。王子やフェリドと話している時は、どちらかといえば穏やかな時が多いように見受けられた。兵たちや女王騎士に指南をしている時に見せる表情は、剣技は勿論、さすがに北の帝国で将軍職にあった者だと思わせる厳しさがあった。表情や雰囲気、威圧感、立ち居振る舞いもそうだが、何より眼だ。
 カイルはかつて、ゲオルグと同じ色の瞳を見たことがない。この国の人間の瞳は大ざっぱに言えば茶や青、灰色が多い。琥珀色の瞳も見たが、やはりゲオルグの瞳とは違った。見たことがないから、もっとよく見てみたくなるのかもしれない。自分の行動に説明付けると、じっと見つめる。ゲオルグは特に何も言わず、やはりカイルの眼を見つめていた。
 猛禽類のような鋭い黄金色の双眸。闇夜にあっても、この眼はそのまま輝くのではないか。闇に生きるものを切り裂くのではないか。そう思えてしまう剛さが、ある。指南を受けている時にも、この眼から視線を逸らすのは困難だ。逸らしてしまうとそれだけで負けた気がする。だから悔しくて逸らさない。とはいえ、勝てた試しはないのだが。
 カイルとはタイプが違うが、いい男だと思う。鋭さと、どこか他人と一線を画すところがあるが、ひそかに女官や侍女たちに人気があることをゲオルグ自身は知っているだろうか。
 その眼に魅入られたように視線を逸らせぬまま、唇を触れ合わせる。
 数秒時が止まった、ように感じた。
「…………何をしているんだ」
「……失敗ー」
 素早く事を成すべきだったか。ゲオルグの顔色はわずかにも変わらなかった。
 残念がるカイルに、ゲオルグは怪訝な表情をする。
「何がだ」
「もっと驚くか何か、表情が変わると思ったのにー」
 口を尖らせて不満を吐けば、ゲオルグは大きく溜息を吐いた。おそらく呆れたのだろう。それが気に入らず、さらに顔を寄せて唇を触れ合わせ、柔らかなそこをべろりと舐める。
 今度はどうだとゲオルグの顔を見るが、反応はといえば苦笑されただけだった。
「酔っているな?」
「酔ってませーん。好奇心ですよー」
 もっと驚いてくれなければつまらない。口を尖らせると、ゲオルグは「ふむ」と何か考える素振りを見せた。何を考えているのだろうと見つめていると、もともと間近にあった後ろ頭に手を回され、引き寄せられる。
「…………っ!」
 ゲオルグの行動を訝しむ間もなく、また抵抗する暇もなく、三度唇が触れる。なるほど意趣返しかと納得はしたが、すぐに何かを考える余裕など吹き飛んでしまった。
「……んっ…………」
 顎を無骨な指で掴まれると口を開かされ、酒の味がする舌を押し込まれる。負けじとばかりに口内を蹂躙する舌に対抗すれば、必然と濃厚な口付けになった。
 このままではまずいんじゃないか。
 思っても、勢いがついてしまっては止められない。それに、されるがままでいるのは癪だった。キスはそれなりに上手いと自負していたからなおのこと。
 互いに舌を絡め、甘噛みし、強く弱く吸い上げ、歯列を裏までなぞり、上顎を舐め、擽り、誘い出されては誘い返した。
「ん……、ぅ……」
 時折離れた唇から漏れる抑えた声はどちらのものか。
 角度を変え、呼吸を奪う。引けば喰らい付き、喰らい付けば貪り合う。まるで喧嘩のような口付けに夢中になれば、酒精で鈍っていた頭の芯が痺れ、自然と息が上がった。
 自負を取り消さないといけないかもしれない。ゲオルグに舌を吸われ、舌の根を擽られながら、カイルは頭の隅でやけに冷静にそんなことを考えた。そんなことを考えさせるのは、唇を吸い、唾液が絡む音がそうさせているに違いなかった。
「……っ、は……」
 ようやく顔が離れた頃には、顎を閉じるのも億劫になっていた。知らぬ間にゲオルグの上衣を掴んでいた手をさりげなさを装って解けば、カイルは乱れた呼吸を整え、溜息を吐く。濃厚な口付けは、別の感覚を引き起こしかけた。ということは、負けか。
「これくらいされれば、俺も驚く」
「…………どこで、そんなキス、覚えたんですか……」
「さぁな」
 気付けば、顎を開かせていた指には背を抱かれ、ゲオルグの背後に見えるのは白い天井だった。半端な態勢でいたカイルをゲオルグが支えてくれたのであろうことまではわかったが、移動していたことにも気付かなかったのは不覚としか言いようがない。もし立っていたとしても、腰が抜けて床にへたりこんでいた可能性がなくはないが。
 もう一度溜息を吐くと、ゲオルグの顔を見上げる。ベッドに上体を預けたカイルの両脇に手をつき、真っ直ぐに見つめている。影が落ちたその眼の色は、深い。
 まるで肉食の獣に捕えられた獲物のようだ。
 手を伸ばし、恐る恐る精悍な顔に触れてみる。退けられることはなかった。
 指に触れた頬の肉は薄く、少し乾いている気がした。そして酒を飲んだにもかかわらず、ひんやりしている。こめかみは皮膚の下で血が脈打っているのがよくわかった。髪は黒絹のような艶と腰があり、耳も頬同様に肉が薄い。
 男らしく真っ直ぐで太目の眉、日に焼けた肌、黄金色の眸。目尻を撫で、その色に見入る。ただ見つめているだけなのに、何かの力が秘められているのではないか。だから視線が逸らせないのではないか。そんな戯言が歯の裏まで出かかった。
 とっくに成人した男同士がこうして見詰め合っている様は、傍から見ればさぞ滑稽だろう。いや、奇妙すぎるか。ゲオルグの部屋に引き上げていて正解だった、とその時は思った。外でこんな真似をしていたら、明日には尾鰭背鰭に胸鰭まで付いた、ぞっとしない噂が流れていただろう。
 蝋燭の明かりは薄暗く、秘め事を包んでしまえるのではないかと思わせる。目の前にいる人の存在すら危うくしてしまう、夕暮れ時に似ていると思った。
 触れているのにそんなことを考えてしまう自分が滑稽でだ。――ゲオルグはどんなことを考えているのか。何かわからないものかと顔を見るとすぐに、あの眼に捕まってしまう。
「……ゲオルグ殿が眼帯してて、良かったですよー」
「……何故だ?」
「こーやって片目を見つめてるだけで目が離せないのに、両目で見られたらどーすればいいんですかー」
 逃げ場もないと黒髪の先を弄びながら笑えば、お返しのつもりか、ゲオルグの指先がカイルの頬に触れた。
 少年の頃からフェリドと共に傭兵稼業をしていたというゲオルグの指は、随分硬くなっている。だが優しいと思えた。
「変わった奴だな」
「何がですかー?」
「嫌がらないのか」
 カイルのような女好きは殊更、同性に触れられるのを嫌悪するタイプに思われる。ゲオルグが言っているのもそのことだろう。
 そんなことを気にするのかと思うと、少しおかしくなる。
「うちの騎士長はスキンシップの帝王ですからねー。触れられる程度なら全然。まあ、生理的に受け付けないタイプの奴もいますけどー。ゲオルグ殿は平気です」
 微笑みながら言えば、ゲオルグの掌に頬を撫でられる。自分より低い体温の心地好さに、カイルはうっとりと目を閉じた。
 言った言葉に嘘はないが、そもそも男に触られる機会がそう多くあるわけではない。兵役は男社会だが、その前から多かったのは殴り合いくらいのもので、敵意なく触れた・触れられたのはレルカーのまとめ役とフェリドくらいのものだ。そしてフェリドは子供がいるせいか、どうにもスキンシップが多かった。あまり嬉しくはなかったが、女王騎士に取り立ててもらった恩もあるし、と許容せざるをえず、そうこうしているうちに慣れてしまった。
 何か含むところのある触れ方だったら徹底抗戦したかもしれないが、幼かった王子や王女、あるいはリオンに対するそれとまったく変わらない、父親か兄のように触れ方だと気付いた時、子供扱いされていることに苦笑してしまった。当時は訳がわからない状態だったが、今思えば良い思い出かもしれない。
 では、この手も同じか。
 同じかもしれないし、違うかもしれない。判断がつかないが、嫌ではない。それどころか、酒気を帯びた肌にゲオルグの手は心地好かった。
「気持ちいー……」
 ゲオルグの手首を取り、頬から首筋へと掌を滑らせる。冷たさをもっと肌に感じたくて、襟を寛げ、鎖骨や肩のあたりにまで触れさせた。
「あ……擽ったいですよ、ゲオルグ殿ー」
 カイルの意思に反し、ゲオルグの掌が胸を滑る。薄く筋の張った腹筋や脇腹を、硬い大きな手が撫でてゆく。はだけた襟元は、いっそうはだけられた。火照った肌が外気にさらされ、カイルは小さく吐息した。
 先程の激しさが嘘にも感じられるほど、時間が緩やかに流れる。こんなに緩やかな触れられ方は、経験がなかった。
 不意に首筋にもひんやりした柔らかさを感じて眼を開ければ、どうやらゲオルグの顔がそこにあるらしかった。
「……ゲオルグ殿ー?」
 頬が首筋に当たっているのだろうか。特に不快でもないため怒る気も起きず、ゲオルグの後ろ頭を撫でた。しなやかな短い髪が指を擽る。他国にいたのだからファレナとは文化が異なるのは当然だが、短髪の騎士というのは珍しく思える。フェリドも短いが、ゲオルグほどではない。長髪のゲオルグというのはいまいち想像できない。
 物珍しいのと触り心地が良いのがあいまって、ついつい触ってしまう。
「……、……」
 体を撫でる手の動きが気になったのと、首筋にぬめらかな感触を感じたのと、どちらが先であっただろうか。
「……っ」
 身じろぎ、微かに息を飲む。わずかな反応をゲオルグが見逃したはずはないが、手は止まらなかった。
 胸から鎖骨、肩を撫でられた後には上衣は脱がされ、胸元や腹筋に口付けられた時には下衣も脱がされていたのか、脱いだのか。お返しとばかりにゲオルグの衣にも手を伸ばし、帯を解いて上衣を乱してやる。乱しても、素肌が見えるのは鎖骨の周辺だけで、メッシュ状の帷子から肌が透けるのが、裸でいるより淫猥な気がした。
 カイルは自分を着痩せするタイプだと思っているが、ゲオルグも若干そうであるらしい。帷子に包まれた体は、カイルが思ったより逞しい。単純に力勝負になれば一対一では分が悪いなと、暢気なことを考えた。
「……ん……、」
 ゲオルグの掌が肌を滑り、指先と唇が、左右の乳首を探り当てる。ぬめらかな舌でひと舐めされ、指先で円を描くように擦られる。舌先や指の腹で触れられ、刺激されれば、自然としこりを帯びてしまう。
「は、……っ」
 右手が粟立った肌を宥めるように脇や腰を撫でてくれるのが心地好い。時折指が傷痕に引っ掛かるが、それすら性感を高める刺激になる。
 乳首を含まれ、歯と舌で丁寧に嬲られる。指先で摘まれ、弾かれた。
 今ならまだ冗談で――酒の上での悪ふざけで済ませられる。
 思いはしたが、止め所がわからない。
 割り開かれた脚の間にゲオルグが割り込めば、もう後戻りできない気がした。
 肌を撫でていた大きな手はカイルの腰や脚を撫で、するりと内股を撫で上げると、性器へ触れる。
「……ん……!」
 大きな手で包まれ、根本から擦られれば、すぐに反応してしまう。武骨に見えた手は予想以上に器用に動き、カイルの熱を高めてゆく。胸への刺激も、強くなったように思えた。
 ゲオルグの舌先が肌を滑り、腹筋を擽ると、脚の付け根に口付けられる。何をされるのかと身構えるより先に、性器に口付けられ、肉厚な舌で舐められる。
「……っは、ァ……っ」
 先端を掌で包まれ、形に合わせ円を描くように擦られる。括れた部分や裏筋に舌を押し付けられ、あるいは舌先で舐られる。そのうち手の動きが滑らかになったのは、先端から溢れた先走りが潤滑油代わりになったからか。
 声を上げないように歯は食いしばった。口淫は女性にされる機会も、多くはない。されるのが苦手なわけではないが、女性には触られるより触りたい欲求のほうが強かった。
 最後まで声を上げないでいられるか、自信はない。だが部屋の外にまで声が洩れてしまうのは避けたかった。
「っ……ぅ、ンッ……、ぅ……」
 内股や腹筋がひくりと震える。息を吐き出すのも容易ではない。
 亀頭全体を舐め回され、根本から擦り上げられる。敏感な部分は、刺激に正直だ。このまま流されてしまって良いものか。だからと言って止められてしまえば、それはそれで困るのだが。
 止めろと言う気はこの期に及んでも起きず、ただ与えられる悦楽の波に飲み込まれ過ぎないよう、理性を引き止めるだけで精一杯だ。
 大きな掌はカイルの体中を這い回り、性感を高める。足場を切り落とされ、徐々に追い詰められていくような錯覚。
 深く銜えられると、腰が逃げを打った。だが逞しい腕に阻まれ、たやすく捕えられてしまう。
「ゲオルグ、どの……っ、も……それ以上、されたら……ッ」
 口の中で達してしまうのはさすがにまずいだろうと考える余裕は、まだあった。だが肩を押しやろうにも力は入らない。
 カイルの制止の声が聞こえなかったはずはないが、ゲオルグにそのまま口腔内で深く愛撫され、締め付けられて吸い上げられると、たやすく限界を迎えてしまう。
「……ッ、んんっ……!!」
 ゲオルグの頭を抱えるような態勢でびくりと硬直した次の瞬間には、精を吐き出してしまった。
「…………は……、……」
 大きく呼吸を繰り返し、ぐったりと全身の力を抜いてベッドに背中から倒れこんだ。ベッドが小さく悲鳴をあげる。全力でソルファレナを一周させられた後のように、肩を大きく上下させて呼吸を整えようとした。
 ゲオルグの掌はまだ、カイルの肌をさまよっている。気になりはしたが、体を動かしてそれを制するのも億劫だ。
 止めずにいたら、どこまでするんだろう。どこで止めるんだろうか。そういえばゲオルグには触れていない。彼が自分にしたようなことができるとは思わないが、せめて何らかの方法でお返しするべきか。
 口を開くのも億劫で、ゲオルグに触れられるがまま、彼の黒髪を眺めた。
 
 
 
 意識が浮上した時、暖かさに包まれていた。
 ほどよい温度の心地好さに再びうとうととするが、毛布やシーツとは違う感触に、自室にはそんなものはなかったことを思い出す。
 では背中に感じるこの温もりは何か。
 昨夜は親睦会という名の宴会があり、街で相当飲んだ。そして酒を買い込むと場所を宮殿の女王騎士詰め所に移動させてさらに飲み、その後は――自室より近いからという理由でゲオルグの部屋に寄らせてもらった。ゲオルグの部屋で飲んだ酒の量までトータルすると、はたしてどれほど飲んだのか。
 いや、今問題にすべき疑問は酒量ではない。ゆるゆると目を開ければ、自室に似ているが違う部屋だと気が付いた。テーブルには空の酒瓶が何本か林立している。昨晩この部屋に来てから空けた酒。
 ゲオルグの部屋だ。
 しかし部屋の主の姿が見えないのはどういうわけか。
 ぼんやりした頭が、徐々に冴えてくる。暖かいのは背中で、腰も暖かい。そして重い。腕が回されているからだ。覚えがあるような温もりは、互いに肌が触れ合っているからだろう。
 カイルは思考を引き戻すと、背後の温もりがゲオルグ以外に考えられないことに気付いて愕然とした。女性であって欲しくても、背に当たる感触に柔らかみはない。
 そして自分とゲオルグが今どんな状態でいるのかを理解すると、唐突に昨夜のことが思い出され、全身が羞恥で熱くなる。それと同時に、猛烈な勢いで自己嫌悪に襲われた。
 かつて、女性とは何度か酒の勢いのまま同衾したことはあった。たいていの場合において、それは互いに了承済みのことだったし、後が面倒になりそうな女性とは秋波を寄せられても飲むだけで済ませてきた。何がなんだかわからないままという状態にはならないようにしてきたつもりだし、自己嫌悪に陥る事態は――忘れているだけかもしれないが――特になかったはずだ。時に揉め事が勃発するのは、別れ方が下手なせいだろう。
 女性と飲んだ時ですらその程度の理性は保っていたというのに、男と飲んで閨を共にすることがあるなどと、誰が想像できるか。
 まして女好きの自分が男とそういったことになるなど、過去は勿論、現在未来においてもありえないはずだった。
 何故こんなことに。
 思い出そうとすればするほど、思い出したい部分以外のことしか出てこないのはどういうわけか。
 肌を掌や唇、舌で触れられ辿られた記憶は、思い出せば生々しく肌に甦える錯覚を与えてくれる。
 慌てて頭を振って記憶を散らす。あれだけ飲んだというのに、記憶をなくしてはいなかったことが驚きだ。いっそ覚えていなければ――昨夜のことを思い出したくない、ということにはならなかったかもしれない。
 頭を抱える事態というものを実感してしまったが、できれば生涯間遠でありたかったと思う。
 ともあれ、いつまでも頭を抱えているわけにもいかない。今は一刻も早く自室に戻らなくては、眠っている人が起きてしまう。遅かれ早かれゲオルグと顔を突き合わせねばならないにしても、それが今なのは絶対に避けたかった。
 背後の気配を探り、ゲオルグの呼吸が穏やかでまだ眠っていることを確かめると、細心の注意を払い、背中から自分を抱きしめているゲオルグの腕をそっと退ける。
「…………っ……!」
 体中の軋みに耐えて上体を起こし、床に脚をつく。その時ようやく己が上半身のみならず一糸纏わぬ姿でいることに気付き、脱ぎ散らかしたとしか思えない下着や上衣、下衣を苦労しながら拾い、さらに苦労をしてなんとか体裁が繕える程度に着込む。皺だらけになっている服を気にしている余裕はない。そうしてブーツと女王騎士装束を腕に抱え、出来る限り静かにゲオルグの部屋を後にした。
 誰にも、特に他の女王騎士には見付からないようにと祈り、部屋に戻るまではただ歩くことに集中した。そうでなければ、その場にしゃがみこみ、一歩も動けなかったかもしれない。歩くのは薄暗い廊下の、なるべく影を選んだ。見付かって問われた時の良い言い訳が、今は咄嗟に浮かばないからだ。
 早く早くと思うほど足は進まないが、なんとか誰にも遇わずに部屋に戻れた。ドアの前で崩れそうになるのをなんとか堪えると、装束をテーブルに放り出し、ベッドに倒れ込む。
 何故あんなことになったのか。
 深く考えなくとも、結局は自分の浅慮な行動が原因だったのだ。ゲオルグだけを責めることはできない。
 それより、これからどうするかを考えなくてはなるまい。
 同じ王宮勤めの女王騎士なのだから、嫌でも顔は合わせる。話をしなくてはならない機会もある。ゲオルグはソルファレナに来てまだ日が浅いせいか、王子の視察に護衛として付き従うことがままあるが、もしかしたら、何かの機会にカイルも同行を任じられるかもしれない。
 その時に平静を装えるか。
「……今すぐは無理だなー……」
 大きく溜息を吐いた。
 気持ちに整理がつかない。
 ゲオルグがどう思っているのかもわからない。嫌悪されてしまっていたら、どうすればいいのか。
 もし昨夜のあれが、カイルから仕掛けた悪戯という名の好奇心に対する意趣返しだった場合、途中でカイルが止めろと訴えるのを待っていたのではないか。最後までしてしまったのは、引っ込みがつかなくなったからではないのか。
 そもそもゲオルグのほうに昨夜の記憶はどれだけあるのか。カイルは自分で相当飲んだと思っているが、ゲオルグはそれ以上に飲んでいた。カイルが悪戯を仕掛けた時には、表面上はともかく、だいぶ回っていたように見えた。もしかしたら、覚えていないかもしれない。
 それが希望的観測だとわかっている。だから常に最悪の事態は想定しなくてはならない。
「…………やっぱ、普通にするのが一番かなー……」
 昨夜のことを覚えているにせよ、いないにせよ。普段と変わらず接するのが一番良いことであるように思える。
 体を投げ出したまま目を閉じると、一度遠ざかった眠気が再び訪れようとしていた。今、何かを考えるのは無駄な努力に違いない。直後だからまだ頭は混乱している。まして今は夜中だ。考え事には向かないだろう。
 無理矢理そう断じ、カイルは深く息を吐く。自己嫌悪は固く胸の内にしまいこみ、意識を眠りの淵に落とし込む前に、いっそこのまま目覚めずにいられたら、と出来もしないことを考えた。
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