人気のない王宮の裏手で、カイルは溜息を吐いた。
こそこそとするのは性に合わないが、こればかりは仕方がないと自分に言い聞かせる。
会ってもまともに顔を見られない。何を話していいかわからない。そんな状態も初めてだから、どうしていいかわからない。
今は仕方ない。
数日か、何週間か。きっと平気になる時が来る。だからその時までは。
「……いつだそれ……」
呻くように呟くと溜息を漏らす。
普通、を意識しすぎるとかえってダメだ。すでにあの日から数日経っているのが良い証拠。その間にゲオルグは王子やサイアリーズの供として視察にも出、やけにさっぱりした様子で帰ってきたというのに、カイルのほうはいまだに引きずっていた。
朝議の時など平静は装えても、あの目で見られるとどうしていいかわからなくなる。何か言われるのではないか。そんな不安に胸が締め付けられ、もっともな理由を探しては朝議の後、すぐに詰め所を抜け出す。
他の女王騎士、特にフェリドがいる前で、そんなことにはならないと思う。何もあの男とて、親友の前で親友の部下を追い詰める趣味はないだろう。困るのはお互い様だ。だが、もし呼び出されたりどこかに連れて行かれて二人きりで話をしなければならなくなったら。
考えただけで暴れそうだ。
「あの時は何とかなったのになー……」
翌朝。ゲオルグの部屋の前で。互いに沈黙してしまった数秒はあったが、話はできた。意外に大丈夫かも、と思ったが、その後はやはりダメだった。目を逸らしてしまう。まっすぐに彼の顔を、視線を合わせることができない。姿を見ないように、詰め所にいないように、何か言い訳を探しては出てきてしまう。避けていると思われているかもしれない。
今だって、そうだ。
見回りをしてきます、なんて言って、ゲオルグが詰め所に現れるより早く出てきてしまった。あからさまに避けていると思われかねない。もう少しうまく誤魔化せるようにならなければ、要らぬ憶測を招く。ゲオルグだけにではなく、他の女王騎士や王宮に詰めている兵士たち、それに貴族たちにも。そんなことは望んでいない。
特権意識に凝り固まった貴族たちは、不満を表立って露にするほどの愚か者はいないにしても、影では女王騎士長であるフェリドや、フェリドに招かれたゲオルグに対して快く思っていない者も多い。フェリドが他国出身であり、貴族や元老に重きを置かないことや、民に慕われているせいもあるだろう。だが一番の理由は、きっと彼らのために便宜を計らないからだ――と、カイルは見ている。利権に敏感な貴族連中なら、いかにもありえそうな理由だった。
フェリドに対してすらそうなのだから、フェリドに招かれた得体の知れない男がいきなり女王騎士に任じられたことが気に食わなくても仕方ない。そう思っているだけならまだしも、貴族の後ろ盾のないフェリドが味方を増やそうとしている、貴族の言論の自由を封じ込めようとしている、元老院に対抗しようとしていると陰口を叩く始末。
ひどいものになると、フェリドがゲオルグをリムスレーヤ姫の闘神祭に出場させるのではないかという憶測まである。いくら子煩悩で貴族、元老に頭を悩まされているとはいえ、さすがにそれはない、はずだ。
一方、何故かカイルは、元老の中でもバロウズ家寄りだと見られていた。カイルとしてはゴドウィンの対外強硬意見に与することは到底できないだけで、バロウズ派と見られることは甚だ心外だが、「見られている」事実に変わりはない。
そんな自分がゲオルグとうまくいっていない、避けていると貴族たちに知られれば、あの噂好きの連中にどんな尾ヒレ背ヒレを付けて話を広げられるのか、わかったものではない。
噂は事実とは異なる。フェリドが真に受けることはないだろうが、知られればやはり良い気はしないだろう。それはゲオルグも同じに違いない。
ましてゲオルグはファレナに来て日が浅い。噂を信じない、とは言い切れないのではないか。いつまでもこの状態が続けば、なおのこと。
「……わかってるんだけどね……」
自分がどうしたいのかわからない。
ゲオルグがどう思っているのかわからない。だから身動きが取れない。
嫌われてしまっただろうか。いや、何かを言いたそうな金の眼は、そうではないと言ってくれている、はずだ。
どういうつもりだったのか、訊いてみたいとは思う。口付けを返してきたのは何故か。体に触れたのは何故か。そして――抱いたのは、何故か。
同時に、訊くのが恐くもある。きっと、カイルがしたことを問い返されるからだ。
「…………なんて答えればいーのかなー……」
好奇心に駆られた口付け。
好奇心と、正直に答えて大丈夫だろうか。他に何か意味があるとは思われていないか。訊かれても、答えられない。本当に好奇心でしかなかったから。
きっと、あまり考え過ぎる必要はない。笑って冗談で済ませてしまえばいいだけだ。後ろめたいような、のたうつような羞恥とは、ゲオルグは関係ない。
「……そーだよねー……」
触れないでいれば触れられない。そのほうがマシだと思う。
気分転換をしよう。唐突に思った。
ここ数日は酒場に行く気分ではなかったから、馴染みの女性たちともご無沙汰だ。これでは名が廃る。
彼女らの顔を見て、話をしていれば気が紛れ、考えなくてもよくなるだろう。いつも女性と話す時には楽しい気持ちになれるから。
数刻もしないうちに、ゲオルグは王子やサイアリーズ、リオンとともにまた視察に出かける。せめて王子たちを見送り、その後で街に出れば良い。彼らの旅がつつがなく終わるよう祈るくらいしかできないし、できればゲオルグの代わりに連れて行ってもらいたかったが、仕方ない。
視察が王子のためだけでなく、この国に来て間がないゲオルグのためでもあることくらい、カイルにもわかっている。
わかっていても酒場での話の種くらいにはなるだろう。女性に優しくするのも好きだが、優しくされるのも好きだった。
そう考えるとカイルの気分はようやく上向き、いつもの調子を取り戻せるのではないかと思えた。
「そーと決まったら、仕事終わらせないとねー!」
見回りを名目に出て来たのだから、それくらいは終わらせなければ。
気合いを入れて立ち上がると、太陽宮の中へと足早に戻った。