「前から少し話には出していたが、こいつがゲオルグ・プライムだ」
女王騎士の詰め所で、そう言ってフェリドが紹介したのは、カイルよりいくらか年上と思われる男だった。
「よろしく」
革のマントに身を包んだ男は、特に緊張した様子もなく、一堂に会した女王騎士を見回すと一礼する。所作は文句の付けようもないほど優雅であり、精悍な顔に大きな眼帯は目立つが、不思議と似合っている。王宮では珍しい短髪は、少年の頃から傭兵稼業を営んできたというわりに痛んでいないようで、差し込む陽の光に艶を返している。
広い肩幅を革のマントに包み、口元に湛えた笑みは、穏やかな人物であるように見せている。だが、それだけの人物ではないはずだと、カイルの女王騎士としての直感が告げていた。
今までに見たことのない金色の眼は鋭く、深い色。口元の笑みも、見ようによっては優しげと言うより不敵であるかもしれない。読めない男だ。こんな人間には会ったことがない。
だが、根本的に悪人ではないはず。そうでなければ、フェリドがわざわざ招くことはないだろう。
女王騎士は兵士よりも格段に腕が立つ。不穏な事態となれば狙われやすい王族を守るという職務の他、近隣国と戦争になれば一隊を率いる長として戦場に立ち、戦うこともあった。たとえば八年前のアーメスの侵攻では、ガレオンやザハークも戦場に立ち、武勇を国内外へ示した。
では女王騎士を束ねる女王騎士長は、といえば、こちらは騎士たちとは事情が異なる。女王騎士長は闘神祭の優勝者である女王の夫が就任するが、これはたいていが大貴族の子弟だ。優勝とはいえ当人が直接参加することはなく、強力な代理人を立てて争うことが多く、自らの力で勝利を勝ち取った者が女王と婚姻し女王騎士長に就くといったことは、まずない。そのため、女王騎士長は名誉職であるというのが今までのファレナの実情であった。
だがフェリドは違う。
当時王女であった元女王の強い推薦があったとはいえ、何の後ろ盾もなく、自らの力のみで並み居る貴族の有力な代理人たちに勝利したのだから。その分貴族たちの風当たりは強いが、当人が気にしている様子はない。
フェリドの力が遺憾なく発揮されたのは、皮肉にも国難の際であった。数で勝っていたアーメスを撃退できたのは策略による部分が大きかったが、兵を率いていたのがフェリドであったからこそだろう。戦が進むにつれ兵士たちのフェリドに対する信頼は絶大なものになり、噂が噂を呼んで徴兵などしなくとも男たちは自ずと志願兵となった。――カイルもその一人だった。
あの時のことは、カイルの胸にいまだ鮮やかに残っている。
そのフェリドがわざわざ国外から招いた人物。フェリド自身、群島諸国の生まれだという話だから、あるいは故郷の知人かもしれないと思っていたが、ゲオルグの着ているものを見る限り、そうではなさそうだ。
失礼にならない程度を心がけ、ゲオルグ・プライムという男を観察する。
先入観や前もって聞いていた幾許かの情報を廃して一見した限り、商人や町人には見えない。かといって軍人と言い切るには厳格な風もなく、渡りの剣士か傭兵か、という印象だ。事実彼の腰には剣が差してあり、フェリドがこの男を呼ぶと言った時に剣士だと言っていたことを思い出す。どこか飄々としており、一国のトップクラスの剣士たちが集まった場でも気負った風がないところは、フェリドと似ているかもしれない。
二人の仲は良かったという話だったが、ウマが合う以上に実力も似ていたからなのだろうか。だとすれば、剣の腕は相当立つのだろう。はたしてどの程度なのか。思っていると目が合った。
「……何か?」
「あ……いやー……あのですねー」
気付かないうちに凝視していたのだろうか。誤魔化そうかとも思ったが、すぐに考えを改めた。これは良い機会なのかもしれない。
強さが測りきれないのであれば、本人に見せてもらえばいいのだ。
「ゲオルグ殿はどれくらい強いのかなーって思って」
「おまえがそんなことを気にするのは珍しいな」
言外に、「男に興味を示すなんて」と言っているのがわかり、カイルは苦笑する。
「やだなーフェリド様、オレだってそれくらい気にしますよ? 同僚になる人ですからねー」
「そうだな……他の者も、そのあたりは興味があるだろう」
女王騎士一同、無言で頷く。自分だけが気になっていたわけではないとわかると、カイルは安堵した。フェリドは女王騎士たちを見渡すと、ゲオルグを振り返る。
「……というわけだが、どうする?」
「俺に聞く前に、もうどうするか決めているのだろう」
「ははは! 一応おまえも長旅で疲れているかと思ってな」
「ご心配、痛み入る。が、気遣いは無用だ。――で?」
「皆、外に出ろ。さすがに王宮を壊すわけにはいかん」
「あらぁ。フェリド様がゲオルグ様と手合わせなさるんですかぁ?」
「そのほうが良いだろう。それにゲオルグには兵士や女王騎士の武術指南も担当してもらうつもりでいる。皆にはその時でも良いだろうしな」
その言葉に、そういえば招いた後どうするのかまで詳しく聞いていなかったと気付く。カイルが口を開くより先に発言したのはザハークだった。
「閣下。女王騎士が全員太陽宮を空けるのは……」
こんな時に常識的な意見を言うのはこの男だ。アレニアも常識人らしく頷いている。カイルにしてみれば、二人とも興味がまったくないわけではないだろうに、素直ではないと思う。
フェリドもそのあたりは心得ているのだろう。
「戦時中ならともかく、ほんの一時だ。陛下には俺から許可を頂いてくる。興味がないわけではないだろう?」
「は……閣下がそうおっしゃるのでしたらば」
本来ならば止めるだろうザハークやアレニア、それにガレオンですら、強くは咎めだてない。新参の剣士の腕前にも興味があったに違いないが、それ以上にフェリドの剣を見たかったのかもしれない。
日頃の訓練時にも勿論剣は扱うが、八年前に先陣きって戦っていた時ほどではない。フェリドと対等に使えるだけの者が、残念ながらファレナにはいないからだ。いや、もしかしたらいるのかもしれないが、少なくとも太陽宮にはいない。
新参者の腕前を見るためだけなら騎士の中でも腕が立つザハークや、あるいはカイルでも良かったはず。ガレオンでは得物が違うため、対等の条件ではない。この二人にお呼びがかからなかったということは、ゲオルグの剣はそれ以上なのか、知り合いだから花を持たせるつもりでいるのか。とはいえ、望外の喜びには違いない。
一度フェリドは謁見の間へと向かうと、太陽宮の入口で待機していたカイルたちとすぐに合流し、女王騎士全員を伴って太陽宮の外に出た。ぞろぞろと太陽宮から出ていく騎士たちに、すわ一大事かと慌てた者もいたようだが、フェリドの様子にそれはないと判断されたのか、大きな混乱はなかった。
太陽宮に中庭のようなところがあれば格好の手合わせ場になったのかもしれないが、水上に人工的に作られた都であるがゆえにスペースに限りがある。こればかりは仕方がない。
太陽宮を出て少し、人通りのない開けた場所に到着すると、フェリドとゲオルグが間合いを取って向かい合う。カイルたちは彼らから自然と距離を取り、固唾を飲んで見守った。
剣を気負いなく構えるフェリドとは対照的に、ゲオルグは腰を低く落とし、鞘に収めたままの剣の柄を握ったまま動かない。フェリドの出方を見ているようであり、何かを狙っているようでもある。互いの口許には不敵な笑みがある。
こういう緊迫は苦手だ。身の置場がない。
カイルが思った時、フェリドが動いた。
一気に間合いが詰まる。ゲオルグはまだ抜かない。直後に鉄と鉄がぶつかり合う高い音。ゲオルグはいつの間に剣を抜いたのか、鍔競り合っている。よくよく見れば二人の口許には笑みが浮かんでいた。
手合わせとはいえ、真剣で行っていれば油断をすると大怪我をする。フェリドがそれを理解していないはずはないし、ゲオルグもそうだろう。息が詰まるほどの緊迫は、決闘のようですらあった。それなのに、あの余裕は何だ。
獣同士のじゃれあい。
そんな言葉が脳裏に浮かぶ。そうだとしても、ずいぶん危険なじゃれあいだ。
一度離れ、間合いを取り直す。次に仕掛けたのはゲオルグだ。踏み込み。一閃。フェリドが真っ二つにされたかと思うほどの速い振り。思わず声が出かかるのを何とか堪えた。だがフェリドはそれを紙一重でかわすと、中段から一薙する。カイルなら上腕に食らっただろう。ザハークでもどうか。だがゲオルグは安々と剣を避け、下段から剣を斬り返して見せた。
「すごい……」
そう呟いたのは誰か。もしかしたらカイルだったのかもしれないが、他人の言葉のように感じられる。五人いる女王騎士が全員、固唾を飲んで見守るしか出来ない。
動きは、目で追うだけでやっと。それなのに、この二人はまだまだ余裕がある様子だ。
一閃、二閃。中段、上段、下段で鋼のぶつかり合う高い音。場所を入れ換え、離れては刃を交え。襷やマントくらい斬られても良さそうなものだが、そうはならない。よほどよく相手を見、動きを見切っているのだ。
次元の違いすら感じる。あの二人だけで、軍の一隊分ほどの戦力になるのではないか。
どれほど時間が経ったのか。フェリドとゲオルグが間合いを取ったまま対峙し――互いににやりと笑うと、ようやく剣を納めた。
「腕が上がったな」
「いつまでも昔と同じと思われてたら困るさ。俺を呼んだ意味がないだろう」
「違いない」
額からこめかみへと汗を滴らせ、互いの健闘を労う。そこでようやく張り詰めていたものが解かれたような気がして、カイルはほっと息を吐いた。
滅多に見られないものを見たが、いつまでも見ていたら倒れていたのはこちらかもしれない。とにかく圧倒され通しだった。普段緊張とは程遠いと思われるミアキスも大きく溜息を吐き「見てるこっちが疲れちゃいましたねえ」と言ったが、まったくその通りだ。
「お疲れ様です。久々に閣下が剣を存分に振るわれている姿を拝見いたしました」
「まったく、八年前より冴えていらっしゃるようにお見受けいたしました」
「それじゃあ俺がいつも手を抜いてるみたいだぞ」
「決してそのような意味では……」
「わかっている。真面目に取るな」
ガレオンの恐縮を笑い飛ばすと、アレニアが控えめに発言する。
「閣下もですが、ゲオルグ殿も素晴らしい。あんなに速い斬撃は、見たことがありません」
「目が追い付かなかったですよー。速いですねー! 武術指南が楽しみになりそうですよ」
アレニアと珍しく頷きあえば、ゲオルグは笑みを深めた。
「認めてもらえたわけか」
「え?」
「俺の力量を見たがっていただろう」
目が合った時の苦し紛れの言い訳を覚えていたらしい。カイルはばつの悪い顔になると「やだなー」と言いながらこめかみを掻いた。
「変な意味に取らないで下さいねー? 悪気はなかったんですから」
「ああ。問題ない」
くつくつ笑う様子に、気を悪くしたところは見られない。ほっと胸を撫で下ろすと、フェリドが笑いながらゲオルグの背を叩く。
「これから大変だぞ。まあ、王宮の決まりごとや街のこと、その他の細かいところはカイルに聞くといい」
「え。オレですかー?」
唐突な指名に頓狂な声をあげれば、「女じゃないから嫌だったか?」などと揶揄され、慌てて手を振って否定する。
「いえ、驚いただけです」
「じゃあ問題ないな?」
問題がないどころか願ったりだ。こんな面白そうな人の傍にいれば、当分は退屈しないに違いない。
ゲオルグを見れば、彼は黙ってひとつ頷いた。
「よろしく頼む、カイル殿」
「こちらこそよろしくお願いします、ゲオルグ殿」
どんなことから教えればよいものか。まずはこの国のことからかな、などと考えを巡らせながら、差し出された大きな手を握り返した。