湖に沈んでいた城が本拠地になった時、当然のことながら部屋割が問題となった。塔から見る限りまだ湖水に浸っている層があるようだったが、水中が得意なビーバー族ならともかく、水の中で生活するわけではないので、自ずと使用できる部屋などは制限された。
王子の部屋の周囲の空き部屋には、サイアリーズやルクレティアが割り当てられた。これは頻繁に王子に用がある、王子が用がある、また身内の人間なのだから当然といえば当然だ。
しかし――
「ゲオルグ殿、どうかしたんですかー?」
他国の騎士を知っていると、この男はどうにも軽い部類に入る。騎士だから硬くなければならない、という鉄則があるわけではないが、違和感は否めない。ともあれ、気楽でいられるのはありがたい。堅苦しいのは慣れているが、いつでもどこでもそうするのは肩が凝るからだ。
明るい調子で気安さを装って話し掛けてくるカイルは、女王騎士の中でも付き合いやすい人間だった。ゲオルグのほうが新参であるのに、それを気にした風でもないところも良い。
が、今は人間性の話が問題なのではない。
ゲオルグは小さく溜息すると、部屋に入ったカイルを振り返った。
「誰が部屋割を決めたのか知っているか?」
「部屋割、ですかー? 王子とルクレティアさんが適当に決めちゃったんじゃなかったかなー? 何か気に入らないことでもあるんですか?」
結構広い部屋ですよねーと脳天気に笑いかけられても、素直に喜べるものではない。
「頻繁に城を空けている人間に個室を与えるのは、不経済だろう」
「あー、確かにゲオルグ殿はあっちこっちの様子を探りに行ってますもんねー。でもオレは、別に不経済とは思わないですけど」
「何故だ?」
「帰るところがあるって、いいと思いませんか?」
「…………」
予想外の言葉に、ゲオルグは沈黙した。そんなことを言われるとは、ついぞ思わなかったのだ。
沈黙をどう受け取ったのか、カイルは首を傾げている。
「オレ、なんか変なこと言いましたー?」
「いや……」
思いも寄らぬことを言われただけだ。
苦笑すると、カイルはますます不思議そうな表情を見せる。そんな表情をしていると、本人は心外かもしれないが、とても24とは思えない。指摘すると「ゲオルグ殿が年齢の割に落ち着きすぎてるんですよ」と笑う。
「ホントにオレと5つしか違わないのかって、たまに不思議ですよ」
「どういう意味だ」
「落ち着き過ぎってことです」
「そうか? まだまだだと思うが……」
「ゲオルグ殿が落ち着いてなかったら、オレなんて永遠に落ち着きませんよー」
それはつまり、落ち着く意思はあるということか。
ふっと笑うと、自分よりは年若い女王騎士の肩を叩く。「誰だって、」
「嫌でも落ち着く機会は巡ってくる。その時に落ち着いてしまうかどうかは、本人次第だが」
「ゲオルグ殿が言うと、説得力ありますねー。……あれー? 話が逸れちゃいましたねー」
カイルは笑いながら「部屋のことでしたねー」と腕を組み、物が少ない部屋をぐるりと見回した。
「オレは、さっきも言いましたがもったいないとは思ってないんで……じゃ、ゲオルグ殿が出掛けてる時には、オレに使わせて下さい」
「……何?」
意外な提案に、ゲオルグはカイルを正面から見つめた。カイルはいつもの笑顔のまま、「ゲオルグ殿が嫌なら、今のはなかったことにしてくれて構いませんからー」と付け足す。
面食いはしたが、そんなことは思わない。
「別に……、嫌じゃあないが」
「ホントですかー? よかったー!」
一瞬、迷わなかったと言えば嘘になる。だが、この男の心底嬉しそうな顔を見てしまうと、そんなことはどうでもよくなってしまった。
そんなに喜ぶことなのか。思いはしても、目の前で手放しに喜ばれてしまえば、悪い気はしない。
ただ、彼の素行を考えると、ひとつだけは釘を刺しておかねばなるまい。
「ただし、条件がある」
「何ですか?」
「女を連れ込んだりしないこと。これだけ守れば、後は好きにしていい」
言った瞬間、カイルは明らかに肩を落とした。心なしか、傷付いた表情をしている。
「ひどいなー……オレが間借りした部屋に女性を連れ込むような男に見えるんですかー?」
「いや……、すまん」
「ひどいなー。ゲオルグ殿が帰ってきたら部屋で迎えてあげようって思ってたのにー」
拗ねたように口を尖らせる。そんな表情になると、一気に幼く見えた。まったく、この男が口説く女たちに見せてやりたいものだ。内心で苦笑しながら、ゲオルグは腕を組んだ。
「男の帰りを待っていて、楽しいのか?」
「他の奴ならともかく、ゲオルグ殿ですから」
「……?」
言葉の真意を掴みかね、首を傾げると、カイルは微笑んだ。
「好きな人に会えるのは楽しみでしょー?」
「ああ……まあ、そうか」
なるほどと頷くと、カイルがまた「ひどいなー」と呟く。
「……今度は何だ?」
「ゲオルグ殿、今オレの告白を流したでしょー?」
「…………告白?」
何の話かと、会話を反芻する。気付くより先に、カイルが口を開いた。
「オレがゲオルグ殿の部屋でゲオルグ殿におかえりなさいって言いたいのは、ゲオルグ殿が好きだからってことです」
「…………」
沈黙をどう受け取ったのか、カイルはにこりと笑むと「じゃ、オレは王子の稽古に行ってきますねー」と、いつもの調子で言い置き、くるりと背を向けて行ってしまった。
「……参ったな……」
深く息を吐くと、窓から空を見上げた。考えても答えが出るはずもないことばかりが、浮かんでは消える。
いつから。
何故、俺を。
空が答えをくれるはずもなく、ゲオルグはまた溜息を吐いた。
そんなことばかりが気になって、大事なことに気付くのはもう少し後になってからだった。