基本的にゲオルグは優しいと、カイルは思う。
外面だけ見れば、男らしい精悍な顔は見ようによっては怖いかもしれないし、身長もそれなりにあるから小さな子供はもしかしたら怖がるかもしれない。眼帯や腰に帯びた剣、鋭い金の眼は、この男がただの街人などではなく剣を生業にする者であることを示していたし、人によってはひょっとしたら胡散臭く見えるかもしれない。
けれど物騒な稼業を持っていた割に――今現在はファレナの女王騎士、つまり国軍のトップクラス――に収まっているし、ファレナに来る前は北の大陸でやはり大国の将軍を務めていたという。戦場を渡り歩いているという割に、血に飢えたぎらついた獣性は微塵も見えない。
いや、とカイルは自身の思考を否定する。剣を握れば生き生きとするのは戦士の習性であって獣性ではない。もしかしたら上手く隠しているのかもしれないが、だとしたら相当の役者だ。できればファレナにいる間は、そんな凶暴な面は隠していて欲しい。仲間や、王子、姫のためにも。
ぱらり、ぱらりと、紙をめくる音だけが室内で起こる音。外は雨風が強く、激しく窓を叩いた。カイルは曖昧な静寂を崩すのを憚るように、ヘッドボードに背を預けて本を読むゲオルグを隣で寝そべりながら眺めた。男の顔などしみじみ眺めることなど一生ありえないと思っていたのに、どうしてか彼の顔だけは見飽きない。
久々に本拠地に戻り、束の間の休暇を楽しんでいるゲオルグの部屋に押しかけたのはカイルだ。昨日は帰ってきて軍師への報告を終えるや早々、ゆっくり休む間もなく王子や仲間たち、志願兵たちへの武術指南を請われていた。仲間が増えた現在、ゼガイだけでは手が足りないのだ。
志願兵たちは元々が街人、あるいは農業を営んでいた者たちで、本来なら武器や戦闘とは無縁であるはずの者たちだ。当然、剣や槍、矛の扱いに長けているわけはない。だが彼らを兵として練るには時間が足らず、準備が不充分なまま戦場へ送り出してしまうことも少なくない。
傭兵を多く雇い入れ、以前より兵を軍として鍛えていたゴドウィンに及ばないのは自明の理。だが、うかうかと手をこまねいている場合ではない。
その点、ゲオルグは短期間で効果的な練兵をする術をよく知っているようだった。だからいつの間にか、個人技はゼガイ、練兵はゲオルグが分担するようになったのだ。もちろん普段はボズやダインがうまくまとめてくれていたが、常に戦場を体験していたゲオルグの勘や指導が彼らに劣るわけではない。
今日は生憎の暴風雨のために練兵は中止となったが、軍師のルクレティアやゲオルグに言わせれば、そのうち雨天での訓練も実施するという。訓練を受ける者はたまったものではなかろうが――仲間たちの大半が戦場に立つのだ――、戦争は己の好む天候でだけ行なわれるものではない。奇襲を警戒、あるいは行なうつもりであるなら、悪天候での戦闘訓練も積んでおかねばならないだろう。
すべては国のため、ではなく、戦場で生き残るために。
戦場で隊を指揮することになりえるカイルにしても、模擬実戦は真剣だ。隊の人数分、命を預かるのだから当然である。それが将軍となると、いったいどれほどの命を預かるのか。まして軍主、国主となれば――
思考の海にどっぷり浸っていると、不意に頭を撫でられた。撫でた男は、本から顔を上げる様子はない。
無骨で、機微に鈍いところもある、戦場を渡り歩いてきた傭兵。フェリドとともにいた頃は、今の王子と同じくらいの年齢か。そんな頃から剣を握ってきた掌は大きいが硬く、本人のように無骨である。
振るった剣はどれほどの血を吸ったのか、本人もわかるまい。剣士の手はすなわち、命を奪う手でもある。だが見境なく奪うわけではなく、彼の手は暖かく、優しい。
「……ああもうなんか、信じられない……」
深い溜息とともに深い感慨をこめた言葉を吐き出せば、ようやくゲオルグがカイルを見る。ただし不審の目であったが。「どうした?」と彼が問う声に笑顔を返す。
「オレが安心するのは柔らかくていい匂いのする女性の胸だけだと思ってました」
「…………」
「あ。なんでそんな顔するんですか。別に嫌だってわけじゃないですよー?」
くすくすと笑うと、手を伸ばして指先で肉の薄い精悍な頬を撫でる。ゲオルグの脚の間に割り込むと、腰に腕を回して抱きついた。
「こう、くっついてるだけで気持ちいーなーって。力抜けるんですよねー。そうなっちゃってる自分が信じられない、って意味ですよ?」
オレほんとにゲオルグ殿のこと好きなんだなー。
しみじみ呟けば、ゲオルグは何故か溜息を吐いたようだった。カイルはそれを不満と受け取り、口を尖らせる。
「あー。溜息つくと幸せが逃げますよー?」
「どこの迷信だそれは」
「さあ? でもまあ、逃げた分は取り返せば問題ないですよー」
澄ました顔を作ると伸び上がり、乾いた唇に口付けた。ゲオルグは表情を柔らかくしてカイルの背を抱き、自分の腹とカイルの胸の間で潰されそうになった本を脇に避けた。