昼の、お日様の――蓮の、匂い。
とても落ち着く。
「…………、……」
息を吐いて、吸い込む。目を閉じると、蓮に抱きしめられているような錯覚。
蓮が退院して数ヶ月。時間の許す限り一緒にいたいと思うが、蒼葉にしても蓮にしても仕事をしている以上、常に一緒にいられるとは限らないし、休みが必ず重なるわけでもない。
仕方ないとは理解しているが、今日のように休日がすれ違い、一人でいると、寂しいなと思う。
(それも贅沢な悩みだよな……)
蓮のいなかった一年を思えば、何ほどのこともない。そのはずだが、その時とは別の寂しさだと溜息を吐き、タオルケットを頭からかぶる。タオルケットも布団と一緒に干していたから、同じ匂いがした。
(……蓮に抱きしめられてるみたいだ)
匂いに包まれていると、落ち着くのだけれど落ち着かなくなってしまう。
蓮とは、一週間ほどまともに顔を合わせていない。仕事をしたいと言う蓮に、それなら自分に合う仕事を探した方がいいだろうと紅雀が体験学習を提案し、現在実行中だからだ。蒼葉自身、蓮が働くことには納得しているから仕方がないとは思っているが、体験の中には夜勤や遅番がある仕事も多いようで、ここまですれ違うとは想定外だった。
そのせいだろうか、やけに蓮のことが思い出される。
息を吸い、吐く。
何度も吸うと匂いが薄れてしまう気がしたが、それでも内臓までも蓮で満たしたい。
落ち着くのは、蓮に抱きしめられた時を思い出してほっこりするから。
落ち着かないのは、その後のことも思い出してしまうから。
(……う……ヤバイな……)
匂いで欲情するのは特殊性癖に入るのではないか。思っても、一度灯った火を消すのは容易ではない。
そろりと自身に触れれば、兆しているのがスエット越しにもわかる。迷いながらも手はスエットの中へと潜りこんだ。
直に触ると、わずかに息を詰めた。まだ迷っている心を表すようにゆるゆると撫でる。
(最近、してなかったし……)
言い訳は多分、自分に向けてのものだ。けれど実際問題として、蓮が体験学習を始めるより少し前から性交渉はなかった。トータルで約二週間ほどだろうか。
たった二週間。それでも蒼葉にしてみれば『二週間も』と言いたいところだ。
いつでも蓮に触れたいし、触れられたい。翌日のことを考えなければ毎日でも構わないと思っているくらいなのだから、二週間は充分に長かった。
「……、……」
鼻腔を満たす、日向の匂い。
自分に触れる、蓮の顔。表情。──まなざし。
触れる時は最初、探るような動きだ。そうして蒼葉の感じるところを見つけては、強く責め立ててくる。大きな手にも関わらず、手管は時として繊細ですらあった。
蓮の匂いに包まれて蓮の触れ方を思い出せば、自然と蒼葉の手もそのように動く。
「……、は……」
ゆるゆると陰茎を擦りたて、裏筋を指先で辿る。亀頭を手のひらに押し付けるようにして撫でれば、背筋がぞくりと震えた。
片手でくびれたところを弄り、片手で陰茎を扱く。先端から雫が溢れて陰茎を伝い、手の動きを滑らかにしてくれる。濡れた感触が、性感をいっそう高めていった。
「あ……っ、ぁ……」
息苦しくなってくるとタオルケットからわずかに顔を出す。ふと、視界に見慣れたはずのものが入った。青い毛の塊。オールメイトの機体。
刹那、はっと息を飲む。
蓮ではない。が、蓮だったもの。電源は入れていないから、丸まったまま眠ったように目を閉じている。もちろん意識などあるはずがない。だから見られているはずもないし、声が聞こえているはずもない。
それでも──刺がちくちくと胸の柔らかなところを刺す。自覚があったから余計に痛い。
またタオルケットを頭までかぶると、指先でそろりと鈴口に円を描いた。内股が緊張する。
頭がどうかしているんじゃないかと思う。罪悪感を抱きながらひとりで快楽を追っている、なんて。
「…………っ、う……ごめ、ん……っ」
彼が見たらなんと言うだろう。
申し訳ない思いを、行為に没頭することで誤魔化す。
それでも青い塊のことがちらちらと脳裏をかすめるが、先走りがだらだらと溢れるにつれ、どうしても意識がそちらの方へ流れていく。
「は……あ……」
もう少し、と思うがなかなか届かない。
「っ……足り、ね……っ」
蓮の触れ方や刺激してくれる場所を追っても、自分の手指はやはり自分のものでしかない。
それに、蒼葉の体は蓮のもたらす絶頂を知ってしまっていた。
ためらいながら、濡れた指を尻の奥の窄まりへと滑らせる。ゆっくりと差し込むと、深い息が自然と零れた。
一本を奥まで入れ、中を広げるように掻き回す。性器をゆるゆる扱きながら繰り返していると違和感は少ない。陰茎を伝う先走りを掬っては指に絡め、すぐに二本目を入れた。
「……っあ、は……、う……っ」
内股が緊張と弛緩を繰り返す。
もっと、と体がねだるのに応えたくて、気持ち良くなりたくて、蓮の匂いに惑わされていた。
(まだ、足りねー……っ)
指を増やせば足りるかとか、そういう問題ではない。
蓮に触れたい。触れられたい。
蓮を感じたい。
気持ちはそう思っているのに、体は裏腹に上り詰めようとしている。
(……蓮っ……!)
触れたくてたまらない。
「は、あ……っ、蓮、もっと……!」
触れてほしい。
思いながら動かした手の中で達した。
「…………、ふ……」
呼吸は乱れさせたまま、指を抜いて枕元に手を伸ばす。ティッシュかタオルで拭わないと、せっかく干したタオルケットを汚してしまいかねなかった。
手早く拭いてしまうと溜息を吐き、衣服を直して、ようやくタオルケットから抜け出した──ところで、硬直した。
「…………れ、ん……?」
「……ただいま」
所在なさげに部屋の入口に、いつの間にか帰ってきたらしい蓮が立っていたのだ。
引きつりを隠せない顔のまま、蓮を凝視してしまう。
「お、おかえり……今日、遅くなるんじゃ……」
「予定が少し早まった」
「そ、そう……」
普段であれば嬉しく思ったに違いないが、今は本当にタイミングが悪すぎるとしか言いようがない。
(こんな時に……! って、そういえば……)
もっと大事なことがあった。
訊くのは怖いが、訊かないでいる方がもっと怖い。
意を決し、顔を引きつらせながら口を開く。
「い……いつから、いた……?」
「……先ほどからだ」
「先ほどって、いつだよ?!」
「蒼葉が……達する、少し前だ」
「…………」
自分で訊いておいて、撃沈した。
(……消えてぇ……!)
むしろ蓮の記憶を削除したい。──犬の姿の頃なら、可能だったかもしれないが。
咄嗟にまたタオルケットの中へ籠城する。視線は逸らされていたが、蓮の視界に入ることすら居たたまれなかった。
「蒼葉?」
「ホンットごめんホントごめんマジごめん」
「謝るところではないと思うが」
「いや、謝るところだから。それしかないから」
タオルケットをかぶっていて良かった。モロに見られていたら、落ち込みは今の比ではない。今ですら、まともに蓮の顔が見られないというのに。
ひたすら内心で「ごめん」と「消えたい」だけ唱えていると、タオルケットごと蓮に包まれた。
「蒼葉」
囁かれ、ぎゅっと抱きしめられる。
やはり想像より実物の方がいいと蒼葉が実感したのはすぐ後のことになる。