傷と愛撫、そしていつもの

 指先は神経が集中しているのだそうだ。
 そんな話は入院中に聞いたのかもしれない。
「蓮、どした?」
 ベッドをソファ代わりにして雑誌を読んでいたはずの蒼葉が蓮に声をかける。ベッドに背を預けていた蓮は、蒼葉を振り返った。
「指先の感覚について考えていた」
「指先の感覚?……なんで?」
「蒼葉と再会した時のことをふと思い出しただけなのだが……蒼葉の頬は温かかった」
「……唐突だな」
「俺も、どうしてそんなことを思い出したのかわからない」
「ま、急に過去のことを思い出すなんてよくあるけど……指先か。……あ、切り傷がある。いつの間に……」
「雑誌で切ったのか?」
「多分。まぁ、舐めとけば治るだろ」
 薄ら血の滲んだ指先を、舌を出してべろりと舐める。
 途端、別の記憶が蓮の脳裏をかすめた。口に出すには憚られるように思えたので、そこは黙っておく。  その代わりに、
「蒼葉……手を」
「うん? ん」
 蓮は差し伸べられた手を取ると、その指先へ口付けた。目線だけを上向ければ、頬に朱を刷いた蒼葉がいる。
 咄嗟に湧いた衝動を堪えるか従うか。
 迷うのは蒼葉を気遣うからだ。本能の赴くままに貪るのは獣と変わらない。けれど蓮の躊躇いを笑い飛ばすように、蒼葉はかすかに声を震わせて、掠れさせて、蓮の名を呼ぶ。
 その響きは常ではない、夜の響き。
 熱がじわりと腰のあたりに澱むのを自覚した時には、蒼葉の指先の傷に口付けて見せつけるように舐めていた。



 一際高いはずの声を押し殺して体を震えさせる蒼葉を背後からきつく抱きしめた。繋がっている中も収縮を繰り返して蓮を苛むが、奥歯を噛み締めて堪え、止めていた腰の動きを再開させる。途端、蒼葉が振り向いた。
「れん……!」
 舌足らずに非難の色。けれど止めようとするには蓮の理性が足りなさすぎた。
 蒼葉は蓮と目が合うと、すぐに顔を逸らす。シーツを掴む手に力が籠ったのが見てとれる。何を見ての反応なのか、蓮にはわからない。
 奥を緩い動きで何度もかき混ぜる。タイミングを外してぎりぎりまで引き抜けば、息を噛み殺す気配。
 声を出すのを堪えているから、余計に体に悦楽が溜まるのかもしれない。――もう繋がっているわけではないので、本当の感覚はわからないが。
 体で返してくれる反応がすべてだ。
「蒼葉……、」
 高く突き出されている腰を強く引き寄せれば、蒼葉の内股がびくついた。達したばかりで敏感になっている体に無理を強いているとは理解していたが――蓮はまだだ。
 蒼葉の腰を掴んでいた片手を、腰骨からするりと前へ回し、蒼葉の性器を包み込む。熱を解放したばかりだというのに、新たな熱の予感を孕んだそこを、抽挿しながら刺激を与える。
「……ッ、は……ァ……! れん、も、ぉ……ヤダ……ッ」
 振り返った目の端に溜まった涙は何を堪えてのことか。制止の言葉も、しかし今は空々しい。
「蒼葉……腰が、揺れている」
 だから気持ち良いのではないか。
 問いに対し、蒼葉は頬を朱に染めた。それだけで解答は得られたようなものだ。
 問題は、蓮の内にあった。
 蒼葉のすべらかな背に口付けと、「困った」と困惑を落とす。
「……なに、が……?」
「蒼葉の中ですぐにでも達してしまいたいという思いと、少しでも長く蒼葉のこんな姿や顔を見ていたいという思いが……」
「そ、れ以上言うな……!」
 振り返った蒼葉はやはり赤い顔をしている。どうしたのかと思ったが、問えば怒られてしまいそうな気がしたので黙っておく。
 息を吐くともう一度蒼葉の肩甲骨に口付け、ゆるりと動きを再開した。



「……蒼葉……」
 上掛けをかぶってベッドに俯せている蒼葉は、蓮の呼びかけにも振り返る気配がない。頭のてっぺんだけがかろうじて見えていたが、どんな表情をしているのかまではわからない。
 事後に互いの衣服を整え、蓮はベッドに腰掛けていた。項垂れて足の間に視線を落とす。
「その……すまない。無理をさせてしまった」
「…………」
「蒼葉……機嫌を直してはもらえないだろうか」
 沈黙は、おそらく否定。ますます項垂れてしまう。
 しばらくそのまま項垂れて己の言動を内省していると、急に背中に衝撃と重みがのしかかってきた。振り返ろうとすると「こっち見るな」と言われてしまったので、大人しく従う。
 蒼葉はどうやら上掛けにくるまったまま、蓮の腰に腕を回して抱きついている。背中から体温が徐々に伝わってくるのが嬉しい。
 指先の、傷が目に付いた。する前に舐めた傷だ。血は滲んでいない。痛くはないのか。問おうとするより先に、蒼葉が口を開いた。
「……こういう時の対処法、勉強しとけよ」
 やはり何か気に障っていたのか。足りない自分をもどかしく思う。
「……わかった」
 神妙に頷くしか今はできないが、そのうちきっと別の対応もできるようになるはずだ。
 もぞもぞと蒼葉が動く気配がし、気が付くと隣に座っていた。
「焦らなくていいからな」
「あぁ……すまない」
「いいよ。別に怒ってたわけじゃないから」
「そう……なのか?」
「ん」
 横から腕を回された。蓮も同じように蒼葉を抱きしめ返す。
 胸にほわりとした温かさが生まれた。
「宿題がいっぱいだな」
「……頑張る」
「どうしてもわからなかったら、ちゃんと訊くんだぞ」
「あぁ」
 頷くと、顔を両手で包まれてそっと引き寄せられる。抗わずに従えば、いつものようにそっと額と額を合わせられた。
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