rainy days:slategray

 ほとんど眠るためだけに購入したマンションの部屋に戻ったのは、にわかに降り出した雨が強くなる頃だった。
 玄関に見慣れない靴が並んでいることにベックマンは気付いた。自分の靴ではないし、赤髪の靴でもない。
 そう言い切れるのも、ベックマンは彼の持ち物はほとんど把握しているし――というと驚かれるが、赤髪は呆れるほど物を持たない人間なのだ――、履き古したスニーカーは、まさか学生のように古着屋などで買ったわけではあるまい。
 とすると、ベックマン自身と赤髪以外の第三者ということになるが、その第三者の素性を赤髪に問うても、おそらくは無駄であろう。彼は気に入った人間ならば相手の素性がどうであろうと連れてくるし、たまには仲間に引き入れることもあるからだ。
 たとえそれが敵対している組の人間でも――よほどの気骨や忠誠心がある者でなければ、赤髪の魅力に負けて堕ちる。しかし赤髪を裏切る者はまずいない。
 赤髪自身は、己が引き込んだ人間が後になって自分を裏切っても、不敵なポーズを崩しはしない。危害が仲間や身内に及べば、勿論それに見合った報復は必ず行う。それを彼はいつも自身の手で行うのだ。
 計画や偽装工作をするのはベックマンをはじめとする幹部だが、実行するのはいつでもシャンクス本人だ。ただし、事が明るみに出た場合、刑務所に入るのはいつでもシャンクス以外の人間だった。
 身代わりに刑務所へ入る者達は、いつでも自ら望んで臭い飯を食らう。志願者は今も昔も後を絶たない。つい先日も、組の情報を密かに探って他所に流していた男を一人と、その男と取引しようとしていた男を一人斬り捨てて、組の若い者が刑務所に入ったばかりだ。
 
 ベックマンは疲労の滲んだ溜息を深く吐く。ドアの外までは漏れず、床に落ちて砕けた。
「……今の立場、わかってるのか……?」
 ごちる声も、リビングには届かない。
 説明はしてある。だからわかっているはずだ。どうして自分が部下の部屋に居候させられているのか。
 ベックマン自身が直接報告をし続けている、水面下での蠢き。不穏なそれは、今すぐではないが数ヶ月のうちに破裂する。表面上は澄ましていても、相手もこちらも機会を窺っている。一度目の不用意な失敗に懲りて、目立つ動きを避けて時機を計っているだけだ。
 下っ端のいざこざが減っているのも、きっとそのせいに違いなかった。
 命を狙われている、その事だけは間違いない。ただ誰が、どんな形で狙っているのかはわからないから、こうして幹部であるベックマンの私宅にほとんど軟禁状態で身柄の安全を図っているが、目付けとして密かに赤髪の動向を張らせている者からの報告を聞く限り、わざわざ狙われるような行動をとっている。
 とはいえ、今までの経験からいって、赤髪の言動は時として思わぬ風に作用するから、一概に「無用心に出歩いた」と判断を下すのは早いとも思う。――小言は与えるにしても。
 本人は、ベックマンなどから見れば「思わぬ結果」が引き出されることを計算しているのか――偶然の産物なのか。
 今までの行動の結果すべてが偶然であるなら、赤髪はただ己の思うがまま、本能や気分に従って動くが、悪運が誰より強い、ということになるし、計算ずくなら神か悪魔か。
 小説の文庫本のページは、既に半ばを越している。考え事をしながらでも読めるものだ。ヤソップあたりは「あんただけだよ」と感心してくれるが、時間を有効に使うなら、それくらい出来ておきたいものだと思う。そう毎日毎日が忙しいわけでもないのだが。
「……考えるだけ無駄とは、このことか」
 今までも事が終わるたびに考え、時には本人へも問いただしたが、満足いく答えは得られないままだ。それでもやはり考えてしまう。
 この人は一体、何を考えているのか。
 考えるだけ無駄だと口にしてはみたものの、真剣に止めようと思ったことはない。それはきっと――  ドアの外の罵声に思考が中断される。若い男の声だ。続けざまに、乱暴にドアが閉まる音。重なる赤髪の笑い声。
 そして、ノックもなしにドアが開かれる。
「よォ。おかえり」
 酒精が回った顔で笑いながら、椅子に腰掛けていたベックマンのそばに気安く座り込む。太腿あたりにしなだれるように凭れかかると、猫のような目で見上げてくる。
「……シャワー浴びてる最中に帰って来ただろ」
「どういうつもりだ?」
「何が? 出歩いたこと? 男連れ込んだこと?」
「答えろ」
 わかってるんだろう。呟くと、赤髪は楽しそうに目を細める。頬のあたりに掛かる前髪が鬱陶しいのか、緩慢な仕草で掻き上げる。見た目より柔らかな髪が、さらりと零れた。
 問いの意味を理解しながらすぐに答えないのは、何か企み事があるのか。笑みを象ったままの唇が、薄く開く。
「レストランの親爺のとこにいる金髪のガキ、知ってるだろ」
「……サンジか」
「お気に入りなんだと」
「……………………」
「……仮にも組頭に対して、そういうあからさまに疑いの目ェ向けてくるのって、おまえくらいだよ」
 喉の奥で笑うと、左腕でするりとベックマンの頬から顎、顔の輪郭を撫でる。
「おまえもいる時、一度来ただろ。緑の髪で、ピアス三つつけたやつ」
「……ああ」
「あいつ。公園で腹減らしてたから拾って飯食わせて酒飲んで、体洗って返したのさ」
「……ガキが犬拾ったのと同じレベルじゃねェだろう」
「ああ、うまいこと言うなあベック」
 それが一番近いと、子供扱いされたことに気付いているのかいないのか、そこだけ無視を決め込んだのか。
 ひとしきり笑った後、赤髪は体を起こすと伸び上がってベックマンに口付けた。右手は文庫本を奪い取り、机へ放った。口内を探りたそうに歯列や歯茎を辿る舌を受け入れて、絡める。短く伸びた髭がくすぐったい。
 深い口付けを一度解くと、海の色に似た瞳が、欲を露わにベックマンを映している。
「……さっきしたんじゃないのか」
「出歯亀か?……睨むな。あいつとおまえは違うよ」
 あいつを欲しかったのと、今おまえを欲しいのは、全然違う。
 もっともらしく言い、己の不貞を正当だと言う。もとより、ベックマンに赤髪の不貞を詰る権利などはない。そのつもりすら。
「……飽きねェな、あんた」
「飽きさせねェからな……」
「何考えてるんだ」
「わかんねェからイイんだろ?」
 尊大に言って寄越すと、赤髪はベックマンの太腿に跨る。
 その通りだとは胸の内だけで呟いた。
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77777hitは小西さんでした。
リクは「rainy daysの裏話的な、イケナイオトナなシャンクス」。
……イケナイオトナというからには、小僧たちと絡ませた方が良かったかな……
と思いながら、シャンクスのイケナイオトナっぷりの何割かが書けていればいいなと思う次第。
リクエストありがとうございました!