自分でそんなつもりはなくとも、機嫌の悪さというのはなんとなく周りに感づかれてしまうものらしい。
昼過ぎまで自覚はなかった。
オレが自分の不機嫌に気付いた―――いや、気付かされたのは、剣の訓練も一通り終わって自室に引き返した後。
シャワーを浴びた頭をガシガシとタオルで拭いながらベッドに腰掛けたところでドアが二回、乾いた音で鳴る。オレの返事を聞かずに部屋へ入ってきたのはベンだった。その手には、丸い木製のトレイ。
「お?何持ってきたんだよ?」
オレの視線は奴の持ってきたトレイに釘付け。
いつも飯の時などに使ってるブリキのカップではなく、オレお気に入りの白磁の大きなマグカップと、ブリキのスープ皿にいっぱいに盛られたレーズンクッキー。彼らが大人しく芳香を漂わせていた。
サイドテーブルに置かれたトレイを覗き込むと、マグの中身はミルクティ。多分この香りはアッサムだから、前の港で仕入れてきたゴールデンチップスだろう。勿論オレが好きな茶葉だ。
「サービスいいじゃん♪」
なんかあったっけ、今日。コイツがこういうセットを用意する時ってたいてい、なんかある時なんだよな。だろ?
聞くと、「腕」と一言返された。…なんだそりゃ。
頭の上にでっかいクエスチョンマークを飛ばしていると、ベンは紫煙を天井に向かって吐き出してから、早速マグに口をつけたオレの頭をくしゃくしゃと撫でてきた。…ガキにするみたいなことするなっていっつも言ってるのにな。まあいいや。今は気分がいい。
「痛むだろう?」
夕方から天気が崩れるからな。
言いながら灰皿代わりのブリキの小さな皿に、短くなった煙草を押し付けた。
その言葉で気がついたんだ。
「…そんな不機嫌っぽかったか?オレ」
「そういうわけじゃあないんだが」
「じゃあ、何?」
首を傾げると、目線をオレから宙に泳がせて鼻の頭を掻いた。
「稽古の時、いつもより手加減してなかったからな。先に手を打っておこうかと思って…」
「………」
ナニソレ。
きょとんとした顔をしているだろうオレに見つめられて、ベンは少し困った表情を作った。
……それってさァ…仮にも海賊団の頭に対する対応か?頭の機嫌を取るのに紅茶とクッキーを出すのって、どうなんだ?いや、好きだけど。好きだけどよ。
問題はそこじゃねェ。
マグをおいて、でかい図体を見上げる。
「…オマエさあ…」
「ん?」
「オマエ、あんまりオレを甘やかすとつけあがるぞ」
言ったら、真顔で返された。なんていうか、いかにも「心外だ」と言わんばかりの表情で。
「俺がいつあんたを甘やかした?」
…………。
ダメだ。
重病。
コイツ絶対重症だよ。
「オマエって…」
「ン?」
「ホント、オレのこと好きなんだな!」
爆笑したら顔をしかめられた。
けど、そうだろ?
自覚ないんじゃホント重病だよオマエ。
治してやるつもりなんてないけどね。
でもまァ、ちょっとツメが甘いよな?
ちょいちょいと人差し指で呼ぶと、何だとも聞かずに近付いてくる。
咥え煙草を奪い取って、その代わりみたいに唇をくれてやる。
「気が利く副船長サンへのお礼だよ」
オレはそのクッキー食べるから、オマエはオレを食っていいよ?と言うと苦笑された上に「紅茶が冷めるぞ」と言われた。オマエなあ…せっかく膳を据えてやったのに、喰わねェ気かよ?
あからさまに不機嫌顔を作ると、宥めるようにキスをされて唇をなめられた。
「…何。機嫌取ってるつもりかよ」
「いや?」
俺に恥をかかせるつもりはねェんだろ?
耳にかかる吐息がくすぐったい。
囁いたそのまま、ベンはオレの耳を甘噛みし、内耳に舌を差し込んで舐めてくる。ガサガサする音と、奴の吐息と、舌の感触に体が震える。
広い背に一本だけ残った腕を回して、シャツにしがみつく。
舌は内耳から耳の後ろへ移り、そのまま首筋をキスを交えて辿る。弱いところを攻められて膝が崩れそうになったところでベンの腕に支えられ、ゆっくりベッドへ押し倒される。
恥をかかすつもりはねェよ?けどオマエも、古傷の疼きを忘れさせるような食べ方じゃなかったら、当分お預けだからな。
乱れていく吐息をどうすることも出来ず、でもそれだけ言うと、
「アンタの期待は裏切らねェさ」
船員の誰も見たことがないだろう甘いカオに、オレまで溶かされそうだ。
ただし、
「大体アンタいつも文句言っておきながら、最後はよがって乱れまくって声枯れるくらい喘いでるじゃねェか」
という言葉には、しっかり拳骨でツッコミを入れるのを忘れなかった。