ましてショーウインドウに飾られていたソレを見付けたのに、ハナッから他意があったわけじゃあない。
夏場はともかくとして冬にあると便利かなあと思ったのと、宴会のゲェムで使えるかな、という安直な理由だけで、店に入ってソレを買ったんだ。
ほんの冗談のつもり。
遊び心。
機会とモノがあればヤッてみたくなる。つまりは好奇心。
…最初は本当に冗談だったのに…なんでこんなことになるんだ?やっぱオレが謝るべきなのか?
何人か胃痛で寝こんじまってるし…ドクにも怒鳴られたし…ちくしょう、面白かったのにな。
でも船内がこんなテンション低いんじゃ、いつ戦闘に入っても負けちまう。それは海賊団の頭としては避けねばならない事態だ(オレひとりでもあんまり負ける気しねェけど、連中に怪我負わせるのは避けたい)。
…とっとと謝っちまうか…。
暗い溜息をついて、オレは船長室を後にした。
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港町で他意無くソレを買いこんで、数週間が経過。海は穏やかで、海賊船も海軍も見当たらねェ。順調といえば順調、退屈といえばかなり退屈な航海。
退屈が嫌いなオレとしては、そろそろ何かやらかしたいところ。…その前にアイツの現在位置を把握しとかねェと。イザとなったらとっとと逃げられるようにな。
「オイ、副見なかったか?」
甲板にいる連中に声をかけると、測量室で見たとの返事。さっそくコッソリと覗きに行くが、そこにはヤツの姿はない。たまたまそこにいた航海士に聞くことにする。
「なあバルザック、副見なかったか?コッチに来たって聞いたんだけどよ」
「ああ、副船長なら自分の部屋に戻られましたよ。何か緊急の用でした?」
「いや、そうじゃねェけど。…部屋でなんかするって言ってたか?」
「特になにも。休む、って言ってましたけど」
休む?真昼間っから?と首を傾げると、バルザックがほら、と言う。
「副船長、一昨日夜勤だったでしょう。でも昨晩もゆっくり眠れなかったから、ちょっとフラフラするからって」
「…………そうだったっけ」
「ぱっと見、平然としてましたけど…自分で注意力散漫になってるから休む、って言ってましたよ?夕方まで起こさないようにって……ああ、行っちゃった」
副船長をゆっくり眠らせなかった原因であるオレは、バルザックの言葉を最後まで聞かず、副船長室へとかけだしていた。
ヤツの部屋の近くまでくると足音を忍ばせ、ドアが開いているのを確認してから細くドアを開ける。ベッドはドアから見える所においてある。その上にヤツの巨体が投げ出されるように横たわっているのを確認。
いつもなら「なんだ?」とか「どうした?」とか言ってくる所だが、そんな言葉すらない。よほど疲れているんだろうか。そろそろと近寄って寝顔を確認。……けっこう穏やかに眠ってやがるが、目の下のクマは隠せねェな。
それでもヤツを眠らせなかったことに対する罪悪感はない。だってヤリたかったし。ヤリたい時にヤラねェと体に良くないだろやっぱ。
まァオレの方が昼前までグースカ寝てたのは、ちょっとアレかなと思わなくもねェけど。
―――しかし、いつも不思議だが、コイツ…死んでねェか?寝息も聞こえねェぞ?
鼻と口に手をかざす。…当然、呼吸があたる。
そうしてオレは腕組みをしてベックマンを見下ろした。―――これだけ珍しい状況下にあって、なにもしねェって手はねェよな?
何をしてやろうかとイタズラ心全開にしたオレはあらゆるイタズラを頭に巡らせた。
顔にラクガキ…ってのは当たり前過ぎて芸がねェな。
素っ裸にするってのは…つまんねェし。
素っ裸にして体にラクガキするってのは昔やったような気がするし…。
煙草を隠すってのも、前にやったしなァ…。
やっぱ、前にやったイタズラってのは、二度目はつまんねェからやれねェよな。
そもそも、この船に乗っている限りオレのイタズラに遭わなかったヤツはいないのだ。ベックにだって過去何度かイタズラをカマして、そのたびにこっぴどく叱られたりはしたが、生憎オレは懲りない性格。隙あらば何度でもイタズラを敢行してきた。
頭をフル回転させている間に、ふと港町で買ったモノを思い出した。
そうだ。アレを使って…と、アレもついでに使うか…。
イタズラが完成した所を想像しただけで、爆笑したくなる。コイツは絶対、ウケるに違いない。
こみあがってくる笑いを必死に押さえながら、オレとは対照的に穏やかな顔を見下ろす。自分がこれからどんな目に遭うとも知らずに、ベックマンは眠りこけている。
頼むから、支度が終わるまで目ェ覚ますなよ!
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唐突に目が覚め、ゆるく頭を振る。ポケットの懐中時計を取り出して、時間を確認。―――17時過ぎ。5時間ほど眠っていたことになる。昨晩・一昨晩と、ほとんど眠らなかったことを考えれば当然ともいえるが、予定起床時間を大幅にオーバーしてしまったのに変わりはない。
目覚ましをかけたつもりだったが、無意識に止めてしまったのだろうか。あまり考えられないことではあるけれども。
水差しから直接水を飲んで口の中をすっきりさせると、すっかり体も起きたようだ。
船長が何事かやらかしていないかだけが気がかりだが、その始末も含めて、処理速度を上げればなんてことはないだろう。今日は普通に眠れるはずだ。
夕食までの時間にすべきことを考えながら、部屋を出た。
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広いとはいえ所詮は船の中。決して逃げ切れるわけがないのだ。
特に。
マジギレした副船長が捜索者である以上は……。
副船長が午睡から目を覚まして15分。
船内は異様な緊迫感に包まれていた。緊迫感というか…約一名が発する怒りのオーラに飲み込まれていたというか。
「リック、お頭見なかったか」
海賊旗と同じマークの帽子をかぶった幹部は、イタズラをとがめられた子供のようにビクリとしながら全力で首を左右に振った。
「な、何時間か前に副船長の居所を聞かれて以来、見てないッスッ」
どもりながらも答えられたのはさすがに幹部と言うべきか。だがベンは彼らの内心など一向に意に介さない。
「そうか」
短く答えてきびすを返す。その後姿を…笑ってしまったらきっと、命はないのだろう。
(…どこに隠れやがった…)
広いといっても、船という閉ざされた空間の中。そうそう何日も逃げおおせるわけがない。
船員を恐惶に陥れている原因の隠れ場所に心当たりがないわけではなかったが、今回に限ってそれらのどこにもいなかった。こうなれば片っ端からくまなく船内を捜索するしかないだろう。
腹をくくって、改めて捜索を開始した。
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捜索から40分が経過。怒れる男、ベン・ベックマンはようやく、犯人をその手で見つけ出した。
呆れたことに、犯人は食糧の貯蔵庫で居眠りをしていた。勿論、ベンの怒りは倍増である。こめかみの血管がうっすら浮き上がって見えるのは、決して気のせいではあるまい。
仁王立ちで腕組をしたまま、すぅっと息を吸い込んで、
「起きろ!!!!このクソ頭ァ!!!!!!」
船のどこにいても聞こえるほどの大音量。見事な腹筋の使い方だ。
怒鳴り起こされた方は呑気なもので、「うおっ?」と言って目が覚めたかと思うと、もごもごと何か言いながら目をこすっている。
「…探したぜ、お頭…」
肉食獣の威嚇より危険をはらんだ声に、呑気なシャンクスといえど、危険を察知したらしい。と、同時に、貯蔵庫に隠れていたそもそもの理由も思い出したようだ。
特大の呼び声でオレは目を覚ました。
目をこすりながら小さく欠伸をして目を開ける…と、すさまじい怒気のオーラに気付いた。そろそろと目線を上げると、こめかみに血管を浮かせたベックが立っていた。
(あ…やべ…)
思ったところで後の祭り。閉鎖空間で逃げられないのは承知している。遅かれ早かれ見つかるのは運命…とはいえ、ここは開き直るしかない。
「…よォ…」
憤怒の形相は無表情の仮面で緩和されているかと思いきや、倍増されている。…けど、外見とのギャップでこれほど笑い出したい状況もなかなかない。無論爆笑などしたら、その場で半殺しの目にあうてのは先刻承知だからできっこねェ。でもけっこう傑作なんだぜ?
ベックの腰ほどまである黒髪はもともと天然でゆるいウェーブがかかっていたが……今では、ウェーブどころか…某テニスマンガのお蝶夫人もかくやとばかりの、見事な縦ロールが巻かれている(もちろん巻いたのはオレだ)。普段首の後ろで束ねているところにはキッチリと、白のレースと刺繍が施された可愛らしいピンクのリボンが結わえて。こういう、何の役にも立たなさそうなことにおいて、オレってばホントに手先が器用なんだよな。
異様といえば異様なのかもしれねェ。
なにしろ身長2mはあり、筋肉隆々たる巨躯の持ち主にレース付リボン(ピンク)と縦ロール。
…見方によっちゃあけっこうカワイイと思うんだけどなァ…。
(…笑いてェ…けど、笑ったら殺される…)
ある意味限界への挑戦だな。それでもブルブルと震える肩は押さえられないオレを前に、仁王は怒りのオーラを振り撒きながら口を開いた。
「…何か言うことはねェのか」
おそらく、これが生け捕りにされた敵船や海軍の人間であるならば、この言葉だけで震え上がって自白したかもしれない。だが、オレはこの期に及んでもオレだった。百人が百人、目をそらすであろうベックの珍奇なナリを上から下までじっくり見て(もちろん笑いをこらえながら)、
「………よく似合ってるじゃん」
「……ほぉ…言うことはそれだけか…?」
低い声は猛禽類の威嚇に似ていたが、そんなもんに怯むオレじゃねェ。にっこり笑い返してやろう。
「けっこう可愛いぜ?」
「―――よく言った」
ニヤリと笑った壮絶な笑顔。
その時のベックの表情を、オレは生涯忘れることはないだろう。ベックのこの笑みに比べれば般若の方がまだ美人と言える。そしてさらに山姥も裸足で逃げ出すような笑みを浮かべたまま、
「…今の言葉…忘れるなよ…」
獅子も尻尾を巻いて逃げるような声音で言い捨て、くるりと踵を返してその場を去っていった。
「おりょ…」
肩透かしを食ったのはオレの方だ。
もっと派手に喧嘩にでもなるかと思ったのに。あるいはもっと激しく怒り出すかと思ったのに。これはちょっと、予想外の反応。
「…………」
ま、いっか。
怒られないに越したことはないし。諦めが早くなったのか?ま、なんにせよ、今回のイタズラも成功ってことだ♪
鼻歌を歌うほどの機嫌で、オレも奴に続いて貯蔵庫を後にした。
…でも今思えば、この時とっとと謝まっちまえばよかったんだよなァ…。気付かなかったのは不覚だった。…ん?何にって?
ベックがマジギレしていたこと…。
数日後。
四つの海に名高い「赤髪海賊団」。
その頭目は王下七武海の一角であるジュラキュール・ミホークと張るほどの実力の持ち主だとか。無論配下の連中の士気は高いに違いない………はずだった。つい数日前までは。
「おかしら…頼むから、副船長のアレをなんとかしてくれ!」
げっそりと面やつれしたヤソップの言葉は、怒っているというより懇願に近かった。
そりゃそうだろう。
今や天下の赤髪海賊団は、恐怖のどん底…あるいは地獄で獄卒にいたぶられているかのような恐怖で満ち満ちているのだから。そんな地獄を作り出した張本人たるオレに何とかして欲しいというのは当然の要求といえる。泣きが入っているのはそこまで精神的にも追い詰められている、というところか。
「…なんとかしてくれって言われたってよォ…」
「お頭のせいだろうが!ホンットになんとかしてくれ!このままじゃあ、ウチは自滅するぜ?!」
「…………」
「わかってんだろう?!自分の船を自分で守るのも船長の勤めだろ!」
というより「テメエのケツはテメエで拭え」だ。巻き添えを食らう船員はいい面の皮だろ!と狙撃手は言う。
ハッキリ言って迷惑なんだよ、とまで言われて、赤髪の船長は渋い顔をいっそう渋くさせた。…わぁってんだよ、ンなこたァ…。
「お頭が船員の誰で遊ぼうとかまやしねェさ。けどなァ、遊んだことによって船全体に悪い影響が出るんなら、オトシマエはキッチリつけなきゃならねーだろ!」
コイツなんだかベックの口調とかうつってやがる、とか思いながら爪を噛む。
ヤソップの言葉が正しいことは充分に理解している。…なにしろオレだってもダメージを受けているひとりだ。
このままだと真剣にマズイことも自覚済み。この士気の低さでどこかの海賊団や海軍とやりあうことになったら、負けないまでも大ダメージを受けることは間違いないと思う。
「わぁってんだろ、あんたも!一両日中に頼むぜ?おれは葬式みてェな食堂で飯は食いたくねェからな!!」
「…そりゃそうだな…」
ぼそりと呟いた言葉が聞こえたかどうか知らないが、ヤソップは言うだけ言って部屋から出て行った。
扉を睨みながら、溜息を吐く。
ヤソップの他にもすでに数名から直訴は来ている。医療班長であるドクトル・ギィからもこの日1番に怒鳴り込まれた。
(…そんなにオレが悪いのか?……アイツだって大人気ねェよな…絶対…根が暗いっつーか…)
怒るなら素直に怒れつーの!あっちのがよっぽどコドモっぽいじゃねェかよ!などとブツブツ呟きながら、がしがしがしと頭をかきむしる。
遊びだったのに、と思うと悔しい。遊びでやったことをなんで謝らなきゃならねェんだ。そもそもドアに鍵をかけてりゃこんなことにはならなかっただろ?だったらヤツのせいでもあるんじゃねェか?…理不尽な気がする。とても。
わかってる。わかってるよ。誰に何を言われるまでも無く、オレがなんとかしなきゃならねェってのは。
でもよ…でも、一言言わせてくれ。
「いくらマジギレだからって、5日も髪をロールしたまんまにしてんじゃねェよバカ副ゥッ!!!!!!!」
オレの声は虚しく船室に響いた。
ヤツの機嫌が回復されるかどうかは、神のみぞ知る、だ!!!コンチキショウめ!!!!!!!