中空にあった月が手の平5つ分ほどの距離を西へ傾く頃になって、ゲストを迎えた宴はようやく終盤を迎えようとしていた。
「っは―――、さすがに飲みすぎちまったかなァ」
主賓の横でずっと喋りながら飲み倒していた赤髪は、首から上を真っ赤に染めて脚を投げ出し、ついでにジョッキも投げ出した。
ずるずると地面に座り込み、椅子代わりにしていた朽ちた木の幹を背もたれにするのかと思えば、恐れも躊躇いもなく主賓の足にもたれかかる。自分の足を背もたれ代わりにされた主賓はその事については何の感慨もないらしいが、何がおかしくなったのか、フッと微笑った。
「あれだけ飲んで酔わぬとあれば、人ではあるまい」
「そうかもなァ。でも、お前なんかチッとも酔ってねェみたいじゃねェか」
「生憎おれは貴様と違って顔に表れぬだけで、充分酔っている」
「ホントかよー。嘘くせェ」
笑いながらフラフラと立ち上がる。
仲間の方に向かって、酔いを覚ましてくるから適当に解散しておけ、というようなことを言って、また客を振り返る。
「鷹の目ェ。お前も一緒に来る?」
邪気のない笑顔の下に隠れる他意を読み取れぬほど酔っているミホークではない。表情を変えずに遠慮する、と短く答え、ジョッキの麦酒をあおった。
「貴様のあてつけにいちいち付き合ってやるほど、おれは悪趣味な人間ではない」
「言ってくれるじゃねェの。オレは悪趣味な人間かァ?」
「時と場合によって…いや、違うな。あの男が絡んでいる時に限ってはいつも、だ」
「…ホント…言ってくれるなァ…」
「間違ってはいまい」
「…どうかな」
ニタリ、と口を三日月の形に歪める。その笑顔の禍々しさを、どう表現すればいいのだろう。
多分、とミホークは頭の片隅で思考する。洩らしかけた溜息は飲み込んだ。
多分この男はこんな笑い方を仲間の前でして見せた事はないだろう。こんな獲物を嬲る猛禽類のような、捕食者のような笑い方。自分とあの男の前以外では、見せた事がないのではないか。
それがどういう意味をもつのか、考えたくもない。…悪魔に魅入られた人間の気持ちは、まさにこんなものではなかろうか。
笑うシャンクスに悟られぬよう、今度は本当に溜息した。
「気付かぬと思っているのか。貴様がおれに絡む時は決まって、あの男が貴様を窺っている時ではないか」
「なァんだ。それも気付いてた?」
今度は悪さを見咎められた子供のように口を尖らす。くるくるくるくる表情が変わるのは、本当に子供と同じだが、確信犯なだけ、子供よりタチが悪い。
浜辺でのキスとて同じこと。二人の間に何があったのかは知らないが…とまた溜息して、
「…心の底からあの男に同情する」
「大剣豪様に同情されるたァ、アイツも出世したもんだな。…でも、同情なんかいらねェって、さっきも言っただろ?」
今のアイツの立場だって、アイツが好きで居るんだから、他の誰も気にしてやる事なんかねェんだよ。気遣ってやる必要なんざこれっぽっちもねェ。
不遜な態度で言い切るのは、あの男が自分から離れない自信でもあるのか。
いや違う。ミホークは己の思考を否定した。
あの男が離れない自信があるのではない。この男が、あの男を離すつもりがないのだ。端から。
それはまるで籠の中の鳥をいたぶろうとする猫。巣に生け捕られた蝶を殺さずに嬲る蜘蛛。契約者の心を弄ぶ悪魔。
近頃の巷間ではこの男を"赤い死神"などと言ったりもするようだが、死神というよりは悪魔と形容した方が似合いだ。死神のように一思いに魂を攫ってしまうような優しさを、この男は持ち合わせてはいないだろうから。
思っていると、赤い悪魔は悪魔らしい蠱惑的な笑みで笑ってみせる。
「お前も、あんまり考えすぎんなよ?オレは結構シンプルな人間だぜ?」
そうして「じゃあな」と手を振って茂みの中へ消えていく。―――その前に、一瞬だけ、獲物に視線を送ったように感じたが、気付かないフリをした。