月惑

「…よし。じゃ、これで解散。あとは、座敷で騒いでるだろうヒラの連中の士気を高めておいてくれ」
 赤髪の言葉に幹部一同は頷き、一礼してから立ちあがる。言われずとも、皆そうするつもりだった。
「ベン。ちょっと残れ」
 黒髪の長身に一声かける。
 頭のその一言さえ幹部の予想の内。だから贔屓とさえ思わない。それに、彼が贔屓されるに足る働きをしていることは組の者なら誰しもが知っていること。プラス、彼は頭――組長のお守り役だった。



 数人の幹部が去った後、残ったのは上等の闇色のスーツに身を包んだ、人並はずれた長身。
 向かい合わせに座りなおし、居ずまいを正す。
 足音が聞こえなくなるまで、二人とも一言も発しない。

 無音。

 庭にしつらえたししおどしが、何度か乾いた音を打った。
 灯台の火が、小さく音を立てたのが聞こえた。

 やがて沈黙を破ったのは、赤髪。
「……オマエは、複雑だろうな」
 ぽつりと呟いた言葉に、黒髪が静かに首を振る。
「…先ほども言いましたが…覚悟の上、ですよ。そうでなければ、俺はあそこを捨ててここには来なかった」
「……けどよ…」
「似合いませんよ、後悔なんて。…俺を気遣う必要もない。少なくとも――俺に関することであなたが悔やむことなど、何一つない。
 選んだのは俺です。あなたはただ、道を指し示したくれただけ」
 くすりと微笑する黒髪の視線を、まぶしそうに受けた。
「………この3年、何も悔やまなかったか?」
「当然。俺が選んだ道ですから」
「…そうか…」
 ス、っと立ちあがり、閉めていた障子を開け放つ。

 枯れ山水の上に輝く、赫い月ひとつ。

 明日がもし何もない平穏な日だとわかっていても、空を見上げれば何とはなしに不安になったかもしれない。何もないとは言い切れない月。…色。


 月は人の神経に作用するという。
 潮の満ち干だけではない。
 犯罪率が上がったり、出産率が上がったり。
 西洋では昔、月の光を浴びることを特に忌んだとか。
 それは月が”魔”に結びつくものだったからであり…無意識にも月の、神経への作用をわかっていたから、かもしれない。狼男も、月光で変化するのではなかったか? 魔女も、満月の夜にサバトを開くのではなかったか。
 月に狂わされるとはよく言ったものだ。





 緋色の着物と、赫い月。紅の髪。




 冷え、冴えた空気が部屋の中を撫でていく。

「…いい月だ。今夜におあつらえだな」
「寒くはないのですか」
「涼しくて丁度いい。それにこんないい月、見ねぇと損だ」
 左の袖が夜気に揺れているのは、おそらく袖を抜いて衣の合わせから顎を撫でているせいだろう。
「……そういや、鳳儀亭の女将がボヤいてたぜ」
「…何を」
 唐突過ぎる話に、思わず面食らう。


 ”鳳儀亭”は、赤髪以下幹部がよく出入りする料亭。独自のセキュリティは饗される料理以上に評判が高く(というと女将は怒るのだが)、政府の要人や各界の著名人、また赤髪の同業者もよく通っていて、一種の中立地帯になっているという、ある意味とんでもない料亭のことだ。
 もちろん黒髪も、数度ならず鳳儀亭には行ったことがある。だいたいいつも赤髪の伴で、だったが。


 話が突飛過ぎるのは慣れているのだが、いかんせん不意打ちだった。
 赤髪はおかしそうに話を続ける。
「”いくら口説いても、赤髪さんとこの副長さんはアタシにちっともなびいてくれやしない、他所にどんなイイヒトがいるのかしら”、ってな」
「………………」
 口調まで女将を真似られて、黒髪は渋面する。その顔を面白いものを見るように眺めて、
「無愛想なクセに、女にモテるよな〜、オマエってさ。強面なのにな」
「…あなたも充分モテてると思いますが?」
「みんなミーハーみたいなモンだろ。マジ惚れしてくれるような女、いねぇよ。
 まァ、めんどくせぇからいらねぇけどな? オマエ以外は」
 微笑いながら寄って来て―――黒服の胡座の上に、当然のように横座る。精悍な横顔に軽くキス。袖を抜いていた左腕を伸ばして黒髪を撫でれば、緋色の着物がそのままはだけ、肌があらわになる。
「…しようぜ」
 予想通りの言葉に、また黒髪は苦い顔。
「……明日は出入りでしょう」
「わぁってる」
 言いながら、黒髪のスーツのボタンをはずしていく。その手に、黒髪は制止させるように己の手を重ねた。
「いつもの出入りとは、訳が違うでしょう?」
「知ってるだろ。出入り前は眠れねぇんだよ…カラダが興奮してて。ガキみてぇだけどさ。…ヤんのには丁度イイだろ」
「……あなたという人は…」
 溜息混じりに呟いた口を、自分の口唇でふさぐ。
「うっさい。つきあえ。…組長命令だ」
 常ならぬ表情で笑まれ、諦めの溜息を短くつく。

(…敵わないな、このヒトには…本当に…)

 いつも自分を振りまわすヒト。
 それを嫌だと思ったことは一度もない。―――初めて出会った、4年前のあの日から、ずっと。
 だから3年前に誘われた時も……悩みなど、しなかった。
 言われた言葉はまだ覚えている。


「こいよ。オマエはあんなオッサンの下で甘んじてるような男じゃないだろ? そりゃあオレの組はオッサンの組に比べりゃちっちゃなモンだけどさ。けど、オッサンのトコにいるよりずっとイイコトあるぜ?」
「……なんだ?」
「退屈しねェ。いや、させねェ」
 そう言ってニヤリと笑った赤髪の顔は、今でもはっきりと覚えている。


(…たしかに、退屈はしなかった)

 何しろ組に入った瞬間から「副長」だ。これにはさすがに呆れたが、それ以上に、組の者が反発しないことにもっと呆れさせられた。…むしろ、「熱烈歓迎」の雰囲気だった。
 後でわかったことだが、この組では「副長イコール組長の世話係」であり、組長は人の3倍も4倍も世話がかかるタイプの人間なので、誰も副長をやりたがらなかったらしい。

(………実際ホントに世話のかかる人だけどな)

 朝の起床から夜は就寝まで。幼子のように手がかかる。
 低血圧の気があるらしく、寝起きはボーっとしているし、歯を磨かせればいつまでも磨いているし、ご飯を食べる時にはボロボロこぼすし、歩いていれば何もない所でつまづいたりしているし、酒を飲む時は限界を超えてまで飲んでへべれけになるし、絡んでくるし。
 タチが悪いったらないのだが………いちいち面倒を見てやる自分も自分か。
 内心の苦笑を表情にはまったく表さず、
「…了解」
 短く命令に答えてネクタイをはずし、シャツのボタンもはずしてやる。
 上着を脱ぎながら苦笑する男に、もう一度口唇を寄せる。自分から舌をさしだし、黒髪の口腔へ絡め、絡められる。歯列の裏を舌先で舐められ、口腔の上部を丹念になぞられ…思わずシャツを握りしめた。
「…なあ」
「はい」
「…、オマエが女作らない理由って…何」
「あなたと同じですよ」
 素肌を大きな手に撫でられ、小さく震える。
「ン…、なに…?」
「女はめんどくさい。…あなただけで充分、だ…」
「……他所で言ってんじゃァねぇだろうなァ…」
「疑うんですか」
「一般論、だ」
 クス、と黒髪が笑む。赤髪の耳元に口唇を寄せ……オスの顔を覗かせて。
「そんな下らないモノサシで、俺のことを測らないで欲しいな…シャンクス」
「ン…ッ」
 褥でしか呼ばれぬ名を耳元で艶を交えて囁かれ…そのまま内耳を侵す舌に感じる。
 大きな手が、横抱きしたままの着物の裾を割り、足首から付け根へと撫であがってゆく。条件反射のように、赤髪の体が小さくすくむ。
「寒くないか?」
 耳から首筋、はだけた胸元へと舌でたどりながら言う。
「これから熱く…なるだろ…」
 昼の間とは違う言葉遣い。それも体が熱くなる要因の1つ。
「障子が開いたままなんだがな…」
「いいじゃねえか…どうせ月しか、見てねぇ……細かいこと、気にすんなよ…」
 口唇をなぞる無骨な指をぺろりと舌先で舐めてから口に含む。

(出来れば月にも見せたくないんだがな…)

 己の独占欲の深さを自覚しつつ…霧散させるように咥えさせた指を動かす。眉をわずかに寄せながら、赤髪はそれに応えて舌を絡ませる。
「…誰かが見てたらどうするんだ?」
「あてられる、だけ…だろ…気にするのか…?」
 長い指を咥えながら器用に答える。
 耳元で黒髪が囁く。
「…あんたは…、」
「…?ッ、…」
 充分に濡らされた指を抜いて口を解放してやり、代わりに軽いキスをする。
「ほんとに、アカが似合うな」
 自分の体をまたがせて首に腕を回してやり、腰を浮かしてやる。
「髪が、あかいから…じゃ、ないのか…?」
「それを差し引いても似合ってるぜ? 特にこの着物なんか…」
「オマエがくれたやつだろ…、ッあ…ッ!!」
 狭く閉ざされたそこを…ゆっくりと押し広げられ、思わず広い肩にしがみつく。

 ―――はだけられた着物がやけに艶かしい。

 顔の横にある髪に口付けて、
「よく似合う…贈った甲斐があったってもんだ…」
「オマ…、脱がせたくて、コレくれたわけじゃ、ねぇだろ、な…」
「そんなことはないが…」
 内壁をなぞるように、二本の指が中を押し広げる。その感覚に堪えながら黒髪を睨む。
「……そのツラ見てたら、信用できねぇな…」
「細かいことは気にするな、だろ?…集中したらどうだ?」
「ッァ・ンっ…ッ!」
 やや強く突き上げられ、無防備になっていた前を緩く握られる。背中が跳ねて、肩を掴む手に力がこもる。
「敏感な反応だな…さすが出入り前なだけのことはある」
「ッカやろ…そう思うんなら、さっさと入れやがれ…っ」
 睨みながら、入れられるであろう黒髪の長槍をズボンの上から握る。
「俺としては、まだあんたのイイカオを見てたいんだがな…」
「我慢できるかっての…!」
 そのままジッパーを引き下ろし、すでに充分な硬度になりつつあるそれを取り出す。赤髪のその行動に苦笑する。だがあえて止めることはせず、代わりに口付ける。

 ―――明日、抗争地図は大幅に塗り替えられるだろう。
 そしていっそう大きな組へと成長するだろう。
 勝ち続けるから。
 組は拡大し続けるだろう。

「な、に…笑ってンだよ…」
 長槍を狭い入り口へと導き入れながら、黒髪を睨む。
「そんな目で睨まれても怖くないぜ、シャンクス?……あんたに誘われた時の言葉に嘘はなかったと、思ってただけだ」
「当然だろ…オレは、嘘…つかねェからな…ッ、バカ…動かす、なッ」
 腰を掴まれて、奥まで強引に突き入れられる。
「…あんた見てるのは、飽きねぇ」
「…、は…ッ、テメェに飽きられるようじゃあ、赤髪も…終わり、だな…!」
 挑むような眼で不敵に笑う。

(―――その眼)

 いつまでも見ていたい。
 この眼の見る先を、自分も共に―――いつまでも見ていられたら。

「…デカくなるこの組も…あんたも俺も、どうなるんだろうな…」
「……そんな心配、してやがったのか…?」

 安心しろ、と笑む。

「オマエらを退屈にさせたりは、しねぇよ…」




 見たいのは赤髪の指し示す未来だけ。組の行方は後についてくるはず。

















 ―――――赤髪だけを見失うな。



















 突き上げるたびに紅い髪が宙を舞う。
 その先に見えるのは赫い赫い丸い月。
 見下ろしている。
 見られている。


 ―――月はヒトを狂わせるという。
 その月はただの月ではないはずだ。
 ヒトを狂わせるのは……たとえば、こんな赫い月ではないか?
 アカによって狂わされるのではないか?


 狂わせるアカが夜気に乱れる。
 黒はそれを取りこめない。―――塗りつぶされていく。侵食されていく。
 自分でも気付かぬ想いはその身に直接打ちこんでいる。




 のけぞる喉。

 乱れる紅い髪。

 背中に張りつく闇色の髪。

 身を貫く激情。

 吐き出すのは欲望。









 月だけが覗き見る密やかな夜。
 騒乱を告げる陽が侵すまで…月は彼らを見下ろしつづけた。
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2444Hitのカレンさんに謹呈いたします。
リクエスト通りのものになりましたかどうか…
それはわかりませんが、やをいシーン前まではとても楽しく書かさせていただきましたv
とってもモエなリクエストをありがとうございますv

手直しするたびに、だんだん長くなっていくという困ったちゃんなSSでした(笑)。
静かな雰囲気を書きたかったんですが…あまり叶っていないような(泣)