酒と葉巻、男と男

 うまい酒とシガーを出す店がある。
 そんな噂を聴いてやってくるのはやはり愛好家ばかりで、彼らが自分の求めるものに対し口やかましくなるのは自明の理。店はそれに応えようとするので、自然、クオリティは高くなる。客にとってもありがたいことに違いない。大仰な宣伝などしていないにも関わらず、店が繁盛するのは店主の理念が客に認められているからだ。
 難点は、その店が一見の客には非常にわかりづらいところにあるということか。
 しかしそういった店を、噂を頼りに探すのもまた一興。足を運ぶ労を厭わなければ、それに見合ったものが饗される。
 赤髪海賊団の副船長もまた、そういった噂を伝ってその店を訪れた客の一人だった。何かと目立つ自船の船長とは、行動を別っている。
 店内はほどよく薄暗く、葉巻の香りがたちこめている。上品な客ばかりとは言いがたいが、各テーブルを埋めている男たちは――中には女も混ざっているようだが――大人しく酔っている。酒場の中でも客層は上等と言えるだろう。
 騒がしい酒場が嫌いというわけではないが、静かにグラスを傾ける時があっても良い。この店は美酒と葉巻に酔うには適している。
 テーブルはすべて埋まっており、ベックマンは仕方無しにカウンター席へ腰を下ろした。さりげなく傍にきたバーテンに、ラムトニックを注文する。まだ若いバーテンはかすかに頭を下げると、棚からハバナクラブと冷蔵庫からトニックウォーターを取り出し、ロンググラスにそれらを素早く注ぎ込む。手際は鮮やかで、文句のつけようはない。
 小皿に盛られたナッツと一緒に、慇懃な態度でラムトニックを置かれる。口をつけてみれば予想通り、ラムとトニックウォーターの割合は文句がつけられない。さりげなく置かれたシガーのメニューに目を通す。大衆向けはもちろん、稀少物もかなりの数が揃っているようだ。おそらく、メニューに載っていないシガーもあるだろう。
 顔を上げると、バーテンと目が合う。シグロ4と短く伝えると控えめに頷き、一度店の奥に引っ込んだ。もう一人いる年上のバーテンが、グラスを磨きながら店内にさりげなく目を配っている。
 すぐに若いバーテンが戻ってきた。灰皿とシグロ4を置くと、シガーカッターを添えてくれる。カッターはよく磨かれており、葉巻に当てても抵抗がない。燐寸で一度炙ってから火を点けると、独特の香りが鼻腔をくすぐる。甘味は強いが、ラムにはよく合った。
「エスプレンディードス」
 空いていた隣の席に、男が腰掛けながら言う。注文に、バーテンはすぐに応じた。再び店の奥へ引っ込む。その間に、年配のバーテンのほうへ「いつものを頼む」と告げた。どうやら常連らしい。ちらりと横目でその男を窺い、表情には出さずに驚いた。
 ジャケットに背負った「正義」の二文字。
 海軍の軍人。
 厭なところで出くわしたものだ。せっかく姦しい船長抜きで、寛いで酒と葉巻を味わえると思っていたのに。無粋この上ない。
 逃げるにしても、どう逃げるか。算段しかけたところで、若いバーテンが隣席の男へ葉巻と灰皿、シガーカッターを差し出す。年配のバーテンがグラスを差し出しながら口を開いた。
「スモーカーさん。わかっていらっしゃると思いますが、店内で大捕り物は勘弁してくださいよ」
 唇はほとんど動いていない上、囁くように喋っているので、よくよく注意しなければ聞き取れない。妙な喋り方をするバーテンだ。顔をちらりと窺ったが、気付いていないのか気にしていないのか、動じる気配もない。わずかに、同業者のような匂いを感じる。仮にも酒場を取り仕切っているのだから、もしかしたら過去に何かある男なのかもしれないが、いずれにせよ憶測の域を出ない。
 スモーカーと呼ばれた軍人は、苦い顔をした。
「わかってる。おれもこの店は気に入ってるんだ」
 そうして横目でベックマンに視線をくれると、「てめえは運がいい」と憎々しげに言葉を寄越してくれた。
 スモーカーという海兵のことを、どこかで聴いたことがあるような気がした。
「……どういうことだ?」
「この店がなくなると、美味い酒と葉巻が吸えなくなる」
「なるほど」
「でなけりゃ、海賊を目の前にとっ捕まえないわけがあるか」
 自分の楽しみが減るのは厭というわけか。わかりやすい理由だけに、気持ちはよくわかる。今度はベックマンが苦笑した。
「よほど海賊が嫌いなんだな」
「だから海軍にいるんだ」
「賞金稼ぎになるって道もあっただろうに」
「首吊りにしたほうが爽快だ」
 これは、よほどの海賊嫌いだ。長く海賊をやっていればそんな人間に出会うことも一度や二度ではない。海賊がそういうものだという自覚はあるので、気にしたことはない。
 とはいえ――
「……隣でそう威嚇されると、気になって仕方ないんだが」
 バーテン二人も、かすかにだが苦笑しているらしい。スモーカーにもそれはわかっているらしく、苦い表情をしていた。
「こっちも海賊が気になってるんだから、相子だ」
 ぶつぶつと口の中で文句を言い続けている。相当不満らしい。
「……思い出した」
 呟いたベックマンを、スモーカーが振り向く。唐突にこの男のことを誰から聴いたのか思い出してしまい、思わず口から漏れただけなのだが、スモーカーは納得するまい。ベックマンの心情を裏付けるかのように、隣の男は剣呑な視線をこちらに寄越している。
「あんたの話を聴いたことがある。悪魔の実の能力者で、相当強いってな。うちの船長が楽しそうに話してた」
「ここがこの店じゃなけりゃ、とっくに貴様も捕まえてる。――どこの海賊だ? いや……」
 どこかで見た顔だと、スモーカーの眉間の皺が深くなる。
 ベックマンの葉巻から灰が零れた。テーブルを汚しても、見向きもしない。
「どこの海賊だろうと、海賊は海賊。だろう?」
 空けたグラスの底で、軽くテーブルを叩く。ラムトニックが再び素早くベックマンの前に置かれ、空のグラスはさりげなく片付けられた。隣の海軍は表情を険しくしたまま、シガーをふかしている。
「確かに。後でとっ捕まえるのに、不足があるわけでもねぇ」
 どうせなら酒と葉巻を味わえば良いものを、損な性分をしているらしい――昔の己のように。
「人生、楽しめよ」
 どうせ一度きりなのだから、楽しみ尽くさねば損だ。そんな理論をかつてベックマンへ呈してくれたのは自船の船長だった。今では同意できる。
 とはいえ隣席の男の堅さが理解できないわけでもない。さて、どうするか。
 思案に暮れかけた時、スモーカーは己が率いる艦隊が壊滅したような不機嫌な声で「思い出した」と呟いた。
「貴様、『赤髪』の副船長だな」
「覚えてもらって光栄だな、『白猟』のスモーカー」
 喉の奥で笑うと、スモーカーは忌々しそうに舌打ちした。手で犬を追い払うようにしてみせる。
「さっさとおれの前から失せろ」
「宗旨替えか? どうした」
「好き好んで宗旨替えしたわけじゃねぇ。『赤髪』に手を出すと後で厄介だと思い出した」
「そりゃ光栄だ、と言っていいものかな」
 旨そうに飲むベックマンとは対照的に、スモーカーは苦虫を十匹ほど噛み潰したようだ。せめて気持ちを落ち着けようと、葉巻をゆっくり吸っているのがわかる。「そういえば、」
「てめえは何でおれのことを知ってやがった」
 普通、一介の海兵の名や顔など知らぬもの。それを二つ名ばかりか本名まで呼んでみせた。スモーカーの疑惑はもっともである。しかし、ベックマンのほうに種明かしをする義理はない。
 教えてやろうかと思ったのは、ニュースソースとの繋がりが気になったからである。若いバーテンに今度はテキーラを頼むと、葉巻に再び火を点けた。
「エースが教えてくれた」
 直後、隣でなんとも言いがたい音があがった。その後にはスモーカーがまるで溺れたかのように咳をし、噎せている。
「……大丈夫か」
「か、海賊に……心配される覚えは……」
 途切れ途切れでも強がりを言えるうちは大丈夫か。とはいえ喉を懸命に宥めている姿はあまり他人に見せたい姿でもないだろう。ベックマンはそ知らぬ顔で出されたテキーラを流し込んだ。
「……火拳が、なんでおれのことを教えるんだ」
 ようやく息を整え、バーボンを注文した後で問うてくる。
「偶然だ。だいぶ前に遭ってな。その時に『白猟のスモーカー』の話をたっぷり聞かせてくれたってわけだ。うちのお頭も、あんたのことは知ってたみたいだしな」
「…………」
「あれに気に入られたんじゃあ、あんたも大変だな」
「海賊に同情されたかねぇよ」
 眉間の皺をますます深め、バーボンを水のように飲む。ベックマンは小さく笑い、立ち上がった。葉巻は吸い終わり、グラスは空になっている。
 小さな布袋に入れた金を、そのままバーテンへ投げ渡した。
「あんたのために、早めに退散するよ。充分味わってくれ」
「二度とおれの前に現れるな」
「保証しかねる」
 何しろ頭が気紛れでね。
 うそぶくと、スモーカーが振り返った。険はやや薄らいでいる。
「……あの男の副船長か」
 実直な海兵は今更そんなことをしみじみ言って寄越すと、何故か同情めいた視線まで浴びた気がした。気付かぬふりで踵を返す。
 確かに相容れぬ相手から同情されるのはいい気分がしない。あの男に以前遭った時、何をしたのかを具体的に船長に聞いてみるのもいいかもしれない。彼が覚えているかどうかは、わからないが。
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19000hitは三里さんでした。
リクは「副船長とスモーカー大佐が、とある街で偶然出会ったら?」デシタ。
当初、二人に愚痴らせ合わせるかとも思ったんですが。
結局こんな感じに仕上げました。
年単位でお待たせしてしまって、本当にすいませんでした。
リクエスト、ありがとうございました!