色濃い色恋

 出港時刻間際に帰ってきた船長がバタバタと接渡橋を駆け上がってくる。
 まァたお頭迷子になりかかったんでしょう、と船員に軽口を叩かれるのに違ェよ、人懐っこい猫をかまってたんだよ!と言い返し、笑いながら甲板に上がる。ざっと見渡した限り、船員はみな揃っているように見えた。
「よッ、皆いるかァ?!」
「アンタァ来るまでに全員揃っちまってるぜ」
 軽い調子で返したのは狙撃手のヤソップ。
「ん、皆優秀優秀♪」
「優秀じゃねェのは船長だけってか?」
「テメェ、ヤソップ!簀巻きにするぞ!」
 軽口を叩いて笑いあいながら右手を上げて「出航!」というと、全員から「アイサー!」と返ってきて、それぞれが持ち場へと散る。どの船員も一ヶ月ぶりの陸の生活をそれなりに楽しんだらしいことが、生き生きと動く様子からわかる。
 赤髪の船長はそれぞれに声をかけてから測量室に足を向けた。
 猫が室内の様子をうかがうように、顔だけ細く開けたドアの影から覗かせると、目的の人物がいるかどうか確認をとる。航海士のバルザックと…ガラのシャツを羽織った背中も広い男を発見。ターゲットを発見すると、船長はニヤリと笑う。
 彼は頑丈だけが取り柄の簡素な椅子に腰掛け、煙草をふかしながら新聞か何かを読んでいるようだった。背をこちらに向けているので表情まではわからないが、きっといつもの穏やかな表情をしているに違いない。
 こちらに気付いたバルザックに手振りで「黙ってろ!」と命じて、そぉっと扉を開ける。
 ベックマン、と名を呼んで近寄ろうとした足がピタリと止まった。
 歩き出そうとした微妙な姿勢から5秒、妙な気配を察した男が何事かと振り返る。目が合った船長は、まるで親の仇にでも遭ったような顔で副船長を睨みつけている。
「?…どうした?何かあったのか?」
「…何かあったかどころじゃねェ…」
 大アリだ、と低く唸る赤髪の不機嫌の理由がわからず、賢明であるはずの副船長は小首をかしげた。
「俺が何かしたか?」
「…何かしたわけじゃねェけど…いや、したのか…したけどその後で何もしてねェからムカつく…」
「??…なんの話だ?」
「わかんねーならいい!」
 憮然と部屋を出て行く船長を、訳がわからぬまま見送る。
「お頭、えらく不機嫌でしたねぇ」
 のんびりした口調でバルザックが言う。彼はどんな火急の事態に陥ろうとも穏やかにマイペースを貫いているので、時と場合によって周りはイラつかされることもあるのだが、そんな時でも全員つられて和んでしまうという、一種の特殊技能をもった男だった。
 バルザックのそんな和みオーラにあてられたのか、副船長たるベンはこの問題に関して深く考えず、
「まァ、すぐに気分も変わるだろう」
 なにしろ船長の気の変わりようといったら、猫の目より変化がめまぐるしいのだから。
 バルザックも頷いて、ふたりはそれぞれ海図と新聞に視線を戻した。



 猿も木から落ちる。
 河童の川流れ。
 弘法も筆の誤り。


 先人の言の明たるや、恐れ入るばかり。

 そう、この日ばかりはお頭専属の猿回し―――否、舵取り名人の副船長も、お頭の気分を読み違えたのだった。
 もっとも、そんなことをいちいち心配する船員は誰一人としていない。そんなことを心配するくらいなら、明日の朝食に無事ありつけるかの方を心配するだろう。つまりは全員が「結局副船長がなんとかするさ」ということを、彼らは経験上よくよく知っていたからだ。



 戦闘並に激しい夕食の後。
 ベンは港で買い込んだ本の1冊を読んでいた。数ページ読み進んだところで、ノックもなしにドアを開けた無礼者に目を向ける。
 無礼者が入ってきたドアは廊下と室内を隔てているドアではなく、隣室と行き来できるように作られたドアだった。隣室は船長室。その部屋の主はむっすりと不機嫌なままベンに近寄ってくる。風呂上がりらしく、彼の髪が濡れて深い色になっているのに気がついた。
「お頭。アンタまだ機嫌悪いのか?」
「……シャワー浴びたか」
「…は?」
 シャンクスの発言の意図が汲み取れず反射的に聞き返したベンに対し、彼は海図を壁に張り付けている装飾のない小振りのナイフを引き抜くと、それを突きつけて同じことを聞いた。
「今日船に帰ってから、シャワー浴びたかって聞いたんだ」
 抑揚のない、乾いた声音。
 睨む深海色の双眸の中に明らかな苛立ちと怒り、そしてそれ以上の嫌悪の感情を読み取って、さて今の発言にどんな意図があるのかと少しの間考え、ようやく心当たりらしきものを探り当てた。

 仲間になった当初、シャンクスが自分にいった言葉。

 それを思い出して―――泰然自若の副船長ともあろう者が、体を折り曲げてとっさの爆笑をこらえた。それでも肩がふるえるのはどうしようもなかったが…勿論、シャンクスの苛立ちはそれを見て倍増する一方である。
「テメエ…ベックマン!何笑ってやがるッ」
「いや…すまん。…いや、俺もアンタも今までえらく律儀だったと感心して…」
「……立て」
 怒気を押さえぬ声に命じられ、急いで笑いを収めながら立ち上がる。
 シャンクスとベンの身長差は約20cm。およそ頭ひとつ分低い頭領を見下ろし、何をするつもりなんだろうと黙ったまま見守る。と、先ほど自分に突きつけていたナイフを閃かせた!
 数瞬の間の後、口を開いたのはベン。
「……オイオイ、穏やかじゃねェなァ…」
 呑気に言い、苦笑する。
 ベンのシャツはちょうど×字に斬られていた。
 シャツの下の皮膚もわずかに斬られたらしく、細い血が滲んでいる。だがそれで済んだだけで僥倖というものだろう。シャンクスほどの技量を持った人間でなければ、皮膚どころか肉まで斬られていたに違いないのだから。
 ドスッと力任せにナイフを机に突き立てると、怒り冷めぬ様子の船長は破れたシャツごとベンを引き寄せて、"鬼神"の眼で、
「…さっさとその匂いを落としてこい!吐き気がする…ッ」
 言うと手でシャツを引きちぎり、本来の機能果たさぬ布キレへと変えた。
 ベンはシャンクスの眼が多分に翠が濃くなっているのに気付いた。そうして、その色を見ているうちにもうひとつ、忘れていたことを思い出す。
 チラリとナイフとシャンクスの距離を測ると、いきなり彼を抱きしめた。この反応はさすがに予測していなかったらしく、赤髪は黒髪の腕の中で暴れた。
「なッ、何しやがるッ!テメエ、刺すぞコラァッ!」
 巻き舌で脅しても、黒髪はどこ吹く風。
「そりゃ困るな」
 呟くように言うと、本当にナイフに手を伸ばしていたシャンクスの体を持ち上げて運び、広いとはいえないベッドに押し倒す。勿論押し倒された方は抗うに決まっていた。
 全力で抗う船長に対し、副船長は彼の膝の上に乗ることで両足の動きを封じ、先に己がつけた傷を爪を立てて更に広げようとする右手は左手でベッドに縫いとめる。本来利き手だった左手は今はないので封じる必要もない。
 シャンクスは自分と同じくらいの体格の人間と同じシチュエーションになった場合に関して、いかようにしてでも逃れる自信があったが、生憎と今自分を組み敷くこの男は自分より一回りほど体格が良かった。その上ウエイトにも差があった。過去にも何度か取っ組み合いの喧嘩をしたことがある経験上、これ以上の抵抗は無駄なものと諦め、男が気を抜いた一瞬を見逃さずノしてやろうと作戦を変更する。ただし、獰猛さは隠しようがなかった。隠す気もなかったのだろうが。
「テメェ…オレが何で本気で怒ってんのかわかってんのか?」
「勿論」
「ウソつけ。忘れてやがったクセによ」
「思い出したんだからいいだろう?」
「だったらさっさとシャワー浴びてこい。何のつもりかは知らねェが、オレの怒りを煽るだ………ッん…!」
 語尾を口付けで無理矢理中断させられる。
 万一にも唇や舌を噛み切られぬように右手で顎を固定され、深いキスに口内を侵される。逃げようにも男の愛撫は巧みで、顔を背けようにも顎を掴まれているので叶わず、時間をかけてゆっくりと蕩かされていく。
 怒りで高ぶっていた気が別の意味でも高ぶっていくのを自覚して、男の思うとおりになってたまるかと思う理性よりも先に体の力が抜けていく。そして敏感な上顎を舐められたときにはくぐもった鼻にかかる声を漏らしてしまった。
 シャンクスの抵抗が徐々になくなっていった頃、タイミングを見計らってようやく彼の口だけ解放した。
 熱い息を吐く彼は目許にうっすら涙を浮かべていたが―――その涙が悔しさによるものなのか快感によるものなのかは不明だが―――睨む眼勢だけは衰えていなかった。
「テ、メ…わァッて…ゃってんのか…?!」
「勿論」
「なッ…」
 しれっと答える男に絶句。
 "二の句が告げない"状態を実体験している赤髪に、男は更に言う。
「思い出した、と言ったろ?アンタは娼婦が好んで使う香水が嫌いで、船に戻ったら必ずシャワー浴びてその匂いを落とせと言っていた。
 …あの時もそれで怒ってたんだっけな、アンタ」
 ま、今日ほどじゃねェが、と言ってクスリと笑う。
 長いキスで疲れた口を動かす気になれないシャンクスは、眼だけで「だからどうした?ソレとコレと何の関係がある?」と言ってのける。それを察して、ベンは口の両端をつりあげて微笑し、形のいい耳へ薄い唇を寄せる。
「…そのすぐ後にヤッた時、アンタ滅茶苦茶に乱れたってコトは…忘れたか?」
 娼婦顔負けで、凄かったぜ?

 囁く男の笑みがかつてないほど凶悪なものに思えた。
 
 
『そのクソ甘ったりィ匂いは神経に障るんだよッ』
『アンタ…自分にもその匂いがついてるって自覚、あるか…?』
『だからオレはシャワー浴びただろうが!いーからとっとと流してきやがれ!そのタラシな匂いも一緒にな!』
『…タラシなら、アンタの方がよっぽどタラシだと思うがなァ…』
『何だとォ?!オレのどこがタラシだッ』
『海軍きってのエリート将校を堕としたタラシだろ、アンタは…』

 ―――それは今から十年以上前のこと。
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なゆさん、旧1651hit(ゴロ番)アリガトウゴザイマシタ!!
メッチャクチャ遅くなりましたがようやくお届けデス(汗)
(ご本人にはちょっと前にテキストで送り付けさせていただきました)
…ビリビリテイスト加えてのSSですが…どんなもんでしょう…

ちなみにお頭は副が女とヤルのは別にOKデス。
クソ甘ったるい香水が嫌いなだけ(笑)。
だから自分も娼館から帰ってきたら即行シャワー浴びてるでしょう。多分。