「…いい風だなァ…」
夕刻、人通りが途切れた港町をふたりでのんびりと歩く。海から吹いてくる風は柔らかく、暖かい。暖流のおかげかなと呟くと、多分そうだろうと返事が返ってきた。向かい風なのに後ろでベックマンが吸う煙草の香りがしたような気がしたのは、きっと気のせいだろう。
シャンクスは前方を見つめたまま少し微笑んだ。こんな気持ちになるのはめったにない。上機嫌、とはまた少し違う。けれど大切にしたい気持ち。背後のベックマンも同じ気持ちで煙草を吸っているだろうか。そうだといい。
「…腹は一杯だし。風はキモチイイし。イイなァ、こういうの」
しみじみ実感を込めて言うと、後ろの男が笑ったのが雰囲気で伝わってきた。笑う所か?と思わなくもないが、わざわざ自分から波風を立てる事もないだろう。何より、この穏やかな気持ちと空気を崩したくない。それにふたりきりで行動するのも久々な気がするので、貴重な時間を喧嘩に費やす事もあるまいと思い直す。
「………」
ふとあることを思い付いて、立ち止まって茜に染まって薄くたなびく雲を見つめた。無言で暫く見つめていると、さすがに不審に思ったのか、横に追い付いたベックマンが同じように雲を見上げて「どうした?」と聞いてきた。
「いや…今さ…」
照れくさそうに頬を人差し指で掻いて、頭ひとつ分ほど高い位置にあるベックマンの顔を見上げる。
「ちょっとだけ、幸せについて本気出して考えてみた」
そう言った後の、ベックマンの少し呆気にとられたような、頭の上にクエスチョンマァクを飛ばしたような不意を突かれた微妙な表情は、暫くの間ちょっと忘れられそうにないなと思った。
少し間をおいて、ごつごつした長い指が思い出したように煙草のフィルタを唇へと運ぶのをじっと見つめた。
「……いきなり、なんだそりゃあ?」
「いやあ…今までちょっと、幸せに対して失礼だったかなーなんて思ってみたんだよな」
「…例えばどんなあたりが?」
「どんな時でもそうだと思うんだけど、『時』っていうのは一瞬で過ぎるだろ?だからさ、まぁその一瞬一瞬が楽しければいいかなぁと思ってたんだけどさ、今、この時間を過ごしてて…ああ、こういう噛み締めるみたいにする方が、幸せっていうのをしみじみ感じられるのかな、その方が幸せって時間を大切にしてるのかなーって思ってみた」
「なるほど」
「…まぁ、船の上じゃあそんな余裕あるかどうかわかんないけどな」
笑いながらのシャンクスの言葉に、同じく笑いながら同意する。船上生活は、戦闘がない時でもある意味戦闘だ。それに団体生活で、ゆっくりしみじみする時間などなかなか持てはしない。ことに副船長であるベックマンは船長のおかげもあって何かと多忙なので、凪といえども安息の時はなかなか得られない。
「どんな時間の過ごし方でも、誰に対しても、大切にするってのは千差万別だからな…別に今のやり方を変えなくてもいいと思うが?まぁ、たまにならいいかもな」
「じゃ、たまにしみじみすることにしよう」
ベックマンの言葉に満足そうに頷き、青紫に変わっていく空を見つめる。そんなシャンクスの横顔を、紫煙の向こうからそっと見つめる。はてさて、この人はこの言葉をいつまで覚えているだろうか。頭の隅で思ったが、自分が覚えていればいいかと思い直し、微苦笑した。
やれやれ、自分はこの人にえらく甘い。それが嫌だと思わない辺り、かなり終わっている。そんな自分も最近では嫌いではないなと更に苦笑して、左手に持ったままのシャンクスのマントをいつ彼にかけてやろうかとタイミングを計っていた。