下村と叶がねぐらへ戻ると、青っぽいライトが点いた水槽がリビングで迎えてくれる。水槽は両手で抱えられるほどの大きさだが、中をひらひら泳いでいるのは片手で数えられるほどの数の金魚。水藻がポンプから送られる酸素に揺れる。
優雅に長い尾びれをひらひらさせている無口な生き物とお喋りな男の組み合わせは、税所のうちこそ奇異に思えたが幾つか仕事を手伝ううちに相応しいのだろうと思うようになった。少なくとも下村は、仕事を終えて戻った時に彼女たちを見ると安堵する。
叶は無言のまま餌をまいてやったらしい。金魚たちがにわかに活発に動く。下村はいつも座る位置、ローテーブルとソファの間に座り込んだ。板張りの床はひんやりとしている。
薄暗い部屋は無言であっても無音ではない。水槽のポンプ音、冷蔵庫の低いモーター音が聞こえる。機械が立てる音はやはり無機質で冷ややかだと思う。嫌いではない。
下村の傍らに脚を投げ出すようにして叶がソファに座る。
明かりも点けない部屋でしばらく二人とも黙っていた。こんな時に叶が何を考えているのか、下村は知らない。訊いたこともなかった。ひょっとすると仕事を反芻しているのかもしれない。だが言葉すら邪魔なものに思える今この部屋で、そんなことを問うのも愚かだろう。
音も立てずに時を刻むデジタル時計は、真夜中を示している。仕事が終了し、街に動きもない間は叶の表稼業である探偵を手伝うことになっているが、こちらの仕事は専属依頼者の宇野が案件を持ち込んでこない限りは暇だろう。ビルに事務所を出していても看板は事務所のドアにあるだけで、ビルの外には出してもいないのだ。こんなふざけた探偵の元へは、たとえ浮気調査であろうとも依頼人はやってこない。
そういうことを踏まえて「ゆっくり休もう」とブラディ・ドールで言ったのだが、はたしてゆっくり休めるだろうか。急速は束の間であろうとも必要であるはずなのだが。
デジタル時計の時が変わる頃、叶が立ち上がった。そのままリビングを玄関のほうへと行くのは、シャワーを浴びるか眠るかするのだろう。その背を見送った後で、下村は目を閉じた。
酒を飲んで得ていた体の熱と高揚は今やなりを潜め、ヘドロのように底に溜まっただるさを感じる。ゆっくり眠ればこのだるさも取れるだろう。そうしたら街をぶらぶら歩くのも良いし、本屋やレコード屋を巡り、購入した本を読みながらだらだらと過ごすのも良い。本を読み飽きたらレナへ行き、美味いコーヒーを飲む。夜はブラディ・ドールで飲むか、都合がつけば坂井や桜内と飲むのも悪くない。
仕事はまたどんなものだろうとやってくる。それまではせいぜいのんびりするが良いのだ。
下村が眠る場所はたいてい床かソファ、あるいは寝室の客用布団だ。叶の家に客用布団が用意されていることには驚かされたが、坂井か桜内、あるいは両者が叶の部屋で飲んだ場合、そのまま寝入ってしまうことも多いらしく、いわば必要に迫られて購入したようなものだったらしい。今ではすっかり下村専用の布団だ。
寝室にはやはり明かりは点いていない。唯一の光源は叶の右手にあったが、あまりに小さく彼の顔すら輪郭を明瞭にはしない。
叶はヘッドボードにもたれ、寝室に入ったはいいが突っ立ったままの下村に視線をくれているようだった。小さな明かりが移動し、消える。遮光カーテンを引いた部屋はシガリロの明かりを失い真っ暗になった。視覚を奪われるとその他の感覚が鋭敏になるらしい。皮膚に、圧倒的とは言わないまでも力を持った視線だけを感じ、それに吸い寄せられるように下村はベッドへ歩み寄る。義手をはめていない左腕を取られ、叶の上へ倒れこみかけて右手をベッドへついて堪える。
スウェットの裾から掌が滑り込み、素肌を撫でられる。腹筋や脇腹、腰骨を撫でる手に肌が粟立つ。ぐるりと天地が入れ替わり、下村は仰向いて叶と対峙するが、そこにどんな表情があるのかわからない。
叶にしては乱暴な所作で下村のスウェットを剥ぎ取ると、床に落とす。
胸に口付けられたのを感じた。左側だ。脇に近い位置を強く吸われ、痛みを覚える。叶はいつも、そこ以外に痕を残さない。他の場所も吸われるし、時には噛まれもするが、翌日あるいはそれ以降も残るような痕は、いつも心臓に近いそこにしか残されなかった。
付ける位置に意味があるのかどうか知らないが、シャツを着てしまえば見えなくなるので、下村は文句を言ったことはない。
かたい掌が肌の上を滑る。舌と唇が胸から鎖骨、首筋と上がってきて耳を舐ぶる。輪郭を舐められ噛まれて舌を差し入れられる間にも、叶の手は巧みに下村の肌を這い、いつのまにか下肢も全て曝けていた。
体を裏返され、膝を立たされる。後孔に濡れた感触。思わず力が入るが、それを見越していたかのようなタイミングで性器を扱かれ、かすれた声が息とともに漏れる。性急な追い上げに体はほとんど上り詰め、堪えることすら許されぬ手管で射精させられる。
下村の体から力が抜けると、後孔の周囲を弄っていた指が入れられ、ゆっくりと慣らされていく。
中の感じるところばかりを集中的に責められ、衝動のままシーツを指で掻く。増やされた指はきつかったが、徐々に楽になっていた。その頃には意識なく誘うように腰が揺れ、意味のない声が唇から零れていた。
叶の指が再び下村の性器に絡む。不意打ちにびくりと体が震えた。後ろを弄るのとは反対に、優しく緩くしか与えられない快感に我慢がならない。
ひどく淫らな言葉を吐いたのは、はたして現実だろうか。叶が笑った気配。内部をことさら広げるようにして指が抜かれると、背にのしかかってくる。先ほどまで指を入れられていたあたりを、彼の性器が触れた。うなじに暖かで柔らかく、濡れた感触。そのまま首筋を這い上がり、耳の後ろを軽く吸われた。
まだ入れられていない。ただでさえ性器への刺激はぬるい。それがもどかしくて振り返ろうとすると、耳を噛まれて首を竦ませてしまった。
「下村……」
呼ばれ、続けて囁かれた卑猥な言葉に羞恥を呼び起こされる。反射的に否定しようとしたが、慣らされたところに入れられ、息を呑んだ。半分ほどまで入れられると、叶の指は彼を銜えこんだ周りに触れる。撫で回され、また声が漏れた。下村の性器を弄る手は憎らしいほど焦らしてくれている。
このままでは頭がどうにかなりそうだ。早くいかせて欲しい。
「おかしくなればいいだろう」
俺は多分とっくにおかしくなってるさ。
台詞の割に声音は落ち着いて聞こえる。不意に奥まで突かれ、体は逃げかけた。叶は腰を掴んで阻むと、スライドを激しくさせる。それでも絶頂はすぐには与えられず、下村は突かれ、弄られるがままに喘ぐしかできない。長い快楽は苦痛にも似て、声は悲鳴混じりだったはずだ。泣いて懇願したようにも思う。しかし聞き入れられるはずがなかった。
ようやく吐精できた時には叶の腰の上に跨っていた。いつの間に体位を変えられたのか、下村にはわからない。素肌を撫でる掌が心地好い。
「大丈夫か?」
「え?」
「気を失ってたぞ。ほんの少しの間だが」
「……誰のせいだと?」
「だから大丈夫かって訊いたんだ。減らず口を叩けるなら、まだ大丈夫だな」
下村が危機を感じ浮かせかけた腰を叶は引き寄せた。入れられていたままの叶の性器が一番奥を突く衝動に、下村は叶の肩に爪を立てて抗議した。
「叶さん……ッ」
「まだだ」
腰を撫でられ、乳頭を舐められる。
冗談ではない。あんなのを何度もすれば、明日は起き上がれもせず声も出なくなるだろう。怠いまま一日を過ごすのは御免だった。
せめて上体を離してやろうと手を突っ張らせたが、足を抱えられ下から突き上げられてしまうと無駄な努力にしかならない。それでも大人しくされるがままは癪だったので、せめてもの意趣返しにと背中に強く爪を立ててやった。数日、シャワーを浴びるたびに染みれば良いのだ。これくらいは報いとしては軽いだろう。