その謎を追え

 江神さんとの待ち合わせは、十二時に駅前の本屋。テスト期間の合間を縫っての逢瀬――実際はそんな情緒があるものではないあたりが寂しいが――は、三日後が提出期限のレポートを書くにあたっての参考文献を江神さんが貸してくれることになったからだ。
 そうでなければ、土曜日までわざわざ京都、それも大学近くまで出て来ようとは思わなかったに違いない。
 もっとも僕は、約束の相手が江神さんであるというだけで、一も二も無く来てしまいそうだけれど。そんな自分はきっと、傍から見たらおかしいのかもしれない。――実際その通りだと自覚はあるので他からは突っ込まれたくない所だ。
 改札を出ると真っ直ぐに本屋を目指す。十二時にはほんのちょっと早いけれど、江神さんはきっといるはず。
 いつも通り、文庫のコーナーで新作のミステリを吟味しているだろうか。
 そんなことを考えながら店内を見回しかけた所で、後ろから肩をぽんと叩かれた。
「思うたより早かったなあ」
 驚いて振り向くと誰あろう、江神さん本人だった。
「え、江神さん……」
「なんや? 鳩が豆鉄砲食ろうたみたいな顔をして。昼は食べたんか?」
「あ、まだです」
「そしたらまず、腹ごしらえしよか」
 せっかく入ったばかりの本屋からすぐに出ると、江神さんは「カレー屋でええか?」と歩きながら聞いてくる。特に異存はなかったので了解すると、江神さんと並んで歩く。
 待たせんかったみたいで良かったとの呟きはかすかではあったが、僕は聞き逃さなかった。
「何かあったんですか?」
 江神さんはたいてい待ち合わせの時間より早くに来ていて、待ち合わせ場所が本屋であろうとなかろうと、相手が来るまでは本を読みながら時間を潰しているのが常だ。少なくとも、僕やEMCの面子で集まる時にはたいていそうしている。場所は、学生会館やリラ、江神さんの自宅である下宿が主だけれど。
 僕の問いに、江神さんはすぐには答えてくれなかった。隣を歩いていて、声が届かなかったとは考え難い。そう思いながらもう一度問うと、苦笑したようだった。
「ん。ちょっとな」
 明確な答えをくれなかったので、僕は想像を逞しくしながら質問責めをしようと決めた。普段、時間には結構きっちりしている江神さんの、ちょっとしたミステリ。そう思うといっそう知りたくなってしまう。
「もしかして寝坊ですか?」
「違う」
「大家さんに呼び止められたとか」
「違う」
「……早朝バイトの残業?」
「違う。……なんや? 質問責めやな」
 江神さんは笑うが、僕としては好奇心半分、真面目半分だ。
「珍しいことですから、原因を知りたいと思うんは人情でしょう」
「ミステリやあるまいし」
「僕にとってはミステリです」
 大真面目に答えたつもりだが、江神さんには笑いを取ってしまった。非常に不本意だ――というのが表情に出てしまったのか、江神さんはすぐに笑いを収めて軽く頭を撫でてくれた。
「制限時間は、うちに着くまでやで?」
 ちょっとしたミステリと制限時間。
 絶対に解いてやろうと決意し、僕は大きく頷いた。
 
 
 
 
 山勘で当てるのは、ミステリには相応しくない。解くならやはり論理的に、ロジカルに解かなければ、EMCの面目が立たない。……と思う。
 などと思いながら、昼食のカレーを食べている間に質問という名の尋問を行い、江神さんから最低限と思われる情報を得た。

 1.寝坊はしなかった。
 2.大家さんに呼び止められたわけではない。(一度捕まると、話が長いらしい)
 3.早朝バイトの残業があったわけではない。
 4.江神さんが起きたのは十時半である。
 5.支度にかかる時間はだいたい三十分くらいである。(過去何度か江神さん宅に泊まらせてもらった時の感覚や、江神さんの自己申告による)
 6.部屋を出たのは十一時十五分である。駅までは二十分強。

 以上の証言の中、気になるのは――最後の6、だ。
 待ち合わせ時間に間に合うように家を出たにもかかわらず、実際は十二時ほぼちょうど、僕と同じタイミングで本屋に現れた。
 江神さんの証言が全て事実だとするなら、家から駅までの道程で何か起こり、そのせいで時間がかかって普段より遅くなった――ということになる。
 謎はこれで一応解けたが、根本の謎が解けていない。
 駅までの間に、何が起きたのだろう?
「謎を次々に見つける才能があるな、アリス」
 江神さんが行きに来た道を辿って彼の下宿へと向かう、その足取りは遅い。僕が何か手がかりはないかと、狭い道の隅々を見て歩いているからだ。
「あ。小さな謎を次々と解いていく才能、て言うてくださいよ」
「ものは言いようやな……」
 解けん謎も次々見つけるやろ、と揶揄する声に含まれる笑いは優しい。たしかに解けない謎も多いが――その多くは下らない日常の疑問だ――、中には自力で解いて、それが合っていたものだってあるのだ。たとえば……マンホールの蓋は何故丸いのか、とか。江神さんに言えばいっそう笑われるのはわかっているので、僕は手がかり探しに集中することにした。
 しかし――蟻すら見逃さない僕の観察眼をもってしても、見事に何も見付からなかった。
「…………対象がモノやなくてヒトやったら、いつまでも同じ所におるわけがないか……」
 江神さんの下宿まであと少し、というところで、僕は溜息を吐いた。近くでは電柱に貼ってあった何かの紙を剥がしている少年が目に入る。
「お。もう降参か?」
 一見優しげでにこやかな微笑を、キッと睨み返す。しかしタイムリミットまでは、すぐそこだ。ダメモトを承知で、思ったことを口にした。
「…………拾った財布を交番に届けてた、とか……」
「ハズレや」
 やっぱり。当てずっぽうで言っても、当たるわけがなかった。がくりと肩を落とす僕の背をぽんと叩き、江神さんは言う。「でも、」
「方向性としては間違ってなかったで?」
「! 江神さん! それ、どういう……」
 しかし答えても更なるヒントもくれず、笑って下宿へと行ってしまう。タイムリミットは部屋に入るまででええですか、と食い下がったが、つれなく「あかん」と返されてしまった。
 方向性が間違っていないのなら、時間さえあれば解けそうな気がするのに……。
 亀の歩みで時間を稼ぐ手も頭を掠めたが、男らしくなさ過ぎる。ここは大人しく敗北を認め、解答を教えてもらうまで拝み倒すことにしよう。
 諦め、アパートの敷地に入ると、江神さんは階段の手前で大家さんに捕まっていた。大矢さんの隣では、女のヒトが江神さんに頭を下げている。三十代半ばくらいの、優しそうな女性だった。
「本当に、ありがとうございました」
「いや、こちらこそどうもご丁寧に……」
 初めて見る女の人だ。親しくしているわけではなさそうだが……一体どういう人なのだろう?
 僕は関係無さそうなので、とりあえず三人から距離をおき、様子を見ていたが、どうやら江神さんはあの女性に何か感謝をされるようなことをしたのだ、ということだけはすぐにわかった。
 何をしたのだろう? もしかしてそれが「事件」だろうか?
 質問したくてうずうずしている自分を抑えながら女性をよくよく見れば、足元に鳥篭を置いている。中には一羽、鮮やかな色をしたインコが澄まし顔で止まり木にいた。
 もしかして……?
 猛烈な勢いで、僕の中にある仮説が組み立てられていく。あともう少し、裏付けが取れれば完璧なのだけれど。
 考えたところで、僕の横を少年が駆けて行った。その後姿に「おや?」と思う。記憶に間違いがなければ、今の少年は、先ほど電柱に貼った紙を剥がしていた彼だ。多分間違いない。手にその紙らしきものを持っている。
 少年はまっすぐ女性の横に行くと(おそらく母親なのだろう)、江神さんを見上げて、少し神妙そうな表情を作ってから、ぺこりとお辞儀をした。そうして、僕の推理を裏付ける一言を言ってくれる。
「お兄さん、ピーちゃんを見付けてくれてありがとう」
 ああ、やはりそうだった。
 江神さんは笑いながら「今度は逃がさんようにな?」と言って、自分よりだいぶ小さな少年の頭を優しく撫でていた。
 
 
 
 
「言うてくれても良かったんやないですか?」
「うん?」
 母子を見送った後は二人して大家さんに捕まり、しばらく話相手をしていた。解放されたのは先ほどで、約三十分は捕まっていただろうか? ようやく江神さんの部屋に落ち着いてから、僕のために資料用の本を出してくれている江神さんをちらりと見た。
「迷い鳥見付けて、遅うなった、て。言えへんようなことやないでしょう」
「遅うなった言うても、待ち合わせ時間ぴったりに着いたし……アリスも待たんかったやろ?」
 むしろ声をかけられたことで、江神さんを探す手間も省けたくらいだ。それはたしかにそうなのだが。
「……そう、子供みたいな顔でむくれて睨まんとき」
 くすくすと笑いながら、ぽんぽんと頭を撫でてくれる。そんなつもりはなかったのだが、そう言われると江神さんを見つめる僕の顔は、ますます子供っぽいような気がして、思わず顔を背けてしまった。
 ――これではいっそう子供っぽい。
 後悔したが、江神さんの手は更に優しくなり、僕の頭を撫でてくれた。
「好きやろ?」
 目的語のない問いに、ちらりと視線を向ける。それだけで僕が何を言いたいのかわかったのだろう、悪戯っ子のような笑いを浮かべたまま、言葉を足してくれた。
「謎」
「…………」
 つまり。
 謎が好きな僕のために、わざと謎めいた言動をしてくれた、と。――そういうわけなのだろうか? だとしたら。
「……むっちゃ人が悪いと思います、江神さん」
「お。そんな可愛いないこと言うンヤッタラ、モチから回ってきた新刊のミステリ回すんは止しとこか」
「そういうんは、大人気ないと思います……」
 敵わんなあアリスには、と声を上げて笑う江神さんに、「敵わんのはこっちです」と内心で返しながら、不貞腐れたポーズだけはしばらく崩さなかった。
 少なくとも、江神さんがレポートのポイントを教えてくれるまでは。