成都城はいつも騒がしかったが、その日はことに騒がしかった。
わたしこと馬岱が推測するに、五割はいつもの騒がしさ。三割は蜀平定後、はじめて成都城に入城する将軍たちをもてなす準備であわただしいのであり、残りの二割は、
「岱ッ、この衣は少し地味ではないか!? 鎧だけが浮いていないか!?」
朝っぱらからず――っとやかましい、我が従兄上――馬孟起のせいだと、確信する。
朝、めずらしく自分から起きてきたかと思えば、朝食をとってから三時間、ず――――っと、衣装を選んで。
さらに昼食と前後して今までの四時間、やれこの衣にこの鎧は引き立たぬの、このひたたれでは派手すぎるのと。
なんのかんのとわたしまでまきこんで、ず―――っと、天地をひっくり返したような大騒ぎ。
おかげでわたしは少々寝不足だった。
「大丈夫ですよ、従兄上。鎧も衣によく似合っております」
寝不足の「ね」の字も見せないケナゲなわたしを、誰か誉めてほしい。だって、いちばん誉めてほしい人は今、有頂天の絶頂だから…。…無理もないけど…ああ、複雑な心境。これって、一種の「嫉妬」というヤツだろうか?
わたしの内心の葛藤に気付きもしない従兄上は、テンションが高い。
「そうか!?」
「ああ…でも、黒地に金糸で刺繍した戦袍を着られるのでしたら、帯はその群青ではなく、緋色のほうがいいと思いますけど」
「そうか! 岱、礼を言うぞ!」
いそいそと、わたしの言ったとおりに群青の帯を外し、椅子の背にかけていた緋色の帯を巻きなおす。
その姿は、わたしでなくとも「浮かれている」とわかる。身内のわたしが恥ずかしくなるほど、従兄上は浮かれておいでだ。
理由は――今日の、宴にある。正確には、宴の面子に。
溜息をついたとき、従兄上が上機嫌で振り返った。
「岱ッ、これでどうだ!?」
その姿はまさに豪華絢爛、煌々しい。
錦馬超の通り名は、伊達ではない。わたしから見ても溜息がでるほど、金糸や銀糸で派手をきわめた衣装と鎧が嫌味にならずによく似合っている。
戦袍の黒地には金糸で獅子を刺繍。鎧の肩あてには細かい彫り細工。胸あても肩あてと同じ真っ赤で、やはり金で模様が彫られている。普通の者なら、鎧や戦袍の派手さに負けてしまうのに、従兄上ときたら嫌味なく着こなしてしまっている。
「ケチのつけようがありませんよ、従兄上」
「そうか岱、おまえが言うのなら間違いはないな。朝っぱらからつきあわせてすまなかった。…で、刻限まであとどれくらいだ?」
「もうそろそろ…だと思います。先に、広間へ行っていてください」
「うむ。おまえも、遅れぬようにな」
鼻歌混じりに室をでていく従兄上は、本当にコドモみたいでかわいい。
めちゃくちゃ憧れてた人物にようやく会えるのだから、無理もないといえばそうなのだけれど。
とりあえず、さっさとここを片付けてしまうとしよう…。
「………………」
盗人がはいったような部屋を見て、思わずげんなりしてしまうわたしだった。
「かっこい―――…………」
憧れの人をみて、一言。ぽーっとしている従兄上の目は、すでに蕩けそうな状態だ。
従兄上の憧れの人――姓を趙、字を子龍という人は今、主公と軍師どのと何事かを話しておられる。年令は四十前後だったと聞いたような気がするが、とてもそんな年には見えない。
青を基調とした衣装と、銀の装飾を施した鎧がとてもよく似合う人だ。
「た、岱っ」
従兄上のあわてた声で、ふと我に返った。
「…どうしました、従兄上?」
「しっ、子龍どのがこちらに来られるッ」
え、と思うと、目の前にはふたりの人影。
さきほどまで主公の横にいたと思っていた諸葛軍師どのと子龍どのが立っている。
「子龍どの。こちらがさきほど言っていた、馬孟起どのです」
軍師が言うと、子龍どのはさわやかに微笑った。
間近に見る子龍どのは、わたしから見てもたしかにかっこいい。しかも年下であるわたしたちにも礼儀正しくていらっしゃる。
かっこよくて、機動力もあって、命令遂行能力も高くて、武力もある。人柄も、どうやら好い人のようだ。…まったく、うらやましい。
「初めまして。趙子龍と申します。孟起どののお噂は、ただいま主公と軍師どのと翼徳どのからおうかがいいたしました。なんでも、翼徳どのと何時間にも及ぶ一騎討ちをして、互角に渡り合ったとか…?」
「え、ええ。まあ…」
答える従兄上はしどろもどろ、顔は紅潮しまくりで耳まで真っ赤だ。緊張していると受け取ってもらえれば良いのだが。
その後も色々なこまごまとしたことを話して、子龍どのはさわやかにまた、別の方のところへ行かれた。子龍どのと話していても頭真っ白状態の従兄上は、そのあと誰に話かけられても心ここにあらずの状態で。わたしとしてはフォローがたいへんだった。
――それから数か月が一気に過ぎ去って。
疲れた調子の子龍どのとたまたま、人気のない北の庭で会った。
「…子龍どの。お久しぶりです」
「ああ…馬岱どの。お久しぶりです」
「…ずいぶん疲れていらっしゃるようですね。…原因の半分くらいは、うちの従兄上、ですか…」
「…………」
無言で苦笑していらっしゃる。まったく、従兄上ときたら…数ヵ月前のあの宴以来、ことあるごとに(なくても)子龍どのをおっかけ回しているのだ。武力バカの従兄上に、全力でぶつかられる子龍どののご苦労――災難。…わたしの想像を絶する。
更に子龍どのは従兄上の他にも、相手をしなくてはいけない御方がいらっしゃる。
子龍どのは苦笑に疲れた笑いをまぜた。
「…軍師どのの相手をするよりは、楽ですから」
「……そうでしたね…………」
そうなのだ。
子龍どのは本人の穏やかな性格に似合わず、厄介ごとに好かれる性格らしく。蜀の中でもっとも深くかかわりあいになりたくない人第一位(誰が投票―集計したのかは、互いの保身のために謎だ)の地位に輝いている諸葛孔明軍師に、いっちばん気に入られている人物であり、蜀でもっとも同情されている人物なのである(これも投票結果による)。
ホレられる理由はよくわかるのだが…相手が悪い、としか言い様がない。軍師どのはそれほど恐ろしいな人、なのだ。
もちろんわたしも例外ではなく、子龍どのにあらゆる意味から同情しまくりである。従兄上は、退くことを知らない人だからだ。
「今日はいったい、何事があったのですか?」
「…軍師どのと孟起どのの口論…のようなもの、と言えばよろしいのか…」
曖昧に言葉を濁されたが、わたしにはわかった。
「ああ…また従兄上が軍師どのに子龍どのに関する文句をつけて、軍師どのが言葉巧みにあしらわれた、と。そういうことですか?」
「………まあ……」
目は明後日の方角を見て、苦笑を浮かべていらっしゃる。
………やっぱり、か…………。従兄上…知力値百の軍師どのにケンカを売るとは、無謀にもほどがあります…。しかも今回は本人の目の前のようだ。…従兄上…あなたって人は……………。
わたしの苦労が減った分が、子龍どのへまわってしまったらしい。もっとも、わたしにも今までとは違う種類の苦労がふえたのだが…(いわゆる「気苦労」というヤツである)。
「…ご苦労をおかけいたします…」
「いえ、こちらこそ…岱どのが常識ある普通の方なので、つい愚痴をこぼしてしまいがちです」
「…………」
普通の方……ねえ…。なんとも、複雑な心境だ。だましているつもりはぜんぜん、ないんだけれど……。…すいません、子龍どの…。実はわたしもあまり普通の人でもないんですが…。…これは言わぬが花、というやつか…?
…ついつい苦笑してしまったわたしだが、子龍どのは苦笑の意味までは気付かなかったようだ。
「……………?」
――………おや?
ふと。遠くのほうで、だれかが大声を上げているような声が聞こえてきたような気がする。…誰かと言い争っているのだろうか?…それにしても……
「…なんだか、聞き慣れた声のような気が…」
「……馬岱どのにも聞こえたということは、末将の気のせい、というわけではないようですね…」
………そういった子龍将軍…眼が、この世を見ておられない………。勘がいいのもあんがい、困りものだったりするんですね…。
ご心中、深く深くお察し申し上げます……。
「…避難、しましょうか」
「いや…ここまで来たら、逃げても同じこと。覚悟を決めました」
さすが、長阪をただひとりで駆け抜けられた御方なだけのことはある。いざというときの肝の座り方はダテではない。主公が子龍どのに「全身是胆也」と言ったとか言わないとかいう噂があるけれど、きっとおっしゃったに違いない。
――従兄上の声が一秒ごとに近づいてくる。
子龍どのがちいさく、悲壮な溜息をつくのを、わたしは聞きのがさなかった。
…神様。
どうか子龍どのが早死にしませんように………。