大規模な戦中とはいえ、楽しみがなければ士気が下がるし、兵士の不満が溜まる。適度な娯楽というのはどんな緊迫した状況でも必ず要るものなのだ。油断しない程度には。―――というわけで、江東サイドの陣営では久々に宴会が開かれていた。この時ばかりは一般兵にも酒が振舞われる。
程よい酒は人間関係を潤滑にさせる。ふだん親しくない人と話せるのも、こういう機会であればこそ。
「そんでッスね! 程公ってばホントはスッゲ―――フツーに話しかけたいのにィ、それが出来ないからついつい怒鳴っちゃってんスよ〜〜〜」
孔明の右隣で上機嫌で話しているのは甘寧だった。少々絡み酒のケがあるらしい。が、不快なところまではいかない。この程度の絡み酒ならば、自軍の将軍で慣れている。
「照れ隠し…ですね」
「そォそォ! それそれ! も〜、皆、程公が公瑾どのに謝りたくてしょーがないってのわかってるんスけどね〜〜! 見てて笑えるッスよ、アレは!」
宴も半ばを過ぎ、どうやら人間関係大暴露大会に成り果てているらしかった。孔明の左隣で魯粛が苦笑している。
「興覇、本人がこっちニラんどるぞ。もちっと静かにせんか」
「いーじゃないッスか子敬どの! ホントのことなんだからァ。それより呑んでるンスかァ?」
「呑んどるわい。オマエが呑みすぎとるだけだ。孔明どのが呆れとるぞ」
「え―――――、ウッソだあ〜〜〜〜〜」
「…楽しませて頂いてますよ」
くすくすくす、と笑う。カラになった杯に陸遜が酒を注ぐ。
「孔明どのは強いですね、お酒。興覇どのと張るくらいは飲んでおられるのでは?」
「あいさつに来る連中全員の杯を返しとるもんなァ。…それにしては全ッ然、酔ってないように見えますな」
「遊学時代に友人連中に鍛えられましたから。こんなに呑むのは久方ぶりですけどね…どうやら今日はゆっくり休めそうですよ」
「俺はまだ、飲むぞ〜〜〜〜!!!」
「はいはいはいはい、この酔っ払いめが。お客人にまで絡むんじゃない。さっさと向こうにいくぞ」
「う〜〜〜!! 子明ィ!! 邪魔するなァ!!! 俺は孔明どのと呑むんだああああッ」
苦笑しながら、でも一礼だけをして、甘寧の襟元を引っつかみ、引きずって去って行く。それを見送ると、魯粛は溜息をついた。
「…あやつまで、とは絶対に言わんから、公瑾ももち―――っとハメをはずしてもよさそうなものじゃがなァ」
「先に周りが酔っ払うと酔えなくなるタチなのでは? 伯言どのも、そんな感じですが…」
わたしはあまり呑めないだけです、と陸遜は首を振る。
魯粛がまた溜息。
「公瑾は意識的に酔わぬようにしておる、とワシは見ておる」
「ほう? 自ら酒量を制限しておられる、と?」
「う――ん…公瑾が孔明どのほどのザルではない、という前提条件を踏まえてワシなりに考察するとじゃな、そういうことになるのじゃ。
多分…理性を失うのが怖いんじゃろうと思う。あやつは良い意味でも悪い意味でも、感情をオモテに出さんからな」
「そう言われれば…公瑾どのが本気で怒ったり、爆笑されたりするところ、見たことありません」
「昔はもっと感情をオモテに出していたものじゃが…まァ…仕方ないがの。
なまじいつも微笑しとるだけに、手におえん。
しっとるか? 人間は笑ったりせんと美容に悪いンじゃぞ。肌にも悪い!」
「子敬どの…そんな所まで気にされていたのですか?」
少し呆れたような陸遜の声。魯粛は恥じるどころか胸を張る。
「美人のことには常に気を配るのが周囲の役目じゃ。それにな、公瑾の場合、睡眠不足も絶対にあるはずじゃ」
「それはたしかに肌に悪いですね。体にも良くないですが」
「その通り! 飲みすぎも良くないがな、寝ないのも良くない! 戦場に来てからいっそう寝とらんぞ、アレは!」
「心配ですね、それはかなり。…倒れたりしなければよろしいのですが」
まあ、そんなヘマをするような人物には見えないが。…が、今の魯粛は珍しく興奮気味で、そこまで考えてはいないらしい。
孔明に詰め寄らんばかりの勢いで、
「そう! 困るんです! そこで孔明どのにお願いがあるんです!」
「はあ…なんでしょう」
勢いに押されかける。
「公瑾をゆっくり眠らせられるような妙計はありませんかな!?」
「…はあ?!」
とっぴな願いに、飲みかけていた酒を思わず吹き出しかける。
「…それはまた…突飛ですね」
「それだけ切実なんですわい」
酔っているみたいだが、眼は真剣そのものだ。
陸遜がたしなめる。
「でも子敬どの、そんないきなり言われても、孔明どのが困られるだけなのではありませんか?」
穏やかな声で言われて、少し冷静を取り戻したらしい。頭の後ろを掻きながら、照れたように笑う。
「やはり…そうよなあ…」
「……計が、ないわけではないのですが…」
「本当ですか?! どのような?!」
うなだれたかと思ったら、がばっと身を起こす。期待に満ちた視線が、孔明に刺さる。
「確かなことは言えないのですが…遊学時代に学んだことを応用すれば効果があるのではないかと考えたのです。
方法に関しては言えません。効果があるかどうかもわかりませんが…こればかりは試してみないことには、なんとも言えません」
「それはもう! ワシがいくらでも責任を持って機会を作りましょう!」
「ありがとうございます。他言無用で…その時には、完全に厳重な人払いをお願いいたしたいのですが」
「もっちろん! おまかせあれ!」
上機嫌で胸をたたき、
「では、そうと決まったならすぐにでも! 鉄は熱いうちに打て、と申しますからな! 孔明どのの準備がよろしければ、今夜にでも!」
豪快に笑う魯粛の横で、「…そのことわざはこの場合、用法が違うのでは…」とぼんやり考えている陸遜もまた、少しばかり酔っ払っていた。
だから。
誰も孔明の含み笑いに気付かなかった。
「…ッ、ン…、ッ…!」
無意識か否か、敷き布を強く握り締め、顔をそらす。…見られることを忌むように。
そらされた顔を、細めた目で見つめる。
周瑜の体が、薄紅に染まりつつある。――――そろそろ絶頂か。
「出そうなら、出していいのですよ。堪えないで…イッてください…?」
それでも周瑜はこらえようとする動きを見せる。
(…堪える方が辛いでしょうに…)
指と口で激しく攻めあげ、思考させる間を与えない。……そのために、しているのだから。
「ッ、ッ…! ン…ッ・ッ…、ァ…ッ!!」
弓なりに背をそらし、数度体を大きく震わせ…それでも声をあげるのを堪え、孔明に吐き出す。
ぐったりとした体は、呼吸のための息だけが荒い。
孔明は何も言わず、脇においていた布で自身の口周りや周瑜の体を拭ってやる。下衣を簡単に掻き合わせてやり、あとはそのままにして、榻牀の横にある卓に置いていた水差しから杯子に水を注ぎ、一気に飲み干す。
疲れたような様子は、その所作からは微塵も見えない。
一息ついてから、もう1つの杯子に周瑜の分も水を注ぎ、声をかけようとして振り返って―――止めた。
静かな、規則正しい寝息。
穏やかな表情。
―――既に寝入っているらしい。
様子を確かめてから、ようやく長い息をついて疲れた表情を見せる。
(…任務完了、って感じですねえ…)
単衣を手早くキレイに着させてやってから、自分の衣も(ほとんど乱れてはいなかったが)整えて幕舎を出る。
満天の星に向かって、大きく背伸び。
(―――やはり、クスリを使って正解でしたねえ…)
微かに催淫効果のある薬と、その数倍の眠りを促す薬を混ぜたものをほんの微量、盛った。
臥竜崗にまだ独身でいた頃、徐庶や石韜らと通った妓館のウラで扱っていた薬を、試用してみた。
副作用も起こらず、夢と現実の区別もつかない理想的なクスリ。
(……さすがにナニします、とは言えませんからねぇ…バレたら殺されるかもしれないな…)
肩をすくめて、口の端で笑う。
そんなコトにはならないという自信があった。
さて…子敬どのにはどのように報告しようか。
考えている頭上には無数の綺羅星と―――弓張り月。
江で冷やされた夜風が、孔明の袍を翻した。