ひとでなしの恋
彼女、おしろは今とても急いでいた。
今日は友達と食事の約束をしているのだ。早く行かねば、時間に遅れてしまう。
その友達の名は、という最近とても仲良くしてる女の子で、性格は良いし
とても可愛くて自慢の友達。
(まあ、私には少し負けるけど…)
など思いながら約束の時間ちょうどに彼女の家へ行くと ふあん と良い匂いが
漂ってきて、思わず小さなお腹が鳴る。
『ー』
呼びながら トコトコ いつもくつろいでいる居間へと向かうと、料理をしている
を見つけた。
「あら、いらっしゃい。ちょうど良かった、ご飯出来たとこよ」
こちらを見つけてニコリと笑ったその人は、おしろの目の前に好物を置いて、
優しく頭を撫でてくれる。
『やだ、!覚えててくれたの?すっごい嬉しい!!』
「ふふ、おいしそーでしょ?」
まだ準備が残っているのか台所へ戻ってしまったを待てず、そのご馳走に
かぶりつこうとした時、不意に他人の気配を感じて、おしろはすぐさま後ろを
振り返った。
『……?』
そこに居たのは見た事のない人間。
「何だァ?えらい別嬪さんがいるじゃねえか」
こちら見てにやりと笑っているその姿はとっても様になってて。
(威嚇しようと思ったのに、なんだか拍子抜け)
『ー。 誰?この色男サン』
とりあえず新たな来客を知らせようと声を上げれば、聞きつけたが、台所
から顔を出した。
「…晋さん?」
怪訝そうな声とともに。
「アア」
晋さん(多分)と言ヒトは、ぞんざいな返事をしてからおしろの側にどかりと
腰を下ろし、胡座をかいた足の上に肘を置いて早速キセルを取り出して寛いで
いる。
「いっつもイキナリなんだからー」
男を見た途端、彼女はそう言ったが、顔の方はとても嬉しそうに花が綻ぶよう
な笑みを作った。
***
それからが急いでもう一人前を用意して、ようやく夕食の準備を終え男の
向いに腰を下ろすともうすでにおしろは自分の分を食べ終えてしまったらしく
テーブルの下で毛繕いをしている。
その隣にはこちらを見ながら煙を燻らす高杉。
何とも言えず和やかな雰囲気に思わず笑みが浮かぶ。
「シロちゃん、おいで?」
呼ぶと一度はの膝にすり寄って来たが、その後は高杉の側へ行き、そこで
丸くなってしまった。
「薄情者ねぇ」
『、女は色男に弱いモノよ』
小さな友達に素っ気なくされて子供のように拗ねるに、珍しく機嫌が良い
らしい高杉が笑った。
それから人差し指を軽く曲げ、まるで猫でも呼ぶかのように チチチ と、小さく
舌を鳴らす。
「、お前もこっちに来い」
「むーっ」
その扱いが気に入らないらしく、不満げに睨みつけてくる大きな瞳が殊更 男を
楽しませていると知らない彼女は、さらに猫のようにふいとそっぽを向いた。
「構ってやるから」
その姿もまた可愛らしくて、男は宥めるようにそう言う。
「もうっ、私は猫じゃないの!」
笑いまじりだが穏やかな音色に負けたらしい高杉の愛してやまない美しい子猫
は、いつもより大きめの足音をたてておしろとは反対側の隣に来た。
「今夜は両手に花だな」
くくく。と、満足そうに笑う男の指が艶やかな髪を撫でる。
「そうよ!晋さんは贅沢者ねっ」
その言葉に、また笑い声が上がった。
***
「今日は暑かったから冷酒で良い?」
ムキになるから余計面白がられるのだと自分を落ち着けたは、言いながら
キンキン に冷えた酒を持ち上げた。
すると、当たり前とばかりに湯のみが突き出される。ちなみに、一応お猪口も
男の手の届く所に置いたのだが、あっさり黙殺されてしまっている。
「…飲み過ぎないでね」
一言付け加えて景気よく注ぐと喉が渇いていたのか、高杉は一気に飲み干して
しまった。
分かってはいたが、あまりの飲みっぷりには、咎めるように近くにあった
膝を ぺしん と叩く。
「晋さぁん?」
「アア?良いだろうが、ちょっとくれェ」
ギロリと剣呑な視線でもって酒を注ぎ足すように催促するが、少しも効かない
とばかりに、柔らかそうな頬を膨らませて睨み返してくる。
だが、男は常より幼く見えるその顔が気に入ったのか、満足気に唇の端を上げ
酒の所為でひんやりとした湯のみを膨れたそこにそっと押し当てた。
「。オメエが酌をしねぇと俺は自分のペースで飲んじまうぜ?」
普段の高杉を知る者がこの場に居たなら卒倒しそうなほどの甘い声。
だがしかし、それをこの世でただ一人独り占めしているは喜んでばかりも
いられぬようで、しぶしぶ湯のみを酒で充たした。
「お酒だけじゃなくて、おつまみも食べてよ?」
「アア…」
「身体に良くないんだからね。」と、言いたげなのまあるい頬を見つめ、
高杉はぞんざいに相打ちを打ちながら「こんなに面白くて可愛い【つまみ】が
あるのだから皿に乗った他の【つまみ】になんぞ箸が伸びるわけがない。」
などと彼女が知ったらきゃんきゃんと喚きだしそうな事を考えていたりする。
「なんか上手く誤魔化されたっぽいなあ…」
そんな善からぬ考えを動物的本能で察知したのか、怪しんで高杉を見つめるも
すました横顔は少しも崩れない。
諦めて自分も食事を始めようとすると、今夜は出番無しと思われたお猪口が、
急に差し出された。
「たまにゃあ晩酌に付き合え」
早く持て。と、言わんばかりに目の前で上下するそれを、返事をする間もない
ままに受け取ると今度は乱暴に酒が注がれる。
しばしの間 滅多にない男の行動に驚いていたのが、相手も柄ではない事は承知
しているらしく、顔を逸らされてしまった。
「ふふ、珍しーの」
「…るせェ」
そんな小さな事が嬉しくて、乾杯とばかりに器同士をぶつけ、柔らかく笑った
の頭を高杉が軽く小突く。
二人と一匹の穏やかな時間に、初夏の夜がゆるりと更けていった。
2008.06.15 ECLIPSE