12.
さらさらと風にそよぐ黒髪。
愛しくてたまらなくなったのはいつ頃からだろう。
「」
日が暮れ、戦場から戻った銀時は怪我人の手当が一段落したらしい看護士を
見つけその名を呼んだ。
振り返った女が自分の姿を見てはにかんだ笑みを浮かべる。
「銀時!おかえりなさい。…怪我は?」
「大したことねえ」
此処に来た時より少し伸びた後ろ髪がまたさらりと揺れた。
それだけで血に濡れて重いだけだった体がほんの少し軽くなった気がする。
救護所に新しく来たその女は、瞬く間に仲間たちに溶け込んで野郎が大半を
締める此処の人気者になった。
もちろん銀時(+3人)も例外ではなく、素朴だが周りを明るくする人柄と
あどけなさをほんの少し残した、かわいらしい笑顔の虜になっていた。
戦いの中に身を置くことで憎むべき世界への復讐だけを願っていた銀時とは
正反対にいる。
誰にでも優しく微笑み、傷だけでなく心まで癒していく。
このまま彼女を隣におけたらなにか一つでも許せるようになるのだろうか?
それはこれまでの自分を揺るがすような強烈な誘惑。
幸せだったあの日は決っして戻ってはこないが、あれに似た温かい気持ちを
また持てるようになるかもしれない。
だがしかし、侍たちの中でもっぱら噂になっているのは彼女の許嫁の存在。
どうも桂あたりはその相手の男を知っているらしいのだが、いくら脅しても
今回ばかりは頑として口を割らないのだ。
想いを伝えようにも、決まった男がいるのでは重荷にしかならないだろう。
親同士の決めた、望まぬ相手だったら良いのに。
と、何度都合の良いことを考えたことか。
だがの性格から言って、いくら親が決めたことだろうが納得をしなければ
承諾はしないだろう。
考えれば考えるほど結末は銀時にとって良くない方へと向かっていく。
「銀…血が出てる」
近くに寄ってきたがみるみる表情を曇らせた。
彼女に会う前に返り血を浴びた羽織や鎧は脱いであったが、それでも銀時の
身体は赤く染まっている。
最初のころは怖がられているのかとも思っていたが、どうやら仲間が怪我を
負って帰って来るのが耐えられないらしい。
若い…それも女だ。
たとえ看護士として働いていても、あたりまえのこと。
「ね、見るからしゃがんで」
鬼の姿に臆することなく、微笑む。
「今日も大暴れしちゃった?」
そんな笑った顔を見て安心する。
けれど、その無防備な笑顔に勘違いしそうになる自分がいるのも事実で。
そのうえ怪我の心配までされたら暴走もしたくなる。
目の前に立ち真っ直ぐこちらを見つめるの小柄な身体を抱きしめたくて
しょうがない両腕は、いまだ行き場もなく下ろされたまま、固く拳を握るしか
出来なくて…。
「舐めときゃ治る」
「なに言ってんの!そんなのだめ!」
ぶっきらぼうに言い放つ男を睨むように見上げていたは、握りしめられた
その拳を一回り小さい掌でつかんで必死に引く。
どやらここに座れという事らしい。
「……ハア」
その姿を黙って見ていた銀時から漏れるのはもちろん大きな溜息。
真剣な眼差しと暖かい掌に逆らえるわけもなく、ガリガリと乱暴に頭をかき
ながら、どさりとその場に腰を下ろした。
「ねえ、銀時」
「あん?」
銀時の傷の具合を確かめながら、が手早く薬を塗っていく。
俯くと彼女の長い睫毛が影をつくった。
表情が見えなくなってほんの少し残念に思うが、こちらが見つめていること
に気づかれることはないので都合がいい。
「…なるべく怪我しないで?」
いつも言われる其れは、何より一番の彼女の願い。
叶えてやれた事は殆どないが。
「…」
「わたし包帯巻くの下手だから」
くるくると、言葉とは裏腹に綺麗に巻かれていく包帯。
細い指はここへ来てから酷く荒れてしまって見てるこっちが痛々しい。
何もここでなくても、看護士は出来るだろうに。戦いを嫌う彼女にはきっと
普通の病院が向いている。
「…ああ」
暖かくなる前に親元に帰してやった方が良いのかもしれない。
待っている男がいるなら尚更。
「約束ね」
にこりと笑うその笑顔は今まで見たこともないくらい悲しい顔だったけれど
とても美しく思えた。
そして、それがまた銀時の心を揺るがせる。
…そう、本当はもうわかっている。
この戦いには勝利がない。
護りきれない大切な人たちを一人、また一人、と失っていくだけのこの先の
未来にはきっと誰もいないだろう。
だが広いこの国は無理でも、両手に持つこの刀が届く範囲なら可能な筈だ。
側において離さないか、手の届かない処に還すか。
たった二つの選択肢なのに、どちらも選ぶことが出来ないまま。
また、回り道をする。
「なあ、…もうすぐ暖かくなるなだろ?」
「うん?」
帰りたいなどと、この負けん気の強い女が言うとは思えない。
帰ってくれとも、この情けない唇からはどやっても出てきそうにない。
核心を突けない会話を取り留めもなく振りながら、彼女の心残りを取り除く
言葉を並べてみる。
「きっと戦いも今より少しは落ち着く筈だ」
しかし遠回しなその言い様をどう思ったのか、は楽しそうに笑った。
「じゃあ桜が咲いたらみんなでお弁当持って外で食べよ?」
思いもよらぬ言葉に固まった男の瞳に映るのは無邪気な笑顔。
「………」
戦いなら滅多なことでは負ける気がしない。
けれど、どうやっても勝てそうにない相手に出会ってしまった。
だから思わず首を縦に振ってしまっても仕方のないこと。
「そうだな…」
小さく呟く声には驚いたように顔を上げた。銀時が簡単に頷くとは思って
いなかったのだろう。
そんなに戦い以外のことには興味がないと思われているのだろうか?
苦々しく笑えば、途端に頬を染め小さく微笑む。
「嬉しー…」
その顔を見てしまえば、想いを捨てられない己をまた自覚する。
砕け散っても良いから出来れば同じように自分だけを見て欲しい。
誰かのモノだとしてもかまわないし、
彼女が此処に居ることを望んでいてくれるなら、何処にも帰さない。
なんて言ったら、コイツはどうするんだろうな。
歌にもならない陳腐な台詞に自嘲して、
「今日は勘弁してやる…」
と、己の気持ちにまた短い執行猶予をつける。
「なにが?」
「…なんでもねえ」
きょとんとした表情でこちらを見ている女の髪をそっと撫でた。
凍てついたこの胸に小さいけれど温かな炎をともした。
だから尚更諦めきれなくて、何とも前途多難な…
玉砕覚悟の身の上です。
…て、アレ?作文?
2007.03.10 ECLIPSE