7. 嫌われる
風呂上がりのビールは格別である。
良い気分のまま冷蔵庫からキンキンに冷えたそれを取り出した銀時は、歩きながらタブを引く。
タオルでガシガシと乱暴に頭を拭きながら缶を呷りつつ和室の前を通ると、今宵自分ともう一人が眠る筈の布団の上に座る二人が見えた。
膝を突き合わせて向かい合うその姿は、仲の良い姉妹にも母娘にも見えて、
数ヶ月前までは有り得ない光景に言い様のない感情が胸に湧く。
「あら、嫌われモノが出たわね」
しかしその声を聞いた途端、銀時の身体はすぐさま土下座の体制を取った。
理由がなんなのかは二の次だ。
声の主、自分の恋人であるに嫌われる様な事をした覚えは無いが、それでも日頃の己の行いに自信の無い男は思わず頭を床に擦り付ける。
「ナニしてんの? 銀時」
「や、すいません…?」
「銀ちゃんに嫌われる様な事したアルか?」
「してない。…と思う。…思います。………思いたいデス」
迷いもなく土下座した家主(一応)の立場の低さが伺える今日この頃。
「「…………」」
冷たい二つの視線が銀時に突き刺さった。
「…で? いったいなんなんだよ」
失態を取り繕うの早々と諦めた銀時は立ち上がらず四つん這いになって部屋に入り、布団の上の二人に近寄る。
「神楽ちゃんにニキビが出来ちゃったのよ」
ピンクの柔らかい前髪を、の細い指がそっとはらう。
後ろから覗き込んだ神楽の額に赤く存在を主張するボタンを見つけ、銀時はピンと軽く弾いた。
「フギャッ!?」
「オオ。お年頃ってやつだな」
からかいを含んだ口調で言いながらを見れば、優し気な視線が返る。
ほんの少し困ったような苦笑にも似た微笑みは、銀時のへの愛しさを増すばかりでこちらの方が困るではないか。
「銀ちゃん親父くさい!足と同じくらいくさいアルヨ!!」
しかし、膿んだ箇所を触られ、痛がった神楽が再び伸びた銀時の腕を避け、言葉で反撃に出ると、それどころではなくなった。
「うるせエエエェッ!!」
焦って足を隠す銀時にしてやったりと神楽が笑う。
「おまっ、の前でそういう事いうなや!誤解されるだろうが!」
「や、知ってるから」
しかし、ふいにかけられた言葉に、驚きとショックで勢い良く振り返れば、素知らぬ顔で救急箱をあさる恋人。
「…サーン?」
銀時のを呼ぶ声が寂しくも和室に響いた。
「さ、神楽ちゃん見せて、薬ぬったげるから」
「痛いから嫌ネ…」
さらりと銀時をかわし神楽を手招きしたが、触れられて痛み出したのかの手までも怖がるように額を両手で隠して近寄ってこない。
「この薬はしみないから大丈夫よ。…それに、痕が残ったら大変でしょ?せっかくかわいいのに」
「…うー」
余計な事をしてくれた。
と、はほんの少し銀時を恨みながらも、安心させるように微笑みながら薬を手に取った。
「そのままにしといたらバイ菌入っちゃうよ」
それでも動こうとしない神楽にこちらから近寄ると、またもやもじゃもじゃが乱入した。
「け、お前レベルならニキビ痕一つ増えた所でかわん…ぐはっ!!!」
デカくて口数の多いバイ菌だったが、それは神楽本人が一足先に退治した。
「銀ちゃんウルサイ」
「銀時は向こう行ってて」
「……」
女二人にバッサリと切られふてくされたように黙り込んだ銀時だったが、諦め悪く遠巻きにぶつぶつ呟き始める。
「俺は仲間はずれですか。蚊帳の外か。一人締めだしってか。…ああ、放置プレイですか!」
かまって欲しいだけの蚊は放っておいて神楽に目をやると、痛みには強い筈の少女がぎゅっと目をつぶってを待っている。
その姿におもわず笑みが溢れた。妹がいたらこんな感じなのだろうか?などと思ってから、初めて会った時に親子と間違われた事を思い出した。
『…できれば姉妹の方向でお願いしたいなあ』
誰にでもなく言い訳をしつつ額にかかる前髪を払おうと手を伸ばすと、銀時の手が先に伸びた。
「ンナ?」
子猫のように頭の上にある手を見上げる神楽と、その後ろから穏やかな目でこちらを見つめる銀時。
何でもないその光景に、言葉では言表せない温かなものが胸に広がる。
数ヶ月前まではこんな幸せな時間を過ごせるとは思ってもみなかった。
「?」
気づかぬうちに手が止まってしまったは、神楽の呼ぶ声に我に返り、慌てて薬を塗ってやる。
「あ…はい良いよ。オシマイ」
「……ありがとアル。…バイ菌も」
普段、勝ち気で勇ましい神楽がほんの少し照れたように礼を言った。
たぶん同じように感じているのだろう。
家族という存在に縁遠い者たちの集まりだから。
「……どこの仲良し家族ですか」
呆れた声が聞こえて入り口を見れば新八が立っている。
銀時の後に汗を流していた少年は風呂上がりのコーヒー牛乳を飲みながら、先ほどの銀時と同じように和室を覗き、どうもその微笑ましくもムズ痒い光景を目撃してしまったらしい。
「坂田さんファミリーですよォー?」
白々しくも言い放ち、の隣に移動した銀時の手が細い腰に伸びた。
新八を手招きするは気づかない様子でくすくすと笑っている。
「ねね、みんなで一緒に寝ようよー」
とっさに阻止しようとした新八だったが、可憐な唇からいきなり投下された爆弾に、彼だけでなく銀時と巻き込まれた神楽までもが固まった。
「「「………………ッ!?」」」
「…、お前なァ」
「ん?」
呆れたように呟く銀時を不思議そうに見つめるは、事態をまるでわかってないように首を傾げる。
ぐったりと華奢な肩に顔を埋める銀時と、いまだ不思議そうにとりあえずその頭をポンポンと叩く。そんなバカップルを尻目に激しい脱力感からなんとか立ち直った子供二人はすたすたと和室を出て行った。
「ヤーヨ」
「僕もう帰りますから」
「ええー?」
心底残念そうな声が後ろ髪を引っ張る。
「…まったく、恥ずかしい大人アル!」
「ほんとだよ。子離れ出来ない親ですかってんだ!」
まるで自分たちに言い聞かせるような口調になってしまっていた新八と神楽だったが、シンと静かになった後ろが気になり振り向いてみた。
「……」
そこにはじっと恨めし気にこちらを見つめる女が一人。
(と、どうでもよさそうに事態を静観する男)
新八と神楽にしてみれば、はお妙の紹介で偶然のように出逢った女性。
しかし、ふたを開けてみれば銀時の過去を知る数少ない存在で、しかも普段は何に対してもやる気ゼロ男の特別な存在だった。
一度は別れた事に(銀時は未だ認めていない)なっていたらしいが、あれよあれよという間に銀時は上手いことよりを戻してしまった。
いや、に「戻ってもらった」と、言った方が良いかもしれない。
それくらい普通の男には勿体無いような女性だったから、いつのまにか、新八も神楽もの事が大好きになっていた。
銀時は救いのないダメ侍だけれど、二人にとってはかけがえのない存在で、口には出さないが、本当は誰より信頼している。
だから、どんなに素敵な女性だとしても、彼女以外だったらきっと、蟠りを感じていたと思う。
けれど、そんな事を微塵も感じさせないくらい、二人で並び寄り添う姿はあまりにも自然だった。
家族ごっこのような馴れ合いはごめんだったが、こうして四人でいる事はムズ痒いが嫌いではない。
「…でもまあ、今度…暇だったら付き合ってあげても良いですけどね」
「…そうアルな。私たち優しい子供だからネ」
拗ねた子供のような表情に子供の方が折れてしまう。
「うん!」
その声に満面の笑みを浮かべたはパタパタと走り寄り二人に腕を絡めた。
それに最近は大きな声じゃ言えないが、実は秘かな楽しみがあって。
玄関に立った新八は振り返りながら、ちらりと目の前の女性に視線をやる。
「気をつけてね」
雨が降りそうだからと、傘を手渡し小さく手を振る。
「はい、じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい。新八くん、また明日」
この優しい笑顔で、また明日を言ってもらうのは嫌いじゃないから。
「おやすみなさい、神楽ちゃん」
押し入れの寝床に横になると布団をかけてポンポンと軽く叩くに、神楽はこくりと頷いた。
「おやすみなさいアル」
こうしておやすみなさいを言ってもらうのも嫌いじゃないから。
銀時の邪魔を出来ないのはちょっと癪だが、今日はこうして夜を過ごそう。など考えている二人だった。
「俺と二人きりじゃ嫌か」
和室に戻ったを、寝転がってジャンプを読んでいた銀時が見上げる。
「そうじゃないけど…」
困ったように笑いながら腰を下ろせば、布団の上を這ってきた銀時の頭がの膝に乗った。
「銀さんという素敵ングな恋人が目の前にいるってのに、さんはナニ母性本能剥き出しにしてんですかねぇ」
ジャンプで隠していて顔は見えないが、どうやら拗ねているらしい銀時がぶつぶつと呟いた。
「銀時の大切な家族なんだから、しょうがないでしょ?」
邪魔な本をどかして顔を覗き込めば、やはりその頬には「拗ねてます」とはっきり書いてある。
「私だって、可愛くて仕方ないのよ」
「可愛くねーよ。最近ますます生意気になってんじゃねーか。 かわいいかわいい言ってんのはお前だけだ」
あの二人もそうだが、この大きな子供も実は母性本能をくすぐる厄介な存在だから余計タチが悪い。
「俺の事も可愛がれよぉ。 特に下半身の辺り…グッ!?」
訂正。ちっともくすぐらない。
「恋人にセクハラはヤメテください」
強いて言うなら殺意がくすぐられた。
「ばーか、お前ェ。恋人以外にセクハラしたら犯罪だろうが」
「恋人でも犯罪な気がするケド?」
「つーか、セクハラじゃねえ。愛のあるスキンシップだ!」
「…ほんとに、口だけは達者なんだから」
と言いつつ、米神をグリグリしていた手の力が緩んでしまう。
かわりに柔らかい猫っ毛の銀髪をそっと撫でれば、妙に色気のある瞳がじっと見上げてきた。
「まあいいさ。お前は気が済むまであいつらを可愛がってりゃ良い」
そっと頬に伸びた掌が、弱い耳と心をくすぐって、操られるように頭を下げてしまっていた。
「でも、を寝床で可愛がれるのは俺だけの特権だからな」
至近距離で見つめ合ったまま囁かれた言葉に、耐えきれずは口付けた。
…本当に厄介な存在だ。
けれど、嫌いになれないのだから、しょうがない。
2007.06.09 ECLIPSE