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「飯を食いにいくから付き合え」
そう高杉に呼び出され、はいつもの軽い気持ちで付いていったのだが、
…相手が悪かった。
あれよあれよという間に専用の飛行機に乗せられ、降りてみれば勝手知ったる京の街。
「………」
さすがに呆れて声も出せずに居ると、突然部屋に入って来た数人の女性に囲まれた。
「あらあ。ほんまに綺麗なお嬢さんだこと」
「えっ…?ちょ…あの?」
それから次々と伸びてくる手にあちこちを弄られ、どうして良いのかわからず
少し離れたところに腰を下ろして、黙ってこちらを見ている男に、助けを乞う視線を投げてみた。
のだが、その人は何故か楽しげに笑みを浮かべただけで、助ける気は全くないようだ。
「晋さんッ」
思わず強めに名前を呼べば、その男、高杉晋助はようやく口を開いた。
「…良いから大人しくしてろ。悪いようにはしねェよ」
そんなの知っている。が本当に嫌がる事をこの男がするわけがない。
「だからって…」
そう、だからと言って「はいそうですか」と、この状況では簡単に納得出来なかった。
なにしろ目の前には色とりどりの、見るからに高そうな着物に帯。
それから髪飾りなど、一体値段はいくらするのか。
想像もできないような品物がところ狭しと並べられている。
これを身につけろというのだろうか?
というか食事に行くのではなかったのか?
はてなマークを幾つも頭につけて、混乱状態に陥っていると、座っていた男はようやく立ち上がりこちらへ近づいてきた。
「飯を食いに行くっつたろうが。だまって着替えさせてもらえ」
そう言って、よりほんの少し温度の低い手の甲が、そっと頬を撫でる。
「…そんな高級なとこなの?」
しかし、いつもながら多くを語る気はないようで、肝心な事は答えてはくれない。
諦めのため息をつくと、一人の女性が持っていた着物をに羽織らせ、高杉を振り返った。
「高杉はん、やっぱりお着物はこの藤色のが良えですねぇ」
「ああ」
「では、これで帯を合わせますね」
また別の女性が帯を巻き付ける。
「…レンタル?」
そう言うと、心外だとばかりにギロリと睨まれた。
「んなケチくせェこと俺がするか」
「ほほ。お高いんですよ?」
「ええっ?」
「いいからお前は黙って言う通りにしてろ」
「いらないよー!」
この男がに対して突拍子もない事をするのは良くある事なのだが、なんの理由もなく物を買い与えられるのは好ましくない。
機嫌の降下し始めた彼女を見て、高杉は仕方なしにぼそりと呟いた。
「同僚だかなんだかの…」
「え?」
「結婚式に着てく着物を買いにいくとかなんとか言ってただろうが。この前」
言った後はふいとそっぽを向いてしまってその顔は伺い知れない。
そう言えば少し前、電話で話していた時にそんな話をしたような記憶がある。
「…覚えててくれたの?」
「たまたまだ…」
誤魔化すような返事と共にパタンと襖が閉まった。
それから数刻後。
「………」
鏡に映った自分の姿には愕然としていた。
「ほんまに…」
そういって鏡をこちらに向けていてくれた人たちが揃って ほう と、感嘆のため息をつく。
「吃驚するほど化けましたねえ」
ちょ…化粧濃すぎじゃありませんかー?
しかしの方は全く見当違いの事を思っていた。
たしかにいつもより綺麗なのかもしれないが、あの男はどう思うのだろう…。
若干不安になりながら高杉が待っていた部屋に入れば、案の定こちらを見たまま固まっている。
「……」
「自分がしたんでしょ?」
そう言って睨みつけてみるが、全く気にも止めない男は、あまり楽しそうではない。
「…思ったより、面白くねえなァ」
言うに事欠いて、面白くないとはどういう事だ。
むうっと頬を膨らませるを上から下まで眺めながら、高杉はため息を一つ吐いた。
「お前じゃねェみたいだ」
「私です」
「知ってる」
精一杯嫌味ったらしく言ってみたが少しも効いてないようで、ふうと煙を吹いている。
「黙ってるとつまんねェから、なんかしゃべれ」
「また無理難題を言う…」
「くくっ」
膨っ面を見て身勝手な男は「中身はそのままだから良いか」と最高に身勝手に笑った。
それから外で待っていた車に乗せられて、高そうな料亭に連れてこられる。
「…なんで、わざわざこんな事?」
「どこに誰の目があるかわかんねェだろ?」
「そうだけど…」
「ただまあ、思った以上に別嬪に仕上がっちまったもんだから、逆効果だったようだけどな」
くくっと笑った高杉は上機嫌で杯を傾けている。
「もうっ」
一方 はきっちりメイクのお陰でご飯は食べにくいわ、動きも制限されるわで眉をひそめて愚痴をこぼした。
「口紅おちるから口はあんまり開くなって言われた」
すると高杉はほんの少し困ったようにそう言って、伸ばしかけた指を引っ込める。
「…俺は化粧が崩れるから顔を撫でるなって言われた」
その表情が意外にかわいく思えて、は思わずくすりと微笑む。
「笑うな」
「だって」
かわいいんだもの。
と声に出さず思って、機嫌を損ねる前に話を変える事にした。
「そだ、あのね」
「なんだ?」
「これ」
それはが大事に持っていた包み。
布を広げると綺麗にラッピングされた細長い箱が出てきた。
「晋さん、お誕生日おめでとう」
「俺にか?」
「そうよ。他の誰がいるの」
つつみ紙をあけると中から現れたのは煙管。
「あんま吸って欲しくないけど、いつも使ってるやつ、もう結構長いでしょ?
たまには休ませてあげないと」
「…そうか、ありがとうな。」
『ありがとう、晋助』
同時に、ふと脳裏に過る記憶の断片。
遠い昔 そう言って自分に微笑んでくれた、誰よりも大切な人を思い出して、高杉はほんの僅か顔を歪めた。
あの人を失ってしまったから、今の俺がいる。
復讐を糧とし、全ての破壊を望む、凶気に染まったケモノが。
けれど、といると、人の心が目を醒ましてしまう。
自分に向けられた笑みを慈しみ、ただただ甘やかしてやりたくて仕方がない。
本来なら、捨ててしまわなければならないその存在と感情を、未だこの胸から消し去る事が出来ないまま、この笑顔を一分一秒でも長く自分だけが独り占めしたいと願う。
認めたくないとは今更思わない。
は自分たちにとってかけがえのない存在で、あの頃から少しも変わらず、枯れる事なく、美しく咲き誇る華だ。
「………」
「晋さん?」
「…お前は俺をダメにさせる一番の存在だな」
黙ってしまった高杉の顔を不思議そうに覗き込んできたに、苦笑しながらそう言ってやると、彼女はそれこそ「心得ています」といわんばかりの表情で華のように艶やかに微笑んだ。
2009.10.10 ECLIPSE