花鳥風月
激しい情交の後、が湯を浴びて部屋に戻ると穏やかな寝息が聞こえてきた。
どうやら先に風呂に入っている間に、銀時は眠ってしまったらしい。
常ならば、事後は立つこともままならないと一緒に入ると言って聞かない
のだが、今夜は比較的すんなりと解放された。
そのうえ、が戻るのを待てず眠りに落ちてしまうなど、いつもの銀時では
はあり得ない。足音をたてないように近寄り、その寝顔を覗き込んでみた。
「銀…?」
返事はなく、すーすーと聞こえる微かな寝息と無防備に眠りにつく様に思わず
口元が綻ぶ。
どうやら酷く疲れていたようだ。
先日、また何処かで暴れてきたらしく、その身体には治りきっていない傷痕が
幾つもあって…その所為もあるのだろう。
そして今現在、夜の営みがいつもより比較的軽め(当社比)で済んだお陰で、
は、意識を強制終了させることもなく、ふ抜けているようで実はまったく
隙のない男の寝顔をゆっくりと堪能出来ている。
「ー…困った人ねぇ…」
何処で何をしていたか。
なんて聞くほど野暮ではないが、もしもの事を思うと心がつぶれそうに痛む。
もう銀時の戦争は終わった筈なのに、この男はよっぽど戦場に好かれているに
違いない。
望まなくても、引きずり出されるほどに。
どうして、銀時なのだろう。
彼でなくても良いだろうに。と思ってからすぐ気づく。
いや、違う。たぶん、銀時の方が掴んだんだ。
この男は、助けを求めて伸ばされた手を払い除けられるような人ではない。
「…バカ」
の視線の先にあるその寝顔は、普段の銀時よりもほんの少し幼く見えて、
出逢ったばかりの頃を思い出させた。
無性にそのくるくると四方八方に散らばる銀髪に触れたくなって、手を伸ばし
そうになり慌てて止める。
疲れて眠っているとはいえ、昔から気配には敏感な男だ。
下手にちょっかいを出して、起してしまってはいけない。
まだ風呂上がりでほんのり火照っている身体を冷ます。という理由を付けて、
は布団を離れ、窓際に座り障子を開けた。
その途端部屋に差し込む光に目を奪われる。
やけに外が明るいと思ったら、見事な満月が空に浮かんでいた。
「キレイ…」
ともすれば暗い方へと向いがちな思考をなんとか方向転換させようと、自分に
言い聞かせる。
大丈夫。
銀時はこうして此処にいる。
誰も、私から取り上げたりしない。
もし奪われそうになっても、
…今度は絶対に、繋いだ手を離したりはしない。
わけもなく不安になることだってたまにはある。
こんな月の綺麗な夜に放っておく銀時がいけないのだと、八つ当たりをして、
そっと空を見上げた。
「…キレイだなァ」
暫くそうして月を眺めていると、不意に後ろから声がした。
どうやらとうとう起きてしまったようだと苦笑しながら振り向けば、肘を枕に
してこちらを見ている男と目が合う。
「そうね。…起しちゃった?」
「起きてた」
「ウソ」
そんな、いかにも今起きましたと言わんばかりの掠れた声で。
「…いいからこっち来いよ。いつまでそこに居るつもりだ」
「あんまり綺麗だから、つい見とれちゃったのよ」
でも、そうやってほんの少し不機嫌そうにを呼ぶ声があまりに優しいから
わざと煽るように近づいてみた。
ふと目を醒ませば隣にいる筈の女がいなくて、辺りを見回した。
焦点の定まらない視界の中、ぼんやりと見えたのは細い肩のライン。そして、
しっとりと湿気を含んだ艶やかな髪。
窓から降り注ぐ柔らかな月の光をたっぷりと浴びて、ただ静かに空を見上げる
その後ろ姿は目眩がしそうなほど美しく、そしてやけに儚く見えた。
「」
思わずその名を呼ぶ。
伸ばしても、手の届かない距離が無性にもどかしくて。
けれど、きこえないのかは振り返らない。
もしかしたら己の願望が見せた幻だろうか。
本当はまだ自分は戦場にいて、戦いはまだ終わってないのかもしれない。
それでも、いいと思った。
今見ているのが幻でも、もう暫くこの綺麗な光景を見ていられるのなら。
だから、思わず綺麗だと漏らした声にが振り返ったとき、すぐには反応が
出来なくてろくに言い返せなかった。
それから、まだ触れられないところにいるのが気に入らなくて、こちらに来る
ように呼べば、くすくすと楽しげに笑いながら、立ち上がらず四つん這いで、
近寄ってくる艶やかな姿に、ごくりと喉が鳴る。
「銀時?」
顔をしかめた銀時の心の内を、分かってるくせにすました顔で覗き込んでくる
女の頬に指を添えてゆっくりと這わす。
「ったく…、お前はホントにやっかいな女だ…」
「失礼ねえ」
その暖かさにこっそりと安堵の息を漏らした銀時に気づかないはぷくりと
触れられた頬を膨らまして枕元に座った。
「さっきの、聞こえてたか?」
「なにが?」
首を傾げて分かってない様子の女に苦笑しながら、目の前にある膝を撫でて、
そこに頭を乗せる。
「…ちょ、もうっ」
「寝床に入んねェなら、枕になれや」
収まりのいい位置を探し当て見上げれば、困ったようにしながらも、逃げ出す
気配はない。
「しょうがないなぁ…」
細い指がそっと髪を撫でて、小さく微笑む。
その、切なげな表情にまた目を奪われる。
多分、そんな顔をさせているのは自分。
それなのにコイツは怪我の理由も聞かず、ただ黙って側にいてくれる。
己の信じた道を進んだ結果の傷なんだから、自分の身体が痛いのは構わないが
彼女が辛そうにするのは堪え難い。
それでも、離れることは出来そうもなくて、
が放れたいと望んでも、たぶん聞き入れられないから。
この身勝手な想いをどうか受け入れて欲しいと、秘かに、そして切実に願う。
「…こうやってよう、綺麗なモンばっか目の前に並べて、それをずっと眺めて
暮らせたら幸せだろうなァ」
月の青白い光に照らされた美しい顔を見上げてそう言えば、鈍い女はようやく
意味を理解したらしく、柔らかい頬がほのかに色付いた。
「……バカッ」
予想通りの反応に笑いながら銀時は、が照れてそっぽを向かないうちに、
すばやく起き上がって視線を合わせる。
「おお。俺ァバカだからよー」
ヘラリと笑った銀時の言いたい事が、なんとなしにわかってしまった、は
黙って言葉の続きを待った。
ズルい男だ。これでは視線をそらす事も出来ない。
「……」
「…余計な事に、すぐ首をつっこんじまう」
「そうね…でも、生きてたらしょうがないじゃない?」
そう返すのが、精一杯だった。
綺麗なモノばかりじゃないし、目を逸らしたくなるような、汚いモノも世間に
は溢れてる。
笑ってる人ばかりじゃなくて、泣き崩れている人だってきっと沢山いる。
そして、そんな人たちを見捨てることが出来るような薄情な男ではない事も、
イヤになるほどよく分かっていた。
その魂に惚れたのは自分の方なのだから。と、女は愛しい男を見つめ切なげに
微笑んだ。
「お前にそんな顔させる事になっても、…俺は止まれない」
「ほんとに、しょうがない人ね」
「ああ…でも、もう…」
…あんな思いはしたくねえ。
言葉にならない思いも痛いほどわかる。
だから、その痛みごと、この男を包み込もうと心に決めた。
「わかってる…だから、…」
何があっても、銀時を信じるから。
「必ず帰ってきて」
ここに、私のところに。
「……」
そっと、その胸に身体を預ければ、痛いほど強い力で抱きしめられた。
「約束して…おねがい」
「…」
「足を折られても、腕をもぎ取られても、くるっくるの治まりつかない天パに
なっても…もう最悪、頭と胴体がくっついてればそれで良いから」
ぎゅっと目を閉じて、はただ必死で願う。
「……天パは余計だろ…」
しばらくて、呆れたような、でも泣きたくなるほど優しげな声が降ってきて、
顔を上げようとすれば、唇を塞がれた。
突然の激しいキスに上手く頭が回らなくて、じわりと潤む瞳をキツく閉じれば
ふわりと身体が浮く。
「ん…ふ…っ」
執拗に咥内を這い回る銀時の舌に翻弄され力の抜けきったは、あっけなく
布団に押し倒されていた。
「…」
「ん…、や、めて…」
「煽ったのはお前だろうが」
ふるふると小さく首を振ってなんとか濃厚な口づけから逃れても、追いつめる
かのように、耳元に押し当てられた銀時の濡れた唇から熱い吐息混じりの声を
注ぎ込まれ、びくりと竦みあがる。
「そ…っ、あっ…ん」
数刻前の熱をあっけなく思い出してしまった身体が無意識の期待に震えた。
くんっと、仰け反った綺麗な項に次々とまた新しく紅い華が咲いていく。
「諦めて骨の髄まで俺に喰われろや…」
「…はぁ…んっ…や…銀ッ」
弱い所ばかりを狙って這い回る意地の悪い銀時の手にしぶとく抵抗をしていた
だったが、キスの合間、見計らったように小さく囁かれた一言ですべての
動きを封じられたかのように、指先すら動かせなくなった。
「…約束する」
終いはお前の側で。
あとはもう解け合うだけ。
他でもなく、二人が望んだように。
2008.10.10 ECLIPSE