聞く者の役割は、それを伝える事。
─── 私は乾いて、砂のように粉々になっていく。
砂の中の宝石
が拷問・尋問部隊に所属してから、三年の月日が流れた。
下忍、中忍としては通常の任務に付き、特別上忍昇格と同時に、収まるべき処へ配属された。
彼女は聞く事を担う一族。
人の心と記憶に同調する忍術を持っている。
古来より一族に伝わる忍術は、術者への負担も激しいものだった。
理由のある罪と、理由なき罪。
発作的、衝動的に行われるものと、そうでは無いもの。
理性という心を瞬間的に悪魔が抑え込み、血に濡れる者。
でもそれには、そうさせる何かがある。
爆発的な怒りや、悲しみが。
計画的に犯す者。
目的を成し遂げ、極刑さえも恐れず、口を噤む者。
そして快楽的に犯す者も居る。
当事者以外、何も意味を持たない其れ。
尊い命を己の欲望で奪う、卑劣な行為。
だけれど、一見理由がない其れにも、本人しか分からない闇が潜んでいる場合がある。
どうしてそんな行為に及ぶのか。
そう思わせてしまった物は何なのか。
全ての闇を探し当てる、それがの役目。
『 辛い、痛い、苦しい、寂しい 』
負の感情は全て術者に流れ込む。
犠牲者の為、これからを少しでも良くする為にと、もこの任に付いている。
就任した時には、覚悟は出来ていたけれど、負担の多さにいつも押し潰されそうになっていた。
いや、もうすぐに押し潰されていた。
粉々になって、心は砂のように乾いて、何も象らない。
そうしないと、闇に飲み込まれるから。
気が狂ってしまうから。
恋人とも就任直後に別れた。
綺麗な言い訳を並べていたけれど、後に耳に入ったのは、の術を忌み嫌ったからだと。
誰も心の中は覗かれたくないだろうから、納得は出来た。
いくら、印を結んで発動しなければならない術だとしても、そこまでの信頼関係を築き上げていなければ、何を言っても無駄だ。
ベットを共にし、寝顔を見せ合う恋人同士には、もう誰ともなれないと。
一人でいようと、その時に決めた。
幸い自分を理解し、支えてくれる仲間が居たから。
寄り添う事の出来ない寂しさはあるけれど、孤独ではなかった。
お酒の味も覚えて。
任務の後、沈んだ気持ちを切り替えさせる為か、同僚達はよく誘ってくれる。
その帰り道、大抵一軒のバーへは立ち寄る。
同僚達と楽しく飲んではいても、一人になった途端、さっき味わった記憶に引きずり込まれるから。
一人でお酒を煽って、闇を流して。
そんな習慣が付いたのは、一年位前からだろうか。
それ以前は粉々になった心と、他人の感情の中で、一人もがいていた。
今日も甘党の女友達と夕食がてら居酒屋に入って別れた後、はいつもの店に行く。
店内は黒を基調とし、カウンターには多種多様な酒瓶が並ぶ。
仄暗い空間に漂う音楽は店長の好みだろうか。
控え目に、でも離れた人の話声は聞こえてこないような音量で。
お酒の味も良いが、この雰囲気が好きだった。
一人で飲んでは居るけれど、一人じゃないような。
自分を包みこんでくれる、そんな気がしていた。
でも最近思う事は───
人の痛みを自分の痛みとして感じなくなった事。
頭に映し出される映像と、対象者の感情に飲み込まれるような事は少なくなった。
先輩や同僚達はそれを成長だとも、慣れだとも言う。
人の痛みを感じれるのは素晴らしい事だが、何時までも対象者の感情に揺れていてはならない、と。
オンとオフを使い分けられるようになったのだと。
言っている事は解る。
だけど、流されないように必至で踏み止まっていたあの頃の方が良かった。
砕けた心が、サラサラと風に飛んでしまった気がするから。
残ったのは僅かな塊。
黄金色をした液体の入った短いグラスを傾けた後、もう一つ同じ物を頼んで、は喉に流し込む。
グラスを置いて、自分に近づいてくる人物に視線を送れば、それはポケットに手を突っ込んだやや辛口の仲間。
「よお!」
「ゲンマ……」
「相変わらず、つまんねえ酒の飲み方してんな」
ぶっきらぼうに言い放つ彼の言葉の裏には、いつも優しさがある。
真っ直ぐで、暖かくて、陽の光を一身に浴びたような人。
何度目かの任務で泣き顔を見られて。
それからは時々、腕と胸を借りた。
部署は違えど、同じ特別上忍。
達からの報告を踏まえて書類を纏めるのは、彼の役割でもある。
「隣いいか?」
「どうぞ」
座ると同時に、と同じ物をゲンマは頼んだ。
「今回のは結構悲惨だったな」
「そう…だね」
「前みたいに泣かないのか?」
「もう泣かないわよ。毎回任務の度に泣いてるような女、うっとおしいでしょ。成長してないみたいじゃない」
「確かにな」
ゲンマはそう言った後、グラスに口を付け、喉を動かした。
自分で言った言葉なのに、肯定されて、の心に冷たい杭が刺さる。
風に飛ばされ、唯一残った塊に。
自分勝手に傷ついているだけだけれど。
「よく我慢したな」
は前方に向けていた視線をゲンマに向けた。
彼の言っている意味が良く分からなくて。
ゲンマは前を見つめて、一瞬瞳を伏せた後、を見る。
「自分で気づかねえのか?今にも泣きそうな顔してっぞ」
「私が?何言ってんの、ゲンマ」
「それに。オレは惚れた女が自分の腕ん中で泣くのは、嫌いじゃねぇ」
「そう……だったら、泣き虫な彼女の所にでも行けばいいじゃない」
「だから来てるだろうが」
「………は?」
「は?じゃねぇよ、は?じゃ。オマエって案外鈍いのな。ここで気づくだろ、普通」
「ゲンマ……?」
ゲンマは軽く溜息を吐いた後、酒を飲み乾し、少し離れていたバーテンに同じ物を頼むべくグラスを上げた。
小さな器に入ったナッツを口の中に放り込んで。
の呼びかけには答えずにいる。
新しい物が置かれたコースター。
また一口其れを飲むと前を見たまま、ゲンマは話し始めた。
「ったく、捕まえたと思えば、すり抜けて行くしよ。オレの言ってる事分かるだろ?」
「……自惚れた解釈で良ければ……ね」
「そういうこった」
そうしてまた、コクリと酒で喉を潤して、ゲンマはを見る。
「涙、乾いちまったのか?」
「さぁ……?」
「オレが啼かせてやろうか?」
「啼かせられるの?」
「ああ、たっぷりな。濡らしてやる」
自信に満ち溢れた顔でゲンマは言って。
二人はどちらからともなく、控え目にグラスを鳴らした。
甘い蜜のような時間だった。
久しぶりに溶けた身体が徐々に冷めていく時、は眠りに誘われていく。
ゲンマはそんなを幸せそうに見つめ、自分も同じ世界へ旅立つべく身を委ねた。
夢か、現実か。
ゲンマの部屋でゲンマに抱かれたのだと、会話する自分の声が聞こえた。
幸せな時間だったと、自分の声がまた聞こえる。
『 待って、私の居るこの場所は何処? 』
ゆっくりと戻る意識を無理やり手繰り寄せ、は目を開けた。
ゲンマと過ごした甘い時間の後、余韻という海に漂い、そのまま抗えず眠りに落ちた事を思い出す。
彼の伸びた左腕を枕にして、どれだけの時間が経ったのだろうか。
店を出た時刻も、ゲンマに酔っていた時間もどれ位なのかは分からないけれど、まだ夜明けではなさそうだ。
隣で天井を仰ぐゲンマの寝顔を見つめて。
がベットから出ようと体を揺らした時、ゲンマの伸びていた肘が折れ、の肩を抱いた。
寝返りを打ちを抱きしめて。
「……ゲンマ?」
「……ぁん?」
「私……」
「トイレか?」
「もう!違くて、私…」
「送らねえぞ」
言葉で伝えなくても、ゲンマには解っているようだった。
そろそろ帰ると、は言い掛けたのだ。
「大丈夫よ。普段だって夜道は歩いてるんだから。ゲンマは寝てて」
「送れねえって言ってるんじゃねぇぞ、送らねえって言ってんだ」
「だから!」
「帰すかよ。泊ってけ」
「だって……」
「だからとか、だってとか、お前はそれしか言えないのか?こんなに気持ち良いんだ。手離せるかよ」
ゲンマは腕の中のを更にきつく抱き締めた。
「……ゲンマ、気になるでしょ?」
の言葉には少しの間を開けてゲンマが語る。
「気になるって、何をだ」
「安心して眠れないかな?って……」
「バーカ」
「ひどッ!!」
「酷いのはお前だろ。少しはオレの事信じろよ」
「……え?」
「術の乱用はしないヤツだって、分かってるって」
お前の事を信じると言わない所がズルイ。
そんな事は大前提の上、自分を信じろとゲンマは言うのだから。
「でもな、いっその事読んでくれた方がいいかもな。したらお前へのオレの気持ちが解るだろ?」
「……ゲンマ……」
「疾しい事の一つや二つや、三つ四つはあるけどな」
軽く言うゲンマに、から小さな笑みが零れた。
「お前にキスしたいとか、抱きたいとか。オレの下で喘ぐお前の姿とかな、かなり着色されてっぞ」
悪戯に笑って、の髪に口づけて。
そのまま好きだとゲンマは囁いて。
「オレの腕ん中に居るの、安心出来ねえか?」
「出来るよ。でも半分落ち着かない」
「なんだよ、ソレ」
「だって、好きな人の腕の中に居るんだよ。まだドキドキするでしょう。半分はソレ」
くるりと体勢を変えたゲンマは、を組み敷いた。
の背中にシーツの感触が直に伝わって。
「」
「ゲンマ……」
パラリと垂れるゲンマの髪にが触れると、次は唇同士が触れ合った。
ゲンマに注がれた愛と熱がの心を満たしていく。
水を得た心と身体は潤い溢れる。
砂となり、飛ばされた心。
そこに残った唯一の塊は宝石。
それが永遠にを潤す泉へと変わった。
二度目の熱が引いて行くのと同じ速度で、二人は眠りに落ちて行く。
にとっても、
そしてゲンマにとっても、
人の温かさを感じながら眠るのは久しぶりの事。
─── おやすみ、ゲンマ
─── おやすみ、
2008/05/03 かえで
花酔回廊、緋桜さんへ捧げました。
いつも色々ありがとう。そして遅くなりましたが、開設おめでとうございますv
BGM 刹那時