Frozen time &Hot heart 後編
「にはもうゲンマがいるしね」
苦渋に満ちたカカシの表情に胸が痛む。
もし、過去に触れることを恐れないで、勇気の欠片をかき集めて一歩踏み出していたら
何かが変わっただろうか?
けれど、心の奥底にある本当の気持ちから目を逸らしたまま、互いに他の人間を選んだのは
変えようの無い事実。
「カカシの方こそ、彼女がいるじゃない」
すると、カカシが首を傾げた。
「オレ、今つきあってる子はいないけど」
「嘘!昨日、中忍の子に告白されたの知ってるんだから」
言った途端、しまったと思った。
これでは他人のプライベートを立ち聞きをしましたと白状したも同然だ。
「やっぱりあれはの気配だったのか」
「う……うん……」
どうやら最初から自分がいたことなどバレバレだったらしいので、仕方なく頷いた。
やっぱり里一番のエリート忍者を出し抜くのは容易なことではない。
亀みたいに首を引っ込めて縮こまるに、カカシは穏やかに言った。
「途中から行っちゃったみたいだから後半を聞いてないでしょ。あの後で、
『上辺だけつきあうのは簡単だけど、好きなコがいるから心はあげられないよ。
だから、オレみたいないい加減な男なんか、君にはもったいない』
って言ったの。大抵の女の子は、それで引き下がってくれるからね」
一瞬、聞き違いかと思った。
が、カカシの言葉はひとつも間違えようがなくて、それが逆に混乱を招く。
「だって、今日もデートしてたじゃない。大通りを二人で歩いてたでしょ」
「あれは、彼女に頼まれたんだよ。わざわざ待機所に来て、
『彼女になるのは無理でも一日だけつきあってほしい。そしたら、諦めがつくから』って。
他の日なら考えないこともないけど、今日だけは駄目だって断ったんだけどね。
結構粘られて、を探しに行く時にもついてきた。
そう言えば、大通りでやっとを見つけて追いかけた時に、あの場に置いて来ちゃったな」
本当にうっかりなのか、それとも確信犯なのか、カカシはのほほんと言ってのけた。
それと対照的に、の方は見る見る顔が青ざめていく。
「本当に……つきあってないの?」
脳裏に幾度もちらついたあの中忍のくノ一の顔を、今も鮮明に思い出すことができる。
告白する彼女の真剣な表情。
街でカカシの隣りにいた時の嬉しそうな笑顔。
カカシに対する本気の想いが溢れていて、だからこそ、恋人の地位を獲得した彼女が、
正直うらやましかった。
彼女はカカシに本気でぶつかって行った。
けれど、は、昔の傷を再びえぐることを恐れて彼を避け続けた。
そして、たまたま両腕を広げてくれたゲンマに逃げた。
長年カカシを忘れられなかった積もる想いさえも、その事実の前には虚しく崩れ去る。
臆病なばかりの自分には、彼女に嫉妬する資格さえない。
そう思っていたのに。
「どうして……もっと……」
もっと早く本心を告げなかったの―――
それはカカシに投げかけたい問いか、それとも自らの心の中に巣くう後悔の念か。
行き先すら見失った言葉は、発せられることなく飲み込まれて空虚な胸の隙間に
吸い込まれるように消えていく。
色を失った顔のまま、は琥珀のネックレスをカカシに押し付けるように渡した。
「やっぱりこれは返す。私にはもらう資格がないから」
「ゲンマの手前、受け取れない?」
「そういうことじゃ……」
その時、ふと疑問に思った。
ゲンマとの距離が親密になったのはつい昨日のことだ。
そのことはまだ誰にも話していないし、ゲンマ本人が吹聴したとも考えられないのに、
何故カカシが知っているのだろう。
「どうしてカカシが知ってるの」
「うん?」
「ゲンマとのこと」
「あー……、ごめん」
カカシは困ったようにわずかに目線を逸らした。
罰が悪そうに頬をかきながら。
「でも、探ってた訳じゃないから。ガイがのことよく覚えてて、早朝ランニングの時に
たまたまゲンマの家から出てくるのを見かけたって言うから、ま、そういうことかと」
言い訳じみた説明をしながらも、カカシの中には一縷の望みがあった。
ガイのつまらない憶測など否定してくれ。
ゲンマの家には任務の打ち合わせで行っただけだと、笑い飛ばしてほしい。
なのに、は、
「そう……」
と答えたきり押し黙った。
俯き加減の顔を、横からはらりと落ちてきた髪が覆い隠して余計に見えなくする。
「お邪魔してごめんなさい。もう帰るから」
その一言で最後の望みさえも潰えたのを知ったカカシは、バッグを掴んで足早に玄関に向かう
を、引き止める術もなくただ追いかけた。
狭い玄関で靴を履くために前かがみになったの背中が、随分と小さく頼りなく見える。
あの背に腕を回して抱きしめて慰めるのは、今はもうゲンマの役目なのだ。
靴を履き終えたが、振り向くことなく背中越しにカカシに告げた。
「プレゼント、ありがとう。すごく……嬉しかった」
本当にそう思った。
誕生日祝いの品々を二度と手にすることはなくても、カカシが毎年選んでくれていたという
その事実と気持ちだけで充分だ。
これでもう、過去を引きずり続けるのはやめよう。
明日からは、優しいゲンマのことだけを考えよう。
カカシの顔を見ないままドアを開けて出て行こうとしたその時、不意に背後から伸びてきた
腕に、体を絡め取られた。
硬直したの耳に、熱い息吹が吹き込まれる。
「好きだ」
「え…?」
「好きだ」
「何言って……」
「好きだ」
「ねえ、カカシ……」
「好きだ」
「もう……」
困ったように立ち尽くすを、カカシは腕の中から開放することができなかった。
理不尽な我侭を押し付けていることなど百も承知だ。
だが、狂おしいほど欲している人が目の前にいるのに、どうして諦められる?
無理矢理を振り向かせて唇を奪おうとしたカカシの動きが、不意にぴたりと止まった。
「泣いているのか」
指先を濡らす水滴の感触に、後悔の念が過ぎった。
また同じ過ちを繰り返そうとしているのか、と。
束縛の緩んだ腕の中で、がゆっくりと、カカシの方を振り向く。
「人間って嬉しい時にも泣けるみたい」
くしゃりと歪んだ泣き顔を、誰よりも綺麗だと思った。
抱き上げた拍子に履いたばかりの靴が脱げ落ちるが、それが床に着く頃には既に
寝室にを連れ込んでいた。
ベッドに降ろすなり、当然のように唇を求めたカカシに、は困ったように顔を背けた。
「だめ。私、できない……」
「できないって何が?」
「男の人とつきあえない。ゲンマとも……駄目だった」
目を見張るカカシの前で、はぽつりぽつりと話し始めた。
カカシが何も言わずに引っ越して行ってから、多分無意識に忘れようとしていたのだろう。
月日を重ねる毎に淡くて苦い初恋の思い出は記憶の奥底に沈んでいった。
忍者としてもそれなりに経験を積んでスキルアップして、毎日が充実していると思っていた。
だが、気がつけば恋愛ができなくなっていた。
どんなにいい人でも、友人という境界線を踏み越えた途端に嫌悪感が沸いて拒絶してしまう。
自分はどこかおかしいんじゃないかと悩んだ時期もあったが、誰にも相談できなかった。
念願の上忍に上がる少し前に、たまたまカカシを見かけた。
任務帰りらしく小隊のメンバー引き連れたカカシは、目を凝らさなければわからないほど
遠い位置にいるのことに気づかない。
顔を傾けて隣を歩くくノ一と親しそうに話すその様子を遠目に見ただけなのに、
息が止まるかと思うほど胸が苦しくなった。
蓋をしても吹き上げてくる思い出に、感情が振り回される。
もう、忘れた振りすらもできなかった。
自分自身を誤魔化せないほど、カカシのことが好きなのだと知った。
カカシの方は、のことなど眼中に入らないほど忘れ去っているのに。
上忍になってからは、待機所が同じになったせいでカカシとすれ違うことが増えた。
意識して避けているせいで挨拶するほど近づくことはないけれど、視線が釘付けに
なるほどに追いかけてしまおうとするのを、目を伏せることで何度も耐えた。
その行き詰まった想いが作り上げた壁に風穴を開けてくれたのが、ゲンマだった。
「今夜はお前を返さない」
あの日、そう宣言されて、連れて行かれたのはゲンマの家で。
失恋の痛手に酔いが手伝って、彼の勢いのある行動にノーと言えなくなっていた。
寧ろ、このままどっぷりと甘えてしまいたい気持ちさえあった。
だから、二人でベッドに倒れこむまでにそれほど時間はかからなかった。
友人ではなく、一人の男の顔をしたゲンマを間近で見ても、それまで告白された何人かの
男性のように嫌悪感が沸くことはなかった。
それなのに―――
キスが熱ければ熱いほど、逆に頭の中が冷えていく。
圧し掛かるゲンマの体が、有り得ないほど重たく感じる。
息苦しさに喘ぐような呼吸を繰り返すと、指先までが痺れたように強張ってくる。
押さえつけられてもいないのに、手首をきつく拘束されたかのような痛みが走った。
青ざめたに、聡いゲンマが気づかないはずがない。
「お前、初めてなのか」
不審がられて、必死になって否定した。
「違うから。大丈夫だから」
これくらい何でもない。
ずっと前だけど、ちゃんと経験だってあるし。
ゲンマのことだって好きだし。
だから、平気。
へいきな、はず……。
ゲンマはの髪に指を差し入れると、頭をぐいと引き寄せた。
「大丈夫じゃねえだろ。こんなに震えて」
「震えてなんか、ないよ」
精一杯強がりを言ったけれど、残念ながらその声が裏返ってしまった。
「もう寝ろ」
「え?だって……」
思わずゲンマを見上げる。
「あのな、嫌がる女を無理矢理ヤるほど飢えてないつもりだぞ?」
「嫌がってなんかない」
「だが、ここが納得してないだろ」
胸の中央に、こつんと拳を当てられて、精一杯張っていた虚勢が崩れた。
「……」
項垂れたの頭を、ゲンマがそっと胸に抱きこむ。
「ゲンマは優しいね」
「惚れた女にしか優しくしねえよ」
「ありがと……」
そのままゲンマに抱かれて眠ってしまい、気がついたら朝だった。
ベッドに正座して平謝りするに、ゲンマは笑いながら
「焦ることはないだろ。これから時間はいっぱいあるんだしな」
と言ってくれた。
その時、この人について行こうと決心したのだ。
「ごめん、オレのせいだね。でも、がオレ以外の男を知らないなんて目茶苦茶嬉しい」
話を聞き終えて破顔するカカシに、どうしようもなく心が躍った。
カカシときたら、の一大決心すら簡単に突き崩してしまう。
「カカシの口から、こんなことを聞けるなんて思ってもみなかった。ずっとずっと
煩がられて、嫌われてるんだと思ってた」
「それは、こっちの台詞。オレを許してくれることなんて永久にないと思ってたよ。
愛してる」
私もと言いたいのに、カカシに抱きしめられた途端、体が硬直した。
好きなのに。こんなにも、大好きなのに。
「オレが怖い?」
穏やかに訊かれて、ぎくしゃくと首を横に振った。
「なら、よかった。が嫌なことは絶対にしないから」
「でも……」
「セックスしなくても、愛し合うことはできるでしょ?こんな風に」
の、硬く握られたままの手を引き寄せ、その手の甲へ、指の背へと唇を押し当てる。
もう一方の手は、絶え間なく髪を撫でたまま。
「もっとも、もオレの事を愛してくれたら、なんだけどね」
どこか遠慮がちに、そのくせを求めずにはいられないのだと言わんばかりのカカシに、
は強張っていた手をどうにか開くと、そっと彼の頬を撫でた。
アイシテル――
震える指先からほとばしるような想いを確かに受け取ったカカシが、優しく微笑んだ。
絡み合っていた指が離れたのは、夜更けに鳴ったチャイムのせいだった。
外の気配を瞬時に探ったカカシが、鋭い眼差しで立ち上がる。
「はここにいて。いいか、絶対に出て来るなよ」
「う、うん」
険しい表情のカカシに、の気持ちも引き締まる。
あの様子だと、上級ランク任務の伝達かもしれない。
もし、そうであれば、邪魔にならないよう、すぐ帰らなくては。
そう考えてドアをわずかに開けて様子を伺った時、耳に飛び込んできたのは。
「夜分遅くすみません。ここにがお邪魔しているんじゃないかと思って」
紛れもなくゲンマの声だった。
「来てるけど、何?」
玄関には女物の靴が置きっ放しだし、カカシも隠すつもりはないようで平然とそう答えた。
「連れて帰ります」
「悪いけど、一人で帰ってくれる?」
「大事な彼女をカカシさんの元に置いておくわけにはいかないんで、返してもらいますよ」
ゲンマの瞳が、挑戦的な色を帯びる。
対するカカシの眼光も、鋭利に研ぎ澄まされた刃に変わる。
「残念だけど、はオレの――」
は最後まで我慢することができす、思わず二人の前に飛び出した。
「待って、カカシ。私、自分でちゃんと言うから!」
飛び跳ねる心臓を押さえつけるようにして、ゲンマの正面に向き直る。
「私、カカシが好きなの」
「それが、お前の出した答えなんだな」
「迷惑かけて、ごめんなさい」
頭を深々と下げる越しに、ゲンマがカカシを睨め付ける。
「長年放ったらかしにしておいて、他の男に取られそうになった途端、掻っ攫っていくなんて
感心しませんね」
「ひどいな、これでもゲンマには感謝してるんだけど。を取り戻す切欠を作ってくれて」
そう言うカカシは随分と落ち着いていて、嫌味は砂粒ほども感じられない。
「あなたが素直に礼を言うなんて、今夜は雪じゃなく雹か霰でも降りそうだ」
「オレね、二十年越しの恋なの。ゲンマにもきっとわかるよ。長年の願いがかなったら
どれほど幸せに満たされるか」
飄々とした態度で長年本心を覆い隠してきた男が、今心から穏やかに笑っている。
「生憎、人様のノロケを聞いてるほど暇はないんで」
ゲンマは、まだ頭を下げたままのを、引き起こすように抱き寄せた。
「んっ!ん〜〜〜っ!!」
突然唇を塞がれて目を白黒させるさせるを、ゲンマは唐突に離すと
カカシの方へと押しやった。
よろけたをカカシが当然のように受け止める。
ゲンマの、千本を咥えなおした口角がわずかに上がる。
「これでチャラにしておいてやる。いいか、絶対に幸せになれよ」
「な、何!?」
口元を押さえて唖然とするばかりのを、カカシはしっかりと抱きかかえたまま言った。
「ゲンマ君。次にに同じことしたら、血反吐を吐かせて地面に沈めるから」
「そりゃ、こっちのセリフですよ。もし、またこいつを泣かせたら、カカシさんを忍として再起不能に
なるまで叩きのめしてから、遠慮なくもらっていきますよ」
「それは永久に無理!啼かせることはあっても、泣かせることはないから」
自信満々で答えるカカシに、ゲンマが大げさに肩をすくめて見せる。
「じゃあな」
手を軽く上げて背を向けたゲンマに、もう一度頭を下げることしかできなかった。
ありがとう、と心の中で何度も呟きながら。
ゲンマを見送ってリビングに戻ると、カカシは緊張した面持ちで口を開いた。
「の17歳の誕生日からやり直したい」
「やり直すって?」
訳がわからず聞き返すと、カカシはそっと包み込むようにの左手を持ち上げた。
あの真珠の指輪を手にしたまま。
「誕生日、おめでとう。オレと、この先一生つきあってください」
「ずっと一緒にいてくれるの?」
「オレがお願いしてるの。傍にいてほしいって」
「もう……突然いなくなったりしないでね」
「約束する。絶対に離さないから」
薬指にはめられた真珠の指輪が、やっと役目を果たすことができた嬉しさを表すかのように
一際綺麗に輝いた。
長いこと凍りついていた二人の時間が
消えることなく静かに燃え続けてきた炎に溶かされて
今ようやく動き出す―――
fin
BY 天道 ユエ
2008/07/02 サイトアップ
ゆえさんに!
ゆえちんに!
書いてもらっちゃった〜〜〜!るんたった♪♪
リクエストは、カカシに「おめでとう」って言われたい です。
出来ればお誕生日のおめでとうがいいな〜とお伝えしたら、こんな素敵なお話を。
紆余曲折ありで読み応えバッチリ。
相変わらず、みんな良い男!乙女の願望盛り沢山v
さすがゆえさんです。
ありがと〜〜〜〜〜〜〜う!
かえで