全体的にラビユウ色がつよいです。後半キスシーン有。
お気に召さない方は自己回避推奨。
この話を読まなくてもティキアレ的には問題がありません。
すべて了解のうえ、OKな方のみどうぞ。
アレンが吐いた息は、湿っぽく宙に流れた。なんとなく見上げた空は鈍色の雲に覆われている。最近やっと暖かくなってきていたのに。洗濯物が台無しになることにならなきゃいいけど__朝は良く晴れていたからつい外干ししたくなったのだ。
食料も生活品もすっかり底を尽きそうだったので、アレンは師の手伝いはせずに買い出しに来ていた。この街でいちばん大きなスーパーは彼のお気に入りだ。食材や調味料が豊富で、他国の珍しいものでも手に入る。アレンは家中を廻って書き出したメモを片手に、カートを押しては買い物かごへ商品を放り込む。ソルトにシュガー、オリーブオイル、ビネガー、小麦粉やライス、ソープ類からトイレットペーパー、嵩張るものや重いものはすべて宅配してもらうつもりだった。たまに二日酔いで唸りまくってうるさい師匠・マリアンのために、マーマイトとライムジュースも忘れない。これに薄切りのオニオンを油で炒めたものを混ぜると、よく効く気付け薬になるのだ。もはや常連になっているパブの、仲良しのマスターに教えてもらった特別なレシピだった。
日本食のコーナーでアレンが
「よぉアレン、おっひさー」 軽い調子で声を掛けてきたのは、その性格が表れているかのような明るい赤毛の青年だった。
「ハイ、ラビ。神田もお久しぶりです」
アレンが挨拶と共に笑いかけても、ラビと連れ立った日本の青年は視線すら寄越さなかった。残り一本だったしょうゆの瓶をアレンの手からさっと奪い取ると、ラビが持つカゴへと無言で入れてしまう。
ラビが悪いな、と目だけで謝ってくるのにアレンは軽く肩を上下させた。こんなことでいちいち腹を立てていたら彼とは付き合っていられない。本当は文句のひとつも云ってやりたかったのだが、ラビが居ては神田と思う存分喧嘩するのでさえやりづらかった。妙な遠慮ができてしまうのも仕方ない。どちらもアレンの元・パートナーで、アレンと別れてからいつのまにか付き合いだしてもう一年を迎えようかというふたりとぎくしゃくしたくなかったのだ。であれば、神田の行動を容認するしかアレンにはすべがなかった。元々迷っていたくらいだったから、彼に最後の品をしょうがなく譲ってやったと思えばさほど頭にも来なかった。
「ラビたちも買い物...っていうかまたソバづくしですか、相変わらずですね神田」
「俺が何喰おうがおまえに関係ねぇだろ」 神田は無愛想に告げると、商品棚のあいだをすたすた先へ行ってしまう。目的のものに一直線なところがかわいいのだとラビがいつか
手にしたメモと山盛りのカートの中身を確認して、アレンはレジへと向かった。同じようにカゴを持ったラビがゆっくりと横に並ぶ。
「またすげぇ買い込むなぁ、持って帰れンの? おまえ歩きだろ?」
「ほとんど送っちゃうから。傷みやすいのだけ自分で...」
「乗せてこうか?」
きょとん とアレンが見返した先で、翠緑の隻眼がゆるやかに弧を描いていた。 「車で来てるからさ。積んじゃえよ」
「買ったんだ、車、」
「ジジイが乗らなくなったの貰ったんだ。オンボロだけどさー」
「ああ、ブックマンの...」 年季の入ったちいさなその車のハンドルを楽しそうにラビが握り、助手席で黒い髪の彼が静かに座っているのがアレンには容易く想像できた。ほんとに仲が良くて、ときどきその関係を壊したくなるほど羨ましくなる。きっと、アレンがそんなことを考えているだなんてラビには思いつきもしないのだろう。彼はそういうところがお人好しで、都合が良い。アレンの心の裏に濃い影が一瞬過ぎる。手の中のメモ紙がぎゅっと握りつぶされていった。
「もともと
「いっつも全部自分でやってるのに珍しいね。いじりすぎてどうしようもなくなったかな、」 放っておいたら一日中解体した愛用のフルートに向かっている神田の後姿は、いつ見ても微笑ましかった。きっと今はラビだけのものだ。
「昨夜コルクをフライパンで焼こうとしてたから全力で止めたさ」 げっそりした顔でラビが云うので、アレンは思わず声を立てて笑ってしまった。レジの向こう側では、神田が不機嫌そうにふたりを待っている。
ときたま不安げなエンジン音をさせながら、ラビの車は工房まで辿り着いた。さすがに男三人いれば重い荷物を運び込んでしまうのは容易かった。居間でお礼のお茶を振る舞ったアレンは、一息つくと工房にいるマリアンに声を掛けに行った。かの楽器職人への取次ぎは、いつもアレンを通さなければならなかった。とくべつマリアンからそう云い含められているわけではなかったが、依頼人に逢おうともしない師匠を弟子がなんとか引っ張り出そうとしているうちにできた構図は、いまではすっかり馴染みのものだ。住居と工房を繋ぐ廊下をアレンの軽快な足音が遠ざかっていく。師匠、お客様ですよ、美人がひとり!
「あッの野郎...」 愛器であるフルート__神田が六幻と名付けたそれが収められている箱を前に
短い舌打ちのあと、神田はむっつりと押し黙った。せっかくの紅茶は口をつけることもなく冷めていく。あとでどうにか機嫌を直してやらないと__ラビはお茶請けに出されたスコーンにジャムを塗りたくりながらその方法をひとり思案した。椅子の上で伸びするように背凭れに首を掛ければ、ちいさな花と葉をあしらったデザインの壁紙が目に入る。この家の居間はいつ来ても好ましく調えられていた。工房がマリアンの城なら、ここはアレンの領域だった。迎え入れる者にたいして警戒することも威嚇することもけしてなく、好きなだけ滞在を許す雰囲気に満ちていた。ただし、去るものをけして追わない__この家で、アレンに引き止められたことのある人間をラビは見かけたことはなかった。自身も含めて、だ。
つねに置かれている物や、増えたり消えたりする物はすべて彼の在り様を映していた。神田の言を借りれば“なんでもかんでも記録しちまう行儀の悪い脳”をもつラビは、この部屋の細やかな変化を記憶と照合する。細身の花瓶の位置、家具についたこまかな傷や、増えた雑誌に見かけなくなった本、壁にいくつか掛けられているちいさな額に入ったフォトグラフが何個違うのか__ついつい確認してしまう。
ラビは口いっぱいに頬張ったスコーンを咀嚼しつつ、そっとキッチンとの境のカウンターに目を移した。あの寂しがりで心移ろいやすい少年に、いま恋人が居るのかいないのかでさえそれで簡単にわかる。けれどオーカー色の台の上には、ラビが期待していたものは見当たらなかった。いままでにない新しいパターンだ。アレンが大切にしている道化師の親子の人形がいない。ふたつ揃って置かれているか、子ピエロだけ置かれているか、どちらかだったのに。 「へぇ...」
思わず呟き漏らすと、隣で黒がさらりと揺れる気配がした。ラビが見遣ると、神田がテーブルに肘付いて睨んでいる。
「おまえ、毎回ここ来るたびきょろきょろしてるが...ゴーストでも見えてんのか」
ごくり。紅茶と共にスコーンを飲み下すラビの咽頭が上下して、深緑の隻眼がじっと神田を捉えた。
「ゴーストなんて信じてたっけ?」
「怪談好きだろ。それとも妖怪か、」
「ようかい...フェアリーのこと?」
「...そんなもんだ、」
「いやーいくらラビさんでもそれは見えませんよ?」
「おまえなら右目で見そうなもんだがな」 黒い眼帯をぱちんと指で弾かれて、ラビが悲鳴を上げた。
悪さをした手をラビが掴まえると、なぜか椅子に座ったまま組み合うことになった。しばらく両手で互いに指を絡めて押し合いしていると、「...ちょっとあの、他人の家でいちゃつくの止めてもらえます?」 ひどく冴え凍った声がラビと神田のふたりを割った。 「ぶん殴るよ、」
「お、おかえりアレン! 首尾どう?」 神田がさっと力を抜いて引いたものだから、半ば前につんのめりながらラビが訊いた。
アレンは大仰に溜息ついて見せると、腕組みしてふたりの近くに立った。怒りの滲んだ銀の視線が痛い。
「...神田はフルート持って工房へどうぞ。師匠がお待ちかねです。愛想笑いのひとつでもして、頬にキスでもかませば六幻のひとつふたつ、むっつくらいはホイホイ作ってくれそうですよ」
「それはだめっ!」「誰がするか!」
ふん、とアレンはつまらなさそうに鼻から息を抜いた。 「冗談ですよ、決まってるでしょ」 いつも仲良しで結構なことです、棘々しく云うとアレンは勝手に机の上に置かれたケースを取り上げた。
「じゃあ約束通り、これはお預かりします」
「ああ...明日の正午に取りに来る」 「ワリィなアレン、無理云って」
いいえ、と妙にさばさばした調子でアレンは首を振った。 「リハには必ず間に合わせますから。はい、用が済んだらさっさと帰ってください」
神田はわずかに顔をしかめたが、何も云わずに上着を手にして居間を出て行った。次いでラビも後を追う。廊下に出て、玄関とは反対方向の工房へ向かうアレンの背へ躊躇いつつも声を掛けた。
「...なぁ、なんかあったならお兄さんたちが相談に乗ってやるぜ、」
ゆっくりと歩みを止めたアレンが少しだけ顔を振り向かせた。廊下の影に半ば沈んでいる。白い頭髪だけがぼんやりと浮かび上がって、まるでゴーストのようにも見えた。
「ありがとう、でも、いいんです」 そうして微かに笑いの気配が空気を伝った。 「神田を待たせると怒られますよ。僕もヤキモチの対象にされるのはごめんです」
短い沈黙のうちに、雨が降り始める音が遠く聴こえてきた。大変、洗濯物入れないととアレンが呟き、ラビはすっきりしないまま家の奥へ消えていく背を見送るしかなかった。玄関を出た軒先で神田と合流し、小走りで車の中へ駆け込んだあと、ラビはエンジンを掛けずにハンドルへ両腕を乗せた。
「なーんかな、」 呟くと、助手席の神田がちらりと横目でラビを見た。
「...お節介め、兄貴風吹かせやがって」
「ユウだってちょっとは気になっただろ。いつももっと口喧嘩するくせに」
「知りたがり、」 と神田は呆れたふうに鼻を鳴らした。 「モヤシのことだからまたどうせ誰か面倒なやつに惚れたんだろ」
「や、まあ、そうだろうけど...なんかいつもとちがくない? ユウちゃんなんか知らないの?」
「ついこの前まではマリに纏わりついてたが...そっからは知らねぇ。」
「え、ウソ、そうだったの! あれ、でもマリさん彼女できたんじゃなかった? リナリのともだち、」
「だから、そっちは振られたんだろ、」
ああ、そっか、とラビが納得する横で、神田は置かれていたペットボトルに口を付けた。 「そんなに気になるんなら、本人に直接訊けよ」
「さっきやんわり断られたよ」
「じゃあ放っておけ。できねぇんなら俺は今すぐ降りて帰るから、おまえは戻ってモヤシ慰めてやれよ」
ラビは腕に頭を凭れかけさせると、そう吐き捨てた神田を見つめた。ボトルの蓋を閉め直し、ドリンクホルダーへ元に戻すのを見届けると、 「ユウのいじわる、」 口を尖らせ云った。
「オレがおまえだいすきなこと知ってるくせに」
「知るか、」
「嫉妬するユウもかわいいさぁ」
「...降りる」 「照れんなって。そんな簡単に帰さないしー」
運転席からドアロックを掛けて、ラビはハンドルから腕を離すと神田をすばやく捉えた。強くなった雨音がちいさな車内に満ちて、気息を合わせたふたりを包み込む。嫌がるように押しのけようとする神田の手とは裏腹に、ラビが吸い付いた唇は素直だった。
「あー...なぁ、ここでしてみる?」 ぽつりとキスの合間に零すと、神田はぎっと柳眉を吊り上げた。
「降りる!開けろ!」
「イテ!うそ!しない!しねぇさ!」 容赦なく髪を引っ掴まれたラビは涙目になりながら身体を離した。さっさと車を出せと視線で強要され、ラビは痛む頭皮をさすりつつイグニッション・キーを回す。
「...ちくしょう、帰ったらソッコーで襲ってやる」
ぽそりと決心を零して、ラビは発進のためにすばやくギアを入れ、勢い良くアクセルを踏み込んだ。