Unexpected farewell
〜予期せぬ別れ〜
外に出た途端に、この土地特有のからっ風が吹き付け、俺は着ていたダウンジャケットのジッパーを上まで引き上げた。
ハプニングを楽しんだクリスマス、そして年末年始、高梨兄弟や忍、皆瀬と6人で集まることが何度かあって、その他にバイトもこの時期は忙しく、勿論雅史に出された宿題は何が何でもやらねばならず(今回は自分でやれと言われ、何度も奏に電話して聞いて、ようやく終わらせた・・・)、毎日があっという間に過ぎ、明日はもう始業式だ。
(三学期は元々短いから、試験も中間がなくて期末試験だけだし、三年生が受験で忙しくしているこの時期は、一・二年生はとりあえず登校してます、って感じで、気が楽なんだよな。
先生たちの都合で、半日授業になったり、休みになる日もあるし、それが楽しみだ。今年は年明けからツイてたしな。
あーあ、早く期末試験、終わんねえかな・・・)
などと、ポケットに手を突っ込み考えながら、駅への道を急いでいた俺は、
コンビニで暖かい缶コーヒーでも買って行こうと思い立ち、そっちへ足を向けた。
ここの角を曲がればコンビニだという所で、電柱の陰から突然飛び出して来た人にぶつかりそうになってしまった。
「すいませ・・・」
と言いかけている俺に、前を塞ぐ様に立っていたその人が、
「暁くん!」
と叫ぶように言って、抱きついて来た。
・ ・・お前、誰だ・・・?
俺よりかなり背の低い女性で、体に合わない大きめのコートを着ている。
俺に抱きついている手を外させ、その両肩に手を置いて、俺から少し離して、
よく顔を見る。
「・・・、あ、や・・・?・・・」
びっくりして言う俺に、あやはにっこり笑って頷いた。
「なんで・・・、
なんで、あんな手紙だけで、急にいなくなったんだよ?」
そう言いながら、よくよくあやの着ている物を見ると、それは普通のコートではなく・・・、よく赤ん坊をおぶっている母親が着ているやつに似ていた。
そして、あやの首の所に、何か、黒っぽいものが動いている。
「まー、まー、」
小さな子供の声がして、間違いなくあやが子供をおぶっていると分る。
まあ、一年以上、って言うか、そろそろ、二年近くになるからな、最後に会ってから。
俺が最後にあやに会ったときの事を思い出していると、
「あ、おっきしたの。
じゃ、下ろしてあげるね。」
とあやは言いながら、コートの前を開けて、あちこち何やら外して、おぶっていた子供を下ろして立たせた。
(子供の年なんて良く分んないからな、でも、立てるって事は・・・、
子供って、幾つになったら立てるんだ?
ブルーのコートを着せられてるから、男の子か・・・)
などと、俺が思っていると、
あやはその子と手を繋ぎ、子供の耳元で
「ほら、パパにご挨拶しなさいね。」
と、言った、確かに・・・
・・・なんだって・・・?
「勝手に生んでごめんね。
でも、どうしても生みたかったから。
妊娠が分ってすぐ、私、独りで遠くに引っ越したの。
無事生まれてすぐ、会いに来たかったけど、どうしても、
決心が付かなくて。」
言われた事が余りに衝撃的で、俺の思考回路は停止した。
・・・なんだって・・・?????
『落ち着け、初めから整理してみよう。』
俺は自分に言い聞かせてから、あやと会っていた頃の事を思い出していった。
あやはこれから行こうと思っていたコンビニで、バイトをしていた。
俺が中三の終わり頃から、買い物に行くと挨拶を交わすようになり、俺が中学を卒業した日、誘われるままに体の関係を持った。
あやが俺の初体験の相手だったって訳だ。
愛してるとか、すごく好きだとかって言うのとは違ったが、好奇心だけで付き合っていたのかと聞かれれば、それはそれで、ちょっと違って、やっぱり、ちょっとは好きだったような気もする。
あやは俺より4つ年上だったが、背が小さく童顔だったので、外見的には何の違和感もなかった。
コンビニの他にもバイトをしていたので、そんなにしょっちゅう会っていた訳ではない。
時々コンビニを覗いて、いれば何時に終わるかを聞いて、その頃迎えに行って、街をぶらぶらした後、体を重ねた。
春休みが終わって、俺は龍門学園に入学し、何度か会った後、ゴールデンウィークの直前、あやは俺に何も言わず、引っ越してしまった。
コンビニの他の店員に尋ねたら、手紙を預かっていると渡され、
それには、
『暁くん、とても楽しい日々でした。ありがとう。』
とだけ書かれていた。
勿論、コンビニも辞めた後だった。
『俺って、なんだったんだ・・・』
とは思ったが、付き合おうと言って付き合い始めた訳でもなく、好きだとか、愛してるとか、告白したり、されたりした訳でもなかったから。
暫くは気が抜けた日々を過ごしたが、そのちょっと前から、酒屋でバイトを始めていたので、学校とバイトで、いつしかあやの事を思い出すことも少なくなり、二年になってからは全く思い出す事もなくなっていた。
しかし・・・、今、あやが言ったことが本当だとすれば、
俺たちが会っていた頃に、あやは妊娠し、まあ、俺はまだ15だったから、勿論結婚なんか出来ないし、でも、あやは子供を生みたかったから、反対されないように、俺の前から姿を消し、独りで生んで育て、そして、ようやく俺に会いに来た・・・、ってことだよな?
・・・、俺、知らないうちに、子持ちだったって事か・・・?
事情が飲み込めて、状況がはっきりして来るにつれて、俺は、マジで、眩暈がして、倒れそうになった。
現国で習った、青天の霹靂、ってやつだ、正しく。
「暁くん、びっくりさせてごめんね。
ここじゃなんだから、何処か、他の所で話そうよ。」
「今、どこにいるんだ?」
「うん、住んでるのは隣の県なんだけど、今日朝早くに
向こうを立って来て、今晩はこっちの友達の所に泊めて
もらうの。」
「何処かって、どこがいい?」
「そうね、その友達、午後からの仕事だから、今、家にいないの。
そこ、行こうか?」
確かに、話す内容が内容なだけに、人のいない所のほうがいい。
「そうだな、じゃ、そこで、話そう・・・」
言ってから思い出した。
俺、雅史と駅で待ち合わせしてるんだ・・・
直接家に行くと言ったのに、雅史は何か、駅の近くに用事があるからと言って、結局雅史の家の近くの駅で待ち合わせることにしたんだった。
俺に付き合って欲しかったんだろうな、雅史の性格からして、そうは言わなかったけど。
でも・・・、どう考えても、これから行くのは無理だ。
仕方ないな・・・、ドタキャンで申し訳ないけど、電話しよ・・・
「わりい、俺、ちょっと、電話してくるわ。」
俺はあやにそう言って、角を曲がった所で雅史の携帯に電話をする。
『あ、雅史、わりいな。
俺、ちょっと、急用が出来て、行けなくなったんだ。
なんか、大事な用だったのか?
うん、いや・・・、
じゃ、又、明日、学校でな。』
(はぁ〜〜〜、
やっぱり、何か、雅史の声、元気なかったな。
学校が始まれば、又、暫くは、毎日顔は合わせても、二人っきりで会う事は少なくなるもんな・・・)
そう思いつつ、あやのいる方へ戻る。
「暁くん、付き合ってる彼女、いるの?」
と聞かれ、
「いや、彼女はいないけど・・・」
と答えてしまった。
(男と付き合ってるって言って、話が面倒なほうに行っても困るし、
とりあえず、話聞いてからだよな・・・)
*****************************
(暁、どうしたんだろうな・・・
ドタキャンなんて、滅多にどころか、したことなかったのにな。
母親になんかあったのか、って聞いても違うって言うし・・・
でも、なんか、変だったな。)
雅史はそう思いながら、時計を見た。
予約してる時間が迫っている。
独りで行くのは何か、嫌だなと思うが、仕方ないと思い直して、駅を出て真っ直ぐ歩いて行った。
昨日の夜から、また、喉の調子が良くない。
明日から新学期だし、熱が出ていないうちに、医者に診てもらおうと思って、
以前かかった総合病院に予約を入れた。
夏に熱を出した時は暁がずっと付いていてくれたから、心強かった。
昔から、よく医者にはかかったが、何度行っても、医者の前に出ると緊張してしまう。
暁には、行き先は言わずに、駅の近くに用事があるとだけ言っていた。
*****************************
「・・・とも、休みなのか?
聞こえてるなら返事位しろ、大友、おおとも!!」
呼ばれてるのが自分だと気付いて、慌てて返事をすると、
「冬休みボケか?
目を開けたまま寝てたんじゃないだろな。」
雅史が俺を睨み付けながらそう言う。
・・・はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今年の龍門学園の始業式は1月10日。
昨日は一睡もしないまま登校したが、眠気はない代わり、昨日あやと交わした会話が頭の中を回っていた。
(やっべぇ〜よな〜
どうするんだよ、俺?)
雅史に言われたのが今学期最初の嫌味だと分ったが、今はそれどころじゃないんだよ・・・
雅史の顔もちゃんと見られないもんな。
隣の席の奏が俺の肘を突いてくる。
『どうしたのさ?
先生、見てるよ。』
小声で囁く奏に苦笑いを返し、またしても俺は、深く溜息を付いた。
何て言ったらいいんだよ、雅史に。
俺、実は子供がいたから、その母親と、次の誕生日が来たら結婚します、ってか?
言えるかよ、そんな事・・・
全てが上の空のまま、体育館で始業式が行われ、その後又教室に戻って、休み中の宿題を提出する。
ボーッとしながらも、雅史がふと目に入った。
なんか、顔色悪いな・・・
そう感じて、目を合わせようとすると、今度は雅史の方から逸らされた。
何だよ、俺が昨日ドタキャンしたから、怒ってんのか?
まあ、当たり前だけどな。
終わったら英語準備室に寄ってくか・・・
頑張って終えた英語の宿題も無事提出し、今日はこれで終わりだ。
「どうしたの、今日、変だよ、暁?」
雅史が教室を出て行ってから、奏が話し掛けてくる。
(親友だけど、今はまだ、話せないんだよな。)
そう思いつつ、
「そうか、淀川に言われた通り、休みボケかもな。」
そう言って誤魔化し、俺は鞄を持って、立ち上がる。
「又、明日な。」
奏が俺を見上げて怪訝な顔をしているが、今日は時間がないから、それ以上は言わず、手を振って教室を出る。
英語準備室に行くと、雅史がニコリともせずに、俺の方を見る。
「雅史、顔色悪いぞ。具合悪いんじゃないのか?」
そう聞きながら、傍へ行った時、
ノックの音がして、保健体育担当の高橋が入ってきた。
なんて、バッドタイミング・・・
(畜生、もう少し後で来いって。
今日に限って、俺、ドアのカギ閉めるの忘れてるし・・・)
そう思っても後の祭りだ。
「お、大友、どうした?」
大柄な高橋はそう問い、ニコニコ笑いながら、窓の近くに置いてあるお茶セットの方へ歩いて行った。
「提出した宿題のことでちょっと・・・」
高橋はポットからカップにお湯を注ぎながら、
「そうか、じゃ、話先に済ませていいぞ、俺、待ってるから。」
と言うが、お前の前で話せるはずないだろ・・・
「いえ、もう終わった所ですから。」
「そうか?
ん?・・・又校門の所で女の子が誰かを待ってるぞ。
この学園の生徒はもてていいなあ。」
高橋は窓の外を見ながら豪快に笑ったが、俺は一瞬にして、背中に冷や汗が流れた。
その女の子って、まさか・・・
「じゃ、俺、これで失礼します!」
大声でそう言った後、英語準備室を後にして、ダッシュで校門に向かう。
まさか・・・
靴もきちんと履かないまま、外へ出ると、やはり・・・
そこには子供をおんぶしたあやが立っていた。
今日の昼の電車で帰るから、もし行けそうだったら、学校に迎えに行くというあやを、昨晩は必死で止めて、駅で待ち合わせをしたのに・・・
悪い予感って、何で当たるんだよ・・・
*****************************
暁が出て行った後、高橋と話しながら、雅史は何気に窓の外を見ていた。
今日の暁は絶対、休みボケなんかじゃなく、変だった。
何隠してるんだ、と思いつつ、遠くに見える校門を見ていると、暁が走って外へ出て、その子を連れて何処かへ行くのが見えた。
(暁、また、女の子に手紙でも貰ったのか?
でも、それだけにしては、態度が変だったよな。
後で電話でもしてみるか。
それにしても、何も言わなかったのに、俺の体調に気が付いたとは・・・)
雅史はそれがちょっと嬉しくて、思わず笑みがこぼれてしまう。
(でも、やっぱり、山口先生に言って、薬変えてもらおう。
これ、ちょっと、強すぎるな・・・)
一人で今度の校内マラソンの話をしている高橋に相槌を打ちながら、雅史は気分の悪さを必死に堪えていた。
高橋が帰った後、今日しておくべき仕事を何とか終えた雅史は、昨日貰った名刺の携帯番号に、
(医者も名刺を持ってたんだ。これじゃ、いつでも患者に呼び出されて、大変だろうに・・・)
と思いながら、電話を掛けた。
昨日診て貰った礼を言ってから、先生が言っていた通り、薬が強すぎるように感じることを伝えた。
今日は外来担当ではないが、昨日の今日だから、俺が診るから、五時半に来てくれと言われる。
病院に着くと、ちょうど山口医師が診察室の前に立っていた。
軽く会釈すると、手招きされて、空いている診察室に通された。
「さっきも言った通り今日は外来担当じゃないから、
この診察は特別なんだ。」
山口はそう言って笑った。
暁が賞味期限切れの牛乳で食中毒になった時、診察してくれたのが、この山口だった。
雅史の親友の三上の彼女、葉子とも最近は親しいらしく、時々話題に上ったりする。
彼女が言うには、医者としては若い方だが、とても有能で、患者の信頼も厚いそうだ。
「喉の炎症は昨日よりいいみたいだけど、やっぱり、きつかった?」
そう聞かれて、雅史は頷いた。
「喉の痛みは、ほとんど取れたんですが、今朝から、眩暈と
吐き気がして、俺にはちょっと、強すぎるようです。」
昨日偶然にも担当が山口で、ちょっとだけ知っている事もあって、新学期が始まるから、早めに治るような薬を出して欲しいと言う雅史に、治りは早いがきつくて副反応が出やすい、そしたら薬を変えるからと、山口は、新薬の抗生剤を処方してくれたのだ。
帰り際、名刺を渡され、何かあったらすぐに電話するように言われた。
医者の苦手な雅史が安心できる雰囲気を、山口は持っていた。
診察後、処方箋を書いて雅史に手渡しながら、山口は、
「今日はもう仕事上がりなんだ。と言っても、夜中から
又出勤なんだけど、家に帰る前に夕食、一緒にどう?」
と言う。
暁のことが気になったが、食事だけならそんなに遅くはならないだろうし、
その後家に帰って電話しようと思い、誘いを受けた。
人付き合いのいいほうではない雅史だが、山口なら一緒に食事をするのも気詰まりではないように感じた。
山口の車で郊外のイタリアンレストランに行き、ちょっとだけワインを飲みながら、フルコースを堪能した。と言っても、堪能したのは山口だけで、雅史はほとんど、手を付けただけだったが。
山口は、東京の医大を卒業した後、そのまま付属の大学病院で研究チームに入ったが、現場を知る事も大事だと、昨年から、地方総合病院の内科医として勤務しているそうだ。
今年で30歳になるんだ、と言って笑う山口は、医者と言うより、スポーツをこよなく愛する商社マンというイメージだ。
実際、大学時代は長距離のランナーだったそうで、今も、暇さえあれば走っていると言う。
筋骨隆々ではないが、長距離を走る人独特のしなやかな筋肉が付いてることが、スーツの上からでも見て取れた。
酒に弱いのは雅史自分も分っているので、飲んだのはほんの数口だが、やっぱり頬が火照ってしまった。
そんな雅史を、食後のエスプレッソを飲みながら、山口が何度も見つめていたことに、雅史は気付かない・・・
送ってくれた車を降り、ここでいいと言う雅史に、ちょっと酔っている様だからと言って、山口は上まで送ってくれる。
家のドアの前で、
「内服治療中の患者さんに、お酒を飲ませて、すまなかった。」
と言われた。
「いえ、元々弱いほうですから・・・」
と返し、家の鍵を開けると、
山口は雅史の顔を見ながら笑って、
「淀川君に話があるんだ、ちょっと、お邪魔してもいいかな?」
と言う。
立ち話も何だからと中に入ってもらい、リビングのソファを勧めた。
自分の酔い冷ましにもと思い、カフェラテを入れて山口と自分の前に置く。
カフェラテは、暁が好きで、家でも飲めるようにと、冬休み中に二人でコーヒーメーカーを買いに行ったのだ。
「前に、君が付き添って来た大友君、彼にも用事があるんだけど、
今晩はここへは来ないの?
彼の電話番号は知ってるよね?」
暁に用事って何なんだ、と思いつつ、
「今日は来ないと思います。
電話で話しますか?」
と聞くと頷くので、暁の携帯に電話をした。
『暁、・・・』
と口を開いた途端、山口は雅史の携帯を取り上げ、
『雅史、どうしたんだ?
おい、どこにいるんだ?』
と言う暁に向かって、
『淀川君の自宅・・・、』
とだけ言って、携帯の電源も切ってしまった。
*****************************
部屋で考え事をしていた俺に、雅史から電話が入った。
「暁・・・、」
とだけ声が聞こえた後、暫く沈黙があり、
『どうしたんだ、どこにいるんだ?』と問う俺に、
雅史ではない男の声が、
「淀川君の部屋・・・」
とだけ告げて、その後切れてしまった。
こっちから掛け直しても繋がらない。
なんだよ・・・、何が起こってるんだ・・・?
大の大人の雅史が誘拐された訳じゃないだろ、って、雅史の部屋って言ってたんだから、誘拐自体、されてるはずがないし・・・
こんな時に、なんだよ〜〜〜〜〜
まさか、雅史、誰かに手篭めにされかけてんじゃないだろうな!?
気が付いたら自転車で雅史の家に向かっていた。
息を切らせながら一応チャイムを鳴らし、合鍵でドアを開けると、雅史がリビングからこっちへ向かって歩いて来るところだった。
「どうしたんだよ?」
雅史は困ったような顔をして、俺を見ている。
「前に暁が診て貰った事ある、山口先生、覚えてるか?
お前に話があるって言って、待ってたんだ。」
呼吸を整えながら、雅史の後に続いてリビングに入って行く。
「今晩は、大友君。」
山口は俺の顔を見るなりそう言った。
「今晩は、この間はお世話になりました。」
俺も一応、挨拶する。
雅史がカフェラテを入れたカップを、俺の前に置いた。
それを一口飲んで、山口のほうを見る。
「大友君、単刀直入に言うと、僕、君と一緒に来た淀川君見て、
気に入ってしまって・・・
君、淀川君と付き合ってるんだろ?
淀川君は一目で、バイセクシャルだって分ったんだけど、
君の場合、どうもそうは見えないし、ゲイかって言うと
それも違う。でも、淀川君が一瞬、君を見た時の目で、
君たちがただの友達じゃないって分ったんだ。
黙って諦められないくらい、淀川君は僕の好みだから、
一応君に断って、淀川君に迫ろうと思ってるから、悪しからず。」
山口はそう言うと、俺の顔を見ながら、自信たっぷりに笑った。
「君がここに来る前に、淀川君には話してある。
僕、3月末にUKの大学病院に、交換研究員として行く
ことになってるんだ。
もし、淀川君がよければ、一緒に行って欲しいと思ってる。
淀川君だって、UKに留学してたのは短い期間だったんだろ?
淀川君は僕とUKでもっと勉強して、勿論、勉強だけじゃない
けど、大友君は日本できちんと学校を出て、普通に家庭を
築いたほうがいいんじゃないのかな。
まだ若いんだから、これからいくらでも、他の人と付き合う
チャンスがあるし、君、元々男なんか興味ないよね?
楽しい時間を過ごした後は、現実に目を向けた方がいいと
思うよ。
僕が突然こんな事言うのは、図々しいとは思うけど、もしか
したら、君たちにとっても、これからの事を考え直す、チャンス
じゃないかな。」
一昨日、同じ事を言われてたら、俺は間違いなく、こいつをぶん殴っていただろう。
でも・・・、今のこの状況じゃ、もしかしたら、こいつの言ってること、正しいのかも、って思ってしまう。
俺があやと結婚することになったら、雅史はちゃんと安心できるやつと付き合って欲しい。
山口は、確かに雅史を幸せにしてくれるかも、それも、俺以上に・・・
俺が雅史にしてやれない事を、こいつなら、してくれるだろう。
俺はもう、雅史とは付き合っちゃいけない・・・
そう思うと、胸に熱いものがこみ上げてきて、俺は唇を噛み締めた。
気を落ち着ける為、大きく深呼吸した後、
「わかりました。
でも、今日は即答できないので、良く考えて、雅史とも
話し合ってから、返事します。」
と答えて、俺は立ち上がった。
「帰るのか?」
雅史が縋る様な目で俺を見上げる。
雅史の顔を見ると、鼻の奥がつんとしてきて、俺は慌ててリビングを出た。
急いで靴を履きながら、後に付いて来た雅史を振り返らず、
「お前も良く考えろ。
金曜日に、話し合おうぜ。」
俺はようやくそれだけ言うと、そのままドアを開けて外に出た。
エレベーターには乗らず、裏の階段を走って降りる。
誰にも会いたくなかった。
電気は付いていても薄暗い階段を下り切った時、自分の頬が濡れていることに気が付いた。
(ずっと、一緒にいられると思ってたのに・・・)
人通りの少ない暗い所を選んで自転車を走らせながら、俺は頬が凍るほど涙を流した・・・
*****************************
母親を心配させないように、一応家を出たものの、今日は学校へは行かないつもりだったから、私服だ。
(もしかしたら、今週はもう、行けないかもしれないな・・・)
雅史の事を思うだけで、また、目頭が熱くなってしまう。
学校なんか行けるか、こんなんで・・・
自転車で適当に走って、どこか、来た事のない公園に着いた。
気温は低いが、風がなければそんなに寒くはない。
日の当たるベンチに腰掛けて、遊具や砂場で遊ぶ子供たちに目を向ける。
(智也、元気にしてるかな・・・)
あやに息子の名前を聞いたら、
『ともや、智慧の智、に、なる、って字。
智って、サトルとも読むでしょう?
だから、この字をつけたの。
もしかして、勇気が出なくて、暁くんに会いに来れな
かったら、一生、パパのことは黙っていようと思って
たから、同じ字は使えなかったんだ・・・』
そう答えた。
そこまで言うんだから、本当に俺の子供なんだよな・・・
初めは信じられなかった。
だってそうだろ、何で俺の子供を、生もうと思ったんだ?
別に長い間子供が出来なくて、このチャンスを逃したら、もう生めない、とかって言うんでもないし、独りで生んだら、苦労するに決まってるのに、こんな若いうちに、何も好き好んでしなくていい苦労することないだろ?
そこまで、俺のこと、好きだったとは、どうしても思えないんだよな・・・
でも、あや本人がそう言うんだから、あんまり疑うのも、責任取りたくないから、って言われそうだし。
本当に、俺の子供だったら、やっぱり、責任とって、結婚するべきだよな・・・
いくら若気の至りとはいえ、自分のした事に責任持てないなんて、男の風上にも置けねえもんな。
学校、どうすっかな〜〜
そう思っていた時、携帯が鳴った。
『はい・・・』
短く言うと、奏からだった。
『どうしたの、今日、さぼり?』
と聞かれ、まあな、と答える。
居場所を聞かれるが、自分でもどこだか分らないから、答えようがない。
そう言うと、教えないなら今から俺も学校サボって暁を探しにいく、と言う。
奏まで巻き込む訳には行かないので、奏が帰りつく頃、家に行くからと言って電話を切った。
真澄さんは今日も夫のところへ行っているそうで、高梨は部活だから、奏と二人きりで話せる。
独りで悩んで、答えはほとんど出てるんだから、自分の考えを話して、奏の意見を聞いてみたいと思った。
*****************************
昼過ぎまで公園でボーッとした後、又適当に自転車を走らせ、何とか道が分る所まで来た。
喉が渇いていたので、マックに入ってコーラを買って、奥まった席に腰を下ろす。
昨日から、ほとんど食べていないのに、全然空腹を感じない。
ハンバーガーも頼もうかと思ったが、食べられそうにもないからやめた。
食べたくない割りに、やたらと喉が渇くんだよな。
それってやっぱり、体から水分が失われてるってことか・・・?
今朝は見事に腫れてたもんな、と思いつつ、コーラをストローで飲みながら、
右の人指し指で上瞼を触ってみる。
もう、こんな時間だから、大丈夫みたいだな。
時計を見ると3時近くになっていた。
4時半頃に着くように行くか・・・
今日はバイト休みでよかったな。
でも・・・、明日からはちゃんと働こう。
時間を潰そうとマックの隣のCDショップに入る。
見るとでもなく海外アーティストのコーナーをぶらぶらしていた時、店内に低く流れてる歌が耳についた
聞いたことのない歌だけど、この声・・・、雅史に似てる・・・
そう感じると、もう、聞いていられなかった。
足早に俺は店を出た。
しかたねーな。
早めに行って、家の前で待ってるか・・・
高梨家の近くまで来ると、前に奏が歩いているのが見えた。
「奏・・・」
後から声を掛けると、奏が振り返ってにっこり笑うと。
「よかった。
先に来て待ってるんじゃないかと思って、急いで
帰ってきたんだ。」
と言う。
・・・、なんか、友達って有り難いな、って、思った。
高梨家に着くと、奏の部屋に行くかと聞かれるが、リビングでいいと答えた。
二階に上がれば、手前は高梨の部屋、クリスマスにそこで雅史を着替えさせた時の事を思い出しそうで、それならみんなで過ごしたリビングの方が、落ち着いて話せそうだと思ったから。
「これ、すごく美味しいから飲んでみて。」
と、奏はシャンパン色の透明な飲物の入ったグラスを俺の前に置いた。
マスカットのジュースで、奏の最近のお気に入りだと言う。
甘すぎず、すんなりと喉を通っていく上品な味がした。
「響も忍も、心配してたよ。
それと・・・、先生、今日メガネかけてたけど、どう見ても
目が腫れてた。
顔色もすごく悪くて、保健委員が、具合悪いんですかって、
聞いたら、風邪ひいてて、飲んでる抗生剤が強くてな、って
言ってたけど・・・
授業中、何度も暁の席見てたよ。
喧嘩、したの?」
雅史の様子を聞かされて、不覚にも目が潤んでしまった。
でも、ここに来たのは話を聞いてもらうためだったんだからと、何度も深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
そして、一昨日あやに会った事、そして、昨日の夜、雅史の家で山口に言われた事を、なるべく感情が篭らないように、事実をそのまま話した。
奏は一言もしゃべらず、黙って俺の言う事を聞いていた。
全部話し終わると、暫く黙っていたが、
「辛かったね・・・」
と、ぽつりと言った。
昨日の晩、後から後から、こんなにも出るものかと驚くくらいだったのに、
奏の一言を聞いた途端、また・・・
下を向いている俺に、奏は背中を向けた。
「擦らない方がいいよ。
流れるままにしておくほうが、後で腫れないから。」
「鼻はかんでもいいのか?」
照れ隠しにそう聞くと、奏は笑いながら、テレビの横からボックスティッシュを取ってくれた。
「先生には、ありのまま、話した方がいいんじゃないかな。
子供の事と、山口さんの事は、別問題だし・・・
ねえ、暁、本当に、その子、暁の子なの?」
遠慮がちに聞いてくる。
「うん・・・
俺も、本当か、って思ったんだけど、嘘つく理由も
ないだろ?」
「あやさんには聞かなかったの?」
「聞けるかよ、そんな事・・・
本人がそうだって言ってんだから。」
「下手に聞いたら、逃げるの?とか言われそうだしね。」
「うん・・・
例えば、だけど・・・、変なこと聞いてごめんな。
もし、お前が雅史の立場だったらどうする?
高梨の昔の彼女に、子供がいたって分ったら・・・」
「ん〜・・・
困った質問だね。
だって、響にだって、何人も彼女いたって、聞いたこと
あるし、もしかして、本当に、人事じゃないかも知れ
ないよね・・・」
「あ、これ、暫くは、誰にも言わないでくれるか?
落ち着いたら、俺からみんなに話すから。」
「うん、今日聞いたことは、暫く忘れる事にする。
それと・・・、
もし、俺が先生の立場だったら・・・
本当に、それが暁の子供で、暁があやさんと結婚するのが
嫌じゃないんなら、仕方ないと思う・・・
とっても辛いけど・・・、死んだほうがましだって思うくらい、
辛いと思うけど。
暁・・・、先生はまだ、暁が何で、昨日の夜、山口さんが
言った事に全然反論しないで、話し合ってから返事するって
言ったのか、知らないんだよね?
もし俺だったら、暁は俺の事好きじゃなくなったのかって、思う。
突然、他の人から気に入ってる言われたって、そんなの・・・
断れば済む事でしょう?
先生、きっと、暁になんかあったって事は気付いてると思うよ。
でも、それがなんだか知らないんだから、もしかして、暁に
嫌われたのかなって、そうじゃなければ、俺より好きになりそうな
人が出来たのかなって、思うんじゃないかな。
あやさんの事は知らない、山口さんからは告白されただけ、それ
じゃ、何で先生、目、腫らしてたの?
先生、暁の気持ちのことで、悩んでたんだと思うよ。」
奏の言う通りだ・・・。
金曜日には、俺にあった事、全部、きちんと話すつもりでいる。
話すには、勇気いるよな・・・
本当は、今すぐにでも、話した方がいいんだろうけど、
そしたら、雅史とは本当にそれっきりになってしまうかもしれない。
だから、ちゃんと気持ちが決まるまで・・・、
もうちょっと、時間が欲しいんだ。
金曜には、俺、ちゃんと心構えして行くから、
雅史と別れるかもしれないって・・・
そんな内容の事を、話したような気がする。
頭で考えていたことと、実際話したことが、ごっちゃになって、本当に俺、今、混乱してるな、って思った。
その後、奏から英語の宿題を渡されて、
『話聞いてくれて、サンキュ。』と礼を言ってから、家路に着く。
*****************************
母親はちょうど出勤したばかりのようだ。
英語の宿題をやってしまおうと、ワークブックを開くと紙が挟まっていて、
『学校はサボるな。』
と、雅史の字で書かれていた。
それを見て見ぬ振りして、とりあえず、集中して宿題を終える。
終わった途端、自分の行動に思わず苦笑いしてしまう。
宿題を忘れたら卒業まで泊まらせない、って言われてから、家に帰ったらまず初めに雅史からの宿題をする習慣が出来ていた。
もう、泊まるどころか、別れる事になるかもしれないのにな・・・
俺は下に降りて行き、冷蔵庫からビールを取り出した。
酒屋でバイトするようになってから、店長が時々、母親にって持たせてくれるが、俺の母親、仕事以外で酒飲むこと、滅多にないんだよな。
時々俺が飲んでること、母親は気が付いてるようだが、何も言われたことはない。浴びるほど飲むわけじゃないし、まあ、雅史よりは飲めるだろうけど・・・
その場で一本をほとんど一気に飲み干し、風呂に入る。
その後、又一本持って、部屋に戻った。
ベッドに腰掛けビールを飲みながら、今日、奏と話した事を思い出す。
そのうち、いつの間にか、眠ったようだ。
真っ暗な中に雅史が立っていて、俺を見ている。
何かを言いたくて、でも、口を開いても言葉が出なくて、必死に声を出そうとしているうちに、雅史がだんだん遠くに離れていく。
俺は立っているはずなのに、地の底に引き込まれていくような、周りに何もない、真っ暗な穴の中に落ちていくような感覚に、はっと目が覚めると、全身にびっしょり汗をかいていた。
その後は、又眠れずに一夜を過ごした。
木曜日は、一時間目が英語の授業だったので、二時間目から登校し、奏に宿題を預けて、下校前のホームルームが始まる前に学校を出た。
そのまま、バイトに行く。
宿題は、奏が預かって渡してくれていたので、それもきちんとやった。
金曜日、朝のホームルームの後に登校し、昼で早退した。
5時間目が英語の授業だったから・・・
バイトに行き、その後奏の家に寄って、宿題を受け取る。
挟まっていた紙を見ずに、宿題を終わらせる。
(パブロフの犬か、俺・・・)
と思いつつ、挟まっていた紙を見る。
『家で待ってる。』
と書かれていた。
いよいよだな・・・
『これから行く。暁』
とメールを入れ、俺はやっぱり、自転車で雅史の家に向かう。
チャイムを鳴らして、鍵を開ける時、手が震えた。
もしかしたら、この鍵を使うのも、これで最後かもしれない・・・
中に入ると、玄関に雅史が膝を抱えて座っていた。
もしかして、メール見てから、ここで待ってたのか?
顔を合わせるのは三日ぶりだ。
ひどくやつれて見える・・・
俺を見上げながら、雅史はゆっくり立ち上がった。
何か言おうと思うが、言葉が出ず、二人で黙ったままリビングに向かう。
雅史が、カフェラテの入った、俺のカップを持って来て、テーブルに置いた。
テーブルを挟んで、斜め向かいに、二人とも床に座る。
外が寒かったから、熱いカフェラテが旨かった。
雅史もカップを両手で包むように持って飲んでいる。
その手が微かに震えていた。
リビングには暖房が入っていても、玄関の所は寒い。
俺の家から雅史の家まで、自転車だと結構かかるから、もし、本当に玄関で待っていたんなら、体の芯まで冷えたはずだ。
雅史が愛しくてどうしようもなく、今すぐ抱き締めたいと、強く強く思ったが、それは出来ない・・・
「俺、話さなくちゃならないことが、いっぱいあった。
話す勇気が出なくって、今日までのびのびにして、
悪かった・・・」
そう詫びてから、ここ数日であったこと、考えた事を、順を追って話して行った。
さすがに、あやの子供の話を聞いて、驚いていた。
しかし、だからこそ、山口に宣戦布告されて、怒るどころか、考えてみると言ったのだと、合点がいったようだ。
「暁、俺のこと、嫌いになったのかと思った・・・、
理由は良く分らなかったけど。」
と、雅史に言われ、奏が言ってた通りだったな、と思った。
「何で、嫌いになるんだよ・・・
なる訳ないだろ。
嫌いになんか、なれる訳ないだろ・・・」
雅史の前では絶対、冷静でいようと自分に言い聞かせていたので、腹式の深呼吸をしながら、感情的にならないように、気をつけながら話す。
自分のしたことに、責任を持たなくてはならないと思っている事、
あやと、18の誕生日が来たら、入籍しようかと思っている事、
そしたら、学校は転校するか、もしかしたら、辞めるかもしれない事、
山口は俺より雅史にふさわしいかもしれないと、思い始めている事、
山口なら、雅史を幸せにしてくれそうだと思う事、
山口とUKに行くのは、今後の為にもいいと思う事、
・・・・・・
なるべく、客観的に、お互いと、それを取り巻くみんなの幸せを考えた時、
こうするのが一番いい方法だと思うって事を話した。
「彼女、を、愛してるのか・・・?」
雅史が震える声で聞いてきた。
「愛してるか・・・、今の時点では、ノー、だ。
でも、いくら自分で望んで生んだからって、独りで子供を
生んで育てていくのは、大変だったと思う。
俺のせい、ではないのかもしれないけど、すまなかったって
気持ちはある。
子供の為に結婚するなんて、馬鹿げてるか?
愛し合って結婚して、子供が生まれたって、離婚する奴は
ゴマンといるのにな・・・」
「暁、痩せたな・・・」
「お互いだろ?
雅史だって、やつれてひどい顔してるぜ。
まさか、そんな顔で授業してたんじゃないだろうな?」
「なんで、俺の授業に出なかった?」
「出られるかよ・・・、
もしかしたら、別れなくちゃならないかもしれないって
思いながら・・・、
俺が一言言ったら、それで終わりになるかもしれないって
思いながら・・・
お前の顔、見られるかよ・・・
でも・・・、
なかなか、話せなくて、ごめんな。
結局、余計な心配させて・・・悪かった・・・」
「今度、いつ会うんだ、子供に?」
「明日・・・、俺が会いに行く事になってる。」
「一緒に行ったら、だめか?」
「どうするつもりだよ?」
「どうもしない、
ただ、お前の息子に会ってみたいだけだ。
心配するな。お前が決めたんなら、俺は、反対しない。
山口先生の事は、また、別問題だからな・・・
お前からじゃなく、俺から連絡しておく。
もし、お前と別れても、すぐに誰かと付き合うつもりは
ない、って言っとく。」
「でも、山口、いい人そうだよな・・・」
「いい人だから好きになるとは限らない。」
「お前が病気になっても、すぐ治してくれるだろ?」
「他の医者にだって治せる。」
「お前のこと大事にしてくれそうだし。」
「大事にされたからって、幸せとは限らない。」
・・・俺が黙っていると、
「暁・・・、」
と言いながら、今にも零れ落ちそうなくらい、いっぱい涙を浮かべて、雅史が真っ直ぐ俺の目を見た。
俺は、ゆっくりゆっくり、雅史に顔を近づけていった。
初めての時と同じように、軽く唇が触れるだけのキス・・・
これ以上したら、お互い辛くなるだけなのが分っているから。
唇を離すと同時に、雅史の両目から大粒の涙が、ぽろぽろと零れた・・・
雅史を泣かせたのは俺なんだ。
慰める事も出来ない。
俺はポケットから合鍵を取り出すと、テーブルの上に置いた。
「明日、駅のホームで、9時に。」
そう言って、俺は二度と来ることのないであろう、雅史の部屋を後にした。
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全ての感情が封印されたかのように、何も感じなかった。
頭の中には何もなかった。
普通に自転車を走らせ、家へ帰り、風呂に入り、コップ一杯の水を飲み、そのまま、夢も見ないで眠った。
*****************************
次の日の朝、電車に乗って、雅史の乗る駅で降りた。
土曜の朝だから、ホームは空いていた。
雲ひとつない晴天だが、かなり気温は低いようだ。
白い息を吐きながら待っていると、雅史が階段を下りてきた。
紺色のダッフルコートを着て、メガネをかけている。
・・・こういう格好すると、学生みたいだよな・・・
ちょうど入って来た電車に乗り込む。
あやの住む街まで、電車を乗り継いで、2時間近くかかる。
二人で、ほとんど何も話さないまま、窓の外を流れていく景色を見て過ごした。
あやは智也を連れて駅まで迎えに来ていた。
雅史が一緒に行くことは言ってなかったので、驚いたようだ。
智也はあやに抱かれていたが、俺の顔を見るなり、手を伸ばして来たので、そのまま抱っこさせてもらった。
「だー、だー」
と言いながら、小さな手で俺のほっぺを触り、声を上げて笑っている。
(可愛いな・・・)
雅史は智也を見てそう思った。
別に子供は好きなほうではないけれど・・・
あやは母親と一緒に住んでいた。
元々、この街に住んでいたのだと、この前初めて聞いた。
妊娠した後、ちょっと離れた所に住んでいたが、結局、生まれる頃になって
一緒に住むようになったのだという。
やはり、心細かったのだろう。
父親は、あやが小さい頃に亡くなったが、母親はまだ若いので、昼間は働いており、帰って来てから、あやがパートに出ているのだと言う。
交代で面倒見ているから、結構上手く行ってるんだと、あやは笑っていた。
家の居間に通され、あやが日本茶を淹れてきた。
今日はコーヒーより日本茶の気分だったから、ちょうどよかった。
智也はテーブルに掴まったり、ちょこちょこ歩きながら、一人で遊んでいる。
俺は持ってきた袋から、中にスポンジが入っているサッカーボールを出した。
転がしてやると、追いかけて行って、じゃれている。
猫みたいだな・・・
雅史も遠慮がちに紙袋をあやに手渡した。
開けて見ていいですか、と断って中を見ると、
童話の、“小人と靴屋”が入っていた。
「童話って、悪者が出てくる話が多いのですが、これは、
いい人しか出てこないので・・・
大人になったら嫌でも、色んな人に会って、色んな思いを
します。
だから、小さいうちは、こういう話を読んで欲しくて・・・」
そう言う雅史に、あやがお礼を言っている。
暫く三人で沈黙した後、俺から口を開いた。
「あや、俺、こいつと付き合ってたんだ。」
「付き合ってる人、いたんだ・・・」
「彼女がいるかって聞かれたから、いないって言った。
だって、彼女じゃないから。
智也に会いたいって言うから連れてきた。
俺、今度の誕生日が来たら、あやと結婚しようと思ってる。
でも、俺たち、本気で付き合ってたから、
別れるには、それなりに、いろいろあるんだよ・・・
ちゃんと、けじめが必要って言うかさ・・・
責めてるんじゃない、勘違いするなよ。
あやには理解できないかもしれないけど、俺にとって、
とっても大事だったんだよ、こいつとの付き合い・・・」
「智也くんとあやさんに会えて、よかったです。
これで、きちんと決心が付きました。
暁のこと、よろしくお願いします。
じゃ、俺、先に・・・」
雅史はそう言って、居間を出て行こうとした。
その時、あやが、
「待って下さい。
智也、本当は、暁君の子供じゃありません。」
と、叫ぶように言った。
俺も雅史も驚いて、あやの顔を見る。
「どういうことだよ・・・?
ちゃんと説明しろよ・・・」
青天の霹靂X2、寝耳に水の第二弾・・・、何なんだよ・・・
あやは二年前、ある男に片思いしていた。
その男の名前も“さとる”・・・
バイト先のコンビニで、友達に名前を呼ばれているのを聞いて、俺の事を気に掛ける様になったらしい。
片思いしていた“さとる”は、婚約者がいることが分ったが、どうしても諦められなかったので、あやから、一度だけと懇願して、その結果・・・
生理が遅れているのに気が付いて、怖くて仕方なく、コンビニで仕事中も、沈んだ顔をしていたあやに、俺が、『今日は元気ないね。』と声を掛けたそうだ。(忘れたけど・・・)
自分の寂しさと、妊娠したかもしれないと言う恐怖にも似た気持ちを紛らわせたかったのか、でも、何処か人を安心させる雰囲気を持つ笑顔に惹かれて、
口は悪いが心の優しい俺(あやがそう言った・・・)と付き合って、とても慰められた。でも、コンビニの他にやっていた結婚式場のバイトで、片思いしていた“さとる”の披露宴の担当になった。
幸せそうな“さとる”の顔を見て、彼のことが本当に好きだったと改めて思い、その頃には妊娠していることがはっきりしていたから、生む決意をした。
俺の事も好きになりかけていたから、俺の子供だったらよかったのに、と思うこともあったそうだ。そうなると、俺の顔を見て、理由を告げて別れるのは辛かったから、黙って引っ越した・・・、
こんな事を、あやは淡々と話した。
もう何度も、心の中で繰り返し思い出してきた光景だからだろう。
「友達の所に遊びに行って、
懐かしくて、コンビニに寄ろうと思ったら、
ちょうど暁君の姿が見えて、咄嗟にあんな事を言って
しまったの。
勿論騙し続ける気持ちはなかったから、すぐ、本当の
事を言おうと思ってたのに・・・
本当の父親には、一生、会いに行くつもりはないから、
でも、ちょっとだけ、智也に父親を感じさせてやりたくて、
思った通り、智也は人見知りをするのに、暁君にはすぐ
懐いたから、本当はあの日のうちに本当の事を言おうと
思ったんだけど、きっと、私自身も子供に父親がいる
気分を味わいたかったんだと思う、一週間だけ、ごっこ
遊びさせてもらって、ごめんね。
・・・・・・
暁君、こんな素敵な人と、こんないい関係で付き合って
たんだね。
いっぱい、幸せになってね。
私も、智也と幸せにやってくから。」
あやはそう言った後、雅史に謝りながら、ぽつりと、涙を零した。
*****************************
智也に『又来るからな。』と言って手を振り、電車に乗った。
気が抜けたと言うか、勿論、安心したんだけど、
余りに大きな決断をした後で、それが必要ではなかったことに、脱力した。
でも、あやの気持ち、分るから、怒る気にはなれなかった。
男と女の関係は、結婚という形をとったら、法で守られてしまう。
いくら好きでも、どちらかが結婚したからには、関係を続けていく事は、
“不倫”と言う言葉で呼ばれてしまう。
純粋に好きであるからこそ、そんな呼ばれ方をするくらいなら、きっぱり別れたほうがいいと、俺も、雅史も思ったんだ。
片思いの辛さは、雅史がよく身に沁みて分ってるから、あやの気持ちも分ったんだと思う。
それに、後で雅史が、
『暁の笑顔に惚れたのは、俺も同じだったから。
口の悪い暁に癒されてたなんて、俺とあやさんは感情が
似てるのかもな。』
って、言ってた。
他人が聞いたら、笑い話のような、でも、人によっては怒ってしまう様な、
確かに、馬鹿げた、酷い話だったのかもしれないけど・・・
こんなことに振り回されて、別れを決意して、悲壮な数日を過ごした俺たちって・・・
まあ、雨振って地固まる、って事か。
固める必要があったのか、って事は置いといて・・・
*****************************
電車の中で、やっぱり、俺たちはほとんど話さなかった。
でも、雅史はずっと俺の手を離さなかった。
きっと、ここ何日もちゃんと寝てなかったんだろう。
俺の肩に頭を載せて、しっかり手を握って、すうすう寝息を立てている雅史。
愛おしさが胸に溢れて、辛かった時の事を思い出して、早く、二人きりになりたいと、切実に思った。
雅史の降りる駅で、バイト終わったらすぐ行くからと言って、別れる。
俺は家に帰ってから、自転車でバイトに行き、ここ何日間か身が入らなかった分、何倍も頑張って働いた。
予定の配達も早く終わって、店長からは、時間分働いたから早く帰っていいと言われた。
『元気がなかったから、心配してたよ。
明日は午後からでいいからね。』
と・・・
早く早く、と、自分を急かしながら雅史のマンションに着いた。
もう、来ることはない、って、昨日の夜、思ったばっかりなのにな・・・
でも、それが、ずっと前のことのように感じる。
雅史の部屋の前で、玄関のチャイムを押すと、
ばたばたがちゃがちゃと音がして、ドアが開いた。
「おかえり・・・」
雅史は照れたように笑って、俺を中に入れた。
廊下で我慢できずに、雅史を抱き締めた。
雅史も強く俺を抱き締め返してきた。
愛しくて愛しくて、
ただ抱き締めて、雅史は俺の肩に顔を埋め、俺は雅史の柔らかい髪に頬を擦り付けた。
雅史が突然嗚咽を漏らして泣き出し、それを聞いた俺も今まで我慢していたものが一気に噴出し、二人で抱き合いながら泣いた・・・
長い時間だったような、でも、実はちょっとの間だったような、
時間の感覚がなかったが、声も涙も枯れて、でも、俺たちはそのまま暫く抱き合ったままでいた。
「外、寒かっただろ、
一緒に風呂、入ろう。」
雅史が小さな声で言って、二人で手を繋いで浴室に行った。
浴槽にお湯を溜めながら、洗い場でざっと体を洗い、二人で浴槽に浸かる。
溜まっていたお湯は少なかったが、二人一緒だったので、ちょうど良かった。
「雅史、風邪は良くなったのか?
薬が強くて、具合悪かったって、聞いたけど・・・」
「俺が強いの出してくれって頼んだんだ。
でも、結局合わなくて変えてもらったし、それももう
飲み終わったから。
前、熱出して心配させたから、今度は早めに診て貰ったし、
大丈夫だ。」
「俺がドタキャンした時、病院に行くんだったんだろ?」
「ああ・・・」
「今度からは、絶対、俺が付いて行く。
病気で心細いのに、一人で行かせて、ごめんな・・・」
向かい合うように浸かっていたが、雅史の腰に手を掛け、俺の膝の上に座らせる。そのままそっと、雅史に口付けた。
もう、二度と触れる事もないと思っていた雅史の体。
柔らかな髪も唇も、滑らかな肌も、何もかも、雅史の存在自体が愛しくてならなかった。
*****************************
体を拭いただけで、そのまま、寝室に向かった。
部屋はエアコンでちょうどいい温度に保たれていた。
キスをしながら、体が震えた。
一度は失ったと思った雅史・・・
舌先で柔らかな唇を軽くなぞっていると、雅史が舌を絡めてきて、俺の舌をそのまま強く吸い上げた。
何度も何度も、深いキスを繰り返す。
キスをしながら、俺は雅史の胸に指を這わす。
でも、一番感じる部分にはまだ触れない。
胸から背中、太腿、脇腹、全てが、指に吸い付いてくるような、雅史の滑らかな肌の感触を、ゆっくり愉しむ。
胸の突起の周辺だけを何度も撫ででいると、
雅史が、喘ぎながら、強請る。
「暁・・・、焦らすなよ・・・、もう、俺・・・」
雅史のモノにもう片方の手を伸ばすと、そこはすでに、シーツを濡らすくらいの液が溢れていた。
ゆっくりと雅史のモノを扱きながら、胸の突起を口に含み、舌で転がしたり、軽く歯で甘咬みする。
「あぁ・・、さ、とる・・・、はぁっ、もっ、と・・・、
はや、く・・・」
雅史の切羽詰った喘ぎを聞いて、俺のモノからもかなりの液が滴っていて、俺は雅史の手をとり、俺のモノを握らせる。
俺は雅史の胸の突起を刺激する舌の動きを早め、お互いのモノを扱く手の動きを合わせて、俺たちは同時に声を上げながらイった。
そのまま暫く眠ったようだ。
雅史が目を覚まし、俺の全身に口付けていた。
気が付いて暫くは、俺は朦朧とした意識の中で、雅史の柔らかい唇の感触だけを感じていた。
その唇が俺の下半身に降りて来た時、俺のモノはすでに硬く勃っていた。
雅史はそれを口に含んで舌を絡める。
息が荒くなって、眠っているふりが出来なくなった。
「起きてたんだろ?」
そう言いながら、雅史は俺の上に乗ってきた。
俺は雅史の後に指を這わした。
初めての時、雅史がここを刺激されて上げた声を聞いて、脳が痺れるほどの欲望を感じた事を思い出した。
あの時より、更に俺たちはお互いの感じる場所を理解しあっている。
指の強弱や微妙な角度で、雅史をもっともっと感じさせ、それによって俺ももっと感じる。
そろそろ指だけじゃ物足りなくなるタイミングを狙って指を抜いて、俺のモノを穿った。
抱いても抱いても、飽きることのない雅史の体・・・
いつもより切ない雅史の喘ぎ声に、俺もそろそろ、限界が近い。
雅史の腰の動きに合わせて、俺も下から突き上げる速度を速め、目も眩む様な快感と痙攣に襲われた。
*****************************
月曜日の昼休み、いつものように高梨、奏、忍と昼飯を食った。
「暁と先生、なんだか、感じ、変わったね。」
と、忍が言う。
「そうか?
まあ、長い人生、色んな事があるからな。」
俺はそう言って、苦笑いする。
昨日は雅史の所から、山口に電話を入れ、
『雅史に横恋慕するのは勝手だが、絶対、お前には渡さない。』
と、この間言いたくても言えなかった台詞を吐いて、すっきりした。
雅史もその後、電話を代わり、
『暁以外の人と付き合う気はないので・・・、ごめんなさい。』
と、ダメ押しをしていた・・・
山口って、性格的にはからっとしてそうだし、もてそうなタイプだから、雅史を諦めたら、俺たち、友達になれそうな気がする。
雅史が、あやと感性が似ているような気がすると言っていた様に、俺も、山口と、共通する所があるんじゃないか、と思っている。
そう言ったら、雅史はきっと、『性別だけだろ。』とか、言うんだよな・・・
しばし物思いに耽っていると、
「暁、僕、いろいろ調べたんだけど、ホテルは、サンルートか、
シェラトン、どっちがいいかな?」
と、忍が嬉しそうに聞いてくる。
そうか、そろそろ、ホテルの予約をしておかなきゃならない時期だよな。
行けなくなるだろうと思ってたから、忘れてた・・・
期末試験が終わったら俺たち6人、一泊で東京ディズニーシーに行くんだ。
今度はどんな旅になるやら・・・
“龍門学園、アヤしい6人組、ディズニーシーに行く”
は、又この次のお話で・・・
The end… …
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