stand by me


 6月も半ば、昨日から続く雨は漸く小雨になり、さらさらと小さな音を立てていた。放課後になって漸く仕事から解放され、窓辺で肘をついて外を眺めていた彼を心地よい雨のリズムが眠りへと誘う。

「…い、先生。大友先生!!」

 自分を呼ぶ鋭い声に驚き目を開ければ、周囲からは2,3年生の呆れたような視線や1年生の戸惑った視線が自分に向けられていた。そのなかで1人だけ刺すような視線を向ける生徒がいた。黒板の前で背筋を伸ばし、きっちり学ランを着ているすらっとした姿と、色白でアーモンド形の目をした顔立ちは生真面目を物語っていた。

「まだ、会議は終わっていないのですが。」

その生徒は黒板から離れ、皆が座っている四角に組んだ長机の議長席に座り、ため息をついた。

「保健医の仕事は居眠りでしょうか?」

 やたらと大友に突っかかってくるその生徒は2年間も保健委員で、今年は保健委員長となり去年よりも増していちいち口煩くなった。クールビューティーと名高い彼が唯一怒りの熱い視線を投げかけるのは、保健医である大友だけである。しかし、大友はどこ吹く風のように飄々とその視線を受け止める。

「猫がニャーニャーと鳴いて寝かせてくれなくてよ。悪ぃな、淀川。進めてくれよ。」

 淀川の嫌味など軽く流すその笑みは、大人の余裕を感じさせる。銀縁の眼鏡越しのその目には、からかうようなニュアンスも感じられる。しかも、寝起きの低めの声に大人の色気が滲み出ており、1年生などは少し顔を赤らめていた。
 大友の言葉と態度に苛立ちを感じながらも会議中だと反論することを諦めたのか、もう一度睨んだだけであっさりと会議を再開させた。
 その後、会議は中断することもなく順調に進み、20分ぐらいで終了した。皆が帰ろうと席を立ち、大友も早く退散しなければまたお小言をくらうため生徒達に紛れて逃げようとした。だが、大友の行動などお見通しだとばかりに真後ろで淀川が自分の白衣を掴み、

「まだ、先生だけはお話が終わっていません。」

と逃がしてくれない。

 思いのほか白衣を強く掴まれ後ろへひっくり返りそうになった大友は、逃げられないことを悟り、両手を挙げ降参の意志を示した。

「分かったよ。保健室で聞くから。」


 保健室の扉を閉めたとたん、お互いの間に流れる雰囲気が変わる。

「暁、猫って何だよ。それって俺のことか?」

 いきなり呼び捨てになった淀川の声からは、不機嫌ながらも甘いニュアンスの混じったものが感じられた。それを感じ取った大友はいつも浮かべている笑みを更に深めた。

「雅史の名前なんて出したっけ?」

「お前、猫なんて飼ってないだろ!!」

「じゃあ、そう突っ込めばいいだろ?」

 そう返せば、淀川は苦虫を噛み締めたような顔をして唸った。それを見て大友はとうとう声を出して笑った。

「昨日は雷が凄かったからな。ホントお前は雷が苦手だよな。そういえばあの時も…」

 大友は窓の外を見つめ、1年前に淀川を好きになるきっかけに思いを馳せた。


 あの日は梅雨入りして初めての雨が降っていた。午後になってだんだんと雨脚が強くなり、遠くの方から雷の音が近づいていた。大友は帰りが大変になるだろうなぁと外を眺めながら暢気にコーヒーをすすっていた。
 すると突然、何か大きなものが落ちてきた音がした。グラウンドの周りに植えてある木の一本に落雷したらしく、職員がわらわらと集まってきていた。幸い、雨のため誰もグラウンドに出ていなかった。自分の出番はないだろうと楽観し、定時の喫煙のために保健室から離れた。
 2本ほど吸って戻ってきてみると、誰かがベッドを使っていた。

「おい、誰だ?どこが悪いんだ?」

 そう言いながら、ベッドの周囲のカーテンを開けると淀川が膝を抱えて座り、掛け布団を頭から被っていた。

「………淀川か?」

淀川は、ばつが悪そうに大友を上目遣いに見ながら小さな声で、

「はい…」

と応えた。腹痛などではないことはその仕草で一目瞭然だった。普段の淀川であれば、「そうです。調子が悪いんですから早くどこか行ってもらえませんか?」ぐらいの憎まれ口は言うはずであった。不思議に思っていると、また大きな雷の音がした。その音に淀川は体をビクッと反応させ、顔を膝に埋めて更に縮こまった。
 この反応に得心がいった大友は、ベッドの周囲にあるカーテンを閉めて自分の卓上のラジオを入れ、普段の音量よりも少し大きくした。そして淀川の担任に渡す診察表を書き始めた。部屋には梅雨の憂鬱さを吹き飛ばそうと、いつもよりも明るいDJの声と音楽だけが響いていた。
 次第に雷は遠ざかり、一緒に小さくなっていく雨脚は、5限のチャイムが鳴る頃には小雨になった。
 カーテンを開ける音がして、淀川が顔を赤くして近寄ってきた。

「…ありがとうございました。もうよくなったので授業に戻ります。」

「そうか、じゃあこれ担任の先生に渡しとけ。」

 何事もなかったような顔をして大友は診断表を淀川に渡した。そこにはいつも淀川に向けられる、からかうような雰囲気はなく、柔らかい笑みが浮かんでいた。

「…はい。」

 その笑顔に淀川はホッと安心の息を吐き、小さく笑った。初めて見る淀川のその笑顔に大友は、時間が止まったような気がした。大友の内心には気付かず、淀川はその笑顔のままもう一度礼をして保健室を出て行った。

「……まいった。なんであいつあんなに可愛いんだ。」

 全身の力が抜け、大友は椅子の背に寄りかかった。そういえば、膝を抱えて自分を見上げた時、淀川の目は潤んでいた。学ランの膝のところも少し濡れていたような気がする。

「あの目もなぁ…かなわん。体育座りだしよー。」

 普段が普段であるだけにそのギャップは激しく、クールビューティーと名高い淀川からは想像できないくらいの可愛さであった。しかも、ちゃんとお礼を言う素直さも好感が持てた。
 まだ梅雨は始まったばかりで、これからのことを思うと嬉しいようなヤバイような複雑な気持ちを持て余し、大友は大きく溜息をついた。
 その頃、淀川は大友が書いた診断表を胸に大事そうに抱き、大友のあの柔らかい優しい笑みを思い出して顔を赤く染めて、保健室の入り口で蹲っていた。


 お互いに1年前のあの甘い気持ちを思い出し、懐かしさに笑顔になった。

「あれから、ずっと雷が鳴るたびに保健室に来るんだもんな。それが可愛くて仕方なくてよー。ホントどうしようかと思ってたぞ。」

「だって、暁、全然からかわなかった。凄く嬉しくて。」

 あの時と同じように小さく笑みを浮かべられ、大友は思わず淀川を引き寄せキスをした。淀川は突然のことに目を見開いたが、すぐに大友の首に腕を回し、身を任せた。
 キスに夢中になった二人は、遠くから雷が近づいていることに気づかなかった。

 猫の話がうやむやにされたことを淀川が気づくのは、翌日になってからであった。



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