沢庵


 台所から物音がする。毛布から顔を出すと味噌のにおいもした。泊めてしまったと思い至り、俺はうなりながら起き上がった。
 コンロの火を調節する後姿を見た俺は、胸のうちでため息をついた。ワイシャツとスラックスが体と喧嘩している。
 社会人一年生であることを考えれば無理もない。俺も外着はスーツじゃないと落ち着かないようになるまで数年かかった。
 若さ以上に、こちら側の人間ではないことのほうが問題だった。
 あいつには異性の相手がいた。俺とこうなるまでは、いわゆるノンケだったのだ。
 体だけの関係にとどめておけば遊びで終われる。深入りさせる権利は、俺にはない。
 スウェットパンツのポケットに手を入れて台所に入る。味噌汁の湯気で窓が曇っていた。
「今日はラッキーだな。朝からちゃんとした飯にありつけるらしい」
 すっきりした顔が振り返る。直しきれていない寝癖がノーブルな表情とそぐわない。
「ちゃんとしてるとはいえません。味噌汁と漬物だけです」
「漬物なんてあったか?」
「奥に転がってました」
「そうか」
 俺は不揃いの茶碗を出し、炊飯器の蓋を開けた。自宅で炊きたての白米を拝むのは久しぶりだ。
「ありがとうございます」
 いやにまじめな声が聞こえた。声の主は味噌汁を座卓に運びおえたところだった。
「なんだよ。飯ぐらいよそうぞ」
「そうじゃなくて……漬物」
 あいつは座卓の前に腰を下ろし、こちらを見ずに続けた。
「おれが好きな沢庵、買ってくれてたから」
 優しい輪郭の横顔を見た俺は、先週の夜を思い出した。

 寒い夜だった。雨がみぞれに変わり、ふたりして駅前のコンビニに駆け込んだ。
 店内をぶらつき、惣菜が並ぶ棚の前であいつが足をとめた。

『これ、母がよく弁当に入れてくれたんです』

 鮮やかな黄色に着色された沢庵だった。
 好物とは言っていなかった。ただ、懐かしそうな目をする横顔が悪くなくて、あいつが駅に入るのを見届けてから買ったのだ。

 要するに、こういう事態を期待して買ったわけだ。
 一週間も前から深入りしていたなんて、笑うこともできない。

 茶碗を手に突っ立っている俺に、あいつが微笑む。
「冷めないうちに食べましょう」
「あ、ああ」
 座卓の皿に沢庵が乗っていた。朝日を受けた黄色が輝いている。
 まずい。これはよくない。恋が始まる。
 ぎこちなく飯を盛る俺の脳裏に、新しい恋人との日々が広がっていった。


2013年4月16日

後書き

2013年の元旦にブログで書いた習作です。かなり修正しました。

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