二疋の蝸牛

 胡瓜畑に二疋の蝸牛がおりました。象牙色の殻をした蝸牛を、黒とねずのまだら模様の蝸牛が追います。象牙の殻には縞もなく、からだも淡い色合いです。それにひきかえまだらのほうは、泥から生まれたような見目でした。
「ふぉい、ほぉい。まっへくれ」
 まだらは必死にのたくり、象牙蝸牛に追いつきました。くわえていた葉を象牙の足もとに置きます。やわらかそうな、胡瓜のわき芽でした。
「食べてみろ。うまいぞ」
 やわやわとした葉は黄緑色で、象牙は唾液を飲みました。すぐに食べてはまだら蝸牛の思う壺。聞き飽いた求婚の言葉が降りそそぐのです。
 象牙は思わせぶりにかじりました。角の先にある眼をまだらに向けて微笑み、
「おいしい。このへんのわき芽はヒトがかいてしまったのに。どこにあるの?」
 象牙の笑顔はあまたの蝸牛を虜にします。まだらは角と腹足をせわしく動かし、
「あそこに用水路があるだろう? あれの先だ。一緒に行こう」
「そんなに遠くっちゃ無理だよ」
「疲れたらおぶってやる」
「いや、いや。恥ずかしい」
 まだらは迷いません。元気のあかしとばかりに、黒い角を反らせました。
「わかった。おれがどっさり持ってくる。ここにいろよ」
 象牙はうなずき、はにかむ裏で舌を出しました。
(ばかなやつ。おまえが戻るころ、ぼくは別の畝にいるさ)
 胡瓜の葉に映える象牙の蝸牛を、小さき神が天上から見ておりました。








「父様、父様。下界に美しい蝸牛がいます」
 雲の庭を仔神が駆けます。親子神は庭の縁に腰を下ろしました。
「あれです。胡瓜の葉に」
 息子が指差す先に、象牙色の蝸牛が見えます。
「たしかに見事だ」
「父様、あれが欲しい」
 思慮深い神は眉間にしわを寄せ、小さな神を抱き上げました。
「あれの寿命はまだある。いま連れてくることはならぬ」
「それではもっと美しくして!」
「いまでも十分美しい」
 年端もゆかぬ仔神は両手で顔を覆い、わっと泣きました。父神はため息をつき、
「どのように美しくなることを望んでおる?」
「殻が白くなるといいです。白雲母よりも、花嫁の衣よりも」
「白は鳥の目につく」
「それなら殻を薄くして」
「薄い殻は壊れやすい。砕けた蝸牛が欲しいのか」
「いいえ。父様」
 仔神は父の手をとり、口を寄せました。
「またたきするほどのあいだでいいの。そうすれば、千の口づけを捧げましょう」
 父神は神御衣から小瓶を取り出しました。小さな手にそれを託します。瓶にある薄青い液体が、冬の湖にそっくりでした。神が息子を膝から下ろします。
「がんぜない我が子よ。この水を垂らすがよい。一滴で触れたものが白くなり、もう一滴でもろく。さらに一滴で、厚く堅牢になるだろう」
 小さな足が、調子がいい妖精のように飛び跳ねました。
「ありがとう! 父様!」
 好奇に憑かれた仔神を残し、父神は神殿へと去りました。








 象牙の蝸牛はそわそわしておりました。
 雲の底が暗く、雨のにおいがします。このところの雨で用水路の水があふれそう。大雨がきたらひとたまりもありません。蝸牛は肺を持ち、溺れてしまうのです。
(ぼくのせいじゃないよ。芽をとってきてとは言っていない)
 てっぺんの葉をうろうろしている象牙の脇を、一疋の蝸牛が通ります。
 不安な蝸牛は見知らぬ蝸牛に呼びかけました。
「まだらを見なかった? 黒とねずの。用水路の近くにいなかった?」
「知らないなあ」
「向こうの畑に行ってしまったんだ。ねえきみ、待って!」
 隣の葉に移ろうとからだを伸ばす蝸牛、苛立ちを隠さずに象牙を睨みました。
「知らないよ! なんだい、つるを持ってきたときは、見向きもしなかったくせに」
 通りすがりの蝸牛の言葉が、象牙のこうべを打ちました。
 近寄る蝸牛は大勢いたのに、姿を覚えたのは一疋だけ。若葉や甘いつるの先を携えてくる蝸牛はいても、通いつめたのはあのまだらしかいなかったのです。
 水路を見ようと向きを変えたとき、青いしずくが象牙の蝸牛に当たりました。








「わあ、すごいや!」
 小さな神が雲の縁から顔をのぞかせ、感嘆の声をあげます。父神様が下さった水は蝸牛に真珠の白さを与えました。あの殻が薄くなったら、どんなになるかしら。
(もう一滴。大丈夫。さらに一滴で厚くなると、父様がおっしゃっていたもの)
 不吉な鳥影が胡瓜畑に差し掛かる間際、小瓶がかしげられました。








 まだらの蝸牛は胡瓜の茎を登りながら、夢をみているのかと思いました。
 真珠色に輝く蝸牛が、葉から落ちそうになって用水路を見ています。
 色が違ってもわかります。あのすらりとしたからだ。可憐な触覚。胡瓜の葉で待つ蝸牛は、焦がれた象牙の蝸牛でした。
 ぱちゃっと音をたて、薄青い水が葉の中央に落ちました。神ではあっても未熟な仔神、的を外したのです。
 水が触れた部分が透け始めました。たちまち葉脈だけになり、葉先にいる蝸牛の重みで、とうとうちぎれてしまいました。
 落ちる胡瓜の葉をまだらがつかまえました。贈り物の芽が舞い散ります。
 破顔しかけた真珠の蝸牛は、一点を見て叫びました。
「ぼくをはなして逃げろ! 鳥がくる!」
 まだらが空を仰ぎます。死をもたらす天敵が滑空してきます。
 白く光る蝸牛は、鳥にとって格好の獲物でした。
「からだを引っ込めてろよ、おれの蝸牛!」
 まだらの勇ましい声と、忌々しい風切り音が同時にしました。

 珠のような蝸牛は畑に転がり、まだらの蝸牛は灰色の空に消えました。








 雲の上で幼い神が立ちつくしております。尖りのない肩が震えていました。
「かわいい我が子よ。なぜ泣く」
 すべてを見届けていた父神が、息子の肩に手を置きました。
「むごいことをしてしまったからです、父様」
「鳥がさらったのは醜い蝸牛ぞ。見紛うたか」
「さらわれた蝸牛は醜くありません。私は懸命に生きるものの仲を裂いたのです」
 父神は小瓶をやさしく取り上げました。一片の雲をつまんでつぶてをこさえ、手のひらに乗せてふうと吹きます。
 雲のつぶては一文字に飛び、まだら蝸牛を巣へ運ぶ鳥に命中しました。
 撃ち抜かぬよう、しかし痛みはあるよう飛ばした雲つぶてです。鳥は短い悲鳴をあげ、餌をあきらめました。父神がすかさず瓶の水を勇敢な蝸牛へ放ちます。
 地表へ落下するまだらの殻を、触れるものを厚く堅牢にする水が包みました。








 長く続いた地雨も終わり、紫陽花が最後の色に変わるころ。
 送り梅雨が葉陰に水滴をつくります。丸い水鏡に、二疋の蝸牛が映りました。
「おれたちの子ども、おまえのように白いといいな」
「おまえみたいに模様があるほうがいい」
「おれに似た斑点は、ちょっとかわいそうだ」
「そんなことない」真珠色に輝く蝸牛が、寄り添って続けます。
「おまえ譲りの硬い殻なら、どんな子でもいいよ」








 蝸牛を見下ろす父神に、仔神がそっと並びます。
「お父様、ありがとう」
 すこやかな唇が、神の頬と蝸牛たちを祝福しました。








<  了  >








読んでいただき、ありがとうございます!
リクエストでもないのに、2012年父の日&梅雨企画もどきです(汗)
父神のように奇跡は起こせなくても、お父さんは頑張っているのでしょう。
かたつむりには紫陽花。しかし、紫陽花には毒があるかもしれないとのこと。
それでも紫陽花で飾りたくて、美麗なイラストをお借りしましたv

訂正致します。
私の携帯電話で読んでみたところ、文字がイラストに重なっていました。
とてもきれいなイラストが見られないのは悲しいので、
無地バージョンとしてこのページをご用意しました。
美しい紫陽花のイラストをご覧になりたい方は、
お手数ですがパソコン等から こちら をご覧いただければ幸いです。




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