「さあ坊や! キスしてくれ。さもなきゃ、もう一回しちゃうぞ」
身支度を整えた男が陽気に言う。ぼくは色んな液体でべとついたシーツをベッドカバーで覆い、男と唇を合わせた。
「キスより、もう一回してほしいんだけどな」
見え見えの営業トークを男が笑顔でかわした。笑いじわのある顔で頬ずりして、すっと離れる。こういうところは嫌いじゃない。
ビジネスホテルの石けんの、くしゃみが出そうな香りがした。
「ハッピーハロウィン。愛しのきみに」
ぼくの膝に紙袋が乗る。ギフトショップのシールをはがしたぼくは、今日一日の疲れが吹き飛ぶのを感じた。
ジャック・オー・ランタンと書かれた木箱の下に銀行封筒が見える。
ぼくが微笑んで仰ぐと、男は指でオーケーマークをつくった。
チップを確認する作業は得意だった。が、指先で探った感触がおかしい。
クリスマスとか、店に登録したでたらめの誕生日とか、そういったイベントで手にする厚みではないように思う。
「ごめんなさい。ちょっと見ていい?」
行儀を気にする場合ではない。何であれ相場と違いすぎるものは危ないのだ。
ぼくは封筒を逆さまにした。急いで中身を改める。
五十万円あった。サラリーマンから気軽にもらえる金額ではない。
男がぼくの隣に腰を下ろして木箱を開けた。オレンジ色でかぼちゃの形をした陶器を取り出す。
「鬼火、知ってるか?」
首を横に振るぼくにスーツのジャケットがかけられた。
「狐火ともいうな。墓や湿地に出る、青い火だ」
「墓って……やめてよ。怖いよ」
陶器のかぼちゃが取り上げられる。男がスイッチを入れて灯りがともった。
この時期に出回る照明器具が、ふたたびぼくの膝に戻る。
「一説によると、鬼火は罪深くて愚かな者に与えられる道しるべらしい。あの世とこの世の境目で迷子にならないように。ハロウィンでは、こいつが代用品かな」
何を言いたいのかわからない。もう十回は寝た相手だ。オカルトみたいな話はしないタイプだと思っていたのは、間違いなのだろうか。
男がぼくを見た。いつもより硬い唇が頬に触れる。
「札幌に転勤。こっちでの思い出、ありがとうな」
驚く言葉ではない。転勤、結婚、ストレートに金欠。飽きたときの決まり文句だ。
嘘ではないケースもある。それなら気に病むことはない。百パーセント、相手の都合なのだから。
よく聞く言い訳に、脚がびくっとするほど動揺した。
暖かな色合いの光が落ちそうになる。慌てたぼくの手が、かぼちゃの灯りごと男の両手に包まれた。
「おまえは罪深くも愚かでもない。道しるべの要らない道を見つけるんだ」
することをしておいての説教は白ける。慣れた人なら知っているはずだ。
みっともない最後は、ぼくたちのような関係には似合わない。
思いがけず、強く抱きしめられた。
行為の最後には空気を読み、可能ならハグしろ。
男相手の売春を斡旋する店や仲間から教わったことだった。
別れぎわに抱きしめて疑似恋愛をしめくくる。遊び心のある客は気をよくして、次も指名する確立が高くなる。
小遣い稼ぎのためにしてきたことが、ぼくを一瞬にして固まらせた。
「元気でいろよ」
「……はい」
絞り出した返事が震えた。男がドアの前で立ちどまる。
振り返った男は笑ってくれた。ジャケットを肩にかけ、手を振って出ていく。
ぼくは間抜けな表情のかぼちゃをベッドに置いた。指で小突き、膝を抱える。
「いまごろ好きだって気づかせるなんて、道しるべ失格じゃん」
ジャック・オー・ランタンが憎めない笑顔でぼくを照らす。
贈り主に似た明るい光が、じわりと揺れた。
< 了 >
初めてのハロウィン企画もどきです。
甘くもなく、イタズラもない一夜でありました(汗)