NOVEL

明日の約束

「どうして俺がお前と遊園地なんかに行かなくちゃならないんだ?」
 素朴な疑問。
「仕方ないだろ? 有効期限が今月一杯であと三日しか無いんだから」
「そもそもお前、中西聡美という、人も羨む美人な彼女がいるだろうが」
「……トゲを感じるけど、中西はバイトで行けないんだよ。遊園地くらい、いつだって行けるし。券の有効期限はあと三日だけどな」
「不毛だな」
「言うなよ。俺だって思ってるんだから! ていうか郁也とだって、行けば絶対楽しいとか思うし! 行きたくないんだったら、もういいよ! 一人で行くから」
 ……やべ、怒らせ過ぎたか。
「悪かったよ、昭彦。一緒に行こう。たぶん、きっと楽しいよな?」
 にっこり愛想笑いして言うと、昭彦は眉を顰めた。
「……郁也、なんかずるいよ」
「どうして?」
「俺がお前の笑顔に敵わないの知ってるくせに」
「お前が行きたいと言ったんだろ?」
「なんか、何言っても誤魔化されそうだけど」
「……行くのやめるか?」
「行くよ。……一人で行くのは虚しすぎるし」
「妹と行くって手もあるだろ?」
「……浩子は俺となんか行かないよ」
 ……ひょっとして既に断られたとか。
「それよりも、明日、何時に行く?」
「何時でも。バス? それとも車出すか?」
「……く、車は……ちょっと。郁也んとこの車、なんかおっかなくて」
 ……ま、判る気もする。余計なのも付いてくるし。
「自転車で行かない? 郁也、一応持ってたろ?」
「そうだな。たまには自転車で出掛けるのも良いかな」
「決まり。じゃ、迎えに行くから」
「え? うちに?」
「だって、郁也。俺との待ち合わせにルーズだもん。待たされるくらいなら迎えに行く」
 そんなに信用ないか? 俺。
「……了解」
 そういう訳で男二人で遊園地、決定。

「……二人で行くんですか」
 表情を消した顔で。
「……何が言いたいんだ?」
「別に」
 そう言って中原はベッドに腰掛けた。
「別にって顔じゃないだろ?」
 俺は鞄の中から、今日宿題出された数学の教科書とノートを取り出した。それを机の上に置いてから、
「言いたい事があるなら言えよ?」
 そう言って、中原の肩に手を置いた。
「……積極的ですね」
「は? 積極的……?」
 ぐいと、腕を掴まれて引き倒された。
「あっ……えっ……ちょっ……待てっ……!!」
 背中から、シャツの中に手が滑り込んできて。ベッドに俯せにされた状態のまま、ズボンのボタン外されてジッパー半分下ろされて。
「お前っ……何を昼間っから……!!」
「昼間じゃありませんよ。夕方です」
「似たようなもんだろっ!! バカっ……こらっ……夕飯もまだっ……!!」
 シャツを捲り上げられて、背中に噛み付くようなキス。
「ちょっ……おまっ……痕っ……痕付くっ……!!」
「……付いたら困る事でも?」
 な……っ。
「お前……まさか……?」
「取り敢えずこの辺でやめておきましょうか?」
 厭味口調で。思わずカッと頬に血が昇った。
「俺と昭彦はそんなんじゃねぇぞ?」
 身を起こして、振り返る。何考えてんだ、この男。
「あなたは、ね」
 何だと……?
「首筋にも付けておこうかと思ったんですが、それは後でも良いですし」
「お前、怒るぞ?」
「怒ってるクセに」
 そうだけど。
「お前、バカにしてんのか?」
 俺を一体何だと思ってんだ、この男は。
 すると、中原は笑って、右頬を手の平でそっと包んだ。顎を上向かせられる。唇が近付いてきて、俺は条件反射で目を閉じた。厚い唇が被さってくる。舌先が、唇を割って忍び込んできて、上顎をそっと撫でた。左手が腰に添えられ、再度押し倒された。目を開けると、中原の目が、俺を見ていた。間近で。
「中原……」
 ひどく真顔で。いたたまれなくなりそうなくらい、強い瞳で。
「あなたを誰にも奪われたくない」
「なかは……」
「あなたを失ったら、俺は気が狂う」
「なか……」
「俺にはあなただけなんです」
 だとしても。
「俺はお前と昭彦、同列に並べられないぞ」
 それだけは確かだ。
「お前の位置に昭彦は立てないし、昭彦の位置にお前は立てない。俺は、お前以外とキスもセックスもする気が無い」
 それだけじゃ駄目なのか? 全てを、俺の全てをお前に捧げ尽くせとでも言うのか?
「俺はお前に奉仕するつもりは無いぞ」
「郁也……様……」
「……お前が、俺以外の何もかもを要らないと思うのは、お前の勝手だ。俺がお前にそうしろと言った覚えは無い。お前が好きでそうしてる事だろうが?」
「……酷い事……言うんですね」
「俺はお前の事、好きだよ」
 だから時折不安になる。
「でも、お前の人生までは背負えない」
 そんな自信はとても無い。
「お前はお前の好きにすれば良い。その代わり、俺の事を縛ろうとするな。頼むから」
 じゃないと……。
「……冷たいですね」
 お前だって、十分酷い事言うじゃないか。
「……俺がそういう人間だって知ってただろ?」
 足下の地面が危ういんだ。今にも、崩れて壊れてしまいそうで。失いたくないものを、絶対に失いたくないものを、失ってしまいそうで。
「俺の身体を自由にして良いのはお前だけだよ」
 子供に言い聞かせるように。
「俺の身体に触れて良いのはお前だけだ」
 中原の頬に手を触れた。
「お前以外にそうされたいとは思わない。俺自身がそう望んでいる」
 俺がお前を欲しいと思う。心が、身体が、全部で。
「お前が欲しいと思う。……だけど、お前は俺のものじゃない。お前はお前自身のものだ。俺が、俺自身のものであるのと同様に。俺は、お前が厄介な人間だと知っている。出来れば関わり合いにならない方が良いとも思ってる。だけど、お前を失いたくないんだ。お前以外欲しいと思わない」
 魂も肉体も、その存在全てを。
 死んでもいいと思っていた。俺一人死んでも、この世の何も変わらない。あの、久本貴明に屈辱を味合わせ、這いつくばらせるためだったら何だって。相討ちでも良いと思っていた。あいつを倒せるなら、俺の望みが果たせるなら、いつ死んでも構わないと思っていた。
 中原が死ぬことさえ、どうだって良いと思っていたのに!
「俺は今、死ぬのが恐いんだ」
 死んでも悔いは無かった筈なのに。
「お前が死んでしまう事も」
 何も迷いなんか無かった筈なのに。
「お前を好きになる前は、そうじゃなかった」
 生きていたいと思う。死んでもいいなんて思えない。
「俺はお前と生きていたいんだよ」
「……郁也様……っ!!」
 物凄い力で、抱きしめられた。一瞬、息が止まる。
「っ!!」
 げほげほと、咳き込んだ。中原は頓着しない。……本当、この男は。
 拳で小突いた。
「え?」
「力加減。……俺を殺す気か?」
「あっ……すみませ……」
「すみませんじゃねぇだろ、中原」
 ようやく解放されて、ベッドの上で立ち上がった。中原の両肩に手を置いて。顔を近付ける。中原がそっと目を閉じた。右手を上げて。
 デコピン。
「……えっ!?」
 びっくりしたように中原が目を開けた。
「なっ……何ですか!? それ!!」
「不意打ち」
 そう言って、今度は唇に、軽いキスを落とした。かあっと中原の頬が赤く染まる。
「……ず……ずるいですよ、郁也様」
 掠れた声で、中原が呟いた。
「何が?」
 真っ赤な顔で、中原が俺を見る。
「……ドキドキするじゃないですか」
「どうして?」
 聞き返すと、中原は肩をすくめた。
「……本当に質が悪いな、あなたは」
「訳判らない事言うなよ?」
 中原は、笑みを浮かべた。
「……つまり、俺があなたにベタ惚れだって事ですよ」
 そう言って、キスされた。

「おっはよー! 郁也!!」
「……はよー」
「何だよ? 郁也、充血した目で。夜更かしでもしたのか? ったくやっぱり迎えに来て良かったよ。待ち合わせしてたらすっぽかされてるとこだな。お前、朝弱いんだから、約束した前日くらいちゃんと早く寝ろよ? そんなんじゃ、身体も辛いだろ?」
 一瞬、どきりとした。
「……え? 何?」
「あ……いや」
 ……つくづく思うけど、こいつって無駄に元気だ。
「ところで、遊園地って何処?」
 頭痛ぇ……。
「え? 俺言ってなかったっけ? ……て言うか、郁也、何処の遊園地かも聞かないでよく行くって言ったな」
 言わなかったくせに。
「どうしたんだ? 気分でも悪い?」
「……いや、平気」
 原因は判ってるし。
「あ、そうそう。遊園地。……ファンタジックランド。先々月出来たばっかりの」
「ああ、あそこ……」
 そこなら、俺、オープン初日に行ったな。『仕事』で。『久本』の系列じゃないか。……わざわざ言わないけど。
「あっ! ちょっと待ってて!!」
「は?」
 隣にいた筈の昭彦を見たら、既にいなかった。自転車放り出して、車道へ飛び出していた。
「おい……?!」
「大丈夫ですか!?」
 見ると、道の真ん中に老婦人が倒れている。傍らに杖が転がっている。昭彦は肩を貸して、彼女が立ち上がるのを手伝っている。……エンジン音。車が坂の上から降りてくる!!
 畜生。
 自転車放り出し、車道飛び出して、老婦人とバカ昭彦を突き飛ばし、自分も向こう側の歩道へと転がり込む。
 間一髪。
「大丈夫ですか!? おばあちゃん!!」
 すかさず昭彦は駆け寄っている。……素早いというよりは、タフだ。その行動力を他に生かせよな、と思う。老婦人は腰を打ったらしい。自力で立ち上がれない。俺も近寄って肩を貸す事にした。老婦人を助け起こす。
「ああ……すみません。家はすぐ近所で……」
「家まで送りますよ」
 ってお前!! 何頼まれもしないのに、安請け合いしてんだよ!! バカ!!
「おい、昭彦……」
「あ、悪い。郁也、自転車持ってきてくれる?」
 けろっとした笑顔で言うけど!!
「……お前、バカじゃないの?」
 すると、昭彦はムッとした顔をした。
「じゃあお前は帰れよ」
 ……この、お人好し。
「……判ったよ、付き合う」
 放っておけないし。
「先、行ってろ。自転車持って追い掛けるから」
「サンキュ、郁也」
 礼なんか言われてもな。……本当、仕様が無い奴。絶対いつか、悪い奴に騙されて酷い目に合わされるぞ、こいつ。
 溜息一つついて。自転車へ戻って。二台引きずりながら、昭彦の背中追い掛ける。
「すみません。家まで送っていただいて」
「いいえ、困った時はお互い様ですから」
「あの、もし良かったらこれを」
 差し出されたのは、明日名五丁目商店街の福引き券。
「大した物じゃありませんが」
 ……本当、大した物じゃないよな。
「ありがとうございます!」
 嬉しそうに、昭彦はその紙屑を受け取って。
「九時半から福引き開始だって。もうやってるよ。行こう、郁也!」
 お前は小学生か。……呆れた。
「行きたいんだろ? でも、別に今日行かなくたって……」
「だってほら、見ろよ? 今日までなんだぞ」
 日付を見た。確かに今日までだ。それにしたって。
「今行かなくても……」
「どうせ近くなんだから行こうよ!」
 ……乗り気だ。
「……好きにしろよ」
 このガキ。……いちいち恥ずかしい。
「……何赤くなってんの?」
「今時高校生が、福引き一枚くらいで騒ぐかぁ?」
「えぇ? こういうの楽しくない?」
「俺は楽しくねぇよ」
「楽しもうとしないからだろ?」
「楽しみたくなんかねぇよ!」
 昭彦は顔をしかめた。
「あんまり良くないよ? そういうの」
「…………」
 なんか、ムカつく。こいつ。
「……何だよ?」
「……別に」
「変な郁也」
 お前にだけは言われたくないぞ! 俺は!!
「何怒ってんだよ」
「怒ってねぇよ」
「嘘だ。怒ってる。不機嫌だ」
「うっせぇな。呆れてんだよ。判れよ、それくらい」
「判らないよ」
「アッタマ悪ぃ」
「……もしかして、遊園地早く行きたかった?」
 ……げんなりする。
「ごめんな、郁也。気が利かなくて」
 そんなの利いたうちに入らねぇよ!! バカ!!
「別に遊園地なんかいいんだよ!!」
「……え?」
 昭彦はきょとんとした。
「何それ」
 ……こいつ本当、救いよう無くバカだ。始末に負えない。
「……もういい。好きにしろよ」
「何でそんなに怒るんだよ?」
「説明したって判らねぇからいいんだよ、もう。商店街行くんだろ! さっさとしろよ!」
「郁也、訳判らないよ」
 俺の台詞だ。俺の。
 目的の、商店街福引き所に着いた。
「福引き一枚お願いします」
 昭彦が券を差し出した。
 その時。
「きゃああぁっ!!」
 五十代女性のけたたましい悲鳴。
「引ったくりぃ!!」
 何ぃ!?
 厭な予感がして、先程まで昭彦のいた場所を見ると──案の定いない。……あのバカ。
 スクーターでこちらへ走ってくる男。その前に飛び出して行ったのは。
「バカ昭彦!!」
  横殴りに、ラリアートぶちかまして、まだ閉まっていた衣料品店のシャッターにスクーター男ごと吹っ飛んでって。スクーターはそのまま暫く直進して、電柱にぶつかって倒れた。
「……ってぇ……」
 昭彦が、頭を押さえながら、起き上がった。
 ……このクソバカ。
 肩を押さえながら、スクーター男が起き上がり、逃げようとする。その首の後ろに蹴りをかました。吹っ飛んで動かなくなる。足で蹴り転がしてみたら、失神していた。ついでにげしげしと腹の辺りを蹴っておく。
「……何やってるんだよ? 郁也」
 それは俺の台詞だ!!
「何で睨むんだ?」
「お前がそういう奴だからだろうが!!」
 思わず怒鳴った。
「あー、……ちょっと頭くらくらする」
「そりゃするだろうよ! 頭から地面突っ込めばな!! 死ななかっただけマシだと思え!! バカ野郎!!」
 勢いでつい、蹴りを入れた。昭彦はご丁寧に顔面で受けて、ぶっ倒れた。
「…………」
 おい?
「ああっ! すみませんっ!!」
 引ったくり被害者と思われる女性が息絶え絶えになりながら、走り寄って来た。他の商店街の住人・店員達もやって来る。
 タイミング良く、自転車乗ったお巡りまでやって来た。
「…………」
 昭彦は気絶している。
「どっちが引ったくり?」
「こっちだ、こっち。この少年が飛び掛かって」
「引ったくり気絶させたのがこっち」
「にーちゃん、カッコイイねぇ! 武道でも習ってるのかい!」
「…………」
「あー、ご協力有り難う。話聞きたいんで、署まで一緒に来て貰えるかな?」
「…………」
 バカ昭彦。
 責任取れ。お前。
「あー、俺。忙しいんで。詳しい事、そっちの気絶してるのに……」
 むんず、と足を掴まれた。
「……郁也」
 ぎくり、とした。……この声は……怒ってる、声だ。
「……置いていく気か?」
 もとはと言えば、お前のせいじゃないか。
「捕まえようとしたの、俺じゃないし」
「郁也」
「…………」
 今日は厄日か?

「それで、結局どうしたんです?」
 くすくす、と笑いながら中原が言った。
「どうもこうもねぇよ。それから人助け三件、犯人逮捕一件、それでパアだよ。遊園地なんか行くどころじゃねぇ」
 中原は腹を抱えて大笑いした。
「……笑うなよ」
「福引きの結果は?」
「……ああ……」
 俺は天井を見上げて、ポケットの中に手を突っ込んだ。
「……どうしました?」
「お前、俺と遊園地行く気ある?」
「え……?」
 中の紙切れ、三枚確認しながら。
「昭彦に貰ってさ。あいつ、明日は部活で行けないし。期限は近いし。平日なんか行けないし」
「喜んで」
 中原はにっこり笑った。
「それで……」
 どうしたものかな?
「何です?」
 不思議そうに、俺を見て。
「福引きの景品、あるんだ。帰りに……寄ろうぜ」
 そう言って、ホテル宿泊券をそっと取り出した。部屋はツイン。
「……本当に!?」
 ひどく嬉しそうに。目を輝かせて。
「月曜は学校だからな。その辺ちゃんと考えて……」
 その瞬間、抱きつかれた。
 ……眩暈しそうに、強い力で。くらり、として。そのまま唇を覆われて、押し倒された。
「なっ……か……っ!!」
「……これってデートの誘いですよね?」
 ……は?
「何……を……?」
「初めてですよね。あなたが俺に一緒に出掛けようって言ったこと」
 ……それは……そうかも知れないけど。
「昼間、こんな風に一緒に出掛けた事ってなかったですよね? 二人きりで。仕事関係無しに」
 ……デート?
「……お前、俺とデートしたかったのか?」
 びっくりした。
「……あなたは、俺としたくないんですか? デート。俺は今まで、夜あなたを連れ出すのは、全部デートのつもりでしたけど」
「…………」
 ひょっとして……こいつ、俺と『普通の恋人がやるデート』だとかそういうの、やりたかったんだろうか……?
「……何です?」
 バカだ。こいつ。
「別に」
「別にって事は無いでしょう? その顔は」
 ……すげぇバカ。恥ずかしい奴。
「郁也様?」
「……寝る」
「はい?」
「寝るから出て行けよ」
「待って下さいよ、郁也様」
「……続きは明日すれば良いだろ?」
 不思議そうな顔で。
「……それで良いんですか?」
「良いから寝ろ。……疲れた」
「判りました」
 嬉しそうに、笑って。その背中を見送って。
 すげぇ恥ずかしい奴。バカだし。……なのに。
「嬉しいとか思ってる? 俺」
 ……そっちのが、恥ずかしい。
 くそ。
 ……バカみてぇ。って言うか。
 悔しい。
 凄く。
「毒されてる」
 絶対。服を全部脱ぎ捨てて。シャワー室へ向かった。
 取り敢えず、明日。

The End.
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