NOVEL

悪夢の再来

 何故、ここにいるんだ。硬直して、呆然と目の前にいる男を見上げた。
「やあ、久しぶり」
 バイト先の喫茶店の裏口前。何でもなげに。
「アンタ一体何考えてるんだ?!」
「……そういう言い方するかな? 久しぶりに会ったってのにね」
 苦笑して、髪を掻き上げる仕草が、こんな汚い路地裏には場違いなくらい優雅で絵になる。何より、その背後に窮屈そうに停まってるベンツが、非現実的だ。
「バイトしながらおさんどんだって?」
 親しげに楽しげに、話し掛けてくるが。
「アンタどうしてここにいるんだよ!?」
 怒鳴ってないと、足下が崩れそうで。両足に震えを感じている事なんか、とうの昔に気付いていた。
 油断すると殺される。
「……どうしてそう身構えてるの? 久々の再会なんだから、もっと感激して喜んでくれたって良いんじゃない?」
「ふざけんな!!」
 アンタが、四条貴明[しじょうたかあき]が──いや今は久本[ひさもと]だった──俺に一体何をしたか胸に手を当てて考えてみればいい。……いや、こいつの事だから何をしたのか思い出しても、自分の所為だとは露ほどにも思わないかも知れない。だけど、だからって俺がこいつを許してやる言い訳にはならない。
「アンタの面なんか見たくもねぇよ!! さっさと立ち去れ!! ぶっ殺すぞ!!」
 すると、四条もとい久本はくすりと笑った。
「……僕を? 殺す? 君が? ……出来るの?」
 カッと血の気が昇った。
「出来るかどうか試してみるか!? この鬼畜野郎!!」
 襟元を掴んで、傍の塀に押し付けた。ふっと香ってくる久本の匂い。それに、くらり、と眩暈がした。それでも懸命に睨み付けて。
 穏やかに、久本は笑った。
「少しは元気になったみたいだね」
 嬉しそうに。……思わず、相手の顔に見入った。久本は俺の後頭部をそっと撫でた。楽しそうに目を細めながら。
「肉もついてウェイトも重くなったかな。でも……」
 襟元を掴んだままの俺の右手首をそっと握った。
「!?」
「……甘いのは相変わらずだよね」
 言うと、ねじり上げた。
「いっ……!!」
 激痛に、声も出ない。思わず両膝ついて倒れ込んだ。久本は無造作に俺の腕をねじり上げると、興味無くしたようにぽいと放した。
「……っ!! 何すんだよっ!!」
 久本はにっこり笑った。
「君が僕を殺すのは、まだ無理だよ」
 言葉も無かった。……こいつには何を言っても無駄だ。たぶん。
「一体何なんだよ」
 ねじり上げられた手首を撫でながら、俺はアスファルトにへたり込んで、涙出そうなのを堪えつつ、それでも睨みながら久本を見上げた。
「僕に付き合ってくれないかな?」
「厭だ」
 即答すると、久本貴明は肩をすくめた。
「まだ何も言ってないよ」
「言わなくても判る。ろくでもない事だ。俺には関係ない。アンタの面も見たくないって言ってんのが判んないのか!? 耳が遠いのかよ!! 老いぼれジジイ!!」
「……そういう事言うかな?」
 困ったような顔して首を傾げた。……この男、絶対三十に見えない。見た目で中身が測れない男だって事は知っているが。
「まあでも、僕のやり方は判ってるよね?」
 厭な予感がした。
倉敷[くらしき]さんには既に言ってあるから。後の事は心配要らないよ」
「なっ……!?」
「それから判ってると思うけど、バイト先の店長さんにもね」
 なんでっ……この男は……っ!!
「俺の都合って奴を考えろよ!!」
 久本貴明はにっこり笑った。
「僕に会えて嬉しいでしょ?」
「嬉しい訳あるか!!」
「素直じゃないなぁ。……ま、いいけど。じゃ、行こうか?」
「人の話を聞けよ!! 俺はお前となんか行きたくない!!」
 久本貴明は笑った。
「そうかな?」
 どきり、とした。
「僕といる時の君は、生き生きとしてるよ。似合わないウェイターなんかやるよりずっとね」
「!?」
「バイト料は出すよ。今のバイトとは桁違いの額をね」
 思わずカッときた。
「金を出せば済むとでも思ってるのか!?」
「思ってるよ」
 平然と久本は言った。あまりの態度に絶句した。
「なっ……」
 こいつの親は……こいつにどういう教育したんだ? ──そう思いかけて、そう言えばこいつには親らしい親はいなかったんだと思い出して、苦い気持ちになった。
「それに君、僕の事好きでしょう?」
 自信たっぷりじゃない、ごく自然な当たり前の口調で。当然と言わんばかりの口調。
「……自信過剰」
「真実でしょう?」
 そう言うと、無造作に俺の前髪をすくい上げる。長い指。ひどくキレイな。傷一つ無い、白い指。柔らかく笑って。……騙されそうになる。
「やめろよ」
 腕を振り払った。
「相変わらず、長いよね。前髪。後ろ髪が伸びたね。……美容院か床屋行かないの?」
「アンタに関係ないだろ」
「相変わらずだなぁ。その態度。学習能力が無いというか、頭悪いって言うか。そういうところも含めて気に入ってるけど」
「頭悪くて悪かったな!! バカは嫌いなんだろ!? だったら構うな!!」
「そういうところがカワイイよね」
「なっ……!!」
 どうしろって言うんだ!! この男は! !……泣きたくなってきた。
「俺に……構って何か面白い訳?」
「面白いよ」
 楽しそうに、久本は言った。……もう何も言う気になれない。
「……ああ、そう」
「そうだよ」
 俺は舌打ちした。
「……で、今度は俺に何させようっての?」
「物判り良くなったね」
「……その調子でアンタに付き合わされてりゃ厭でもな」
 この狸。
「君は知らなくてもいいよ」
 ぴきり、とこめかみが引きつった。
「ふざけんな!! 俺はもう薬飲まされて拉致られて貞操の危機なんて奴はごめんだぞ!!」
「……考慮するよ。ていうかちゃんと助けてあげたじゃない」
 助ける以前に、ああいう目に遭わせたのもアンタだろうが。
「加害者に言われたくねぇよ」
「……ふうん?」
 くすくす、と笑って。……楽しそうに。
「でも大丈夫。君は、ね」
 ……え?
[かなめ]みたいに死んだりしないよ」
「!?」
 誰、そのカナメって。ていうか何? 死んだってのは。……と、不意に思い出した。あのユミコお嬢様って高飛車女の元婚約者。こいつの兄の息子の名だ。
「……アンタ……?」
 まさか、殺したのか? そいつを?
「……久本……っ」
「殺したのは僕じゃないよ」
 俺の心を読んだみたいに。
「要を殺したのは『四条』だよ。僕じゃない。僕は殺されるのが厭だったから、殺されないようにしただけだし」
「っ!?」
「要が死んだ事にまで、責任は取れない」
 殺されないようにしただけだしって……アンタ、何をしたんだ?
「まさか、恨みを買うような事……?」
「やだなぁ、僕をそんな風に思ってる?」
 笑いながら、顔を覗き込まれた。
 どきり、とする。
「信用ないなぁ」
「……信用なくさせてんのは、アンタだ」
「僕、ね。……向こうはこっちのせいだと思ってるけど、僕はどう考えても[たかし]兄のせいだと思ってるんだよね。そういう点で、どっちもどっちだとは思うけど」
「……一体何をしたんだ」
「んー」
 久本はちょっと考えるような顔をした。
「ま、いっか。隠すような事でもないし」
「もったいぶるなよ?」
「僕を庇おうとして、シャンデリアの下敷きになったんだよ」
「……下敷きって……」
「でも、僕はそれが落ちてくるのを事前に知ってたから、わざわざ最小限の被害で済むような位置に立っていたんだけどね」
「……おい?」
「要は知らなかったから、飛び出してきて、死んだんだ」
「!?」
 ごくり、と息を呑んだ。……なんで、この男はそんな平然と……普通の顔で、そんな……っ!!
「そんな事されても、別に僕は恩に着たりしないのにね」
「……そんなっ……!!」
 そんな問題じゃねぇだろ!!
「恩に着るとかそういう問題か!? アンタ何考えてるんだ!?」
「……僕の身内に会えば判るよ」
 久本は唇だけで笑った。
「……何……?」
「紹介してあげるよ。彼らはきっと興味を持つだろうから。気を抜いちゃ駄目だよ?」
 歌うような口調で。
「なっ……アンタ、またおかしな事企んでっ……!?」
 久本はふふっと笑った。
「大丈夫。僕が守ってあげるから」
「バカ野郎!! 本気でそう思うなら、最初から巻き込むな!! クソ野郎!!」
「だって」
 悪気ない顔で。
「君という餌は良く獲物を釣ってくれるんだもの。ほら、僕には欠点という欠点がおおよそ見当たらないからね。仕掛けて貰わないと、こっちも手出しが出来ないっていうか。すぐ終わるし、大丈夫」
「大丈夫じゃないっ!! 欠点ならあるだろうが!! 特別天然記念物級に家電も家事も出来ない不器用野郎が!!」
「ああ、そのフレーズ良いね。何か使えないかな?」
「使えないかな、じゃなくて!! 俺を利用すんなっ!!」
「……そんな事言って。楽しいでしょ? 僕といると。人生に退屈せずに済むでしょう?」
「俺を殺す気か!? 久本!!」
「殺さないよ。君と過ごす時間はとても楽しいからね」
「俺は楽しくない!!」
「そんな事言って。楽しそうだよ? 良かったね、君の人生に彩りとバリエーションを与えてくれる、そういう僕と出会えて。君は幸運だよ」
「何処が幸運だ!!」
 俺は不幸だ。世界一。
「僕といたら、ひょっとしたら見つかるかも知れないよ? 君のお兄さん」
「…………」
 どくん、とした。行方知れずのままの、兄。不可解な事ばかりの、広香の死。
「……汚ねぇ……」
「どうする? 選ぶのは君だよ?」
 嘘だ。選択肢なんて、残さないクセに。
「……この、悪魔」
 舌打ちした。
「酷い事言うよね」
 大して傷付いてない顔で。
「で、どうする?」
 嫣然と、笑って。
「……仕様がねぇから行くよ。行かないっつったって、どうせ無理矢理連れてく気なんだろ?」
「そうだね」
 そうだねと来たか。この極悪魔神。
「……あんまり無茶させんなよ?」
「無茶させる気はないけど、結果的にはそうなるかも知れないよ」
「何だと!?」
 思わず身構えた。久本はくすりと笑った。
「いや、つまり、君に危害を加えるとしたら、僕じゃなくて、『四条』だから。言っておかないとフェアじゃないよね?」
「だったら巻き込むなよ!!」
 久本は笑った。
「正直なところね、僕一人だと全く釣れないんだ。だから隙だらけでいかにも狙って下さいって感じの君が僕の隣りにいると好都合なんだよね」
「好都合って……!!」
 それに隙だらけ!? 俺が!?
「そういうところがまた可愛いんだけど」
「可愛いとか言うな!! 褒めてねぇだろ!! それ!!」
「僕的には褒めているつもりなんだよ」
「全っ然!! 褒めてねぇ!! ふざけんな!! 久本!!」
「本当楽しそうだね、君。僕と一緒にいると」
「誰が楽しそうだ!! 何勘違いしてんだよ!! てめぇはボケか!? 老人性痴呆かそれとも不感症かよ!?」
「僕も君といると楽しいよ」
「虫酸が走ること言うなっ!! アンタ俺を玩具にしてるだけだろう!!」
「厭だなぁ、僕の愛情を感じられないかい?」
「誰が愛情だ!! そんなの虫酸が走る!! 気持ち悪い事言うな!!」
「ふふ、照れ屋さんだね」
「照れ屋とか言うな!! 気持ち悪いんだよ!! お前!!」
「それじゃ話もまとまった事だし、そろそろ行こうか?」
「……アンタ、人の話聞いてる?」
「聞いてるよ。とても楽しいよね」
 暖簾に腕押し。
「…………」
 俺は溜息一つついた。
「それで? 何処へ行くって?」
「叔父が死んだんだ。その葬式でね。……服はこちらで用意してあるから。君は知人の息子という設定で行くから」
「サカイくんはもういいのかよ?」
「今回、その[さかい]も来るからね。楽しみだろう?」
「……楽しくねぇよ」
「嘘ばっかり」
 くすくす、と久本は笑った。
「この上なく楽しんでるように見えるけど?」
「冗談じゃない」
 全く冗談じゃない。
「君は僕の知人、九頭竜久人[くずりゅうひさと]の息子、久遠[くおん]。久人は十年前に亡くなってる。君は天涯孤独だ。つい最近まで施設にいた。内向的で自閉症的。……やりやすいだろう? 今回の役は。本人は現在行方知れずだ。けど、僕は本当の居所を知っているから、鉢合わせする事だけはないと保証するよ」
「……いつもこういう事ばっかしてんのか?」
「まさか」
 久本は大仰に目を見開いてみせる。
「こんな事は誰にもさせないよ。……君以外にはね。信頼してるんだ」
 ……嘘臭ぇ。
「……中原龍也、じゃ駄目なのか?」
「それだと少し問題があるんだよ」
「どうして?」
「……まさか僕の子を孕ませた女性の息子です、なんて言えないし。血の繋がりは無いしね」
「…………」
「それに、素性はバレてない方が君も動きやすいだろう? 後々の事を考えると、本当の事を明かすのは得策ではないと思うし」
「……アンタ、楽しんでるだろう?」
 久本は返事の代わりに笑った。魅力的な笑顔で。
「君もでしょう?」
「俺は楽しんでない」
「嘘」
「嘘じゃない」
 久本は笑った。
「早くしないと時間が無くなる。行こうか?」
 それは、提案の形をした命令。
 俺は素直に従った。

The End.
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