NOVEL

記憶喪失

 その時、俺は誰かの悲鳴を聞いた。

 ……頭が痛い。後頭部。ずきん、ずきんとひどく痛む。割れそうに痛い。くらくらする。ひどく……痛い。
「ただの脳震盪です。心配要りませんよ。暫く休んでいれば治るでしょう」
「CTスキャンは!? MRI撮らなくて良いんですか!? もし異常があったりしたら……!!」
 誰かの悲鳴のような声が、聞こえる。
 ……頭痛い。……本当に痛い。凄く痛くて、まともにものが考えられない。身体がひどく重い。自分の身体じゃないみたいだ。……鉛、みたいに。身体の自由が利かない。それより頭が痛くて……とにかく痛くて……。
「……ぅ……っ」
「気付いたんですか!?」
 男の声が間近で聞こえる。俺は呻きながら、やっとの思いで、瞼を押し上げた。目の前に、必死な表情の男の顔。日に灼けた肌に、切れ長の一重瞼。細めだがしっかりとした眉。すっきりとした鼻立ち。少し厚めの唇。ひどく男前で、色気がある。その喉仏が、ごくりと何かを呑み込んで動いた。深い、溜息をついて男は大きな厚みのある手の平で、俺の頬をそっと包んだ。
「……良かった……!!」
 ひどく、嬉しそうに。柔らかい幸せそうな微笑みで。心底良かった、って顔で。そのまま、ごく自然に、それが当然であるかのように、その熱い唇が俺の唇の上に落とされた。
 俺は混乱した。
 ……誰?
 目を見開いたまま、動けない。けれど、男は全く気にした風も無く、俺の唇を舌で割って、滑り込んでくる。何故か抗えなかった。見知らぬ男に、見知らぬ場所でそんな事突然されて、物凄く混乱して……だけどひどく気持ち良くて。舌の上を這い、絡めて吸い上げて、下顎を舐め上げられ、強く腕を引かれ、物凄い力で抱きしめられた。きつく、苦しいくらいに抱きしめられて、苦痛に思わず呻き声を上げても、何故か目の前のこの男を、嫌いになれなかった。……知らない男。見た事の無い男。初めて会った筈の男。なのに、俺は何の違和感も無く受け入れている。
「……誰?」
 ようやく、離された唇の下で、俺は尋ねた。男の瞳が、大きく見開かれる。
「……誰なんだよ? ……俺は……一体何故……こんな……それに……キス……」
 不意に、カッと血の気が昇った。そう。俺は……キスしたんだ。それも、舌まで入れて。嘘みたいだ。男同士で。そう……俺は男だ。目の前にいるこいつも男で……なのに、いきなり初対面であんな……っ!!
「何言ってるんですか!?」
 信じられない、と言った顔で。そのひどく傷付いたような顔に、胸がひどくずきりとした。物凄く痛かった。蒼白な顔色で、ひどく傷付いた悲しげな顔で、信じられないものを見るような目で。
「……どうして……そんなっ……!!」
 言い掛けて、はっとしたように俺を見る。
「まさかっ……階段から落ちたショックで……!!」
「……階段……?」
 判らなくて、俺は眉を顰めた。
「覚えて無いんですか!?」
 絶望的、という顔で。物凄く、胸が締め付けられるように痛くなった。真っ青な死人のような顔色で、呆然とした目つきで、物凄く強張った顔つきで、唇で、俺を見つめた。不意に、物凄く厭だ、と思った。この男の、こういう顔は見たくない。絶対に見たくないと、強く思った。
「……あっ……」
 言葉が、上手く出てこない。真っ青な顔で、唇を震わせて、男は俺から視線を外し背を向けた。
「待って……!!」
 今にも去りそうな背中が、ひどく痛くて。物凄く悲しい気分になって、俺は痛む頭もギシギシとする身体も構わずに、飛び起きてその腕を掴んだ。びくり、と男の肩先が震えた。
「……頼む……一人にしないで……」
 驚いたように、男は俺を振り返った。
「……俺を一人にしないでくれ……頼むから……っ」
 俺は必死だった。正確には、俺が一人になりたくないんじゃない。こいつを、一人にしたくなかった。この目の前の男を、一人きりになんかしたくない。何処か潤んだ瞳で、男は俺を見た。俺は必死に腕を掴んで、引き寄せた。
「……ずっと……傍にいてくれ……」
 男は、そっと目を伏せた。半分目を瞑るように、暫く下を見つめ、それからゆっくりと俺を見た。少し淋しげな、困ったような、柔らかな笑みを浮かべて。
「……どうして俺に?」
「……っ……」
 ひどく穏やかな、悲しげな瞳で。
「……誰でも良いんじゃありません? 本当は。……俺じゃなくても……他の誰かだって……たまたま俺が今、傍にいたから……そう言ってるだけで……」
「……他の誰かなんかじゃない。あんたにいて欲しいんだ。……大体……あんな……」
 さっきの、キス。かぁっと血の気が昇った。身体が、不意に熱くなる。頬が熱くて……男が、俺を見ている。……恥ずかしくなって、目線逸らした。男の浅黒い逞しい腕が伸びて、頬に触れた。触れられた頬が、ますます熱を持った。どきん、とする。
 男の左人差し指が滑り、耳たぶに触れた。カッと身体の芯が熱くなった。円を描くようにそっと撫で上げ、そのままうなじへと滑って首を支え、俺の顔を仰向かせた。
「……ぁっ……!」
 右人差し指が、唇の間に差し入れられた。指が舌の上をゆっくりと滑っていく。喉の奥ぎりぎりまで差し入れられ、ゆっくりと掻き回すように撫でられた。思わずその太い指に歯を立てていた。男は構わずに中指も差し入れてくる。下の歯の裏を撫で、舌の上を這い、喉の奥を撫でた。思わず口を開いた。
「んっ……ぁっ……!!」
 男は指を抜き出し、その指で俺の唇をそっと撫でた。
「ぁっ……ぅっ……」
 男の指が、離れて行く。俺は思わず、男を強く見上げた。身体の中央が、熱く熱を持ってる。まだ足りない、と身体が求めてる。切実な想いで、男を見上げた。
「……なんて目で見てるんです?」
 くすりと笑って、男は言った。
「……俺を、誘ってるんですか? 娼婦みたいな、目で」
 そう言って、髪に触れた。指を髪に絡ませて、弄ぶ。
「……っ……!!」
 ねっとりとした、欲望を湛えた瞳で俺を見つめながら、俺をからかうみたいにじっと見つめながら、髪を掻き混ぜて、掻き回して弄んで。あんな情熱的なキスをしておきながら、さっきみたいな愛撫をしておきながら、他人事みたいな口調で、そのくせ俺に欲情してる瞳で。声が、言葉が、瞳を裏切ってる。
 欲しい、と身体の奥が求める。……何を? 一体何が欲しいって? 訳の判らない衝動が、俺を押し包み、支配する。ただひたすら欲しくて。ただめちゃめちゃに欲しくて。欲しい。……何を?
 俺は自分の求めてる欲求の正体が判らなくて、戸惑いながら相手を見つめた。ずきん、と身体の奥が痛んだ。
「……ぁっ……」
 泣き出しそうに、なった。ひどく、苦しくて。ひどく、もどかしくて。苦しかった。早くこんな気持ちから解放されたかった。早く楽になりたかった。苦しくて、ただ苦しくて。辛くて。
 男の首に両腕でしがみついて、キスをした。男は目を軽く見開いて俺を見た。互いに目を開けたまま、唇交わした。濡れた音を立てながら、互いの唇を吸い合った。相手の全てを吸い尽くすかのように、貪った。男の瞳が濡れていくのを見ながら、きっと自分もそうなってると思った。凄く、ひどく気持ち良い。のし掛かって、ベッドに引きずり込んで、布団の上でキスを交わした。唇の間へと滑り込んで、舌を絡めて貪った。互いの唾液が絡まり合って、喉を伝って、布団に染みを作った。俺は両手の平で男の頬を包んで、唇を強く、吸い上げた。
 唇を離した瞬間、男は鮮やかに笑った。思わず、魅入られるように見入ってしまった。男は、軽く音を立てて口づけた。
「……欲情してる?」
 そう言って、俺の股間を指さした。思わずカッと顔が熱くなった。顔を背けようとする瞬間に、顎を掴まれ上向かせられた。
「……っ!」
「……見せて下さい。あなたの顔、俺に」
「……見てる……だろ……?」
 男はくすりと笑った。
「……そういうところは変わらないんですね」
 苦笑するように。
「……変わらないって……」
 俺は困惑する。
「……あなたの欲情して、俺に感じてる顔、見せて下さい。俺だけに」
「……なっ……!!」
「……欲しくないんですか?」
 挑戦的に、男は笑った。……何を?
 どくん、と胸が鳴った。男は笑いながら、唇を寄せてきた。左手が伸びて、着ていたパジャマのボタンをそっと外した。一つずつゆっくりと外しながら、唇で刻印を押していく。
「……っ……ぁっ……!」
 強く、首に、肩に、鎖骨に、胸元を吸い上げて。そろりと舌を這わせ、胸で固くなった突起部分をちろりと舐めた。
「んっ……ぁあっ……!!」
 ずきん、と身体の奥が痛んだ。欲しい、と身体の奥が訴える。びくりと腰が浮き上がった。その隙にズボンを下着ごと引きずり下ろされ、無防備にさらけ出された。外気に触れて、『それ』がびくりと震えた。男は固くなった俺の乳首を口に含み、舌で転がしながら、右手で身体の中央部をそっと包んだ。不意に、逃げ出したいような気持ちに襲われて、反射的に腰を引いた。乱暴に、上へと扱き上げられた。
「……ぁあぁっっ……!!」
 性急に、それまでのもどかしいくらいのゆっくりとした動作が嘘みたいに、無理矢理に押し上げられる。痛みを覚えるギリギリで、強く握られ、扱き上げられる。
 ……ヤバイ。気持ち良すぎる。……こんなのヤバすぎ。こんな乱暴にされて、気持ち良いなんて俺、ヤバすぎ。しかも、男同士なのに。相手の事、良く知りもしないのに。そう言えば、俺、この男の名前、知らない。おそらく十以上は年下の俺に、敬語なんて使いながら、全然優しくも無ければ親切でも無く、全然敬意も無くて自分勝手で。
「……我慢しないで、声上げて良いんですよ?」
 揶揄するようなその声が、ひどく、気持ち良い。……駄目だ、俺、病気かも。
「……どうです? 良くないですか?」
「……ぁっ……そ……な事な……い……すげ……っ……気持ちい……眩暈……しそ……う……もっ……もっと……つ……よくても……っ……!!」
 嬉しそうに、男は笑った。
「……素直、ですね」
 ひどく、魅力的に。
「……俺が、誰だか判らないんでしょう? ……だったら、何故こんな事してるんです? どうしてこんな事、許してる?」
「……そ……れは……そ……っちが……」
 お前が、俺を、求めるから。…………お前?
 ぼんやりと、熱の合間から相手を見つめた。
 どう見ても年上なのに。……『お前』なんて言うか? 俺。何だか、ひどくもどかしい感じ。判ってる筈の事を、判ってないような、知っている筈の事を、知らないような。何か重大な事を忘れてる。何か忘れてはいけないものを、忘れてる。そういう感じ。
 不意に、指の動きが止まった。驚いて、相手を見上げた。男はにやりと笑って、俺の両膝を割って入り、腹に押し付けるようにして膝を折り曲げた。
「っ!?」
 そうしておいて、サイドテーブルの引き出しから、何か取り出す。
「なっ……?」
 軽く振って、指を滑らせ、後ろの割れ目に指を這わせて、不意にその入り口を人差し指と中指で、強引に押し開くようにして、そこにスプレーの口をぐいと押し付けプッシュした。中に入っていたジェルのような代物が無理矢理注ぎ込まれ、それを潤滑剤にして無理矢理指を挿し入れ、押し込み、ぐるりと粘膜を掻き混ぜた。痛みとも快感とも付かぬギリギリの快楽と、ぞわりと全身を押し包む得体の知れない恐怖に似た感覚に襲われて、俺はぶるりと身を震わせた。ゆっくりと指で円を描くようにひんやりしたジェルを濡れた音をさせて掻き混ぜ出し入れしながら、徐々に奥へと進んでいく。ぞくぞくと震えが昇ってくる。俺はびくびくしながら、相手に支配されていた。
 『欲しい』。
 男が俺を見ている。真っ直ぐな瞳で、熱い視線で。
 『もっと欲しい』。
 ……これ以上何を?
 男の指がどんどんと早くなっていく。俺は呻き、喘いだ。ぶるりと身体の中心部が震え、つっと水のような液が滲み、滴り落ちて筋を作った。
 彼は俺を見ている。全く視線逸らさずに。いたたまれなくなりそうな程強く、真剣な目で、表情で。熱く、切実で、切羽詰まった感情で。
 『欲しい』。『何もかもが』。
 拳を、ぎゅっと握り締めた。ぐっと歯を食いしばる。
「……力、入れないで下さい。……まだまだ、これからなんですから、ね」
「……ぁ……っ」
 指を出し入れしながら、唇をそっと頬に落とした。左手がゆっくりと『俺』を包んだ。透明な液がこぼれ落ちたそれを、ゆっくりと撫で包み、優しく握って扱き始めた。びくびくと震えながら、俺の身体は『反応』する。
 『欲しい』。もっと、もっと。……もっと強く、たくさん。激しく。
「……ねぇ」
「……ぁんっ……ふっ……」
 優しく笑う。ひどく、優しく。引き込まれる、笑顔で。
「……俺の事、どう……思ってます?」
「……ど……ぅって……」
「……今の気持ち、正直に。……何を思って、俺と……こんな事、してるんですか? どうして……許してる……?」
「……そ……れは……」
 優しく男は頷く。
「……気……持ちよくって……」
「……それから?」
「……すっげ……頭……おかしくなって……身体が……ひどく熱く……て……」
 『欲しい』。
「何もかもが……変で……ヤバくって……!!」
 それから、この男の……。
「……全てが……何もかも……が……っ」
 『欲しい』。指も、腕も、唇も、足も、胸も、体液の全ても、身体の隅々も、細胞の一個まで。身体が、熱い。ひどく、熱くて……!!
「気がっ……狂いそうだっ……!!」
「……『欲しい』?」
 男が笑った。
「俺の全てが『欲しい』?」
 そう思うなら、『くれ』よ。全部俺にくれ。一滴の血も残さず、俺にくれ。全部吸い尽くして、骨も髪も残さないから。何もかもを俺に譲り渡して、何もかもを俺に捧げ尽くして、俺をお前でいっぱいにしてくれ。俺を、一人になんかしないで。全部お前で埋め尽くしてみせろ。他の何も考えられないくらい、俺をお前で埋めてみろ。俺の全てを支配して埋め尽くして、俺の全てを破壊してみろ。俺を……!!
「……俺を、好きか?」
「好きです」
 間髪入れずに。
「でも、あなたは?」
「……お前の名前、まだ知らない」
 男は唇を歪めた。
「……知らない男とこういう事する?」
「お前だって」
「……俺は、知ってますよ。あなたを。……こうすると、イイんでしょう?」
 そう言って、指を引き抜いて、代わりに自分の器官で俺を突いた。
「ぁああぁっ!!」
 思わず大声を上げた。全身に、痺れにも似た快感がビリビリと脳天へと走り、貫いた。悲鳴一歩手前の甲高い声。男は軽く瞠目した。
「……凄いですね。いつもだったら、そんな声は出してくれませんよね? いつも食いしばって懸命に堪えて、我慢して。……そういうあなたを見るのも好きですが……」
 そう言って口付ける。
「……たまにはこういうのも悪くないですね」
 そう言って、また同じ場所を貫いた。俺は堪らず悲鳴を上げた。腰が浮き、上体が逃げようとする。それを捕まえ、引き戻し押し掴んで、更に強く激しく、突き上げる。
「ひっ……あっ……うっ……ぁあっ……!!」
 喉の奥から突き上げるような声を上げながら、俺は悶えた。ぞくぞくと快感に襲われて、恐いくらい気持ち良い。それを見ながら、楽しげに男が俺を突き上げ、掻き混ぜ、ぎりぎりまで引き抜いては、更に奥まで突き上げる。少しずつポイントを変えて突き上げながら、男は本当に楽しそうに俺の反応を見つめてる。いたたまれない、とか思う暇も無いくらい気持ち良くて、男に弄ばれるように身体を貫かれながら、俺は快感の渦に包まれて、死にそうに気持ち良くてぞくぞくした。
「ぁっ……イっ……気持ち……良いっ……すっげ……ヤバ……俺……本当もう……っ!!」
「まだ、駄目ですよ」
 突く位置を変えた。俺の両膝を持ち上げて、肩へと掛ける。そのまま上体を起こした。俺の腰が浮き上がった。
「……なっ……?」
 両腕で、腰を掴む。
「……手、何か掴んでて下さい。取り敢えず、ベッドかシーツでも」
「……え……?」
 くるりと俺の身体を九十度回して、そう言った。自分は挿入したままゆっくりとベッドの下へ降りる。
「……何……っ」
「……良いから、ベッドの端、掴んで」
 言われるまま、ベッドの端を掴んだ。それを確認して、ゆっくりと俺の中から抜いた。
 え?と思った瞬間、強く、突き上げられた。
「ぁあっ!!」
 男の腰が、強く打ち付けられる。すぐさま引き抜いてはまた激しく腸壁を抉るように突き上げる。肉を打つ音と、中に入れられたジェルが掻き混ぜられる音が部屋に響く。俺は快感で朦朧として、混乱して、振り回され、引きずり回され、掻き回されてる。
「ぁっ……あっ……ぁあっ……はぁっ……ぅっ……ぁっ……駄目……それ以上……も……駄目……っ……俺っ……もうっ……げん……か……っ!!」
「嘘でしょ? 本当はまだまだイケるでしょう?」
 笑いながら突き上げる。わざとポイントずらして、俺にイカせない。かと思ったらたまに突いて俺にあられもない悲鳴上げさせる。良い加減疲れて来たってのに、こいつは全然まだまだ平気って顔して全然止まらない。化け物じみてる。
 不意に湧き起こる『既視感』。……前にも、こんな事あったような、薄ぼんやりとした、記憶。
 え?と思いながら、相手を凝視する。長い黒髪。最初は後ろ一つでゴムで束ねていたそれが、すこしずつほつれて乱れて、頬や首筋に張り付いてる。長い前髪が、汗で濡れて視界が邪魔そうだ。それでもお構いなしに突き上げてくる。またポイント外して。楽しそうに笑いながら。俺は呻きながら、抗議の視線向けるけど、気にしたこっちゃないって顔してる。にやにやと笑うその顔が、何処か確かに見たような気がして……。
「……俺の事、どう思ってます?」
 さっきも聞いたな、それ。
「……知りたい?」
 突き上げられて、思わず呻きを上げながら、挑戦的に俺は尋ねた。
「……教えてくれないんですか?」
 素直に教えてくれって言えよ? ……またポイント外す。
「……知りたくない?」
 男は笑った。更に外す。
「……ちがっ……もっとひだ……っ」
「……言って下さい」
 有無を言わせぬ瞳で。
「……言いたいんでしょう?」
 にやりと笑って。……酷い奴。
「………………好き」
 小さい声で。本当、小さい声で、そっと囁くように言ったら、本当にその瞬間、ひどく嬉しそうな顔で笑って、確実にポイントを突いてきた。
「ぁあああぁぁっっ!!」
 絶叫した。激しく、性急に強く貫かれて、痛みとも付かぬ快感の波に呑み込まれて、俺は死にそうに激しく、苦しいくらい気持ち良くて。
「……っ……!!」
 ふっとぐらりと視界が揺らめいた。その一瞬を境目に、全ての世界がスローモーションのように見えた。ゆっくりと視界がフェイドアウトしていく。ちらりと驚いた顔した男の顔が視界を掠めた気がした。
「……っくや…………さっ……!!」
 それが、意識を失う前の、最後の記憶──だった。

「……ってぇ……!!」
 後頭部が、まるで何かぶつけたみたいに酷く痛い。思わず手をやるとたんこぶが二つ、出来ていた。思わず舌打ちする。足下で、何かが身じろぎした。
「……中原?」
 疲れた顔つきで、それでもしっかりとした視線で、俺を見た。
「……判る……んですか?」
 中原は少し虚を突かれたみたいな顔でそう言った。
「判るも何も、お前の顔なんか忘れる訳無いだろう。……ガキん時から顔付き合わせてんだからさ」
「……いや、でも……」
「どうでも良いけどさ、俺……何かした? 何かたんこぶ出来てるんだけど」
  中原は複雑そうな顔で俺を見た。
「……? 何だよ?」
  聞き返して、その可能性に突き当たって、中原を睨んだ。
「さてはお前が原因か!? 何した!! お前、俺に一体何やったんだ!? たんこぶ二つも出来てるぞ!! お前背後から俺を殴ったのか!? それでもしかしたらヤッたんだろ!! ひでぇ奴だな!! んな事しないでも、ちゃんと俺、付き合ってやってるだろう!! 毎晩!!」
「違っ……!!」
「嘘つけ!! このいっ……異物感と、覚えのある身体の痺れは絶対ヤッた後だ!! お前、最低だな!! 意識無い男のケツ掘るのが趣味かよ!! エゲツない野郎だな!!」
「そんな事する訳無いでしょうが!! 俺はそんなに信用無いですか!?」
「じゃあ、この状態は一体なんだって言うんだよ!!」
「だからそれはっ……!!」
「ああっ!! そうだ!! 思い出した!! お前、俺が食おうと思ってた饅頭一個食ったろう!! 六個あったのが五個になってたぞ!!」
「六個もあるんだから五個になったって構わないでしょうが!!」
「構わないわけあるか!! 六個が五個になったんだぞ!! 一個減ってるじゃないか!!」
「だから一個くらい良いでしょうが!! 代わりが欲しけりゃちゃんと買って来ますから!!」
「そういう問題じゃねぇんだよ!! あれはな、俺が饅頭とか好きだって知って、秋本物産の社長がわざわざ金沢へ行った時にそこの地元の何て名だったかの和菓子屋で買った代物で、こっちじゃ絶対手に入らない代物なんだぞ!! 手作りなんだからな!! 工場で作った安物とは訳が違うんだぞ!!」
「って言ったってたかが饅頭じゃないですか!! どうしてそういう余計な事だけ思い出すんですかっ!!」
「あっ!! 更に思い出したぞ!! お前、その時、俺が殴ろうとしたら避けただろう!! おかげで俺は……ああっ!! お前のせいで俺、階段落ちたんじゃないか!! ちっくしょぉ!!」
「転げ落ちそうになったのを助けたのは私ですよ!! そりゃ頭ぶつける前には助けられませんでしたが。だって仕様が無いでしょう!!」
「仕様が無い訳あるか!! 大体がなぁっ、お前が饅頭食って、俺に素直に殴られておけば良いものをわざわざ避けたりするからっ……!!」
 中原は小さく溜息をついた。
「……一生あのままでいてくれたら良かったのに……」
「……何か言ったか?」
「……いえ、別に」
 そう言って、中原は深い溜息をついた。
 それをちらりと見遣り、こっそり思った。
 ……本当は全部、覚えてるんだけどな。くすりと笑った。
「まあ、良い。今度、メシ奢れよ」
「……え?」
「店はお前に任す。……つまんないとこ連れて行くなよ?」
 ……でも、絶対言ってやんない。

The End.
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