NOVEL

千万の水

 俺はきっと、自分勝手でずるい人間だ。

「……ほら、もっと腰使えよ。そうじゃない、前後だけじゃなく、左右にも動かしてみろよ。単調だと飽きるだろ? もっと変化と緩急つけて攻めてみろよ。俺が正気なくすくらいに、さ」
 俺がそう言うと、野間崎和郷は一瞬顔を引きつらせながらも、大真面目に俺の指導に従った。……バカ正直な男だ、と思う。ついでに子供で、世間知らずで。俺が自分を騙して弄び、からかっているかもしれないなんて可能性をちっとも考えない。……子供みたいに素直で、従順で。
 俺は意地悪い気分になりながら、こうやって男を育ててみるのも悪くないな、と思う。俺好みのセックスを教えて、覚えさせて。俺無しではいられない身体にした後で捨てたりしたら、野間崎はいったいどういう顔をするだろう? 見てみたいような、少し恐いような。
「……千堂さん……」
 熱に浮かされたような目で、俺を見る。その眼差しと、良く響く低い声にぞくりとして、思わず腰を浮かせた。
「指をもっと使えよ。両手がお留守になってるだろう? 言葉で相手を攻め上げるテクも甲斐性もないくせに、その程度の腰つきだけで俺をイカせられるとでも思ってるのか? せめて俺のをしごくくらいの事はしてくれよ。初めての時はマグロでも良いと言ったが、俺と本気で付き合う気なら、それくらいのサービス精神見せたらどうだ? じゃないと捨てるぞ」
 本当に、身勝手でずるい台詞だ、と思いながら。俺の言葉で、野間崎が顔色変えるのが、心地良い。……本当つくづく性格が悪いと自覚しながら。あまりにも野間崎が素直で、すぐ反応するから。ダメだと思いながら、つい、いじめてしまう。……それに。
「……ぁっ……!」
 思わず喘ぎ、宙を掻く。野間崎は右手で俺の分身をしごき上げながら、ぐいとのし掛かり、腰の動きを早くする。次いで左手で俺の乳首を撫で上げ、摘み、ゆっくりと押しつぶし、回すようにしながら揉み上げる。
「はっぁっ……!!」
 いじめた方が、格段にセックスが快くなるのだから。……これじゃ、やめたいと思っても、やめられない。
「……の……ま……っざき……っ!!」
「……そんなのっ……そんなこと……っ……言わないでください……水穂さん……っ!」
 切実に、熱烈に、俺が欲しいと訴える、熱い瞳と抱擁に、とろけそうになりながら、悲鳴を上げる。野間崎の首の後ろに両手を回し、しっかりと掴みながら、俺は喘ぐ。
「……もっと……もっとっ……もっと攻めて、追い上げろよっ……もっと俺を攻めてみろ……っ!!」
「……ぁっ……み、水穂さん……っ!」
 野間崎は自覚してるのだろうか? 普段は俺を『千堂さん』としか呼ばないくせに、セックスに身を入れ始めると、いつのまにか『水穂さん』になっていることに。ここ三日ばかりはずっとそうだ。どうしてだろう、と最初は思ったけれど。慣れたら別にどうでもいいという気もして。野間崎の声は、脳髄よりも、下半身を刺激する。上擦り裏返った声にすら、ぞくりとさせられる。本人には決して言ってやらないけど。広い肩幅が、筋肉で覆われた胸板が、しっかりした上腕が、触れると気持ち良い。指の形がキレイで、爪の形もいい。きちんと爪を切り揃える几帳面さも悪くない。セックスすると上気して立ち上る汗と雄のにおいが、たまらなく快い。きゅっと締まった腰や尻の形も、かなり好みだ。木暮のそれより理想的だ。足の形やラインも、臑毛の生え方までも、実に良いと思う。足の指の形も良いなと思う。セックスしなくたって、その裸体を思い出すだけでも、結構なオカズになっているのだけど。本人に言ったら、どんな反応が返ってくるのか考えたら、苦笑する。
 野間崎に求められるのは気持ち良い。必死に俺を求めて、攻め上げられると、ぞくぞくする。思わず引きずられそうになりそうになっては、我に返る。流されちゃダメだ。流されてしまったら、きっと後悔する。……なのに、野間崎の手は、何故こんなに気持ち良いんだろう……。
「……野間崎……っ」
「水穂さん……っ!」
 好きです、と。耳元に呻くように、苦しげに、囁きながら。
「あなたが好きです……っ!!」
 そう叫びながら、子供のようにぎゅっとしがみついてきて。野間崎は俺の中で達した。それに引きずられるように、俺も達していた。白濁が野間崎の手を汚す。くらりとする酩酊のような目眩を感じて、俺は両目を閉じた。
「……千堂さん」
 かすれた声で、野間崎が囁く。
「……今の、よかったです……か?」
 おそるおそる、といった口調で。
「五十点くらいかな」
「ぇえっ!?」
 そう叫んだきり、絶句する。そんな野間崎を見遣りながら、にやりと唇を歪める。
「さっさとシャワー浴びて来いよ。お前が早くしないと、俺が入れないだろ?」
「えっ、もう? だってまだ、一回しか……っ!」
「仕事持ち帰ってんだよ。残業しないで付き合ってやってんだから、感謝しろよ?」
 我ながら横柄で傲慢でひどい台詞だ、と思いながら。
「それとも、俺が残業して、今夜の予定は無しにする方が良かったか?」
 意地悪く聞いてやると、野間崎は、ふるふると首を横に振る。俺は思わず苦笑する。
「じゃ、浴びて来いよ」
 いつまでも肌を合わせていると、まるで目の前の男が、恋人であるかのような気分になりそうだから。……そういうのは、困る。いつまでも赤の他人でいてくれなくては。情を移しでもしたら、厄介だ。だったら、さっさと手っ取り早く帰してしまうのが一番良い。
「一回で良いから、朝まで一緒に過ごしたいのに」
「……そういうこと言うと、二度と家に呼ばないぞ」
 そう言うと、諦めたように、しょんぼりと肩を落とし、立ち上がった。その淋しそうなしょげた背中を見送りながら、これで良いんだ、と心で呟いた。
 捨て犬や捨て猫ですら、三日も飼えば情が移ってしまうのだから。

「じゃあ俺はシャワー浴びるから、もう帰って良いぞ」
 そう言うと、野間崎は黒々とした瞳を潤ませ、男らしく太い眉を哀しそうに情けなく歪めながら、
「どうしてそういう冷たいことを言うんですか?」
 と、情けない声で、でもどこか甘えたような口調で言う。
「甘えるなよ。ガキと呼ばれたいのか?」
 やんわりと突き放す。野間崎はう、と詰まる。
「……判りました。俺、もう帰ります。ところで、明日の予定、どうですか?」
「明日?」
「イブですよ、千堂さん。クリスマス・イブ。良ければ俺、ディナー予約して……」
「今から予約じゃ無理だろ?」
「いえ、もう既に予約してあるんです」
 ……何!?
「ちょっ……待て、なんでそんな……っ!!」
「千堂さんと一緒に、過ごしたかったから。……駄目ですか?」
「駄目に決まってるだろ!」
 怒鳴りつけると、野間崎は、息を呑んで、黙り込んだ。泣き出しそうな目で、俺を暫く見つめた後、掠れた声で、問う。
「……イブに、一緒に過ごしたい人がいるんですか?」
 蒼白な顔で。
「そうだと言ったらどうするんだ?」
「…………っ!!」
 俺の言葉に、野間崎は大きく目を見開き、息を呑んだ。それから不意に視線を逸らし、無言で背を向ける。
「……野間崎?」
 野間崎は応えない。無言で玄関へと向かい、靴を履き、ドアノブを握る。俺はつい、何も言わない野間崎の背を追いかける。
「……さよなら、千堂さん」
「え?」
 どきり、とする。
「じゃあ」
 そう言って、野間崎は軽く頭を下げると、部屋を出て行った。……今のは、どういう意味だ? どくん、と心臓が脈打つ。ドアノブに手をかけて、またすぐ離す。……さよなら? さよならってどういう意味だ。いつもなら、野間崎は、おやすみなさいと言って立ち去るのに──まさか?
 ぎくりとする。照明が暗くて、立ち去る時の野間崎の顔の表情は判らなかった。どくん、と心臓が脈打つ。……まさかあいつ、二度とここへ来ないつもりじゃ……っ!!
「野間崎!!」
 慌てて、ドアを開ける。野間崎の姿は既に無かった。エレベーターホールへと走る。
「……野間崎っ!!」
 ちょうどエレベーターのドアが閉まるところだった。
「待てよ!! 野間崎!!」
 エレベーターが、階下へと降りていく。それを見て、腰から力が抜けていくのを感じた。
「……野間崎……っ」
「……はい」
 ふと、すぐ傍で、野間崎の声が聞こえて、俺は思わず仰け反った。
「……なっ……!?」
 思わず、絶句した。な、なんでここにいるんだ!? 野間崎!!
 心の中で、声にならない絶叫を上げていると、野間崎が困ったような顔で顔を少し赤らめて、ちょっと笑いながら言った。
「あ、その、どうやら俺、千堂さんの部屋に携帯忘れちゃったみたいなんで……あの……」
「……このバカ」
 くそ、なんで、こんな。俺のみっともなくて、格好悪いところばっかり。
「千堂さんが今、動揺して泣きそうな顔になってるのは、俺が原因だって思って、良いんですよ、ね?」
「……お前なんか、大嫌いだ」
 吐き捨てるように言ったつもりだった。けど、実際は掠れた上に、語尾が裏返った。思わず舌打ちする。野間崎が嬉しそうに唇を緩めるのを見て、ますます腹立たしくなった。
「人の顔を笑いながらじろじろ見るな。う、嬉しそうな顔すんな。別に、俺は、お前なんか……っ。俺はただ、セックスできりゃ、誰だって良いんだよ。か、勘違いするなよ?」
「はい、判りました」
 野間崎はにっこり笑って、嬉しそうに言う。
「な、なんで笑ってるんだよ、野間崎!!」
「こんなところで騒いでいると人迷惑ですから、部屋に戻りましょう、千堂さん。それからゆっくり話しませんか?」
「お前、帰るんじゃなかったのか!? もう帰るんだろう。だったら……っ!」
「……俺、今日は帰りません。千堂さんに何言われたって、朝までお邪魔します」
「……なっ……!!」
「俺をその気にさせたのは、千堂さんですよ」
 これまでに俺が見たことのない自信と、凄絶な色気を湛えた濡れた目つきで、野間崎が俺を見据える。喰いつかれて、骨までむしゃぶられそうな、野性の獣じみた、雄の目つきで。ぞくりと背中が震えた。野間崎の両手が、俺の腰に回され、強く抱きしめられる。
「……ぁ……っ!!」
 熱い唇に覆われ、情熱的に求められる。瞬時に身体が熱くなった。足に力が入らない。野間崎は俺をひょいと無造作に横抱きし、文句を言う暇もなく、部屋の前まで運んでしまう。
「鍵は?」
 良く響く低音を耳に注ぎ込まれ、俺は抵抗できずに、ポケットの鍵を差し出す。無言で野間崎はそれを受け取り、部屋のロックを外し、俺を片手に抱いたまま、ドアを片手で開き、閉める。後ろ手で鍵をかけて、そのまま俺を寝室へと運ぶ。
「……のまざ……っ」
 ベッドに腰掛けるような格好で下ろされ、そのまま俺を押し倒すように覆い被さってくる。
「……のっ……!」
 耳元に、舌を這われて、思わずびくりと震えてしまう。それに気付いたのか、わざと濡れた音を立てて、執拗に舐め上げられ、吸われ、軽く歯を立てられて、俺は呻いた。
「……俺の、独りよがりじゃないんですよね?」
 見上げると、にやりと笑う野間崎の顔があった。
「……お前……誰だ……?」
 思わず、目の前の男に、問い返した。今俺の目の前にいるこの男は、俺の知っている野間崎和郷じゃない。自信に満ちあふれ、しっかりとした意志と、力を持った、百獣の王。
「何を言ってるんですか、千堂さん。俺は野間崎ですよ。野間崎和郷。今更忘れたなんて言わないですよね?」
「……俺の知ってる野間崎は、そんな顔はしない。お前みたいな男、俺は知らない」
「これが俺ですよ」
 野間崎は雄の目で言う。
「今更知らないだなんて言わないでください」
 そう言って、野間崎は服の上から、俺の分身を撫で上げた。
「……っ!!」
 既に立ち上がり、硬くなりかけているそれに、野間崎は満足そうな笑みを浮かべる。
「良かった。嫌がられてはないみたいだ」
「……なっ……!?」
 野間崎は、真顔で言う。
「しても、良いですよね?」
 今更、何を言ってるんだ、と思う。布越しに、野間崎の硬く張りつめた怒張が押しつけられて、思わず俺は呻いた。いつもより、大きくなってる。こんなものを受け入れたら、俺はどうなるんだ、と思う。恐れ半分、期待半分。それよりも、熱い野間崎の視線。この目線だけで、イッてしまいそうだ。……ヤバイ。くらくらする。目だけで悩殺されて、死にそうだ。……こんなの、どうかしてる。こんな男、俺は知らない。全然知らない。
「……のまざ……き……っ!!」
「ねぇ、千堂さん」
 耳に心地よい、謳うような声で。
「教えてください」
 期待に満ちた、声で。
「……そんなのっ……俺の顔と反応だけで、判ってるんだろう!?」
 泣きたい気持ちで、俺が言うと、野間崎は笑った。
「俺の勘違いかもしれないから、千堂さんの言葉で、あなたの声で、聞きたいんです」
 ……そんな、質の悪い男だなんて、俺は知らなかった。まるで、可愛らしい子犬だと思って飼っていたペットが、とんでもなく凶暴な野性の狼だと知ったような、そういう衝撃。
「……だから、教えてください」
「あっ……!」
 中央のものをまさぐられ、取り出され、握り込まれて、俺は小さく悲鳴を上げる。
「ね? 千堂さん」
 声音だけはひどく優しく、甘えるように。だけど、握り込まれたそれは、少し乱暴に、性急に、しごき上げられる。
「ぁっ……!!」
 駄目だ、そう言いかけた瞬間、弾けて達してしまった。
「……ぁああぁ……っ……!!」
 絶頂と快感に包まれた直後に、敗北感と羞恥心に襲われる。そんな俺の頬に、野間崎が口づけを落とす。
「キレイです、千堂さん。それに……すごく可愛かった」
「……可愛いなんて言うな」
「可愛いですよ。とろけそうなくらい、可愛い」
 そう言って、野間崎は、とろけそうな笑顔で俺を見つめる。どきん、として、思わず食い入るように相手を見つめてしまった。
「ねぇ、千堂さん。しても、良いですか?」
 そんなの。
「俺は、セックスできるなら誰だって……」
「嘘です」
 野間崎は言った。
「少なくとも、今は、俺としたい。……そうでしょう? 千堂さん」
「……っ!!」
「だったら、俺としたいって言ってください。お願いします」
 お願いします、と言いながら、その目に浮かぶ表情は懇願ではなく、強い誘惑。淫靡な光をその目に宿して、優しく甘い声音で、俺を誘う。
「……したい」
 熱に浮かされたように。
「だけど、恋じゃない。恋なんかじゃなくて……」
「俺に、離れていかれるのは嫌なんですよね?」
 俺に尋ねるというよりは、確認する口調で。
「俺とセックスするのは、俺を少しは求めていてくれるからですよね?」
「……うるさい」
 泣きたい思いで。
「御託は良い。はやく……しろよ」
 野間崎はにっこり微笑んだ。
「仰せの通りに」
 くそ、と思った。でも、野間崎の熱い唇で覆われた瞬間、全てどうでも良くなって、もやもやも逡巡も弾け飛んだ。

To be continued.
Web拍手
[RETURN] [NEXT] [UP]