NOVEL

堂森食品(株)庶務課 -石倉基の憂鬱-

 僕の名は石倉基[いしくらもとい]。堂森食品株式会社の総務部庶務課に所属している。今年勤続四年目に突入するところだ。ようやく仕事にも慣れ、自分の仕事にも自信がついてきた。僕の仕事はまあ雑事、だ。文房具の在庫管理や、その他備品のチェック。給湯室のお茶や珈琲の残量確認や追加、なんてのも僕の仕事。名刺を注文したり、郵便物の整理や配布をしたり、切れた蛍光灯を取り替えたり、そういう事だ。何だ、雑用か、などと甘くみてはいけない。これがやってみると結構辛くて面倒な仕事なんだ。もっとも、一部社員のせいで、僕の仕事が面倒になってるって感は否めないけど。
 我が社は優良企業。他聞に洩れず、数年前は業務縮小による工場・支社の閉鎖や人員整理もあったけど、今ではすっかり落ち着いている──ように見える。油断は禁物。先日『営二』──『営業二課』の事だ──の『万年課長』利根崎氏を見た。『営二』については様々な噂を耳にする。全員男色家だとか──そんなバカなことがあるはずない──セクハラ当然日常茶飯事だとか──そんなわけがない、全員男だ──『営二』に移されたら、辞めるか死ぬか定年になるまで出られないとか──そんな事は絶対に無い、二年前に海外支社に異動した人がいる──痴情のもつれで刃傷事件があったとか──だから男しかいないって!──社内恋愛がこじれて辞めた奴がいるとか──だからもう(以下略)──そういう、とにかく質の悪い低俗な噂ばっかりだ。中にはデスクにイカ臭い白い染みが付いていたとか──おいおい、そんなトコでヤる奴いる訳無いだろ!!──夜遅く通り掛かると男の喘ぎ声が聞こえるだとか──やめろよ、想像させるな!──そういう酷い噂まである。が、そのどれも俺は真に受けたりなんかしない。普通、まともな常識を持った大人の男ならそういうもんだ。
 だが、一つだけ言える事がある。それは、『営二』は一癖も二癖もある一筋縄ではいかない連中の溜まり場だ。営業成績は悪くないが、どいつもこいつも質が悪い。
「やっほー、イシちゃ〜ん♪ ボールペンちょーだい♥」
 また来た。……ほぼ、毎日のように来る。神田川俊行[かんだがわとしゆき]
「……また失くしたんですか? 神田川さん。今月入ってもう十七本です。気を付けようって気にはならないんですか? あなたは」
「いや〜、紛失しようと思って物を紛失させる人間なんか、この世にいないってば♪」
「そういう問題ですかっ!! もう今度こそ失くさないで下さい!! 今度失くしたら、出しませんよ。次回からは自費で購入して下さい。勿論、領収書は受け取りません」
「ええっ!? そりゃ無いぜ!! イシちゃん!!」
「……それから、親しくも無いのに勝手に『イシちゃん』とか呼ぶの、やめて下さい。今度そう呼んだら返事しませんから」
「お堅いなぁ♪ イシザワ君は」
「……僕の名前は石倉で、イシザワじゃありません」
「あっ、わっりー。そうだった、石山君」
「…………違ってるんですけど、まさかわざとですか?」
「いや、そんな事は無いぞ。ちゃんと判ってるって、石原君」
 ……やっぱりわざとだ。
「おい、神田川。……お前また、石倉をからかってるのか?」
 同じく同期の篠田博樹[しのだひろき]さん。……いつ見ても格好良いなぁ。『営二』一の営業成績を誇る人。二m八cmある身長と、その上に乗った端正でクールビューティーな顔。僕が憧れてる人だ。目指すんだったらこんな人だよなぁ。神田川さんと同期で親しいだなんて、信じられない。真面目で一生懸命で、優しい人。
「……済まない。ボールペンの芯が切れたんだ。あと、名刺がもう後残り少ないから、刷って置いてもらえるかな? 頼むよ、石倉君」
「はい、判りました」
 にっこり笑って返事すると、
「あっ! イッシー!! お前、俺と篠田差別してやがんな!?」
 誰がイッシーだ、誰が。
「……それはお前が態度悪いからだろう。不真面目な態度で傍若無人に振る舞うからだ」
「ひっでぇ!!」
 ……自覚無いのか? このひとは。
「じゃあ、ボールペンと、それから篠田さん、芯です。急ぐようなら、今週末までに入るよう手配しておきますけど、どうします?」
「……いや、来週末までに入れば良い。たぶん今のが切れるとしたら再来週くらいだ」
「判りました。手配しておきます」
「有り難う、石倉君」
「なーんか俺とは全然段違いの扱いだな。……よっ、美青年キラー!!」
「誰が『美青年キラー』だ、バカ者」
 がつん、と篠田さんは神田川さんの頭をほぼ真上から殴った。大仰に神田川さんは痛がる。
「いてぇっ!! いてぇ!! いてぇって!! この馬鹿力!! 暴力魔人!! 大魔人!!」
「……軽口が叩ける余力があるなら、もう一発行っとこうか?」
「ああっ!! ごめんなさい!! 許して下さい!! 篠田様!! 神様仏様!!」
「……やっぱり殴るか……」
 篠田さんって基本的にはおとなっぽいひとだと思ってるんだけど、神田川さんといる時は妙におとなげないんだよな。不機嫌そうなのに、でもどこか楽しげにも見えたりして……。
 ぶるぶると首を振る。
 まさか。気のせいだ。
「こんにちはー♪ センセいる?」
 また出た。やっぱり同期の黒崎真樹[くろさきまさき]。黒崎副社長の甥だといううわさだ。……なのだが。
「あぁっ!? なんでこんなとこでセンセと神田川がツーショット!!」
「バカもの。お前の目は節穴か?」
 呆れたように篠田さんは溜息をついた。
 神田川さんは黒崎さんの顔を見て、勢いづく。
「サッキー、聞いてよ! 篠田とイッシーが結託して俺をいじめるんだ!!」
「なにぃ!? 貴様ら俺を一体誰だと思ってる!? 神田川をいじめる奴は天が許しても俺が許さん!!」
「……悪ふざけもいい加減にしろ。石倉が驚いてるだろう?」
「けっ、かっこつけ野郎が」
「……弱い犬ほど良く吠える」
「何!?」
 噛み付くような黒崎を、犬でも追い払うかのように、篠田さんは片手を振ってしっしっとあしらう。
「俺はお前らほど暇じゃないんだ」
「くっ、いちいち腹立つ男だな!! お前は!! だから俺はお前が大っ嫌いなんだよ!!」
「さっ、サキちゃん、ちょっと!! 目の色変わってる!! 変わってるから!!」
 張本人である神田川さんは焦ったように仲裁に入る。
「すいません、砂消しゴムありますか?」
 とやって来たのは、ダメ押しのように同期の営二社員、都倉祐二[とくらゆうじ]さんだ。彼はとても穏和で優しいひとだ。
「あ、今出しますよ、都倉さん」
 と立ち上がると、神田川さんが嘆き声を上げる。
「やっぱり俺にだけ態度悪くないか? 石倉」
「そんなことありませんよ。僕は相手を見ているだけですから」
「…………」
「ん? 何、どうしたの? 神田川、何かあった?」
 都倉さんは優しく微笑んだ。その微笑みに、僕はうっとりと見つめてしまう。彼はとてもキレイなひとだ。色素の薄い髪は光に当たるときらきらと輝き、同じく色素の薄い白い肌は、血が透けて見えそうだ。いつも笑みを浮かべている、潤んだように見える瞳も素敵だと思う。
「ソレが聞いてくれよ、都倉。石倉ってば、俺にだけボールペンくれないんだぜ?」
「そうなのかな? 石倉君」
 潤んだように見える瞳で、都倉さんは首を傾げた。
「別に意地悪して言ってるわけじゃありません。ただ、あまりにも紛失の頻度が高いので、気を付けて欲しいと話していただけです」
「そうなんだ? ダメだよ、神田川。石倉を困らせちゃ。文房具や備品の管理は彼の担当の仕事なんだから、迷惑をかけちゃダメだろう?」
「そうは言うけどさ、都倉。明らかに、皆と態度が違うんだぜ? いくら温厚で心優しい俺でも、ちょっと凹むよ」
「また、君は勘違いされるような言い方したんじゃないのかい? 神田川。そういうところも含めて俺は好きだけど、それじゃ君が困るんじゃないかな?」
「都倉……」
「ふふ、そんなに情熱的な瞳で見つめられると、俺は困っちゃうよ?」
「じょっ……情熱的って……!!」
 真っ赤になる神田川さんに、都倉さんはくすくす笑い、黒崎さんが怒鳴る。
「ちょっとそこ!! 都倉祐二!! そこで二人の世界作ってんじゃねぇぞ!? 泣くぞ!? 号泣するぞ!? 超音波域の高音で悲鳴を上げるぞ!?」
「へぇ、黒崎は超音波の声が出せるんだ? 道理で普段から声が高いと思った。っていうか、コウモリみたいだよね。2万Hzの声って興味あるから聞かせてよ?」
「じょっ、冗談も判らないのか!? わざとか!? 天然じゃねぇだろ!! 絶対!! 俺はそういうの判るんだからな!? 絶対お前は仏の皮をかぶった鬼だ!! 鬼畜だ!! ついでにゆーと、エロ魔神でむっつりスケベだ!!」
「心外だなぁ」
 真っ赤な顔で怒鳴る黒崎さんに、都倉さんはにっこり微笑みながら、ゆったり言った。いつも思うことだけど、都倉さんは何故、神田川さんにあんなに甘いのだろう。僕には理解できない。
「…………」
「……しくら」
「…………」
「……石倉、ちょっと良い?」
 不意に、背後から肩を叩かれて、ぎくりとして見上げると、そこには灘修司[なだしゅうじ]が立っていた。
「あ……、灘さん……」
 僕はこのひとがどうも苦手だ。特に何がどう、ということもないのだが、何故か苦手だと感じる。彼は高校・大学時代からの神田川の友人であるらしい。
「……今、都倉のこと見てただろう?」
 小声で囁かれて、思わず息を呑んだ。
「見とれてた?」
 耳元で囁かれて、カッと耳が熱くなった。
「な、何を言ってるんですか、灘さん。お、おかしなこと言わないでくださいよ」
「別に隠さなくても良いのに」
「隠してなんかいません! 勘違いを事実のように語るのはやめてください!!」
「本当に石倉は真面目だな」
「灘さんがワケわからなすぎなだけです! 僕は普通です!!」
 そう言うと、灘さんはくすくす笑った。僕はかあっとした。
「あの、ところで灘さん、何の用件ですか?」
「……ああ、そうだ。忘れてた。ごめん、修正液が切れてるみたいなんだけど」
「あ、すみません。今日の午後には入る予定なんです。急ぎますか?」
「うん、できればすぐ」
「じゃあ、僕の使いさしで良ければ、これを使ってください。ただ、ペンタイプじゃなくて、はけで塗るタイプなんですが、構いませんか?」
「構わないよ。……石倉はペンタイプは使わないんだ?」
「ええ。なんとなく、好きじゃなくて。時折量が出すぎたりするし。僕は大抵、ワープロ原稿に使うので、紙がでこぼこになるのがなんとなく許せないんです」
「じゃあ、修正テープでも良いのでは? 君の場合、大抵印刷に回す書類を作成するんだろう?」
「途中で剥がれてしまったりして、気付かずに輪転機通したりすると、大量のミスプリントができてしまいますからね。無論、一度コピーを取って、それを原紙にすれば良いんですが、コピー機を通すとどうしても文字が潰れますからね。最近はPDFも多いけど、やっぱりまだまだ紙の方が主流ですし。社内の案内なんかは、グループウェア内で公開するより、印刷して掲示するか、書類を回す方が早いし確実です。特に見て欲しい人に限ってグループウェアをチェックしてくれませんからね。どんなに便利なツールも使うのは人間だってことなんでしょうが」
 僕が言うと、灘さんは笑った。
「おとなしそうなかわいい顔して辛辣だな」
 か、かわいい?
「……ね、石倉。都倉狙いならさ──もっと強引に、積極的に行った方が良いよ?」
 不意に、声を低めて、耳元で囁かれた。
「……えっ!?」
「意外と都倉って、ムッツリだし手が早いから、かわいい子に迫られたら、展開早いよ?」
「ちょっ……ちょっと灘さん!! な、なななっ、何を言ってるんですか!!」
「かわいい後輩に恋のアドバイス。……迷惑だったかな?」
「め、迷惑って……!!」
「灘、石倉君。何を二人で密談してるのかな?」
 不意に、背後から都倉さんの声が降ってきた。
「うっわぁあぁっっ!!」
 僕は思わず悲鳴を上げた。
 灘さんは肩をすくめて苦笑した。
「俺は悩める後輩に軽く助言をしてあげただけさ」
「どのくらい軽い助言なのか、疑問に思うけどね?」
 灘さんが明るく爽やかに笑って言うと、都倉さんはにっこり穏やかに笑った。
 その瞬間、何故か氷点下の風が吹いた。
「と、都倉さん……灘さん……?」
「なぁに〜、どしたの? なに、なに。都倉、灘っち、何かあったの?」
 ひょこん、と神田川さんが顔を出した。
「いや、何でもないんだよ、神田川」
「ああ。何もない。心配してくれてありがとう、カンちゃん」
 都倉さんが優しく言い、灘さんが明るい口調で言う。が、次の瞬間、確かに二人の間に激しい火花が散るのが見えた。
「…………」
「おい、お前ら、いつまで石倉の仕事の邪魔をするつもりだ? 俺は先に戻るぞ。それじゃ、石倉。ありがとう。……失礼しました」
 篠田さんはぺこりとお辞儀をして、庶務課を出る。
「あっ、そうだ。俺、篠田に用事があったんだった」
 と、黒崎さんが言う。
「だったら用件をさっさと言え」
 背中を向けたまま、立ち止まることなく篠田さんが言う。
「くっ、キサマ。何故そんなに偉そうなんだ!! ち、ちくしょぉ!! ムカつく!! 無性にムカつく!!」
「……ほらほら、サキちゃん。眉間に皺寄せると、キレイな顔が歪んじゃうよ?」
 荒立ち、地団駄を踏む黒崎さんを、神田川さんが宥めるよう言う。
「え? 俺ってキレイ?」
「うん。黙っていれば、営二で一番の美人さんだよ♪」
「黙っていればってのはなんなんだよぉおおおっっ!!」
 黒崎さんは悲鳴のように叫びながら、さっさと行ってしまう篠田さんを追いかける。
「ちくしょぉっ!! 篠田!! てめぇ、用事があるって言ってんのに一人で行くか!? 常識考えろ!! 常識!!」
「お前のように非常識な男にだけは言われたくない」
 ……篠田さんがおとなげないのは、どうやら神田川さんだけではないらしい。二人の声と、それを追いかける神田川さんの声が遠くなっていく。室内に残る二課メンバーは、都倉さんと灘さんだけだ。
「……灘」
「なんだ? 都倉」
 灘さんが聞き返すと、不意ににやりと笑い、声を低めて、囁くように都倉さんは言った。
「お前がどう足掻こうと、神田川は俺のものだから」
「っ!?」
 僕は思わず悲鳴を上げそうになった。灘さんは呆れたように言った。
「おいおい、ここには部外者もいるんだぜ?」
「その部外者に焚きつけるような事を言ってたのは、どこの誰?」
「…………」
 この場合『部外者』と言われてるのはつまり……。
「そういうわけだから。ごめんね、石倉」
 にっこりと、爽やかに穏やかに、都倉さんは微笑んだ。
 ・
 ・
 ・
 やっぱり僕のことかっっ!!!!!

 僕は一瞬後、机の上に轟沈した。

The End.
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