Underparts

# Epilogue



 ここには誰もいない。それは知ってた。
 今は真昼間。光は学校に行っているし、母親は仕事に出ているはずだ。
 出発する前に、最後にここに来たときそうだったし、今日もそうらしい。

 私はドアの鍵を開けた。もし誰かいたら、それはそれでかまわない。
 …誰もいない。中に入ろう。


「お父さん、見て、僕はこんなになっちゃった」


 仏壇に飾られていたフォトフレーム、その中の父親に向かって、私は話しかけた。
 聞こえてるかどうか、そんなのは、どうでもいい。

 あるわけないのに、反応がないことに少しだけ腹が立って、
 私は一気に下着を脱ぐと、スカートをまくりあげた。

 ほら、よく見て。
 もうあなたの息子は、こんなことになってるんだよ。

 本当は墓の前でやってやろうと思ったけど、ここで許してあげる。
 ほら…汚い男に犯される妄想しながら、あなたの息子はこんなことしてるんだよ。

 私は、悩んだ末に、とりあえずは残すことに決めたものを、必死に擦った。
 覚悟が足りない、とかいじめないでね。やっぱり少しは心配だったんだもん。
 後で必要だと思ったら、必要なようにするよ。今度はちゃんと"病気"になって、ね。

 前よりもあまり気持ちよくない。お尻に指を入れてもみたけど、あまりよくない。
 やっぱり、とりあえず残しておいて、よかったのかな…。
 でもなんとか、いくことはできた。

 私は、自分の手についてる、限りなく透明の液体を、フォトフレームの中で微笑む
 父親の顔に、何度も、何度も、塗りつけた。

 子供も作れないんだよ。
 産むこともできないんだよ。
 光がどうするか知らないけど、私は、ここでお前の血を止めてやる。

 …何やってんだろ、私。急に馬鹿馬鹿しくなった。
 取ったのが原因かは知らないけど、醒めるのが、急に早くなった。

 台所でハンカチを湿らせてきて、フォトフレームのガラスを拭いた。
 そうしてたら、今度は、急に涙が出てきた。

 ああ、多分父さんがまだ私を好きだった頃、掃除手伝うと、いつも褒めてくれたな。
 そんな、くだらない事を思い出しただけで、なぜか涙が出てくる。
 私は首を必死に振って、次々出てくる、くだらない思い出を一気に振り払った。

 なんでまだ泣いてるんだろ。馬鹿みたい。
 やっとこいつに、少しばかりでも、仕返しをしてやれたのに。
 体調だけじゃなく、心境もやっぱり変化があるのかな、こうなると。

 しばらくたって、やっと涙がひいた。

 もう、ここに来ることは、ない。
 この家の住人と会うことも、もうない。

 家を出て、ドアに鍵を閉めたあと、見納めだと思って、私は庭を歩いた。
 なんとなく色々思い出した。どれも深く考えないようにしたけど。

 そうしてるうちに、兄ちゃん、って、叫ぶように呼ばれた。
 …時間つぶしすぎたかな、光が帰ってきたらしく、そばにいた。
 もう兄ちゃんじゃないんだよ、って教えてあげようと思ったんだけど、さすがにやめた。

 半年近くも何やってたんだ、とか色々言ってきたけど、何も話す気はなかった。
 私は、どきなさい、とだけ言って、光を押しのけようとした。でも動かない。

 …光をぶったのは、何年ぶりかな?
 でもたぶん、これが最後。
 私が横を通ろうとしても、もう光は止めなかった。

 さよなら。

 そう思って、一瞬立ち止まった瞬間、また涙がこぼれる。
 嗚咽しそうになるのを咳払いでごまかして、私は歩く。

 振り向いちゃいけない。
 もし光が近づいてきていたら、私はもう歩けないかもしれないから。
 何のために、こんな事をしたのか、わからなくなるから。

 そう思って歩いてたら、肩をつかまれた。渡すものがあるから受け取れ、って。
 私はなんとしても振り向かないで、渡された袋だけ持って、また歩きはじめた。


 先週から私が住むことになった部屋。
 しっかり家賃は取られる。そのかわり拘束しない、らしい。

  君に、重大な選択をしてもらおうと思うんだがね…。

 あの人の口調を真似て独り言を言いながら、私はベッドに腰掛けた。

  どちらを選択しても、君の今の望みをかなえるのは約束するよ。
  このお金を、貰ったことにするか、借りたことにするか…、選んでほしい。

 借りたことにした。

 あの人は、表情を変えることもなく、そうか、とだけ言った。
 課せられた条件は、用意した部屋に住め、所在は明らかに、それだけだった。
 逃げるとは、思わないのかな。逃げても捕まえる自信があるのか、信用してくれてるのか。


 あの人は一度も来ない。こういうのって、来るものだと、思ってたんだけど。
 昨日、なんで来ないの? なんて電話しちゃった。

  プライドにはプライド、ということだよ。
  君がお金を全部返したら、それから口説くとしようか。

 わかるような、わからないような。
 私は、真新しいベッドに、勢いよく横になった。

 けど、ふと、光に渡された袋のことを、思い出した。


 中身は腕時計だった。父親がいつも付けてたやつだ。
 結構良さそうなもので、子供の頃、いつも、欲しい欲しいって言ってたなあ。
 今思えば、こんなださいの付けようと思わないし、時間なんか、携帯持ってればわかるし。

 時計と一緒に入っていた手紙には、父親の字が、書かれてた。

 成人式の日に渡そうと思ってたが、無理らしい。使ってくれたら一番嬉しいが、
 売ってもいいし壊してもいい。
 どうか、たまに家に帰ってやってくれ、母さんは寂しがっているから…

 そんな事が、書かれてた。
 さすがに売れないんじゃないかな、こんなに古いのは…。
 そして最後には、信じられないことが書かれていた。


 なんで、謝るんだ。言い逃げだ。卑怯だ…。
 私は、あまりに悔しくて、うん、多分悔しいから、泣き出した。

 私は時計を床に叩きつけようとしたけど、手が動かなかった。
 そうだ、この時計には罪はないよね。作った人がかわいそうだ。
 …腕時計、つけてみた。この服には、あまりにも似合わない、男物のごつい時計。
 おかしくて、いつのまにか、私は泣き笑いになってた。
 きっと鏡を見たら、とんでもない顔だね。

 明日は雅に会いに行こう。
 泣きはらした目で会ったら、笑われちゃうかな?

 できたら、笑わないで、抱きしめてでもくれたら、いいな。


          End

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