告別、不在、再会


#3



「なんていうか、らしくないよね、こういうの」
 アリシアはため息をつくと、立ち上がった。
「それなりに付き合い長いけど、こんな話をするのって、すごく久し振りかな」
「そうだな」
「できれば誰にも、特にあなたには、絶対に弱みを見せるべきじゃないと思ったしね」
「ずいぶんだな」
 男は笑った。アリシアも一緒に笑っている。
「弱みに付け込んで、泥沼から引っ張り上げて、ほったらかしにするなんて、ある意味一番残酷な事ばっかりやってきてるじゃないの」
 アリシアは冷蔵庫からミネラルウォーターを取ってくると、また男の横に座った。
「ほったらかし、ってのはずいぶん誤解があるな。向こうがいなくなるんだよ。だから、引っ張り上げたら、放っておくのが一番いいと思うんだがな」
「なんで?」
「溺れる者は藁をもつかむ……そしてその藁が役に立って、また地面に立つ事ができたら、その藁にもう用はないはずだからな。そんなゴミは捨てて、手を洗って歩き始めるのが本人のためだし、所詮そんなもんだ。口先だけでも礼を言ってもらえれば、藁は満足だね」
「その藁を、捨てないで記念に持ってる奴も、少なくともここに一人いるわけだけど」
「変な奴だよな」
「……変、ねえ。確かに少数派を変と呼ぶのは、問題ないだろうけど」
「少数派どころか、カラスの中にアルビノが生まれたようなレベルだと思う」
 アリシアはペットボトルに口をつけ、男は煙草に火をつけた。
「カラスは絶対に黒い、をくつがえせる根拠にはなるんじゃない? どっかの漫画でこんな言葉見たなあ」
「まあ確率からいけば、本当にごく少数にすぎないさ」
「それにしても、あなたもあなたで、本当に難儀な人よね。人に自分を信じさせて色々吐き出させるくせに、自分は全く他人を信用してない」
「そういう性格だからな」
「私は他人の性格どうこう言えるほどお偉くないと思うけど、それって結構損だと思うよ」
「ほっといてくれ」

 アリシアは再び立ち上がると、服を着始めた。
「今回も、触診だけ……なわけね」
「全部取って穴あけたら、初めてをあげるからね、って約束をいまだに信じてるんだよ。10年も前のな」
「ふーん、一応他人を信用してるんだ」
 アリシアは男物のボクサーブリーフを履き、パンクバンドのロゴの書かれたTシャツを着て、ジーンズを履いて……また男の横に来た。
「思うんだが、お前みたいな分野で、脱がせる時にそこまで雰囲気のない相手も珍しい」
「系統は似てるけど根本的に違うから。少なくとも私はまだ男だしね」
 男は大きく煙を吐き出すと、灰皿に煙草を押し付けた。
「……で、さっきの話だけど」
「敗北記念を手に入れに行くって話?」
「ああ。俺に言わせれば勝ち逃げ記念だ、ってのはさっき言ったな」
「嬉しいは嬉しいけど、どこが勝ち逃げなんだか」
 アリシアは大きくため息をついた。
「私を含めて、純女と同じ土俵に登って勝負をかけたとしたら、勝てる奴なんか誰もいないと思う。本当に勝てると思ってる奴は、気が狂ってる」
「外見だけなら、半端な女よりよっぽど奇麗だがな」
「……喧嘩売ってる?」
「ああ」
 男は笑いながら答えた。アリシアは呆れたように、またため息をついた。
「まあ、勝負さえかけなければ共存は可能かな。向こうは敵意を持ってこないし、悪く言えば相手にされないわけだし」
「共存する道は考えてないのかい」
「それは私には無理。絶対に無理。勝ち負けにこだわらないほど人間出来てないから」
 アリシアはまたペットボトルの中身を飲んで、一度大きく深呼吸した。
「でも、さっきも言った夢。やっぱり夢は見たい」
「本気みたいだね」
「わりと本気かな。一度だけ、一瞬だけ、馬鹿な夢に形を持たせて、触ってみたい」
「その夢に一生を賭けている相手に、失礼だよ」
「そういう連中には、さんざん失礼な事言われてるから、別にいいじゃない」
 アリシアはペットボトルの中身を飲み干した。
「まあ、また臆病風に吹かれて気が変わる事もあるかもだけど、前よりはずっと、やる気にはなってるよ」
「そうか」
「あなたのそこが苦手。他人は本当にどうでもいいみたいな、そういう態度」

 ラブホテルの休憩時間が終わろうとしていた。
 二人は特に何も話さず、会計を済ませて外に出た。
 まだ時間的にはずいぶん余裕があったので、二人はファミリーレストランに入り、軽食を取っていた。
「ところで、さっきの話だが。他人はどうでもいい、そんな風に見えるかい」
「かなりね」
「踏み込まないように気を使っているだけだよ。それとも、踏み込んでしまっていいのかい」
「……遠慮しとく。すいませんでした」
 アリシアは苦笑しながら、大げさに、祈るように手を組んだ。

「地元に帰ってしばらく考える。連絡取れなくなったら、行ったと思って」
「行く前に連絡はくれないのか」
「踏み込まれたら、困るもの」
 しばらく二人は同じ道を歩いていたが、行き先がそれぞれ分かれる場所に着いた。
「……ところで、あの約束は、守ってもらえるんだろうか」
「どうかなあ。もう時効じゃない?」
 アリシアは笑うと、軽く手を振って歩き出した。



Fine.


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