ガラスの瞳




    −−−−お願いがあります。私を、人形にしてください。




 人形になりたい、そんな事を言う子と知り合った。
 どのくらい前だったかな? インターネットというもの自体はあった。
 しかし、そう気楽に出来るものでもなく、パソコン通信、草の根BBS…そんな頃。

 いわゆる「ヘンタイさん」が集まるようなとこに、いたわけだ。
 そこで知り合った相手なんだけどね。

 俺は、「変わり者」に目がなくて…。
 人形になりたいなんて子には、もちろん興味を持つに決まってる。
 メールやりとりしたり、チャットしたりのうちに、一度会ってみよう、となった。
 会おうと言い出したのは向こうだ。全力で誘導して、言わせたのは否定しないけど。

 会ってみた感想は、普通の女の子。21だそうだ。
 本名かどうか知らないけど、ハンドルネームは、ユキ。

 待ち合わせ場所の近くの喫茶店に入って、まずはお話でもと…。
 一体何を考えているのか、とにかく興味があった。


「私、こんななんだけど」

 注文した飲み物が届くなり、ユキは袖をまくり上げた。
 …まあ、ありえない話じゃないが、傷いっぱい。

「ふーん、結構やってるんだね」

 俺は見たとおり、思ったままの感想を言った。
 別にそれほど驚かない。手首の傷跡は、もう山のように見てきているから。

「…リアクション薄くない?」
「大して凄くもない」

 はい、水でもひっかけられて、ミーティングはお流れ、さようなら。
 大体そうなるよね。そうなるよう、仕向けてるんだから。
 なんでかって? 俺がひねくれ者だから、としか、答えようがないかな。

「…なるほど、そうきますか」

 ユキは、多少気を悪くしたようだけど、それを隠そうとするように、笑ってる。
 俺がした、明らかな挑発に対して、何とか余裕を示してみせたいんだろう。

「ちょっとショックかなー、今まで会った人、みんな、それなりの反応あったのに」
「結構会ってみたの?」
「うん。手首見て引いちゃった人が2人、もっと後が…3人かな。大体は引かれた」
「他にも…隠し球があるってことかな」
「隠し球って…」

 ユキは今度は本当に、心底おかしそうに、けらけら笑い出した。
 周りの人が何事かと見てくるけど、それにかまわず、しばらく笑っていた。

「本当に面白い人だね。っていうか、変。私じゃなかったら、刺されるかもよ?」
「変だとは、よく言われるかな。変だから興味を持ったんだよ」
「まあ、確かに」

 ユキの大笑いは、おさまったようだ。

「良かったら、隠し球…見てみる?」
「そっちが良ければね」

 その日は、それで別れた。
 数日後、今度は俺の部屋の最寄り駅で、待ち合わせ。




    −−−−どうか私を、人形のままで、いさせてください。




 早めに着いておくつもりだったけど、改札の前には、もうユキがいた。
 まるで旅行にでも行くような、大きなカバン引っ張って、近づいてくる。
 文字通り旅行カバンと言うんだっけね、車輪ついてるやつ。

「遅いー」
「約束の5分前だよ?」
「それでも、私より遅い」

 はたから見れば、まるで恋人どうしだ。
 10分くらい歩くから、かわりにバッグ引いてあげたり。

「まあ、汚い部屋だけどさ」
「…本当に汚い」
「先にそう言ったよ」

 しばらく、途中で買ってきたジュース飲みながら話してた。
 俺が二本目の缶をあけた時、ユキは立ち上がった。

「さて、そろそろ隠し球登場。覚悟はいい?」

 俺がうなずくと、ユキは勢い良く自分のGパンを下ろした。
 実は男でした、とかだったら、もっと面白いかな、と一瞬思ったけど、そうじゃなかった。


 ユキの内股には、あまりにも多くの、いわゆる「根性焼き」の跡がある。
 たとえば煙草の火でも押し付けた、あの跡だ。
 …「バカ」という文字や、卑猥な記号まで、読み取れる。

「気持ち悪いよね?」

 心底おかしそうに、ユキは笑顔を浮かべてる。

「恋人らしきもの、いたんだけど。SM系で知り合った。そいつにやられた。
 なんかいきなりボコられて、風俗で働かされた」

 まだ笑ってる。

「一日5万円稼いでこいって。で、足りないと、1万円ごとに一個、焼かれたの。
 こんな傷跡あったら、稼げるものも稼げないのにね」
「ひどい話だ」
「でも、ちゃんと稼いできたら、すごく優しかったんだけどね」
「その男が、羨ましいね。俺もそんな恋人が欲しいよ」
「…やっぱり、変な人だ」

 ユキは笑顔を張り付かせたまま、続けた。

「さて、3人が、ここで引きました。あなたは?」
「別に」
「…じゃあ、私の望みを、かなえてくれる?」
「まずは、よく聞いてみないとね」

 ユキはうなずいて、少し間をあけてから、話し出した。


 私は何も考えたくない。ただの、物になりたい。そう言うとよく誤解されるんだけど、
 SMの本にあるような、拘束して動けないようにした生きたオナニー道具じゃなくて。
 私は相手を喜ばせるつもりなんて、全くないの。人形は物考えないの。
 ガラス玉か、塗料塗ってあるだけの目で、ただ見続けるの。でも見えたものが何だか
 認識はしないの。動かないの。動かされるだけなの。何言っても従わない。
 言うのは勝手だけど従わないし、拒絶もしない。何もしない。喋りもしない…。
 そう、なりたいの。


「…一体、何がそうさせたのか、すごく興味あるな」
「さっき言ったのも含めて、ほんとに色々。もうなんか、嫌になっちゃって、
 何も考えなくていいようになりたくなったからかな」
「でも、積極的に死のうとも、思わない」
「手首見たでしょ?」
「あれで死ねると、本当に思ってる?」

 ここでまた、俺の、ひねくれ根性が顔を出してしまった。
 下手に挑発しても良い事ないって、わかってるんだけどね。

「うん、切っちゃうの、何となくだから。わかってるよ…」

 別に気を悪くはしなかったようだ。むしろ、何故か嬉しそうに笑ってる。
 あくまで勘だけど、俺は、俺を見つめるユキの目に、全く別の感情を…見出していた。

 期待。
 ユキには俺が、願いをかなえてくれる人に、見えているのだろう。

「で、君の望みに対する、俺の考え。最後まで聞いて欲しいんだけど」
「うん?」
「まず、かなり難しいね、それをかなえるのは…」
「だよね…」
「死んで、プラスティネーションでもされないと、無理じゃない?」
「それが、私の考える、理想」

 断ったつもりはない。最後まで聞いてくれ、と頼んだ通り、聞いてくれるみたい。
 気になったこと、言ってみようか。

「飯とかトイレとか、風呂とか…どうするの?」
「そう、そういう、現実的な問題」

 ユキはもう、笑うのはやめて、心底落胆したように、ため息をつく。

「すごく悔しいんだけど、置いてくれるとしたら、私の事を一日に何回か、
 完全に無視してくれない? 何をしてても、一切興味を持たないで」
「人形のある部屋に飯を置いて、しばらく立ち入らないとか?」
「そんなかんじで」

「…面白いね」

 つい口をついた。ユキは、今度はもう明らかに期待のこもった眼差しで、俺を見ている。
 その目は、人形になりたいわりには、生き生きと輝いていた…。




    −−−−ずっとこのまま、保存されたい。




「面白い」

 俺は繰り返した。

「ありがとう」

 面白いからどうするか、を俺が言う前に、お礼を言われてしまった。
 まあ続けるまでもなく分かったんだろうね。面白いからその人形を置いてみたい、って事。
 ユキは、多分嬉しいんだろう、少し表情を緩ませている。

「さっきも言ったけど、動かないし、何もしないし、何言っても聞かない。
 例えば、私の口に入れたりしてもいいけど、指示しても聞かないよ」
「顔の上に、小便や、うんこでもしてやれば、動くかな?」

 俺が冗談めかしてそう言うと、ユキは軽く笑った。

「…やっぱり、真っ先にそういう事、考えちゃうわけね」
「考えはするよ。俗物だもん」
「そのくらい、これがドラクエだったら、スライムみたいな試練だよ?」
「まあ、そんな事はしないよ…何より俺が苦手だ」


「ところで、何か約束事項、ある?」

 一応、これは聞いておかないとね。

「あまり、ないかな…。あ、もし完全に壊れても、腐るまで遊んでね」
「なるほど」
「洒落にならない傷を残されたり、障害残されたり…別にいいけど、その時は結婚してね」
「まいったな」

 俺が笑うと、つられたようにユキも笑う。

「あとやっぱり、さっき言った、私を無視する時間を作って、ということと、
 頑張るつもりだけど、「反射」を抑えられるほど気合入ってないかも。
 あまりないとか言いながら、なんか要求多すぎてごめんね」
「OK」


「じゃあ、着替える。また気持ち悪いもの見たくなかったら、目そむけていいよ?」

 ユキは悪戯っぽく微笑むと、無造作に服を脱ぎ捨てはじめた。
 別にそれほど気持ち悪いとは思わないし、目はそむけないで見ておこう。

 本当に無造作に、まるで他人の目など気にしないように、ユキは全裸になった。
 体中に、色々傷跡がある。刃物で絵でも描かれた事がありそうだ。

「ここで手を出そうとしてきた人もいたかな。完全にルール違反」
「わかってるよ」
「別にいいんだけどね。でもその場合は、それ終わったら帰るけど」
「後のほうが、ずっと楽しみだから、当然今は何もしない」

 確認するように、俺は言ってみた。
 ユキはそれには返事をせず、旅行カバンを開けて、服を取り出し始めた。

 文字通り、フランス人形が着ているような服だ…。

「ちょっと、結ぶのとか、手伝って?」
「うん」

 俺は言われたとおりに、ユキの着替えを手伝っている。
 見れば見るほど、傷だらけなのが、よくわかる。

 しばらくすると、綺麗な人形…の姿をした、女の子が出来上がった。

「はじめたら、私ほんとにお人形さんになるから。まだ話してない事、あったかな…」

 ずいぶん、やる気出してるみたいだ。

「飯は後で置きにいく。あと、俺が独り言でも言えばいいのかな」
「独り言?」
「たとえば…今日はもう寝る、何時までは来ないだろうな、とか、今から何時間くらいは、
 この部屋に入らないから、とかね」
「あ、それいい」
「で…中止や終了のタイミングは?」
「そっちの判断で、いいけど」
「じゃあ、ストップワードは…「終了」という言葉で。いい?」

 ストップワード。SM遊び、をやるときには、よく使う手だ。
 ユキはうなずくと、隣の部屋へ…寝室へ向かった。

「じゃあ、隣の部屋に…置いてあるからね」

 置いてある、って言葉に、ちょっとだけそそられた。
 さて、さっそく、使いまくろうか。

 …なんて、考えると思うかな?
 俺はもてない方だが、さすがにそこまで切迫してない。
 では俺はどうしたかと言うと、煙草に火をつけて、テレビを見始めた。




    −−−−どうか私を、綺麗に保ってください。



 結局、俺が寝室へ入ったのは、2時間以上たってから。
 さっき言われたとおり、ベッドの上には、大きな人形が置いてある。

 人形は可愛らしく女の子座りして、手をついて、正面を見ていた。
 隣に座って、指先で頬を突付いてみる。凄くよくできてるね。

 よく見てると…人より頻度はだいぶ少ないけど、まばたきをするようだ。
 呼吸までしているように見える。なんてリアルなんだろう。
 服の上から、大きいとは到底言えない胸に触れても、顔に触れても、反応はない。

 ポーズを変える事も、できるみたいだ。
 腕や足をつかんで引っ張ると、その通りにポーズを変えられる。
 俺は人形を寝転がらせて、足を広げさせた。

 スカートの中に手を入れて、さて、ここも精巧に作られてるんだろうか? なんて
 下着の上から触ってみたら…どうも、下着が明らかに湿っている。
 湿っているというより、濡れている。

 まあ有害物質じゃないだろう、と思って、手の匂いを嗅いでみたら…。
 どうもこれ、まるで、人間のおしっこじゃないか? そんな匂い。

 たいしたものだ、まるで、本物の人間が、我慢してるみたい。
 表情は変わらないけど、どうも、そんな気がするよ。


「へえ、ずいぶん良くできてるんだね。さすがに排泄は、いらない機能だと思うけど」

 俺は「独り言」を言った。もちろん人形が返事などするわけがない。

「しかし参ったな。メンテナンスが大変そうなものを、手に入れちゃった…。
 説明書は、どこに行ったかな?」

 これはアドリブ。俺はそのへんにあったノートを手にとって、書いてない文章を読み上げた。

「説明書があった。なになに…自動メンテナンス機能。1時間ほど時間を与えると、
 人形は自動的に入浴をし、ボディを清潔に保ちます。しかし決して見てはいけません。
 見てしまうと、人形は鶴の姿の正体をあらわし、飛び去ってしまいます…なるほど」

 俺はノートを横へ放り投げると、「独り言」を続けた。

「試してみようかな。1時間と言わず、2時間くらい、あっちで昼寝していよう」

 返事など待たず、そもそもあるわけなく、俺は居間へ移動して、ソファに横たわると、
 ヘッドフォンで音楽を聴きながら目を閉じた。




    −−−−迷惑なお願いなのは、わかっています。



 2時間どころじゃなかった。どうもしっかり寝てしまったようで、夕方だったはずが、
 そろそろ日付が変わろうとしてた。
 俺が寝室に入ったとき、多少の違いはあるかもしれないが、人形はさっきの姿勢のままだった。

 不思議なものだ。
 相手は抵抗しない、動かない、そのはずなのに、いや、それだからこそ、
 誰もが思いつくこの人形の使い方を、する気にならない。
 まあ万が一にも、反応が少しでもあったりしたら、興ざめもいいところだ。

 ソファで寝たせいで、さすがに少し体が痛い。
 俺は人形を転がして隅へ押しやり、ベッドに寝転がって、本を読み始めた。

 本を読みながら、なにげなく人形の胸や、スカートの中に触れてみたが、全く無反応。

 さっきは、反応があったら興ざめとは思ったけど…。
 不思議なもので、今度は、どうすれば反応するだろうか、と考えはじめた。
 すまないけど、されるがままでありたいなら、好きなようにするか。

 だけど明日にしよう。十分寝たはずだが、まだ眠気はある。そのまま寝ることにした。


 明け方には目がさめて、俺はある事を思い出した。
 またちょっと、独り言を言って、居間に行く必要があるかな…。

「よく寝た。また1時間くらい、あっちで音楽聴いてるか」

 今回は、わざと音楽のボリュームを落としている。
 ドアが開く音や、水音などが、音楽に混じって、かすかに聞こえて、少し後悔。

 きっかり1時間後、俺は寝室へ行くと、転がっている人形にポーズをとらせて遊んだ。
 …それだけ。




    −−−−できたら青くて透き通った、綺麗なガラスの目を入れてください。



 結局、人形との奇妙な同居生活は、5日くらい続いたかな。
 多分、お互いに、だれてきてる。ものいわぬ人形からも、それは感じられた。

 信じられない、と言われるかもしれないが、結局、大した事はしなかった。
 せっかくだから、と思わない事もなかったものの、どうもそういう気にならなくて。
 してしまうと、負けた気がする。わけわかんないけど、とにかくそう思った。


 最後の日、俺は音楽を聞いた後…ナイフを持って寝室に入った。

 俺が何を持っているか、見えるはずだが、全くリアクションはない。
 また俺は、独り言を言った。

「この目をガラス玉に交換してみようかな。きっと、もっともっと綺麗になる」

 俺がナイフを持って、近づけても、当たり前だが、人形は何も反応しない。
 あと1センチほどまで、刃先が目に近づいた。
 何秒もかけてやっと1ミリ動くかというくらい、ゆっくり、ゆっくり、刃先を近づけていく。

 5ミリを切ったかな。自分の手のわずかな震えが、妙に大きく感じる。
 さらにゆっくり、刃先を進めていく。
 触れる。今にも、目に触れる…。

 その瞬間、人形は、声をあげた。

「ひっ」

 そして人形の瞼は、一気に閉じられた。


 俺はしばらくの間、笑ってた。
 心底馬鹿にした笑いだ。自分がそれを向けられたら、どれほど腹が立つだろう。
 笑いながら、さすがにそろそろ潮時かな、とも思った。

「さて 終了としようか」

 俺はナイフを鞘にしまいこんでから、「魔法の言葉」を口にした。
 だが人形は、動き出さない。

「終了。人形が人間に戻る言葉だって、約束したよね?」

 少しして、人形は、大きく深呼吸すると…たちまち、ユキに戻った。


「なんか、途中からそっち、ムキになってなかった? さすがに刃物は怖いよ」
「なってた」
「こっちもなってた。なんかすごく、負けた気がするんだけど」
「すごく、勝った気がするよ」

 本当に楽しいようには見えない笑顔を、ユキは浮かべてる。

「やっぱり私、まだまだだなー」
「頑張ったと思うよ? 床擦れまでできちゃったようだし」
「…それが嫌なの! そんな自分が嫌なの!!」

 ユキはいきなり叫ぶと、すぐに泣き出した。

「刃物を怖がる自分が嫌、床擦れができる自分が嫌、トイレ行かないといけない自分が嫌、
 お風呂入らないといけない自分が嫌、本当に、嫌だ…」

 経験上、こうなったら手詰まり。
 こういう時は、落ち着くまで泣き叫ばせておくしかない。
 むしろ、解決してやる手立てもないのに気休めを言う方が、残酷だと思う。




    −−−−ワガママな願いなのは、わかってます。でも…。



「多分…私の願いは、今までの中では一番かなったと思う。本当にありがとう」

 落ち着くなり、そう言って、ユキはそそくさと帰ってしまった。
 あちこち関節とか痛いって言うから、落ち着くまでいればいいのに、とは言ったけど、
 人間に戻って話せば話すほど、人形になれてた喜びが、薄れるんだそうだ。

 その夜、改めてお礼のメールくれたし、チャットでも感触良かったから、
 全くの社交辞令というわけでもなかったと思う。

 それからも、日に一度か二度くらい、メールやりとりしてた。
 今までと違って、ユキが願望を書いて、俺がそれに乗るばかりでなく、
 とりとめもない日常的な話…そんなのも増えた。
 そして、一週間くらいたった頃かな。


  やっぱり、人形になりたいという夢が、頭を離れない。
  ずっといっぱい考えたけど、最後の手段を、実行するね。
  私が本当に人形になることができたら、どうか、会いに来て。


 ユキから、こんなメールがきた。


  会いに行くよ、君の願いがかなったら。


 そう、返信した。
 「でも、考え直す気はないか」と、何度も書いては削除してを繰り返して、
 結局、それは書かずに送った。

 俺は、一人の人間が抱いている夢が、他人に反対されたら簡単に潰れるくらい
 安いものだと思うほど、失礼な人間ではありたくない。
 そして、そんな安い夢を抱いているとみなすのは、ユキへの侮辱に他ならないだろう。

 その後は、ユキからメールが来ることも、ログイン履歴にユキの名を見つけることも、なかった。




    −−−−どうか、私を壊さないで。消し去らないでください。




 ずいぶんたってからだが、ある噂を耳にした。
 まるで人形のように綺麗に着飾って、ユキは自殺したのだそうだ。
 彼女が残した遺書には、幾つかの願いが記されていたようだが、
 その願いがかなう事はなく、その体は、灰になったとの事だ。

 俺は別段変わった感情も抱かず、噂を追跡もせず、その話は忘れる事にした。

 どこからか聞きつけ、俺を冷酷だと非難した奴らの中に、彼女の体を見たり、
 身の上話を聞いたりして引いた奴や、願いはかなえず、セックスしただけの奴がいたのは、
 まさしく笑い話というほかはない。

 じゃあ、お前等なら、どうやった? そう聞いても、誰も答えなかった。




    −−−−そして最後に、一番大事なお願い。今までのお願いは、多分かなわない。
    −−−−でも、これだけは、どうかかなえてください。

    −−−−みんなの記憶の中に、私という人形を、変わらないまま、置いてあげてください。




おわり



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