Fallen Angel

#5 クランク・イン


 窓からカーテン越しに薄明かりが差してきたころ、俺は目を覚ました。
 俺は、自分の隣で寝ている悠樹を見ながら、色々な事を考えてた。今までは思いもしなかったような事ばかり。

 ……やばいな。
 そう思った。漠然とした不安を感じてた。

 ここまでなつかれるとは、正直、思ってなかった。
 「撮影が終わったら帰れるよ」って言った時の、悠樹のあの表情は、どう考えても、離れたくない、なんて思ってそうだった。
 考えすぎじゃなくて、俺はそう確信してた。

 考え事をしてる間に、悠樹も起きてたらしい。
 俺を見て、不思議そうな顔をしながら、聞いてきた。
「どうしたの?」
「なんでもないよ。おはよう」
「うん」
 そのまま沈黙が流れる。
 どうも悠樹は、この沈黙が嫌いらしい。少し間があくと、俺にいろんな事を話しかけてくる。
 ……不安なんだろうね、やっぱり。

 俺は、できるだけ、話につきあってあげた。
 悠樹は、本当にいろんな事を話してきた。親子には近すぎるけど、まるで、父親に対するみたいに。
 悠樹と話ばかりしてるうちに、時間はどんどん過ぎていって……撮影の時間が近付いた。
「もう、そろそろ撮影だけど、大丈夫?」
「うん……」

 悠樹は、あの、悲しそうにも見える笑顔を浮かべながら、俺を見てる。目をそらしていなかった。
 そして悠樹は……ちょっともじもじしながら、聞こえるか聞こえないかの声で、俺に何かを言った。
 俺は、その言葉が聞こえなかったふりをした。
 悠樹はその言葉を二度は言わずに、また、元の表情に戻った。


 カメラが回りはじめた。

 最初に映るのは、悠樹の上半身。
 まだ普通に服を着たまま、ちょっと作りっぽい笑顔を浮かべてる。
 BGMは、映像にはあまりにも相応しくない、クラシック。ポピュラーソングが嫌いな、チーフの意向によるものだ。

 悠樹が服を脱いでいく。ゆっくりと。
 パンツ1枚だけになったところで、ベッドに腰掛けたり、しゃがんだり……そんな馬鹿みたいなアクションで、時間稼ぎ。
 ここで、アドリブが入る。
 厳密にはアドリブじゃないかな? 知らないのは悠樹だけだから。

 画面が切り替わった時、悠樹は、後ろ手に縛られてた。
 縄とかじゃなく、包帯でね。

 悠樹は自分でパンツを脱ぐ事ができないよね。だから俺が脱がせてあげた。
 BGMにかき消されてるはずだけど、俺はずっと、悠樹を安心させるために、色々喋ってた。

 そのまま悠樹はベッドにあおむけに倒れて……。
 目線はあらぬ方向を向いてるように見えるだろうけど、なんてことない。その方向のテレビで、Hなビデオを流してるんだよね。
 こういうのに出るからって……ついでに、男とHするからって、悠樹も本質的には健全な男の子だから。

 悠樹の大きくなったものを、俺がかわりに触ってあげてた。ちょっとローションつけてね。
 そこからしばらくは、カメラも固定で、動きはない。
 悠樹のいく瞬間をカメラがとらえて、また一旦、画面が切り替わる。

 これから、本当に本番に突入。
 昨日と違うのは……まず、後ろからだって事。
 俺は悠樹をうつぶせにして、やっぱり腰の下に枕置いて……まだ、悠樹は後ろ手に縛られてる。泣きそうな表情を浮かべながら。
 そのまま、事は進んで行く。俺は昨日よりもちょっと乱暴に、悠樹を抱いた。

 ちょっとは俺の顔も映ってるかもしれないけど、信用のおける相手(弱みを握ってる相手、とも言えるかな)にしか流れないはずのビデオだから、過剰な心配はいらない。
 BGMにかき消されてる事は間違いないけど、悠樹の言葉は、「痛い」じゃなくて、「怖い」だった。
 俺は、悠樹の背中におおいかぶさるような体勢になった時には、ずっと、自分勝手な励ましの言葉ばかり言ってた。

 そして、それが終わった後は、なかば放心状態になりながら、もう半分泣いている悠樹の姿を、カメラが舐めまわすようにとらえて……撮影は終わった。


 撮影が終わった後、まずは、悠樹にシャワーを浴びさせた。
 俺はさっきまで撮影に使っていたベッドに座って、また、いろんな事を考えてた。

「僕、ちゃんとガマンできたよ……」
 シャワーを浴びて帰ってきた悠樹は、俺の隣に座って、言った。
 俺は悠樹と目をあわせず、ただ、うなずいた。
「……」
 悠樹は俺の隣に座ったまま、不思議そうな……というより、不服そうな表情をしてる。
 きっと、褒めるか、ねぎらってほしいんだって事は、わかる。
 でも、俺には、悠樹の頭を撫でながら、「頑張ったね…偉いよ」なんて言ってやる事はできなかった。
 ……してやりたいに決まってる。でも、できなかった。

「お兄ちゃん……?」
 不安そうな声になって、悠樹はまた声をかけてきた。
 俺の返事は、こうだった。
「……もう終わりだよ。一休みしたら、帰っていいんだからね。家までは、お姉さんが送ってくれるはずだから」
 次の瞬間、悠樹は、何か押し殺したような声をあげた。
 すぐそれは、泣き声だとわかった。
「なんで……? あんなに優しかったのに……」
「優しくなんかないよ、俺は」
「……」
「ついでに、意地悪だし、嘘つきなんだよ」
 そのまま悠樹は、静かに泣いていた。
 俺は、悠樹を慰めもせずに、ずっと黙ってた。

 何分か、悠樹は泣き続けてたけど、急に少し顔を上げて、言った。
「お兄ちゃんは、嘘つき……?」
「ああ、嘘つきだよ」
 泣いていた悠樹は、ちょっとだけ微笑んだように見えた。
「嘘つきだよね。絶対そうだよね……」
 俺は何も言えなくなった。
 悠樹も、泣いてるだけで、何も言わなくなった。

 俺は悠樹の方を見もせずに、部屋を出た。
 「お兄ちゃん……」って、小さな声で呼ばれた気がしたけど、俺は、振り返ってやる事すらもできなかった。


 ……あれから、ずいぶんたった。
 あれからも、たまに、チーフからは電話がかかってきた。ああいう事じゃなくて、あくまで、ただの知り合いとしてね。
 俺は悠樹の事を聞かなかったし、向こうも言わなかった。それでよかったんだよね。

 あのあと、悠樹がどうしたのか、そのことは考えない。考える資格すらもないよ。きっと。

 後悔してる。撮影の前に悠樹が言った言葉に、たとえ嘘でも、優しい返事を返してあげればよかったって……。


「お兄ちゃん、大好きだよ……ずっと、ここにいたいな」



End

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