勘違い
扉を開けるとが俺に笑顔を見せた。
『部屋に行ってみたい。』という俺の言葉を素直に受け止めた。
手土産に、持ってきたアップルパイを渡すと、そんなに嬉しい事か?と思うほど幸せそうな微笑みが返ってきた。
「ありがと、航河。狭いけどあがって?」
「ああ、…邪魔する。」
『お邪魔じゃないです』嬉しそうに冗談を言うにつられて俺の顔がゆるむ。
一人暮らしの女が生活するのに妥当な広さだと思った。
コイツの一日の生活のがここから始まりここで終わる、という事を思うとやけに興味がわく。
それ以前にコは俺がこの部屋にあがる事について何も危機感を感じないのか?
別にそれだけが目的な訳じゃないが。
「今、紅茶入れるから、適当にくつろいでてね。」
キッチンに立ってやかんを火にかけながらそう言って笑顔を見せてきた。
何か手伝える事はないか?と側へ近寄る。
正直に言えば、俺がただずっと側にいたかっただけだ。
……?
近くまで行くと壁に何かがかけてあるのが目に入る。
かごの中で数匹の子猫が寝ている写真のついたカレンダーだ。
コイツらしいなと笑みをこぼしたが
日付部分に書かれているアルファベットが目に入ると体が凍りつく。
…A
…B
…H?
なんだ、これは。
まさか…、アレ、の事か?
まさか…
こんな事書き込むような奴じゃないだろ。
それに、A、B、とくればCだろ。
何でいきなりHだけあからさまなんだ…。
一週間のうちにそれぞれ最低ひとつは書いてある。
というか、身に覚えがなさ過ぎる。
俺達はこんな回数こなしてない…。
キスも…、それ以上のことも…。
胸にえもいわれぬ不安が押し寄せてくる。
当の本人に目をやると、俺の感情などお構いなしに
紅茶の缶を開けてその香りを楽しんでいる。
そんな器用な奴じゃないのは見ていて分かる。
抱き寄せるだけで、頬を朱に染めるような奴だ。
……もしかして
試してるのか?俺の事。
何のために?
何の意味があってこんなことするんだ?
…わからない。
わからない事が多すぎてめまいがしそうだ…。
「……どうしたの?」
突然、視界の中にカップを乗せたトレーを持ったが入ってきた。
驚きとバツの悪さから、思わず視線を外してしまう。
それでも、不思議そうに俺を見上げるが端に映し出されて
『なんでもない』そう言うだけで精一杯だった。
「これ、運ぶのか?」
「え?あ、うん。」
「俺がやる。」
無理やりに近い力での手からトレーを奪うと
俺はテーブルに向かって歩き出す。
『ありがとう』と言う屈託のない笑みが素直に受け取れない。
見つからないように小さくため息を吐くとテーブルにそれを置いてソファーに座る。
あとからすぐにアップルパイを持ったがニコニコと俺の隣に腰掛けてきた。
「はい、これ航河のね。それじゃ、いただきまーす。」
キラキラと瞳を輝かせてパイに挑む表情を見て苦笑する。
幸せそうな顔、優しい時間。
俺は、絶対に手放す気なんてない。
「……なぁ。」
「ん?なぁに?」
「あのカレンダー……。」
「あ、可愛いでしょ?南極出版の伊達さんって覚えてる?」
「…ああ。」
「実は伊達さんにもらったの。」
「そうか…。って…、そうじゃない。」
「へ?」
パイから視線をはずしたの目と俺の目が重なる。
気になるなら聞けばいいだけの事だ。
そうは思っても、重い口がなかなか開こうとしない。
静まり返った部屋のせいで俺の速くなる鼓動が余計強調される。
「カレンダーの…あの、アルファベットはどういう意味だ?」
ひとつの息だけで素早くその言葉を吐き出して、返される言葉をじっと待った。
「ん?……あ、勤務予定の事?」
勤務予定……?
俺は言葉を失うしかなかった。
その代わりに偽りのない笑顔のが話を続けた。
「Aが定刻上がりで、Bが残業あり。Hがフレックス出社なの。」
なんで…
なんでいきなりBからHに飛ぶんだ…。
「本社からAからHまでの細かく決められた時間配分が送られてるんだけど、実際うちの社ではこの3つしか使われてないんだよね。」
宙を見たまま笑うと再び目が合う。
まるで、レースで走りきって車から出た時の脱力に似たものが俺の体を支配する。
なんだ…
俺も、相当の阿呆だな…。
そう思うと、自嘲の笑いが止まらなかった。
「ねえ、航河…どうしたの?食べないの?お茶も冷めちゃうよ?」
俺の考えなんかこれっぽっちも理解できてないがポカンとした表情で俺を見つめてくる。
それを見たら、余計に笑いが止まらなくなった。
俺はお前の知らないところでだってこうやって一喜一憂させられてるんだ。
それが心地いいのは、やっぱりが好きだからだろうな。
柔らかいの髪を優しく撫でて
俺は、どうしようもないくらいそれを痛感した。
「……悔しいから、俺の勘違い全部、本当にしてやるからな。」
悔しいから、俺の思ってた事全部、教えてやる。
今度は、お前が困る番だ――。
あとがき
このお話は一部ノンフィクションです。
勤めている会社の勤務予定がA〜Hまであり機能していたのは3つだけ…。
私が何も気づかずにカレンダーに書いていたら、遊びに来た友人に
「あんた、こんな事書くやつだったの…?」と……。
危うく友人を1人なくす所でした(´ー`)
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