「カズさん、遅いなあ・・・」

植物に話しかけるのもとうとう飽きてしまって、私は溜息とともにソファに倒れこんだ。
言葉のなかに責めるような色が滲んでしまったのに気がついて、そんな自分が嫌になる。

「仕事で出かけてるんだから、しょうがないでしょ」

声に出して自分を戒めてみても、ますます虚しい。
窓の外に目をやれば空は暗くなり始めていて、窓ガラスに冴えない自分の顔が浮かんでいた。





たったひとつの愛しき曲線





「カズさん・・・・何時に帰ってくる・・・?」

急に仕事の電話がかかってきて、「ごめんね、出かけてくる」って言い出したカズさんに、そう聞いたのはもう5時間以上前のこと。
久しぶりに一緒に過ごす休日、カズさんの部屋を訪れてまだお茶一杯を飲んだだけだったのに。
本当は『さみしい。行かないで』そう言いたかったけれど言えるはずもなくて―――ギリギリで気持ちを滲ませたズルい言葉。
その言葉にカズさんは、少し眉を下げて申し訳なさそうに笑った。

「何時って約束できないし、待ってもらうもの申し訳ないから・・・」

カズさんが紡ぐ言葉のその先を聞く前に、畳み掛けるように「ここで待ってる」と告げたんだ。
帰れって言われるのが怖くて。
会えなくたって僕は大丈夫って言われるのが怖くて。



膝を抱えて丸くなりごろりと後ろに転がって、ソファに体重をあずける。
空気が揺れて、微かにカズさんの匂いがした。
それだけで、心臓がきゅうと音を立てる。

「早く帰ってきて・・・」

カズさんは、きっと今こんな気持ちにはなっていないだろう。
私と会えない時間でも、その流れる速さは普段とそんなに変わらないんだろう。
それは、やっぱり気持ちの強さのせいなんだろうか。
だとしたら仕方のないことなのかもしれない。
螺旋を描いて下降していく心を鼓舞するように顔を上げる。

「何か飲もう・・・」

気を紛らわすためお茶でも入れようとソファから立ち上がりかけたその時、壁にかけてある見慣れた水色が目に付いた。
カズさんらしく、きちんと洗濯されハンガーにかけられている整備用のつなぎ。
螺旋を下へ下へと辿っていた心が、一瞬浮き上がる。
まるで、カズさんがそこに立っているような、そんな気になったから。
キッチンに行くはずだった体は、勝手に壁に近づいて、気がついたらつなぎに顔を埋めていた。
さっきよりもうんと強くカズさんの匂いがする。

「カズさんだぁ・・・・」

目を閉じると、本当にカズさんに抱きしめられているような気分になる。
すり寄せるようにして顔を少し動かすと、つなぎの胸ポケットについたボタンが頬にこつんと触れた。
いつもは、右肩に鼻を引っ掛けるようにするのに。壁にかかったカズさんは少し背が高い。

「カズさん、背が伸びた・・・」

本物じゃないと突きつけられて、浮上するだけじゃ済まなくなった心が暴走してじたばたとあがいている。
幸せと苦しみは、いつだって一緒になってやってくる。
カズさんが、はじめてそう教えてくれた。



「どうしてこんなに好きなんだろう」

その声は、私の心の空洞に悲しい音で響いた。
好きの気持ちが強いほど、その人の存在が心のなかで大きくなるほど、空洞を埋めるのが困難になる。
子供のように甘えて、寄りかかって、依存してしまいそうになる。
経験したことのないほど大きくなった想いに、幸せになると同時に苦しんでる。
それでも、もう知らなかった頃には戻れない。
わけの分からぬままに、ここまで来てしまっていた。
だから、制御できない自分にいつだって戸惑ってる。





「 さん・・・?何してるの・・・」
「にゃっ!ふゃっ!」

驚きすぎて変な声が出たけど、お構いなしでばっと振り返れば―――「にゃ、だって。はは」そう言って笑いながらカズさんが立っていた。
まださっきまでの悲しい空気に体が馴染んでいて、あまりに急で信じられなくて、バチバチ音がしそうなほど何度も瞬きをしてカズさんを見つめた。
消えたりしない、ぺらぺらの平面でもない、幻でもない、本当の本物のカズさんだ。
脳も心もゆっくりとそう確認した頃、私のペースに合わせたようにゆっくりとカズさんの腕が背中にまわる。

「遅くなってごめんね」
さっきまであんなに不安だったのに、肌が触れ合うだけでこんなにも満たされる。

「待っててくれて、うれしかった」
いつもと同じように右肩に落ち着いた鼻先からだいすきな香りがして、涙が出そうになる。

「本当に、うれしかったんだ」
どんな苦しみも寂しさも、この一瞬で完全に昇華されてしまうんだ。



「ねえ、 さん―――」
抱きしめる腕を少し緩めて、至近距離から見つめながらカズさんは言葉の通り本当にうれしそうに微笑んだ。

「こんなこと言うと叱られるかもしれないけど。僕、今日仕事に行ってよかったかも・・・」
怒るというより、カズさんの真意が分からなくて首をかしげて続きを促す。

「『どうしてこんなに好きなんだろう』、こんな熱烈な愛の告白、 さん、言ってくれたことなかったよね?」

芝居がかった台詞、一瞬なんのことだかわからなくて―――でも次の瞬間それがほんの少し前に自分が呟いた言葉だと気付いた。

「あの!えっと、それは・・・!」

あせってあたふたする私に、ますますうれしそうになった気がするのは気のせいなんかじゃない。
ふふふって笑ってる顔が、『いじめるの楽しい』って感じで輝いてる。
ふわふわ幸せモードと意地悪モード、両方一緒に発動なんてズルい。
どっちにもすごく弱いの知ってるくせに。

「僕のつなぎに顔を埋めて寂しがる さんを見て、飛び上がりたいほどうれしいなんて・・・僕は幼稚で薄情な男だね」

誰に聞いたって、カズさんのことを幼稚で薄情だなんて言わないだろう。
でもだからこそ、こんなときたまらなく幸せなんだ。
私だけに見せてほしいと思う。ずっといつまでも特別を独り占めしていたい。

「こんな男にひっかかっちゃってかわいそうに。でももう、離してなんかあげない」

ふざけた口調に滲ませてある真っ直ぐな想いに自惚れて、ただうっとりと瞳を閉じる。
見かけよりもずっと逞しい背中に腕をまわして、私のための曲線じゃないかって思えるほど愛しい肩に鼻をくっつけた。
幸せと苦しみを教えてくれる匂いを胸いっぱいに吸い込む。
ふふふといつまでもうれしそうに笑っているカズさんの吐息が耳元を掠めて、くすぐったさに微かに身じろぐと―――
移った視線の先、さっきまで苦しそうな顔をしていた女が、窓ガラスのなかで幸せそうに微笑んでいた。

















ミステリオさん お誕生日おめでとうございます!!

いつまでも私の心のひとみちゃんでいてください(笑)
これからも仲良くしてやってくださいね!


2006.12.23 アコ





アコさんありがとうございますー!
分かります分かりますよー!ホントにもうっ痛いほど分かります(´Д`;)
カズさんのいない彼の部屋は寂しくて、きっと私はベッドにダイブしてハァハァして、カズさんのつなぎにハァハァしてる事でしょう。
やっぱりカズさん好きのアコさんなら分かってくれると思っていました。
せっかくのお誕生日プレゼントを変態チックな感想で申し訳ないです。
カズさんのちらほらと魅せる黒さもまた良いお味で、本当ご馳走様です。