ちゃんと見てるよ

ちゃんと知ってるよ










予定調和的確認プロセス











「ハア」

ガランとしたフロアに、思わず漏れたため息が響いた

この階に残っているのは、もう私だけらしい

東南の一角を残して、暗くシンとした闇が空間を包んでいる

修正を待つ原稿の山を睨み、イライラしながら赤ペンをクルリと回す

こんな気持ちで仕事したって、良い仕事ができるわけないと分かっていても、苛立つ気持ちはどうしようもなかった






校了日ギリギリになってトップの一声で特集の企画を根本から覆されたのも

同じ雑誌を担当している人がお子さんの病気のため会社を休んでいるのも

そんな状況のなか上司が連れ立って得意先と飲みに行ったのも

全部、気に入らない






コーヒーを一口飲むと、冷え切った甘ったるい味が口に広がった

残業を煮詰めたような味のコーヒーにさえ、文句を言いたくなってくる

乱暴にカップを置くと、ゴツっという音が『物に当たるな』とばかりに大きく鳴った






大変だと分かっていて、それでも飛び込んだ世界

前の仕事のままなら、こんな時間まで残業することなんてなかっただろう

だから、弱音なんて吐けない

文句だって言えない

そんな資格ないし、誰に言ったらいいのかも分からない

『自分で決めたことでしょう?』

『大変だと分かっていたでしょう?』

『あなたの担当の仕事でしょう?』

『みんなやってる、当たり前のことじゃない?』

そんな風に言われるのが怖くて、誰にも愚痴ることができない

心のなかで私自身が一番そう思っているから、それを誰かに指摘されるのが怖くて仕方ない






まずいと思いながら、またコーヒーを口にする

やっぱりまずい

それでも、原稿とにらめっこしてるよりは遥かにマシだから、つい何杯も飲んでしまう

修正の赤がたくさん入った原稿から目を反らし、せめて暖かいコーヒーを入れようと立ち上がりかけた時、ブブブブブという音が耳をかすめた

机の隅で、光りなから震えている四角いオレンジ色

手にとって、胸のなかで小さく期待しながら、そっと二つ折りの携帯を開いた

液晶に出ている名前に、小さな期待が聞き届けられたことを知る

思わず頬が緩んだ






「もしもし」

「もしもし、こんばんは。今電話大丈夫?」

「うん、大丈夫」

大好きな声に、カサカサしていた気持ちが少し凪いだ

カズさんの声は、特別な波長で私の心臓までダイレクトに入り込む

「 さん、まだ、会社なの?」

「・・・どうして、分かるの?」

「どうしてかな、それは内緒。・・・・それより、窓開けてみて」

窓?

まさかと思って、走っていって重たい窓を開ける

道路を挟んだ反対側、ハザードをたいて停車する白いシビックの隣

いつもの笑顔で手を振る、カズさんがいた

「ちょ、ちょっと、待ってて・・・そのまま待ってて」






電話を切ると、窓を閉めるのも忘れて走り出す

エレベーターを待つ間も惜しくて、何度も踏み外しそうになりながら6階分の階段を駆け下りた

白く浮かび上がる車体を目指して、転がるように走っていく

年甲斐もない行動のせいで、ハーハーと肩で息をする私に、降り注ぐ優しい声

「そんなに急がなくても逃げないよ。でも・・・嬉しいけど」

そう言って笑うカズさんに、心臓がギュッと悲鳴を上げた






私の息が整うのを待って、ゆっくりとカズさんが話し出す

「こんな時間まで、仕事大変だね」

「どうして、会社にいるって分かったの?」

「だから、それは内緒だよ」

昔読んだ漫画のなかにこんなセリフがあったなと思いながら、半ば本気でカズさんに尋ねる

「カズさんには、非常呼出ベルがついてるんでしょう?
私が落ち込んでたり、会いたいなって思ってると、必ず現れて救ってくれる」

私のそのセリフに、カズさんは「ははは」と笑った

「そんなにかっこいいもんじゃないよ。
ただ、 さんのことが好きだから・・・ずっと見てるから、分かる時もあるんだ」

斜め上を見ながら、鼻先を掻く横顔が少し赤い

・・・それって、非常呼出ベルよりかっこいいと思うけど?

はにかんだ横顔に見とれながら、そう思う






前の道を走る車のヘッドライトが、カズさんの横顔を照らし、消えていく

それを何度か繰り返したころ、カズさんの手が私の手をそっと取った

「仕事、大変なの?」

「・・・そんなこと、ないよ」

掠れた声しか出なくて、全然説得力がないと自分でも思う

こんなこと言ったって、最初からカズさんにはお見通しなのに

「そっか・・・。僕はいつも失敗してばっかりだから、結構大変かな」

「・・・嘘ばっかり。失敗なんて、全然しないくせに」

「そんなことないよ。本当にいっぱい失敗するんだ。
そんな僕が言っても説得力がないかもしれないけど・・・。
完璧じゃなくても、誰かに苛立っても、時には失敗したって・・・いいんじゃないかな」

ああ、やっぱり、全部お見通しなんだ

「僕は、好きだよ。 さんの書く文章」

「そうやってすぐ甘やかす」

「記事読むと、いつも思うよ。 さん、この仕事が好きなんだなって」

『カズさんほど、仕事が好きかどうか、自信ないよ』

そう思ったけれど、言葉にならない

目の前のカズさんの笑顔が眩しすぎるから

そっと重ねられた大きな掌が温かすぎるから

カズさんに言われると、本当にそんな気がするから






「さっきも言ったでしょう?頑張ってる さんのこと、いつだって見てるって。
だから、分かるんだ」

ああ、もう、そんな顔でそんなこと言われたら

「頑張ってる君のこと、いつだって見てる」

さっきまでのイライラも、周りの人に対する怒りも

「大丈夫、僕がちゃんと知ってる」

カズさんの言葉にすっと溶けてしまう






いつだって、そう言ってほしい

がんばってるねって

君のこと、ちゃんと見てるよって

そんな簡単な言葉で、こんなにも軽くなれる

自分では、どうしようもないほどに絡んでしまった糸が、カズさんの一言ですっとほどける

それは、まるで最初からカズさんにほどいてもらうために絡んだように






実際に、そうなのかもしれない

私の甘えが糸を絡ませて、絡んだ糸が非常呼出ベルを押す

そしてカズさんはそれを優しくほどく

全ては最初から仕組まれた、予定調和的なプロセス






それでも、その一言が私を救うのも本当のこと

その一言が、私の心を全て読んだカズさんの優しさだとしても

私の心をいつも絶妙なタイミングで読んでくれることが、いつだって見ていてくれることの一番の証明だと思えるから






だから



「本当は・・・少しだけ、大変だったの、仕事」



『私にはあなたが必要だ』とそう告げるための、この迷惑なプロセスを



「・・・でもカズさんに会えたから、もう大丈夫」



いつだって予定通りに受け止めてほしい










冷たい車体に背中を預けているのに、吹き抜ける風はこんなに乾いているのに

私を包む空気は、泣き出したくなるほどに暖かい

繋いだ手がそっと外されて、暖かな空気がゆらりと揺れた

瞬間、もっともっと暖かな腕が私を包み込む



「残業が終わったら、もっと大丈夫になりに、僕の部屋においで?」



耳元でそう囁いたのも

冷え切った唇にそっとキスしてくれたのも

予定通りのプロセス






それなのに、私の胸は予定していたよりもずっとずっと大きく震えてしまった

















ミステリオさん お誕生日おめでとうございます!!

日頃、とても頑張ってらっしゃるミステリオさんにこんなカズさんを贈ってみます

アコとカズさんの愛を少しでも感じていただけたら、嬉しいです


2005.12.22 アコ


アコさん、素敵なカズさんありがとうございます!
師走の忙しい時期に、私の誕生日に時間を掛けていただき本当に嬉しいです。
なんでしょうね、カズさんが待っていてくれる、見ていてくれるだけで力になります。
万人に認められずとも、辛い事があろうとも『頑張ってるね』と側で笑ってくれるだけで愛しいです。
Backlashのおかげで少し自身の成長もできて、たくさんの方たちと共感できて
たとえ苦しい状況になっても、乗り越えていけると信じています。
これからも、私を形成したBacklash、アコさんが私の中で応援してくれる、そう思うと幸せです^^
本当にありがとうございました。