目が覚めたら、私は泣いていた。 正確に言うと、涙を流している事に気がついたという感じ。 暗がりの中で時計に目をやると、午前一時を指していて ベッドに入ってからさほど時間が経っていない事にため息をこぼし、私は体を起こした。 ヤサシサとワガママ 嫌な夢を見ていたんだと思う。 内容はよく覚えていないけれど 小さい頃の怖いお化けが夢に出てくるような、誰かがいなくなって探し続けているような とにかく、悲しくなる夢。 たとえそれが記憶に残っていなくても、ざわついた胸がその感情を煽るように張りつめている。 原因は分かってる。 そう、ただ一つ。 今から十数時間前の出来事。 土曜日の走行会という事もあって、少し和んだ雰囲気のサーキット場。 審査とか、書類とか、色々必要であろう許可証を用意してくれた航河。 申し訳なさとありがたさが半々に入り混じる私は、邪魔にならないようにピットにいた。 聞こえてくるのは、 低く唸り声を上げる車のエンジン音 チームメンバーとスタッフ達の話し声 …そして、甘く甲高い黄色い声達 自業自得 まさにそんな言葉がぴたりと当てはまる。 自分の書いた記事の所為で、今までよりも女性ファンが増えた。 航河もそれに答えるように彼女達と握手をしたり、写真を撮ったり。 何が悪いわけじゃない。 むしろ、全て良くなっているんだと思う。 けれど、曖昧な感情が私を揺らしている。 どうして私はいつも、こう変化というものに弱いのだろう。 あの窓から見える月みたいに、変わり続ける事が当たり前だと思えたらいいのに。 月明かりの部屋にようやく目が慣れてきた頃、突然航河からメールが届いた。 なんてタイムリーなんだろう、そしてなんて現金なんだろう。 それだけで、沈んだ気持ちは少しだけ弾んだ。 『今日はお疲れ。明日もこっちに来れるんだよな? 終わったらどこか行きたいところ連れてってやるからな。おやすみ』 そうよ。 私は航河にとって特別なんだから。 こうやってメールしたり、デートだってできちゃうんだから。 ファンに囲まれていようが、冷たい視線を受けようが、大丈夫。 半分誰かに聞かせてやるように もう半分は自分に言い聞かせるように 私は胸の中でそう唱える。 『うん。楽しみにしてるね。早く二人で会いたいな。おやすみ』 これ以上携帯を握っていると余計な事まで打ち込んでしまいそうだったので 私は簡潔な文を、素早く打ち込んで航河へ返信した。 早く、会いたい。 もしかしたら、こうやって離れている時の方が、想っているんじゃないか。 そう思えるほど航河の事ばかり考えてしまう。 おいしい料理を食べている時も 面白い本を読んだ時も 感動する映画を見た時も 1人で買い物をしている時も そして、会えた時にその想いをぶつけて。 時々、そんな貪欲なわがままな自分が情けなくなる。 メールを返信して間もなく、携帯が再び鳴った。 今度はメールじゃなくて電話の方、しかも航河から。 ディスプレイに表示される『中沢 航河』の文字を見るだけで嬉しくてしょうがない。 重症だな、と、自分をあざけりながら、私は通話ボタンを押した。 「…もしもし。、悪いな遅くに。」 「大丈夫だよ。航河の方こそ寝なくて大丈夫?」 「ああ、明日は加賀見さんと疾斗のヤツがメインだしな。。」 「そっか、じゃあ、ちょっとだけなら大丈夫だよね。」 「メール返ってきたから、起きてるんだと思ったらお前の声が聞きたくなった。」 「……そっか、…うん。」 ダメだよ。 ズルイよ。 反則だよ。 そんな事言われたら嬉しすぎて、余計に会いたくなる。 今すぐ会いたいって言いたくなっちゃうよ。 「……変だよな。昼間、会ってたのに。」 「ほら、会ってたって言ってもお仕事中だったしね。私も同じだよ。」 「でも、があそこにいるだけで落ち着く。」 優しい口調に、優しい言葉 きっと、航河の顔は今優しく微笑んでいるに違いない。 そう思ったら、胸のあたりがツキンと痛みだしてくる。 止まっていた歯車がゆっくりと回り出すように、募る想いが動き出してしまった。 「早く…、会いたい…ね、航河。」 思わず、そう言葉に出してしまった。 けれど、航河の返事はなかなか返ってこない。 もしかしたら、それは一瞬の事だったかもしれない。 私にとってそんな刹那の沈黙も重くて、壊れてしまいそうだった。 航河、早く『俺もだ』って同調して そしたら、私は明日も頑張れるから…、お願い。 「……分かった。じゃあ、今からそっちに行く。」 「へっ……!?」 今度は私が沈黙する番。 だからって、まさかそんな事させるわけにはいかない。 停止してしまいそうな脳で必死に言い訳を探して 繋ぎ止めるために『航河』と名前を呼んだけれど『じゃあな』で電話が切れた…。 何が起きたのか理解するのに少し時間がかかった。 胸がドキドキと脈打ってうるさくてしょうがない。 今のは夢だったんじゃないか? 沈黙の部屋の中でそう思ったけれど、やっぱりこれは現実で 窓から見える月が少し傾いた頃に車の音がして、そして扉を叩く音が聞こえてきて、そう思い知った。 何で…… 何で、こんな深夜にうちのソファーに航河が座っているんだろう。 非現実的な現象、そういっても過言ではないかもしれない。 なんだか悪い事をしている子供のようで、妙にソワソワするし。 その上、頭の中でもう1人の自分がコッソリと私に囁いてくる。 もう、この際甘えちゃったら? 今は二人きり、航河は私の事しか見てないんだし 会いたくて仕方がなかった人が目の前にいて我慢するなんて、それこそ嫌われたらどうするの? 天使か悪魔かって聞かれたら絶対に悪魔の方だと思う。 …………。 ええい、もうどうにでもなれ。 勢いに任せて航河の隣に座り込んで、私はその逞しい腕にギュッと絡みついた。 リアルな腕のぬくもりを感じるだけで、涙がこみ上げてくる。 嬉しいとか悲しいとか、そういう感情全てをひっくるめて、もう愛しすぎて。 「航河、せっけんの匂いがする。」 「…ああ、今さっき向こうで風呂入ってきたからな。」 「そっか、ごめんね。」 「別に…、謝るとこじゃないだろ。」 なんだか来てもらった事が申し訳なくて きっと、航河に何を言われても謝ってしまう。 そんな私を見て、おかしそうに笑いながら突っ込んできた。 それも、航河の『気にするな』っていう意味の優しさ。 「へへへ…。あ、そういえば髪のツンツン具合がちょっと大人しいかも。」 絡めた腕をするりと解いて、優しい表情の航河の髪にそっと触れる。 何もつけていない、まっさらなサラリとした感触が心地よくて また、それを抵抗なく見せてくれる航河が愛しくて、もう一度その髪を撫でようとした。 すると、突然、世界が変化した。 大きな手に伸ばした手を掴まれて もう片方の航河の手が、私の背中にしっかりと回されていて いつの間にか、航河の腕の中に捕らわれていた。 吸いつくような唇が、呼吸さえも奪うように重なってきて、めまいがする。 思いもよらない行動に、胸の深いところまでジンジンと痺れだす。 上唇を噛んできたり、下唇をペロリと舌でなぞってきたりしたあと 離れていく航河が、悪戯っぽく笑って呟いた。 「…不意打ち、成功。」 航河の髪が静かに揺れて優しく香る。 そう、これが私だけの航河。 「…で、どうした?」 「え?」 「ずっと、ションボリしてただろ?言えよ。」 「……ちょっとだけ、変化が怖かっただけ。」 「変化…?それを俺に教えたのはお前なのにか?」 「……そうだっけ?」 「ふっ…、自覚無し。」 まるで麻薬みたいなその香りに、どんどん溺れていく。 もっと、もっと、と底のない欲が次々と航河を欲しがってしょうがない。 胸の中に顔を埋めて、ずっとこのままでいたくて航河の広い背中に手を回す。 「ねぇ、航河。」 「……何だ?」 「どんなに沢山のファンができても、私の事、…好きでいて?」 「……当たり前だろ。」 「私の…、航河だもん。」 「…………。」 心の中に映った航河を囲む下心ムンムンのファン達にあかんべーをして、再び航河の胸にすり寄ると 航河の肩が上下して、その振動が私の体に伝わってきた。 どうしたのかと思って見上げると、そこには航河のクシャクシャになった笑顔がある。 「ねぇ、聞いてる?」 「……ああ。」 「…何、笑ってるの?」 「俺、笑ってたか?」 「……今も、ものすごい笑顔。」 「いや…、良いなと思って。」 「何が…?」 「ふっ…。お前のわがままが。」 ああ、もう。 そんな事言われたら、なんだか恥ずかしくなるじゃない。 ポンポンって頭撫でられたら、まるで私子供みたいじゃない。 今までの嫌な事全部吹き飛んじゃうくらい、航河の言葉は力がある。 私は赤くなった顔を隠すためにうつむきながら、航河から離れて自分のひざを抱えようとした。 「ほら、そろそろ寝るぞ。」 ひざを抱えようとしたのだけれど、そう言って立ち上がる航河にいつの間にか抱き上げられて そのまま、寝室のベッドへと連れて行かれる。 震える手でしっかりと航河につかまっていると、静かにそこへ下ろされる。 大きくて力強い航河の指先が、私の頬をなぞり唇でピタリと止まった。 「でも、その前に俺がのものだって、…確かめさせてやらないとな。」 ギシッとスプリングの軋む音が聞こえたと同時に、航河に押し倒される。 月明かりの中で航河の輪郭がぼやけていく。 愛しくて涙が出るなんて、初めて知った。 「俺も、が好きすぎてしょうがないんだ。」 今夜の航河のわがままは、甘くて甘くて、きっと私を溶かしてくれる――。 あとがき カウンタ5555を踏んでくださったちゃこ様に捧げます。 上手くできたかな?できたかな?(´Д`;) しかも遅くなっちゃってごめんなさい(汗)。 不意打ちは航河の専売特許ですよね〜。 皆様にも悶えていただけたら嬉しいです。 ←BACK |