暑い夏には冷たいものが欲しくなる。

寒い冬には暖かいものが欲しくなる。



会えないと思うと、寂しくて余計会いたくなる。

悲しい事があると、自分に起こる些細なトラブルも不幸だと感じてしまう。



優しいあなたの言葉を聴くと私も優しさを取り戻せる。

あなたに好きだと言われると嬉しくてもっとあなたを好きになる。













   












会社の化粧室の鏡の前に立って、私は持っていたポーチから道具を取り出す。


さん。今日は早いのね?」


私の隣にいた同僚が黒い液体をまつげに付けながら鏡越しに話しかけてきた。
終業時間を少し過ぎた週末のこの部屋はとても賑わっていて少し苦手だ。

「たまには楽しないとやっていられないもの。」

私は”実は恋人と会うの”など余計な事は口にせずニッコリと笑顔でかわす。

別に彼女と仲が悪いわけじゃない。
むしろ、仲がいいほうである。
しかし、こういった場所で無駄に何か話そうものなら
聞いてないフリをしてしっかり聞き耳を立てている
毒蛇達の餌食にされてしまう事を私は知っている。
『同感だわ』と言ってマスカラをしまう彼女も良き理解者。

当たり障りのない会話を少し続けると、
作業を終えた彼女が『それじゃ』と手を振り、先にこの巣窟から脱出した。

それを笑顔で見送って私は自分の唇に薄く口紅をひく。



突然、私の右ポケットに入っていた物が3回程、ブルブルと震えた。
その原因を確かめるためにそこに手を差し入れて携帯を取り出してみる。
大体予想は出来ていたが、やはり和浩からのメールだった。


『今、会社の近くに着いたよ。あ、でも、急がなくていいからね。』


あなたがすぐそばにいるって分かったのに、ゆっくりなんて出来るわけないじゃない。
その文章を読んでゆるみそうになる口元を、私は必死で誤魔化す。

そしてすぐにポーチをバッグにしまい、最後に確認するように髪を撫で
私は、化粧室から出て彼が笑顔で待ち受けているであろう場所へと向かった。













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沈みかけた太陽の光を浴びて、和浩は自分の車に寄りかかりながら人の波を眺めていた。






「カズさんっ!」





人ごみの隙間から見えた和浩の姿はいつものような私服ではなくて、思わず声を上げてしまった。

それに気がついて私に優しく微笑む和浩に駆け寄る。
胸がドキドキと高鳴ってしょうがない。




「そんなに急がなくても、逃げたりしないよ。」



和浩の目の前で目をキラキラさせた私を見て、彼は眉を下げて笑った。
『だって、嬉しかったんだもん』と言って私は彼を真っ直ぐ見つめる。

いつもより3割り増しの大人っぽさと色っぽさに目を奪われる。


「…あ、やっぱり変かな?この格好。」

「えっ?」

「今日スポンサーの人と打ち合わせだったんだ。仕事帰りのデートだったら僕もこのままの方がよかったかなと思って。」


黒に近いグレーのスーツと

淡いピンクのワイシャツに

深いワインレッドのネクタイ

見事なまでに彼に似合っている。


「……カッコよすぎて見惚れてました。」


私はめったに口にした事のない言葉をボソリと呟いて、照れながら下を向く。
すると、和浩はつられたように『…ありがとう』と頭をかきながらうつむいた。

高揚する感情につられて身体が熱くなる。
視線を交らせて笑い合うと、まるで世界は二人だけのように思えたけれど
天下の公道で何ノロケてるんだという通行人の視線にハッとして
私達は逃げるようにして車に乗り込んだ。


ツナギ姿も素敵なんだけどね。というか何を着ていてもカズさんはカッコいいよ。

ドアを閉めてから付け加えたかった言葉は『それじゃシートベルとしてね』という和浩の言葉で飲み込んでしまう。

「僕がさんの事可愛いねって言おうとしたのに、さき越されちゃったなぁ…。」

代わりにシートベルトを装着した私を見て、和浩にニッコリと微笑みながらそう言われた。

優しい笑顔に目を奪われていると、不意に私の手は彼のそれに包まれて
そこから自分の体中すみずみにまで温もりが伝わっていく。
『会いたかったよ』と言う彼に、『私も』と答えると
満足した表情で温もりは離れていき、変わりに車のエンジンがかかった。 

物足りないと思うのは私だけだろうか?
触れた体が離れていく瞬間、何ともいえない切なさが私の胸を少しだけ支配する。




















しばらくドライブを楽しんだ後、夕食をとるため車が止まった先は落ち着いた上品な構えの店だった。

少し意外だった。
悪い意味ではなく、和浩はあまり食にこだわる方ではない。
その場所で楽しく食事が出来ればいいという考えの持ち主という意味で。

「あ、今ちょっと意外だと思ったでしょ?」

考えていた事が顔に出てしまっていたのか、和浩は私を見て可笑しそうに口を開いた。
一瞬罪悪の念にかられたが、彼の表情に傷ついたものはうかがえなかったので安心する。
私は『少しだけ』と言って曖昧に笑う。

「実はたまーにメンバーと来るお店なんだ。加賀見さんのおすすめのお店。」

車から降りて鍵をかける和浩の側へ寄ると、彼がこちらを振り向いて話を始めた。

「大きなレースでいい成績取れた時とか、打ち上げとしてここに来るんだよ。」

「そうだったんだ。」

「うん。たまにはさんともこういうところでどうかな?と思ってさ。」

すでに日の落ちた世界に優しい暖色の灯りがその店にはよく似合っていた。
そして、その灯りに照らされた和浩はやはりいつもよりも魅力的に見えた…。



店に入ると凛とした着物姿の女性が『いらっしゃいませ』とこちらに向かってお辞儀をした。
『予約した岩戸です』そう言った和浩に女性が『お待ちしておりました。こちらへどうぞ』と笑顔を見せて案内し始める。
カウンターとテーブル席の間を通って、奥の座敷になっている個室へ進んでいく。








「あら、さん?」


突然のその声の方をドキッとして向くと、テーブル席に先ほど会社の化粧室であった同僚の姿があった。
まさか、こんな所で会うなんて。
それはお互いが抱いた驚きの感情で、すぐに偶然という奇跡めいたものに喜び合う。

「びっくりした。まさかこんな所で会えるなんて。」

「本当。もしかして、あの人が例の彼氏?」

彼女の言葉に静かにうなずくと、同席していた男性がこちらを見てお辞儀をした。
きっと二人もデートなんだろう。
私は邪魔してはいけないと思い、嬉しい気持ちを抑えて男性に軽く会釈をすると
『それじゃ、またね』と彼女に笑顔をおくって先で待っている和浩のもとへと進んだ。







「お待たせ、ごめんね。」

「大丈夫だよ。」

靴を脱いで個室へ入ると私達は向かい合って畳の上にある座椅子に腰を下ろした。

テーブルに置かれたメニューを開いて、『何か食べたいものある?』と和浩に聞かれる。
遠慮がちにメニューを覗き込んだがどれもおいしそうなものばかりで悩んでしまう。
『カズさんのおすすめで』嬉しそうに困った顔をしてみせ、そう言うと和浩は嫌な顔ひとつしないで
『じゃあ、僕が頼んじゃうね』と、てきぱきと笑顔で店員に注文してくれた。

こういう時、頼りになるなーとつくづく思う。
そして嫌な顔せずに優しく甘えさせてくれる和浩を、私は今以上に好きになる。

料理が来るまでお互いの今日の出来事などを面白おかしく話した。
鷹島さんと中沢さんが今日もいつものように掛け合いの様なけんかをしていた事。
カリナさんが加賀見さんにずっとくっついていて、加賀見さんが少し困っていた事。

途中、料理が運ばれてきたけれど、話は尽きず
出された料理はどれもおいしくて、和浩もそんな私を見て嬉しそうだった。


しかし、それから少し経った後、和浩は少し曇った表情をさせて私を見つめた。


「そういえば、……さっきの人は知り合い?」

「え?…あ!ごめんね?仲良くしてる同僚だったの。こんな所で会うなんてびっくりで。」


『そうなんだ』と笑う和浩の顔から憂いが消えない。
何か気に障ることをしてしまったのだろうか?

「カズさん?」

「挨拶とか、しなくて大丈夫かな?」

疑問を疑問で返されてしまい少し戸惑う。
紹介しなかった事に対してなのだろうか?
しかし、和浩を呼び戻してどうも初めましてなんて、
お互いデートなのにそうなると男性は手持ち無沙汰では?と一応気を遣ったつもりだったのだけれど。

「うん…。向こうも彼氏と一緒だったし。食事してるところじゃ悪いかなと思って。」

言い訳めいた私の言葉に、和浩は箸を置いて独り言のように『なんだ…、女の人のほうか』小さく呟いた。
もしかして、何かとんでもない勘違いをしていた…?
照れ笑いを浮かべる和浩の表情から、不安は消えたようだった。

「ねぇ、カズさん。」

「なあに?」

「もしかして嫉妬してた?」

「さぁ、どうでしょう?」

「彼氏と一緒を、恋人と、って曖昧にしてたらもっと嫉妬してくれたかな?」

とぼけてみせる和浩を見て思わず胸が躍りだす。
何だかそれがとても可愛らしくて、愛しく感じた。

食べ終えた最後の小鉢と箸をテーブルに置いて、和浩の隣へにじり寄る。
そ知らぬ顔で湯飲みに口をつける彼の隣で『カ〜ズ〜さん』とイジワルそうに顔を覗き込んでみる。



コトン


和浩はこちらに顔を向けたままで

…小さく湯飲みを置く音がした。



すると同時に私のものとは全く違う力強い和浩の腕によって私は抱き寄せられた。


「そりゃね。僕の知らない親しい人なんて聞いただけでかなり妬ける。」


胸に顔を埋めたままの状態でその言葉は、私の思考回路を見事にショートさせる。
胸から伝わる声の振動と、暖かな感触と、優しくて甘い香り。
そして、素直に白状した彼の胸のうちを改めて認識し歓喜に酔いしれる。

自分自身の中でくすぶっている独占欲が、同じように彼の中にもあったんだ。
そう考えるとより鼓動が早まって、体の芯がゾクゾクと痺れだしてしまう。

目の前に映るワインレッドのネクタイを撫でながらここが個室でよかったと思った。

「無駄な事だけど、それって嬉しいなぁ。」

「無駄?さんにとって僕は一番って事?」

「うん。そういう事。一番は一番でも別格のね。」


ずっとこのままでいたいという思いとは裏腹に私の言葉で和浩の体が離れていく。


「個室にするんじゃなかったな…。」


物足りないと言う表情の私に和浩はふふっと嬉しそうに笑い、私の考えと反対の事を言った。 
そして私の耳元で小さくイジワルそうに囁く。

さんが欲しいって顔してるから僕も君が欲しくなっちゃった。」

「えぇっ……それは、その…だって。」

「でも、さんは僕が欲しくても気がついてくれないんだけどね。」

「え?」

「さっきから我慢してるんだけど、こうやって近づいてくるし。」

「私は、個室でよかったって思ったけどね。」

「でも、さすがにここじゃ服を脱がせられないからな。」

「……ぬっ!?」



ひょうひょうとした表情でとんでもない事を口にする和浩から、私は驚きのあまりあとずさる。


さんが想像するより、僕は汚い事考えてるから気をつけてね。」


冗談交じりの口調で和浩は、言葉とは正反対のけがれのない笑顔を見せた。


「……何も3割り増しの時に言わなくても。」

「3割り増し?」

「な、なんでもない。こっちの話…。」


視界の中に少しでも和浩の姿を入れてしまうと
さっきの言葉が頭の中で何度も再生されてしまうので
私は、なるべく彼を映し出さぬようにその場でうつむいた。

少し困った口調で『そろそろ出ようか』と和浩が言葉を繋げる。
私は静かにうなずいて、和浩の言葉に従う。

正直、私も早く二人になりたかった。

「私も、カズさんの言葉に感化されちゃったみたい。」

立ち上がる和浩に手を差し伸べられ、それにつかまりながらそう言うと

「してやったり、だね。」

和浩は嬉しそうに私の手を引いて立たせてくれた。


その手は、今度は離されることなく、しっかりと握られる。
『僕の部屋に、行こう』小さく呟かれた言葉を、まるで私を虜にする魔法みたいだなと思えた。
私が言葉の代わりにその手を握り返すと、そのままゆっくりと部屋から出る。




店を出る途中
同じように店を出ようとしている同僚と目が合い
彼女が仲が良さそうじゃないと言いたそうにウインクをした。

少し恥ずかしかったけれど
私はつながれた手は離さずにバッグを持っていた反対の手を小さく振る。





月曜日のランチは彼女と二人で行こうかな。


頭の片隅でそう思いながら和浩と二人、店をあとにした――。
























あとがき
久しぶりにカズさんです。カズさんカズさんカズさん、あぁ、もうカズさん。
そうそう、スーツ姿のイメージは公式サイトのトップページにいる
カズさんを参考にしていただけると萌え分かりやすいと思います。
ちなみに色が持つイメージというものを調べてみたら

赤→アクティブ、エネルギッシュ、情熱
白→清潔、純粋、几帳面
灰→静かな、シック、渋い
橙→楽しい、親しみやすい、気さくな
桃→ロマンチック、優しい、麗しい     という感じらしい(´Д`;)イヤン

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