今日は朝から最悪だった。 ザァザァと地面に打ち付けられる雨音で目が覚めて。 少し熱っぽくだるい体を起こして、カーテンを開ければ太陽を丸っきり隠してしまった分厚い雨雲。 未明から雨が降り出すだろうという、気象予報士の昨日の発言が見事に当たってくれた。 薄暗い部屋の照明をつけて、別に真剣に見るわけでもないのに取り敢えずテレビのリモコンを握る。 けれど、いくら電源を押そうにも映像が映し出されることはなくて、電池が切れかかっているのに気がついた。 本体まで手を伸ばし電源をつけるが、何だか面倒臭くなってチャンネルを変える気にもならなくて。 帰りに電池を買わなくては。 そう思った途端、昨日の夜からトイレの電球が切れていた事も思い出したりして。 ……それも買わなくては。 ため息をひとつ吐くと部屋の中だというのに、降り注ぐ雨が入り込んだような湿度に余計ナーバスになる。 夜は明日の朝でいいやと疲れて寝てしまい、朝になったら朝でやる気にもならない。 そんな日がここ数日続いている。 カレンダーに目をやると月に一度のアレが近いなと、こんな気分を増長させている原因を知る。 というよりも、その原因を月経のせいにしなければやってられない。 顔を洗おうと洗面所へ行けば、鏡に映る見事な寝癖。 簡単には直ってくれそうにない。 朝食のトーストは焼きすぎた所為で苦くて、牛乳を口に含んで何とか誤魔化した。 テレビ画面の端に映る天気予報を気にしながら、ストッキングを足に滑らせる。 雨のち晴れのマークに、本当?と半ば疑いをかけていれば 太腿まで上げた薄く柔らかな生地に、うっかり爪を引っかけあっという間に足首の方まで伝線した。 「ああっ…もう!」 思わず口に出たイライラは、情けない後悔を残しながらも感情を黒く染め上げていく。 負の感情が闇を呼ぶと分かっていても、止める術なんて大概上手くいかない。 それでも時間は待ってなんかくれないし やらなければならない事は無くなってはくれない。 本当に、今日は朝からツイていない。 憂鬱という世界が、私の周りをグレー一色に染め上げた。 オーバー・ティアーズ 昼休みが終わりに近づいた頃、マナーモードにしておいた携帯電話が机の上で着信を知らせた。 ディスプレイに映るのは岩戸和浩の文字。 不安がよぎる。 デートのキャンセルだろうか。 今日は朝から運の無い上、これまでの経験からしてその確率は高い。 それでも僅かな望みをかけて、私はそれを耳にあてた。 『もしもし、さん?ごめんね、今大丈夫?』 「うん、大丈夫。……週末の事?」 『……ごめん』 沈んだトーンが、何を言わんとしているか もうすでに、先回りした自分の感情は、諦めと落胆を抱え込んでしまっていた。 「仕事だもん、しょうがないよね」 冷静な部分の自分が、裏返りそうな声を押し付けて小さくそう呟く。 戸惑ったような、そんなカズさんの沈黙が痛い。 『…さん?』 そして、私の落ち込みを、寂しさを察するように呟く呼びかけに、すがりつきたくなる。 でも それでも伸ばしかけた手は、掴みかけた手は やっぱりツイていない今日という日のせいなのか 届く以前に、見事に空振りする事になる。 『カズさん』 電話口から聞こえてきた、女の人の声。 どうしようもない物理的な距離が、精神的な所まで及んで敗北感が体中を襲ってきた。 『教えて欲しい事があるんです』 『…あの、ちょっと今は…後ででいいですか?』 後ででいいですか?って事は、後でしっかり教えるわけだ。 電話の向こう側で話をする二人に、必死で言葉を飲み込んだ。 『ごめんなさい!電話してたの気がつかなくて』 『い、いえ』 『じゃあ、後でまた色々…教えてくださいね?』 『はい、わかりました』 さっきから色々と教えてあげてたんだ。 何を? というか、名前で呼ばれるほど親しいんだ。 誰なの? 取って付けたような謝罪の言葉には、申し訳ないなんて気持ちは微塵も感じられない。 むしろ、遠く離れた場所にいる私に対して挑発しているようにも聞こえた。 何を考えているんだろう私は…馬鹿みたいだ。 心の中を蝕んで思いやりとか優しさとかその類のものまでも飲み込んでいく。 『…さん、ごめんね。今のは……』 カズさんの謝罪が…まるで、私を境界線の外にいる事を知らしめるようで 「随分、…仲が良さそうね」 申し訳なさそうに私の名を呼ぶ声に、押さえが利かなくなる。 そうやって優しいから、勘違いする人がいるのよ。 "誰にでも平等に優しい"="誰にも特別な感情はない" そんな方程式が本当に存在しようにも、果たしてどのくらいの人がその答えを知っている? 頭の中に浮かぶ全ては思い上がった最低な感情。 恥ずかしくて惨めで、自分をどんどん嫌いになっていく。 もう、誰とも繋がりたくなくなる。 『さん』 「用件はそれだけ?」 『さんってば』 「悪いけど、そろそろ切るね」 『……ねぇ』 「休憩、終わるから」 『』 「それじゃ」 携帯を閉じたと同時に、胸に氷の刄が突き刺さる。 すり抜ける度に、呼びかけるカズさんの口調に強いものが加わって 怒らせているとわかっていても、止まらない。 繋がりたくないくせに、独りになるのは怖くて、噛み締める奥歯がジンと痛んだ。 まともな思考能力は残ってなかった。 それでも、仕事に戻らなくてはいけない。 ただ、考えないようにするという行為は、その言葉とは矛盾するくらい嫌な事を思い出させて キーボードを打つ指が情けないくらいミスを繰り返して、主任の嫌味が追い討ちをかけて 潰れてしまいそうな心を、あと少しだからと無理矢理ふるい立たせた――。 ←BACK |