『かくれんぼ』





どんよりとした灰色の空から、ザーザーと音を立てる雨さえも心地いい休日。

本当はお互いの休みがなかなか合わなくて、今日やっと高原でデートするはずだったんだけど。

さんが風邪をひいちゃうといけないから、今日は僕の家でゆっくり過ごさない?」

なんて、優しい彼の言葉に

「うん、ありがとう。」

と答えて、彼は私をわざわざ迎えにも来てくれた。

カズさんの家に遊びに行けるなんて嬉しすぎて、かなり舞い上がっている。
彼の世界の新たな部分を知ることが出来る喜び、
愛しい日々がどんな景色も幸せに見せてくれる。
彼の一部に私が存在する、こんな素晴らしいことは他にない!なんて思ってしまう。




彼の部屋は想像していた通り、落ち着いた緑の優しい雰囲気だった。

この空気に包まれて、呼吸をするたびに何かが胸に突き刺さるようにドキリとする。

緊張のあまり身体がうまく動かなくて、
そんな私に気が付いた彼がニコリと微笑みながら

「そんなに固くならなくていいよ?それとも、僕と二人になるの不安…かな?」

なんて言う。

見つめる瞳に吸い込まれてしまいそうになる……。

「は、はい。オジャマシマス。…あ、カズさん、これ何て言う植物?」

甘い甘い空気に胸の高鳴りは増すばかりで、
私はその感情をごまかすかのように近くにあった植物を指さした。

「うん、これはね……。」

クスリと笑って彼が口を開いた瞬間、
彼の携帯電話から着信を知らせるメロディーが流れ出した。

「あ、ごめん…。ちょっといいかな?適当に部屋でくつろいでいていいからね?」

申し訳なさそうに電話を取り出す彼に、私はコクンとうなずいて微笑んだ。


「もしもし。…はい、岩戸です。
……あ、そうなんですか?はい…、わかりました。
それじゃあ家のパソコンの方に送っていただければ…、
はい、僕も一応確認してみます。……はい、失礼します。」


電話を切って彼は私の隣に座ると

「お待たせ。」

と言ってニコリと笑って見せた。
けれど、何だか心ここにあらずといった感じ。

「どうしたの?」

「ん?大丈夫、なんでもないよ?」

人に心配をかけないようにする彼の良くない癖が出た。

「でも、さっきの電話お仕事の…?私に気を使うのはナシだよ?」

少ししょんぼりした様子の彼が話し始めてくれた。

「あ、うん…。実は……。」


彼の話によると、スタッフさんからの電話で
私には詳しい内容まではわからないけれど、
製作パーツやメンテナンスについて提案があったそう。
それでちょっと確認したいことが出来てしまったらしい。

「でも、せっかく来てくれたさんに申し訳ないし。」

確かに少し寂しい気もするけれど、どこまでも優しい彼の負担になんかなりたくない。
彼のためなら私は、どんな事であろうと苦痛になんかならない。

「私なら大丈夫だよ。もし時間がかかるようなら帰るし…。」

そう言ってちょっと強がってみる。

「じゃあ、ここで出来ることだし、すぐ終わらせるからいいかな?…でも。」

「うん、よかった。あ、でも何?」

「帰ったりしないで……欲しい。」

寂しそうな瞳が私を捕らえて離さない。

「え…。」

「ごめん、わがまま…だよね?でも、できるだけずっとさんと一緒に…いたい。」

カズさん、それは、私のセリフです…。
嬉しすぎて、私はこの幸せな気持ちを上手く言葉に表現できなくて…、
その変わりに精一杯の笑顔でうなずいた。

そして再びあの優しい笑顔を取り戻してから、
彼はパソコンに向かって仕事を始めた――。





冷めたハーブティーを飲み干して、
どれくらい時間がたったのだろう?と思い私は時計を見た。
彼はのめり込んでしまうと、その事に集中してしまって眠ることさえ忘れてしまう。

だからといって中断させられない、邪魔になんてなりたくないから。

部屋の中で静かに呼吸をしている植物達を観察してみたり、
テーブルの側にあった車の雑誌をパラパラとめくってみたりしていたけれど、
だんだんする事が無くなってきてしまった…。

でも、彼の後ろ姿を見ていれば、愛しくて自然に笑みがこぼれてしまう…。



ふと、ちょっとしたイタズラ心が湧いて出た。



彼は、私の姿が見えなくなったらどうするだろう?



私は、ソファーからそっと立ち上がり気付かれないように部屋から離れた。
どこかに隠れちゃおうかな?なんて、まるで子供のようにワクワクしていた。

そして、ここに決めた!と、私は浴室の脱衣所にちょこんと座り込んだ。
ふと、洗濯機が目に入る。
そして、その側に作業着用の洗濯洗剤が置いてあるのに気が付いた。

そっか、いつもあんなに一生懸命仕事をして油まみれになると、
やっぱり普通の洗剤じゃ汚れが落ちにくいんだな〜。

少し悪い事をしているような気分になったけれど、
彼の日常を少しのぞいてしまってドキドキした。

それから、壁により掛かって彼と出逢ってからの事を思い出していた。



油まみれになりながら、真剣に車と向き合っているカズさん。

悲しみや苦しみを乗り越えようと頑張っているカズさん。

人の痛みに誰よりも敏感で優しいのに、自分には厳しいカズさん。

車を運転しているときの横顔、
ハンドルを握る大きくて優しい手、
シフトチェンジするときの左手。

二人きりになって、彼を独り占め出来た時の全てを包み込んでくれるような、
私を見つめる瞳、笑顔…。

全てが愛おしい……。





しばらくすると、だんだん眠気がさしてきた…。


昨日は緊張のあまり眠れなかったんだよね…。
このままここにいたら寝ちゃいそう…しょうがない、
見つかる前に部屋に戻ろうかな……と、

思ったのだけれど、まぶたが重くて身体が言う事をきいてくれなくて…。



私は、とうとう深い闇の中へと引きずり込まれてしまった。



それから、優しい彼の声が聞こえてきた様な気がしたけれど曖昧で…。


そして、優しい光に包まれてフワフワと宙に浮いているような感覚におそわれ…、

何だかそれがとても暖かく気持ちよくて、

戻りそうになった意識も再び眠りの世界へとおちていった――。





ハッ!と目を覚ますと、私は部屋のソファーに横になっていた。

あれ?いつの間に?と寝ぼけ頭で不思議に思っていると、
身体に毛布が掛けてあることにも気が付いた。
私は眠気をとばして意識を取り戻そうと、目をこすりながら身体を起こす。

そして辺りを見回すと、私に気が付いた彼がニッコリと微笑んでこちらへ近づいてくる。

「あ…、カズさん…。」

「寒くない?大丈夫?あんな所で寝ていたら風邪ひいちゃうよ?」

彼は、私の隣へ座ると、そう言って私の手を優しく握った。

「ご、ごめんなさい…。何だかウトウトしちゃって……。」

あれ…、と言うことはここまで私を運んでくれたって事だよね!?
重かった、なんて思われていたらどうしよう…
でも、そんなこと聞けない…。

「僕の方こそごめん。せっかく来てくれたのに…。それに、疲れてるみたいだったのに気付いてあげられなくて…。」

「そんなこと、ない!私だって…私が、カズさんに会いたかったから、ここにいるの。」

彼の大きくて優しい手が私の髪を撫でた…。

自分の身体じゃないみたいに身動きがとれなくなってしまう。

「…ありがとう。でも、何であんな所にいたの?」

彼の二つの目がまるで三日月のような形になって、私を見つめて微笑んでいる。
何だか言い出しづらくて「えっと…、その…。」と、口ごもってしまう。

「…ん?」

理由を口にするのを待っている彼の笑顔が、
わずかに近づいた…気がするのは、私の気のせいだろうか?

「か、簡単に言うと、かくれんぼ…というか…。」

恥ずかしくなってうつむく私に、彼は「かくれんぼ?」と聞き返してくる。

「…あの、私がいなくなったのに気が付いて探しに来てくれるかな?なんて思ってこっそり隠れてみたの。」

えへへ、と笑いながら顔を上げると、
彼は切ない表情を浮かべて再び「ごめんね?」とあやまった。


あぁ…、私は何でこんなに彼に「ごめん」を言わせてしまうのだろう…。

もっと彼の嬉しそうな顔を見たいのに、
もっと上手に伝えたいのにうまくいかない…。

「違うよ?私は一生懸命で、仕事に誇りを持っているカズさんのことだって…す、好き。
これはほんのイタズラで…。…それに、カズさんは、私をちゃんと見つけてくれたし、だから…。」

そんなに自分を責めないで?
そんなに謝ったりしないで?

自分の不甲斐なさに涙が出そうになる。

でも、そんなんじゃ彼に余計心配させてしまうんじゃないかと思い、
うつむいて歯を食いしばる。




その時――。




私は、突然、彼の腕の中へと引き寄せられ、強く抱きしめられた…。



「カ、カズ…さ…ん?」

「ありがとう、さんの気持ちは、ちゃんと僕に伝わってるから…。」

目に映るのは、今日彼が着ているシャツの色だけ。
聞こえてくるのは、降り止まない雨の音と私と彼の鼓動だけ。
感じるのは、彼の温もりだけ。

「見つけるよ…。どこにいても…きっと。二度と離したりなんかしないから…ね?」

背中に回された彼の腕の存在を感じるだけで、心が乱される。

私の身体が彼の暖かい優しさと強さを感じるたびに、涙が溢れそうになる。

『心を奪われる』とは、まさにこの事だと思った。


彼の手が私の髪を撫でる。
その手は頬に移されて、
そして最後に、その手は私の唇にそっと触れた。

「なんだか、帰したくなくなっちゃうね。」

微笑みとともに甘くて優しい彼の言葉が降り注ぐ。



――私の心はあなたのもの。

――私を見つけて、愛してくれるあなただけのもの。



このまま溶けてしまいそうな私は彼に身体を預けたまま、
力無く彼を見上げることしかできなくて……。




あとは




ただもう、近づいてくる彼の唇に素直にしたがうだけ――。








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